2009年07月26日 仕事の採算性
最近ある部門での仕事で非常に利益の低い仕事があった。ほぼ一人の日本人スタッフがつきっきりで約3ヶ月対応したのだが、そのスタッフの一か月分の給料に足らない程度の利益しか上がっていなかったのである。 その担当スタッフに、目論見と大幅に狂ったのか?という質問したら、最初から利益目標など存在していないという答えが返ってきたから驚いた。 つまり平たく言うとそのスタッフは、いくら儲かるか分からないまま仕事をしていたのである。これには飽きれた。どんな小さな仕事でも常に採算性というものが付きまとい、採算が取れるように計画を立ててはじめるのが仕事である。 どんなに甘甘の見通しの採算計画であろうとも、一応うまくいったら儲けが出る予定でスタートさせるのが仕事である。もちろんこれは商品一個一個の利益の問題ではない。商品一個売って、一つ一つに利益が乗るのは当たり前の大前提で、書くのもばかばかしいことである。利益計画とはその仕事のトータルの儲けを考えるということである。つまり例えば月間100万円の利益を出すために、1個100円の利益の商品をどうやって1万個売るかを考え、3000個しか売れなかったら採算割れなのだから、最低限でもそこを守るにはどうしたらよいかと考えるのが仕事である。 もし最初から3000個も売れそうになかったのならその仕事には手を出さず、もっと利益率の良いほかの仕事を探すのが経営判断であり、仕事の判断である。
それを利益計画も何も立てないまま仕事を始めたのでは、儲からないのは当たり前である。 結局、今回の場合そのスタッフの2か月分の給料が赤字として計算される。もちろん実際にはそのスタッフは別の仕事もやっていたから単純な赤字として計上するわけではないが、そのスタッフの仕事がまったく利益になっていないのは明らかで、極端な話を言えばその仕事をやらないで、その時間ほかの場所でアルバイトをしていただいほうが良かったような状態である。 利益が上がらなかったこと自体はもちろん問題だが、それよりも利益目標を立てずに仕事を始めている時点でそのスタッフの仕事はアウトなのである。 最初から100万円儲かる計画を立てなければ、10万円だって儲からず、損をするかも知れないのがビジネスである。もちろんただ計画を立てれば良い訳ではなく、計画と現実の差をどう縮めていくかを考えつつ進めるのが当然で、常にその差異の原因を分析しつつ埋めていくという作業が必要になる。 こんな基本的なこと、改めて書かなければならない状態であることが非常に悲しい。
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2009年07月06日 首・肩・腰!全部全部痛い!
どうも仕事の業績がぱっとせず、そのカバーリングの意味を含めて、この土日は仕事やその他諸々の用事のために両日15時間くらいパソコンに向って作業をしていたのだが、、今日になって首肩腰が痛くなった。 冷房の中、大した運動もせず同じ姿勢を続くけていたら明らかに体に悪いのは分かっていたのだが、色んな面で状況に余裕がないために、眠くても体が痛くても必死にならざるを得ない。 途中、気分転換のために料理をするなどの時間などを作ったが、焼け石に水のようで今日になって痛みが出た。体も重い。お陰さまで頭はそこそこはっきりしているが、気をつけないと精神的にもノイローゼに陥りそうだ。 うーん、月曜になって週末にのんびりレジャーやっていた人の話を聞くと腹立たしいくらいのきつい状態だが、踏ん張るしかない。
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2009年06月22日 月曜に休むな!
