TOP > BLOG > 上海ワルツNEW

上海ワルツNEW


2013年07月04日 おまかせ民主主義
 先日の都議選の結果には少々失望を覚えた。

 具体的にどこの政党が勝って、どこの政党が負けたということではなく、投票率が大幅に低迷し、浮動票が減った分だけ組織票を持つ政党が相対的に浮上するような結果になったからである。

 各党の詳しい得票数を分析してはいないが、報道によると勝った自民党公明党の得票数は前回の選挙からそれほど増えているわけではないのに今回は議席で過半数となり、逆に負けた民主党は投票率が下がった分だけ前回から得票数を減らしている結果となっている。

 去年の衆院選とほぼ同様のことが今回の都議選でも起きたことになる。

 まあ民主党が負けた云々はともかく、投票率がこんなに下がってしまうのはいただけない。

 有権者は投票する先がないとか、不満の受け皿がないとかよく口にするが、こういった言葉はおまかせ民主主義の最たるものだという気がしている。

 本来は我々有権者が望んでいることを託して実行してもらうのが代議士の仕事であり、政治家が用意したおまかせメニューが気に入らないと文句だけを言うのは本末転倒だからである。
 
 「おまかせ民主主義」とは投票行動だけ参加して、それ以外は政治への参加意識の無い日本国民を皮肉った言葉であるが、衆院選の前回と昨年の結果が如実に今の日本の「おまかせ民主主義」を表しており、期待できそうな党(民主党)に入れて勝たせたはいいが、進まない政治や不慣れな政治運営、さらに増税など思わぬ現実を突きつけられて公約が守られないと政治そのものに失望し、途端に選挙に行かなくなって投票率を下げてしまっている。

 当の民主党にしても「国民の手に政治を取り戻すんだ」といって前々回の選挙で勝ったものの、実際政権が始まってみると結局は国民の「おまかせ民主主義」の政治意識そのものが変わっていないため、国民としての当事者意識に乏しく厳しい財政事情を理解されず実行されない公約をただ嘘つきだと言われ信頼だけが失われた結果となったような気がする。

 結果、おまかせ民主主義の国民が故の政治への失望を生み、それに振り回された民主党が短期間に盛衰するという悲劇を生んでいる。
 
 まあただこのおまかせ民主主義が良くないからと言って脱却するのは容易ではない。

 例えば、私が「おまかせ民主主義からの脱却」を訴えて議員に立候補し当選したところで、それは私が単に「まかせる」側から「まかせられる」側に移動することになるだけであって、おまかせ有権者の意識が変わったことにはならないからだ。

 本来は国民全体で、選挙以外でも誰もが自由に政治に意見を言う機会を持てる社会が醸成されれば一番理想的なのだが、現実的にはなかなかそうはいかない。

 結局は今できることと言えば、目の前の選挙に必ず参加するということになる。

 もし、積極的に入れたいと思うところがないと感じてしまっても、それは自分が現実に向き合ってない結果であるかも知れず、「現実の選択から逃げない」ためにも、消去法でもいいから必ず投票し、選挙結果に責任持つという意識が大事だという気がする。

 今日から参院選で在外投票も始まるので、是非昨年投票できなかった雪辱を晴らしたい。

ブログランキング・にほんブログ村へ←クリック


←クリック


2013年07月03日 人として愛に生きるフィギュアスケーターたち
 フィギュアスケートの安藤美姫選手が突然4月に出産していたと告白し、世間が大騒ぎになっている。

 報道番組内で「スケートよりこの命を選んだ」と発し、賛否両論色んな反応が聞こえるが、私はこの彼女の出産を聞いてそのニュースに驚きはしたものの、妙に納得感があった。

 何故なら、フィギュアスケートはスポーツと言いながら、テクニカルの要素の他に表現の要素を多分に含む競技で、その表現力には選手本人が持っている感情の情緒性が大きく影響するからである。

 つまりアスリート的要素の他に、女優的要素(男子もいるが)が必要とされるのがフィギュアスケートの世界であり、とりわけ安藤美姫選手のその情念的表現力と言うのは、現役選手の中でも群を抜いており、彼女が他の選手よりも感情的な面での熱さを持って滑っているのだということは、演技を見ていれば分かるのである。

 安藤選手は競技生活のピークだった数年前にモロゾフコーチとの関係が噂されていたが、そのことについて番組のインタビューで彼女は「彼がリンクのサイドにいると力強かった。練習でダメでも、本番でできる気持ちにさせてくれる存在だった」と答えており、この時点で彼女がスケートへの情熱よりも愛の存在が競技生活を支えていたと捉えることができる。