日本の会社にいるときよく言われたのがこの「月曜は何があっても出て来い」ということ。 月曜日、つまり前日は休日の土日であったわけで、仕事に備えて休養するというのが本来の休みの意味であり、週末に遊びまくり月曜日に疲れを持ち越して、体調を崩し休むなどということは言語道断であったわけである。 故に月曜に体調を崩すというのは自己管理能力を問われ、会社の人物評価としてはほかの日を休むよりマイナスポイントが高い。 もちろん、予め仕事を手配した上での計画休暇についてはこの限りではないが、例え計画的な休暇であっても、やはり一週間のはじめに会社にいないというのは少々印象が悪い。何故なら週末には予定外の状況の変化が生じやすく、その対応に追われるのが月曜だからである。それが客商売の仕事であったりするならなおさらである。 故に月曜に休まれてしまうと、周りの同僚に負担がかかってしまい、それが続けば自分勝手なやつだと評判も低くなりがつちになる。 まあ病気は日を選んでくれないので、止むを得ず月曜を休んでしまうことは仕方なくお互い様といえなくは無いが、やはりできることなら月曜を休むことは極力避けたい。それが中国であっても会社で働くときのマナーのように思える。
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2009年06月15日 日本で11年働いたという経験の価値
私は日本で日本人として生まれて、日本の学校に通い、卒業したあとそのまま日本の会社に就職したわけだから、日本で働いた経験があるというのは当然というべきか、意識してそういうキャリアを積んだわけではない。 故にそれを改めてヴァリューピースとして切り抜かれてしまうととっても違和感があるのだが、こうやって外国へ来て見るとそうやって働いてきたことが一つの価値を持っていることに気づかされる。 まあこれだけを持って求職活動をしても大した評価にはならないと思うが、実際に中国で働いていると、「仕事をする」ということに関して周りとの相対的な経験値の差が分かってしまう時がある。 私は30代になってから中国へ来たのだが、上海に来ている現地採用の日本人は20代そこそこで中国へ来てしまっており、例え日本で働いたことがあるといってもせいぜい3年程度の経験でしかなかったりして非常に浅いものだ。 言葉の能力の面や行動力の面では彼らに一歩も二歩も譲るが、「仕事をする」という意識の上では、まだまだ彼らは青いなと感じる部分がある。 特に若いうちから中国に来てしまっている人は全般的にルーズな中国のビジネススタイルに慣れきってしまう場合があり、日本人といえどもどこかルーズな感覚が身についている。
仕事の締切りに対する意識や、先の見通しの立て方や計画性、客先の難しい要求に対する応対など、お金をもらって仕事をするという価値の意識が弱く、お客の存在や会社全体の利益を忘れた仕事の仕方になってしまっている。 そういった点が特に顕著に目立つのが、仕事の締切りに対する対応である。 期限をまたいでしまうこと自体、日本でもあることだが、日本だとその時点で説明がある。説明がなければ相手が説明を求めてくるというのが通常の対応だが、そういった仕事の基本的な「イロハ」が中国では一歩二歩くらいルーズになっている。 それがお互いの習慣で慣れっこになっているので、例えば締め切り1ヶ月も遅れてしまえば別だが月を数日跨いだくらいの話は許容範囲になってしまっていて厳しい問い合わせをすることはまずない。 日本だと1日でも遅れると担当者の責任問題になってしまうのだが、大手の外資系企業などはともかく、それほど大きくない企業だと管理側も含めて総じて中国的なルーズさがある。 私も中国に来て3年が経ち、生来のルーズさも手伝って中国的なルーズさに流されそうな面もあるが、少なくとも仕事そのものを放ったらかしで無責任に忘れ去ってしまうことはなく、やり終えていない仕事はずーっと心にひっかかって残っていて余裕ができたら失礼の無いように客先に対して後処理をするようにしている。
そういったお客の存在を意識して仕事をすることが、自分にとっては当たり前の心がけだと思っていても、日本で働いた経験が浅い人はその認識が不足している部分がある。今の中国であればそれでも通じてしまうが、いずれ上海などの大都市ではグローバルスタンダードが広がって、そのルーズさが許されない時期がやってくるはずである。そしてその変化は思いもよらず早くやってくる可能性がある。 中国的ルーズさに一度染まってしまった日本人にとっては、環境が変わったからといって改めて襟を立て直すことは、中国人のように変化に対する適応力がないだけに、非常に難しいことのような気がする。 こうやって将来の中国を想像して眺めてみると、日本で11年働いた経験は意外にも大きな価値を持っているかもしれないなと、中国で働いてみて改めて見つけた自分の価値である。
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2009年06月13日 「仕事の旬」
旬は食べ物の季節を意味する言葉として使われることが多いが、仕事にもおいてもやはり旬というものが存在する。その瞬間にその仕事をするとより効果的な結果を出すことが出来るが、逆に、その旬のタイミングを逃せば同じことをやったとしてもほとんど効果が現れない仕事がある。 簡単な例で言えば、雨が降り出したときに傘を繁華街で売れば買ってくれる人が大勢いるが、朝から降り続いている雨の日に、夕方に傘を売りに行ったところで大多数の人は既に傘を持ち合わせているはすなのでそれほど売れるわけではないのである。 同じことは雑誌などの記事や広告などにもいえ、例えばボーナス時期に高額商品のPRを行えば買ってくれる可能性は高まるが、旬を外せばどんなにすばらしいPRも意味がなくなる。しかも、旬というのは、その旬のタイミングになってから行動したのでは間に合わない場合が多く、あらかじめ旬の到来を意識して行動できるように準備をしておかなければ、いざのタイミングが来たときに行動できない。花見のタイミングを見計らうあれと同じである。
故に普段から仕事においては未来の旬を予測して準備する姿勢と、旬が訪れたときに一気に行動する行動力が必要になるのだが、旬を目の前で見つけたのに、準備不足でみすみすチャンスを逃すケースは沢山ある。特に最近チャンスに気がついているのに手を出せないようなことがあって悔しい思いをしている。また他人に頼らざるを得ないときに、その相手が思うように動いてくれなくても、恨みをぶつけるわけにもいかず悔しい思いをしているケースもある。 日本式なのか中国式なのかわからないが仕事の旬がつかめず年中同じペースで仕事をしている人がいる、それはそれで大事なことではあるが、目の前を旬が通り過ぎるのを黙って見過ごすのはやっぱりもったいないなと思ってしまう。
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2009年06月10日 忙しいときほどルーチン遵守が大切
先月に会社が引っ越してどうもバタバタしてたのだが、どうもそのお陰でルーチン作業が疎かになっていて会社の業績に悪影響を与えている。 普段からルーチン遵守のあまり得意ではない私の会社だが、特に先月はルーチンのペースが守れていなかったように思う。 引越しなどという大行事が発生したときこそ、会社の業務ペースを保つために余計にルーチン遵守の意識が必要になる。 会社の業務をルーチン化することは、すなわち合理化であり、その流れさえに乗せておけばある程度基本的な面で会社の業務が保たれ業績が保たれる。 業務ルーチンの中身は毎日の作業ノルマであったり毎週のノルマであったり単純なものでしかなく、一人ひとりのルーチンは一見業績と直接結びついていないように思える作業もあるかもしれないが、それは業務を合理化して整理した結果そうなっているのあって、ひとつの会社で働いている限り無駄な業務などほとんどない。 逆にそこを抑えておかないと会社の業績の根本的な部分に悪影響を与えてしまう。それらのルーチンのペースが乱れれば少なからず全体に影響が出る。 故に引越しがあったから出来なくても仕方ないとか、ルーチンをこなせないことに対して理由をつけてサボってしまうことを容認してしまうことは、結局業績に悪影響を与えることを容認してしまうことになる。
引越しなどの会社全体の行事に関わらず、個人的な事情、例えば身内の不幸や、失恋、結婚、出産など仕事に心理的な影響を与える出来事は人生の中でたくさん起こる。人間だからそういう出来事に影響されるのは仕方ないが、そういう時こそルーチンを守るという意識が必要になる。時間が足りなくて自分ひとりで解決できなければ社内の人間に頼むことも出来る。とにかく自分の与えられたノルマを責任を持って自分か他の誰かにやってもらって完遂させる。 そういう意識で一人ひとりが自分のルーチンを守って仕事をやらないと会社は保たれていかない。 自戒の意味をもっていま猛烈に反省する今日この頃である。
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2009年06月01日 苦境に立たされる人材会社
昨年の金融危機以降、日系企業の中で上海で一番打撃を受けているのはどうも人材紹介会社のような気がする。知り合いの人材会社の営業攻勢が激しくなった気もする。 元々乱立気味であった上海の人材会社であるが、流動の激しい上海の人材市場ではそれなりに成立していたようだが、金融危機で各会社が人材の流れが止まった。 人が動かなければ儲けにならないのが人材会社で、去年から今年にかけて知っているだけで数社が倒産した。 人材紹介サイトが売りに出された状況も目にした。そして今も数社が撤退を計画しているとの噂を耳にしている。 またこの人材紹介会社の苦境には昨年の労働法の改正も追い討ちをかけているとも言われる。 労働法の充実は、少なくとも雇用側に安易な人材の放出を抑制する方向へ力が働く。故に労働者市場の移動が抑制されるのが普通だ。 まあ人材紹介会社そのものは職探しの際には便利な会社であるが、そのものは直接何かを生み出しているわけではなく、ただ会社と人のマッチングを行なっているだけだ。 人材と求人案件は常に流動的であり、どちらも安定供給があるわけではなく、独自の安定商品があるわけでもないだけに社会状況が変われば影響をモロに受けてしまう。
例えば終身雇用や長期安定勤務の社会へ変化していけば、市場は極端に縮小する。元々何社もあって中身にそれほど大差がないのが人材会社である。 市場が縮小すれば合理的な方法を行っている大手に淘汰されてしまう。そんな状況が今の現状だ。 ただ、人材会社を淘汰している原因は果たして昨年の金融危機だけであろうかと考えてしまう。 上海経済の伸びの鈍化、或いは成熟期への移行が人材市場の沈静化を促してるのではないのであろうかという見方である。社会が急激に伸びているときは次々に新しい会社が生まれ、その会社が人材を集めるために高給を提示するので給与市場がどんどん動く。しかし社会が安定してくると会社が生まれるペースも落ちてくるので給与相場も動きづらくなってくる。加えて先の労働法の登場でますます雇用が固定化していく。 そんな状況を加速させたのが昨年の金融危機で、ベースはもともとあったのではないかという考えることもできるような気がする。 まあ原因はともかく、人材紹介会社にはまだまだ厳しい時代が続きそうなのが現状のようである。
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2009年05月07日 中国は給料日が休前日ではないのは何故だろう?