 そんな安藤選手が、ある意味コントロールしきれないほどの感情を愛に注ぎ、恐らくモロゾフコーチと別れた後もその愛を引きずり、その愛の力の勢いで妊娠・出産に至ってしまった結果になったことは、別に驚きでもない。

 まあ現代社会における突然の妊娠はアスリートとしてだらしないとかなどの非難の声は確かにあり、周囲に迷惑をかけた面も多大にあると思うが、恐らく自分の情熱に従って生きてきたのが彼女の生き方であろうし、それを抑え込めるくらいなら逆にスケーターとしても大成していなかったように思うので、今回の結果はある意味必然であったように思う。

 そのくらいフィギュアスケート選手には愛情的情緒の問題がつきまとい、フィギュアスケート競技のトップ選手には個人の愛情面にまつわる話題がほかのアスリートよりも多いのである。

 例えば日本の男子も現役中にも関わらず近年次々と結婚を発表しているし、国外では同性愛者をカミングアウトしているトップスケーターも多く、我々のようなストレートな感情よりも自覚的な分だけ情熱は強いのだろう。

 また女子のキムヨナ選手は韓流ドラマの如く激しい情熱の民族の血であり、恐らく浅田真央選手というライバルに対する感情が周囲の反日感情などに押される形で、彼女をトップアスリートに押し上げた面もあると思われる。

 ただ彼女自身は恐らく反日感情的な怨念を競技に持ち込みたくない面もあると思われ、彼女の選曲は情念的なものを排したスタイリッシュな選曲が多く、相手を倒すというより相手に関係なくエリート的にトップになりたいという姿勢が選曲からも見てとれる。

 それに対して日本の浅田真央選手を支えているのは恐らく亡くなった母親への愛情であり、それが彼女を支えるエネルギーとなっているように思え、それが選曲や演技にも表れているような気がする。
 競技経歴を見ても浅田選手が一番伸びたのは母親との闘病生活時代が一番伸びていた時期でもあるような気がするのである。

 その感情エネルギーの方向は恐らく来シーズンの選曲から見る限り今でも変わっていないのだろうと思われ、浅田選手が最近発した言葉を拾ってみても「結婚して子供を産みたい」であり、男性への愛ではなく亡くなった母に近づきたいという意識があるのだと思われる。

 まあ浅田選手も安藤選手のように男性への愛に生きる心を注ぎ込むような状況になったら彼女の演技もまた一皮むけて違うものが出て来るかもしれないが、母親への気持ちがそれをさせないであろう。

 ただ、今回の安藤選手の出産ニュースは母を目指す浅田選手にとっても多大なる刺激を与えるような気がしており、ラストシーズンとなると言われる来シーズンの浅田選手の演技に変化があるのかも知れない。

 人として愛に生きる人たちのスポーツだからこそフィギュアスケートは面白く美しいのである。
 
フィギュアスケートと音楽(2010年2月25日記)

ブログランキング・にほんブログ村へ←クリック


←クリック


2013年07月02日 日中のビリヤードは似て非なるもの
 先日、日本に長く日本にいたことのある中国人の方と会話をしていた時のことである。

 たまたまビリヤード台が目に入ったので、
 「あれは桌球(zhuo1qiu2)ですね、日本語だとビリヤード、、というかこれは英語か、、」
などと話したら、どうも意味が通じていないようだった。

 あれ、中国語の発音が違っていたかなと思ってもう一度言ってみたが、やはり通じない。
 よくよく話してみると、通じていないのは中国語ではなく「ビリヤード」のほうだった。

 「ビリヤードって何?私知らないです。」
 「ええ?!」

 上海にはビリヤード場が沢山あり、よほど浮世離れした人間ではない限り知らぬはずはないのに、知らないという言葉が返ってきたので驚いた。
 ええと、あれの事ですよと再びビリヤード台を指さすと、

 「ああ、あれはスノックですね」

 との答えが返ってきた。

 「スノック?スノックって何?」

 今度はこちらがきょとんとしてしまった。
 私はあれはビリヤードでしょうと言ったが、相手はスノックだと言って聞かない。
 結局その時は二人の意見が平行線のまま、その話題は終わりになった。
 
 そして後日、例の如くこちらの有線放送のスポーツチャンネルでビリヤード中継が行われているのを見つけたのだが、よく見ると番組タイトルが「斯諾克世錦賽」となっていたのである。

 これは斯諾克の世界選手権と言う意味で、斯諾克(si1nuo4k4)は確かにスノックと発音できる。

 「ああ、あの人が言っていたのは、これか」

 早速、インターネットでウィキペディアなどを調べてみると、斯諾克は英語ではSnooker(スヌーカー)という競技を指す言葉であることがわかった。

 さらに詳しく調べてみると、このスヌーカーは日本で言われるビリヤードと源流は同じ競技で大きな意味ではビリヤードの範囲に含まれるものの、現在ではその台の大きさが日本のビリヤードの倍くらいあり、球の使い方なども全く異なるため、別競技として扱われているとのこと。


 ちなみに、これらの成立順序を言えばスヌーカーが先で、そこから派生したのが日本やアメリカで行われているキャロムやポケットだとのこと。

 スヌーカーは旧英連邦諸国や香港、タイ、中国などで人気となっているが、日本では台の大きさなどが災いして全く普及しておらず、大都市などに一部に僅かに置かれているだけの状態で知名度が非常に低い競技のままなのだという。

 これに対して日本で流行しているビリヤードは、分類的にはポケットビリヤードと呼ばれ、キューと呼ばれる棒を使ったり台の隅のポケットに球を落とす点では似ているものの、台の大きさや使用される球、ルールなどがスヌーカーとは全く異なっているとのこと。

 またアメリカではポケット穴の無い台を使うキャロム・ビリヤードが主流で、アメリカでビリヤードと言えばこのキャロム・ビリヤードを指すらしいが、日本では主流ではなくポケットビリヤードのほうがイメージが強い。

 しかし、ここ中国では「台・キュー・球」を使ういわゆるキュー競技の主流はスヌーカーで、日本的なポケットビリヤードも無いわけではないが、専ら人気はスヌーカーと言うことのようで、我々が知っているビリヤードとは別の競技となっている。

 まあ私は日本にいた時からビリヤードはやっていなかったので、中国に来てから6年以上も経つのにこの違いに全く気が付かなかったのだが、似たように見えながら日本と中国で「ポケットビリヤード」と「スヌーカー」という全く別の競技だったことは、中国7年目にして初めて知る驚くべき事実であった。

 まだまだ知らないことが沢山ある中国である。

ブログランキング・にほんブログ村へ←クリック


←クリック


2013年07月01日 スマホの画面を整理してみた。
 恥ずかしい話だが、つい最近までスマホの画面の整理の方法が分からなかった(というか興味が無かった)ため、アイコンがバラバラに表示されていても手を付けずにいた。

 そんな状況の中でも、いつの間にか胸ポケットの中で画面に触れたりしており、時々画面上のアイコンが増えたり減ったりしていたのだが、まあ私生活でもそんなに身の回りの整理の良い方ではないため、それほどアイコンがきっちり並ぶことにこだわりもなく、バラバラでも気にならなかったのである。

 ところが先週あたりに、アイコンを望み通りに配置するする方法や、ウィジェットの設置方法を見つけたため、画面をいろいろ整理し始めた。

 まあ方法というほど偉そうなものでもなく、指でタップしてドラッグしたり、呼び出すだけだったのだが、これまではそれすら試さない程の物臭だったのである。

 仕組みが分かってくると、楽しくなってくるもので、幾つかのテーマ別にアイコンを整理してみると、結構綺麗に整理される。

 まるで店頭のデモ機の如くアイコンが整理され、こうなってくると、ちょっと気持ちがいい。

 私の端末は本体メモリが小さいため余りアプリを入れることが出来ないのだが、スマホに向き合いすぎるのも考え物なので、現在のアプリ数はちょうどよく、画面をすっきりさせるのにも都合がいい。

 今の端末は余裕ができたら買い替えたいなとも思っていたが、今回の画面を気に入ってしまったので、しばらくはこのまま使い続けることになりそうな気がしている。
 


ブログランキング・にほんブログ村へ←クリック


←クリック


2013年07月01日 鳩山発言をどう見るか?
 もうすぐ参院選の選挙期間に入ってしまうので政治に関連する話は今のうちに書いてしまおうかと思うが、先日、鳩山由紀夫元首相が「尖閣諸島は中国に盗んだと思われた仕方ない」とテレビインタビューで発言して物議を醸している。