日本で働いていた経験からすると、給料日と休日が重なった時、支給日が前にスライドせず後ろに行ってしまうとちょっと違和感がある。 私がいた会社では休前日にスライドさせるのが当然で、事実、自分自身が給与計算担当をやっていた時期があったので、次の給料日がいつかということを常に意識して、休日と重なれば前倒しで仕事をしたという経験があるから尚更それを感じる。 その給与担当の時は、給与が遅延などということになればクビを覚悟しなければならない程、賃金支給の日程厳守の重みを感じて仕事をしていた。 それが、中国に来た途端にあっさり休後日にスライドするという常識をつきつけられてしまうと怒りを超えてあきれてしまう。 会社の規定で決められているのは支払期日だけであるが、休日と重なって休後日にスライドするというということは、実際上は期日が守られていないという解釈もできる。期日にお金が労働者に渡っていないのだから、確かに期日は守られていない。支払い側からすれば、その日にならないとお金が準備できないとかいろいろ言い分はあるだろうが、少なくとも労働者保護の考え方のない、支払い側の都合本位の考え方の対応であると言える。
ただ、これは企業の労働者保護の考え方が染み付いた、日本的考え方から出る意見で、中国の場合は往々にして労働者と雇用者は給与と労働を介して平等な立場にあるような考え方が根底にあり、このような対応がまかり通っているような気がする。 日本だと会社が強者でと労働者が弱者という明確な立場の違いがあるが、中国は労働者が弱者で、雇用者が強者だとは必ずしも言い切れない素地がある。故に雇用側にも弱者としての言い分が認められてこのような対応が社会的にある気がする。つまり中国でいう給料日とは雇用側が、その日までに給料を準備する日であり、「支払う日」とはまた別という考え方である。 日本のような社会主義国家では、企業が常に労働者保護の義務を果たすよう求められるが、中国はある意味、日本より資本主義的な社会通念がある社会となっており、企業が必ずしも個人を一方的に大事に守ることは求められておらず、労働慣例には雇用側の保護すら考え方の根底にあるような気がする。 それゆえ給料日を休前日にすることが慣例となってはいないようである。
そう考えてみると何となく納得できる部分はある。 しかしながら、一応納得してはみるものの、休日の前にお金が入るか入らないかという差は、即ちその週末にお金が使えるかどうかという大きな差であり、やはり馴染みきれぬし、素直に納得できる部分ではない。 のどにひっかかった魚の骨のようにいつまでも気になってしまう。 毎月計画的に給料を使っていればそんなことは「小事的!」(たいしたことではない)ということになるのかも知れないが、現在中国に来て目一杯の生き方をしている私にとっては「小事的」で済まされない大きな出来事であるのである。
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2009年04月27日 経済危機は休んで回復か、働いて回復か?
こちらが週末も働いているときに、日本はもうすでにGWに突入したとのニュースを目にした。有給休暇を追加すれば16連休という休み方も出来るらしい。 私から見ればうらやましい限りであるが、企業にとっては過剰在庫を抱えないための労働調整の意味もあるらしく必ずしも手放しで喜べる状況ということではないようだ。 もちろん日本ほど深刻ではないものの経済危機に襲われたのは中国も同じで、私の会社も少なからずとも影響を受けたといえなくもない。 しかし、そこから脱却するためにこちらは休み返上で働いて回復させようとしているのに対して、日本は休んで回復させようとしている。 世界同時に襲った経済危機なのに働いて回復させるのか休んで回復させるのか、目的は同じでも手段は全く正反対であるところが不思議だ。 もちろん、日本は働かせれば働かせるほどコストが掛かるのに対して、こちらは残業だの何だの細かいことを請求せずに業績回復のために基本給だけで勝手に働いていて、その時間のコストを全く考慮しないので単純な比較は禁物だが、まあこうまでも手段が違うのは非常に面白い。
日本は会社組織がしっかりしているお陰で社員もしっかり守られてもいるのだが、それ故に社員を働かすということはコストでもある。大企業になればなるほど個人の勝手な努力も許されにくくなっている。 例えば私のように家に仕事を持ち帰って夜中まで仕事をするなんてことは組織として許されない場合が多い。そうなると個人が出来る努力なんぞ非常に限られているし貢献できる幅が非常に狭くなってくる。結局家に帰って自分を磨いて社内の相対的評価を上げる程度の努力しか出来ないことになる。しかしこれだと自分の給料は上がるかもしれないが、それが会社の業績に繋がらなければ結局自分自身の存在がコストアップしただけにしかならない。これはある意味会社にとっても本人にとっても不幸である。 逆に今の会社は残業代を請求したことはないが、好きなだけ業績アップのために働いてもいい状況になっている(許可をわざわざ取った覚えもないが)。 まあ給料は安いし、残業代ももらってないが、なんとか生活は出来ているし、未来の業績アップの努力を目一杯できるというのはある意味幸せな環境である。 努力の対価は、結果が出ればそれ相応のボーナスなり給料で取り戻せる(はずだ)。
経済危機を休んで回復させるか、働いて回復させるか? 考え方はいろいろあると思うし性格の問題もあるが働いて回復を目指せる環境にいる自分はやっぱり幸せだと思う。
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2009年04月19日 プロは100点の仕事はいらない
以前結婚式の音響のバイトをしていたとき感じたことだが、プロの仕事と呼ばれるためには仕事というのは確実性が大事であり、常に80点の合格点を取る必要があり、それさえ取れていれば極端な話、100点の仕事をする必要などないということである。 私のやっていた仕事は、お客様の結婚式という一生に一度の晴れ舞台で、それに対して失敗は許されず、100%の成功が必須だったのである。 もちろん100点を取れるに越したことはないが、100点を取るために50点や70点の落第点があったのではプロとして失格だったのである。 学校の成績であれば5つの科目のうち4科目でで100点をとれば、一つが70点であっても合計470点でとなり、全科目80点で計400点の人より優秀であるという言い方も出来るが、仕事の世界では前者は優秀なアマチュアであり、後者こそがプロといわれる。 だから仕事の世界ではプロなのに、上手ではないとか、優秀ではないと評価される人がいるが、確かに仕事の内容に仕上がりの差があったとしても、ミスなく終わればその人はプロなのである。
また仕事を依頼する側に立てば、どんなに優秀な人がいたとしても、その人の仕事にムラがあって、失敗する可能性もあると感じれば、確実な80点の仕事をしてくれる相手に仕事を頼むのが仕事の取引というもの。少なくとも日本人同士の取引ではそういう発想で取引相手を選ぶ。 かつて中国で家具の製作を依頼したことがあるが、サンプルとして非常に優秀なものを製作してきたので、喜んで製作を依頼したら、大量生産されて仕上がってきた中に、とても使い物にならないものがたくさん混じっていた。もちろん逆に素晴らしく出来の良いものもあったのだが、不良品を出してくる時点でこの会社は失格なのである。 また普段自分がやっている仕事の中にも、もう少しこうすれば100点に近づきそうだなと感じる部分があっても、そこにこだわるあまり納期に遅れたりしては元も子もないので80点の仕上がりになっていれば妥協する場合が多々ある。いかに100点に近づくかではなく、いかに全部を80点の合格点に乗せ、その数を増やすかを考えるのである。 例えばある仕事で、80点の結果が社内から上がってきた場合であと20点上積みするのに10時間を要するような場合、もしその10時間で80点の仕事がもう一つできるのならば、迷わずもう一つの80点の仕事をさせる。逆にいうと敢えて100点を求めさせない。
もちろんお客様の合格ラインが相手によってまちまちなので、相手によっては85点が必要あるかもしれないが、いずれにしても100点は時間があるときに求めればよいのでお客さんが100点を求める以外はまずその点を狙わない。80点より上は基本的にオーバークォリティであり、採算が合わないのである。 と自分のお客様が聞いたら果たして怒るであろうか・・・??お互い様であると思うのだが。。。
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