 まあ日本政府が主張する立場から言えば有り得ない発言であり、日本国内からは国賊などと強い批判を浴びている。

 私なんかもこのニュースを聞いた当初は国賊とまでは言わないが、もう政界のトップからは引退した身なのに元首相として配慮を欠いた発言だなという印象は持っていた。

 ただ私自身は鳩山さんを国賊と呼んでしまうほど国家主義の立場は取らないし、吹き上がっている人々ほどには、この問題に対して嫌悪感を感じているわけではない。

 もちろん日本で生まれた人間として中国寄りの発言をしたいわけではないが、どちらかというとやたら国の面子にこだわって国民を同じ意識で統制し意にそぐわない人を非難排除しようとする今の日本の風潮のほうが鳩山さんの発言よりも受け入れがたいのである。

 まあこの問題は相手が一筋縄ではいかないこの中国という国家であるが故に、迂闊な発言は相手にうまく利用されかねないという面もあるものの、個人的には中国の国家主義的行動に対して、日本も対抗心を出して国家主義を振りかざしても何も始まらないという気がしており、そう言った意味で彼の発言は国家の面子に縛られない貴重な言葉だという気がしている。

 日本は中国ような国家主義的なものを振り回さなくなったからこそ、自分は日本人として誇りを感じている面もあり、できれば同じ土俵に上がってほしくないのだ。

 そこで先日のボイジャー1号の話である。

 宇宙という広さから考えると、尖閣という島はあまりにもちっぽけな存在であり、あの小さな島を巡って対立し時間をかけることに非常に馬鹿馬鹿しさを感じてくる。

 しかも日中二国間にとってもあの島がもたらす実際の直接的な経済的価値は、多少の石油資源はあると言われるものの、国全体から見れば塵のようなものである。

 故に両国のほとんどの国民にとっても実際はあの島がどちらの国の所有であるかなどということは各自の生活には全く関係ない事となっている。

 寧ろ現在対立の根源となっているのは、その経済的価値や領土的利益と言うよりは、譲った譲らないの国家的面子の問題で、譲歩した場合の国家間の力関係への影響を懸念し、それ故に後にひけなくなっていているだけのように見える。

 そんな経済価値の問題ではなくお互いの国家面子の対立だからこそ、尖閣の問題はなかなか解決できないのだという気がする。
 ここがロシアとの北方領土問題との大きな違いである。

 そこで宇宙人とも言われる鳩山さんの今回の発言である。

 確かに日中政府間の現在の関係から言えば、彼の発言はKYとか常識外れな面があるのだが、現在の政治の常識にだけ囚われて行動していたのでは今後も日中関係が解決できないのは自明の理であり、そんな中での宇宙的とも言われる彼の常識外れの行動はひょっとすると新しい流れを生む可能性はあるのである。

 何がどう新らしい流れを生んでくれるのかは全く分からないが、悪い方に転がりそうであれば、引退した人間の発言として捨て置くことも出来るし、好影響があれば利用すればいいのであって、日本側は感情的になって吹き上がらず冷静に静観していても良いのではないかと言う気がする。



 まあ何か新しい流れを生み出すかも知れないなどという期待は全く根拠のない期待ではあるが、根拠の無さで言えば道州制や都構想を振りかざす政治変革の期待や、アベノミクスと言う言葉に対する経済発展への期待と同等の根拠の無さであり、私としては彼ら同様に自分勝手な良いイメージを描いて今回の状況の推移を静観したいという気がしている。

 前回のブログで書いたように国家の対立とは裏腹に国民の個人レベルではどんどん国際結婚が増えボーダレスとなっており、人間の血の関係ではお互いに混ざり始めている。
 そんな中で国家と言う枠組みの面子のみを振りかざすことに意味があるのかどうか、そこを考えるのに彼の発言はいいきっかけになったと私は思っている。
 
 

ブログランキング・にほんブログ村へ←クリック


←クリック



プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

音響さんのこだわり復刻版
上海ワルツ記事目次
エクスプロアブログ同窓会


GOOGLEでブログ内検索

ブログランキング・にほんブログ村へ



空港ドットインフォブログ浦東空港虹橋空港北京空港広州空港香港空港天津空港青島空港ハルビン空港すいすいビザ

コメント一覧


記事タイトル一覧

カテゴリ一覧


RSS 1.0My Yahoo!に追加




上海すいすいビザ代行][空港ドットインフォ][上海の天気][音響さんのこだわり][上海ガイドブック手帳][日中地域交流会
[上海浦東国際空港][北京首都国際空港][天津濱海国際空港][広州白雲国際空港][上海虹橋国際空港][青島流亭国際空港]
Copyright(C) since 2007 カランドリエドゥモンド
h_12