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上海ワルツNEW


2013年01月31日 キャッシュカードが無い?
 今日レジでカードで払おうとしたらキャッシュカードが見当たらなかった。
レジの支払い自体は100元足らずの支払いで、現金を持っていたので問題はなかったが、やはりいくら探してもカードが無い。

 あれれ?

 どうやら記憶を辿って行くとこのカードを最後に使ったのは、昨日現金を引き出した時で、どうもその時が一番怪しい。
つまりATMに忘れてきたというのが一番高い可能性として認識している。

 幸いにも現金残高はほとんどないはずだが、ものがものだけにちょっと焦っている。

 まあ被害があったとしても最大額は知れているので、それは諦めるとしても、ちょっと気分が落ち着かない。
 
明日銀行に行って手続きしようと思っている。

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2013年01月30日 ビルマの竪琴1956年版
 ビルマの竪琴の映画を見た。

 今回見たのは中井貴一さん主演の1985年版ではなく、安井昌二さん主演の1656年版である。

 同じ市川崑監督の作品であるが、若干ストーリーが違うしこちらは時代的に当然モノクロ版となっている。

 実は1985年版を見ていないので比較は出来ないのだが、1956年版は凄く秀逸な作品のように感じ、モノクロ版であるが故に迫力も重みもあり当時の海外で評価されたことも納得する作品となっている。

 先日の戦場のメリークリスマスに引き続いてこの映画も戦争末期ものだが、これらの映画を通して日本の戦線は対米の太平洋戦線のみならずアジア全体に広く侵攻していたことを改めて知る機会となった。

 日本国内での生活の情報の中では、かつての戦争の話題と言えばどうしても東京大空襲や原爆など本土が直接攻められたことの記録が多くその印象も大きくなっている。

 しかしそうなる前の戦争の前段では、日本は中国や東南アジア全体にかなり手広く侵攻しており驚くほど遠くまで出兵しているのである。

 そして彼らの多くは自業自得とはいえ結局敗退し悲惨な末路を辿っている。

 本来「日本の戦争の歴史」ということで言えば、これらの南方戦線の状況は太平洋戦線や中国戦線同様に取り扱われてもしかるべきだが、やはりどちらかというと話題としては小さいような気がする。

 恐らくこの2つの作品の両監督もそういった情報が抜け落ちがちな点に対するもどかしさもあってこの作品を撮ったのではないかという気がする。


 さて「ビルマの竪琴」は東大の教授だった竹山道雄氏が児童文学として書いた話とのことだが、戦時中の話というだけに子供向け作品とは思えない程に内容は非常に重い。

 ただこの重い内容にもかかわらず、映画では主人公の水島上等兵の奏でる竪琴が非常に美しく響き、この作品に希望の光を与えてくれている。

 また「埴生の宿」(英国側では「Home! Sweet Home!」)を敵国である英国兵と日本兵が合唱するシーンもあり、戦争中を描く映画でありながら音楽によって人間性を失ってない兵士たちの姿が非常に印象的だった。

 そしてラストシーン近くで奏でられる「仰げば尊し」はこの曲の持つ音楽的メッセージが十二分に伝わるシーンとなっており、音楽が単なるサウンドトラックではない意味のある使われかたをされている。

 まさに映画っぽい映画というか、今更ながらこの作品の総合的な凄さに感服した。 
 そして今や釣りバカの社長のスーさん役が定着してしまった感のある三国連太郎の、若かりし頃の存在感のある姿もこの作品を高めていいるであろうことを付け加えておきたい。

 見てない方がいたら是非一度は見ておくべき作品だと思っている。


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2013年01月29日 45億年という時間
この歳になってくると1年の時間の長さというものをだんだん掴めるようになってくる。

そんな時、ふと地球の歴史を思い出した。

「45億年」

 ちょっと考えるととてつもない数字で、例えば私の寿命とかと数字の上で比較したら、比較にならないのは理解している。

 もちろん中国の歴史が4千年だろうが5千年だろうがとても比較にならない。
 ただ45億年といえども有限の時間であることを考えるとちょっと奇妙な感覚になる。

 今私が生きているこの一年という時間を、遥か過去に遡って追っかけて行くと、人間は愚か単細胞生物など地球上のあらゆる生物が存在しなかった時間があり、地球も存在しなかった時間があったなどと考えると、この45億年という時間のもたらす変化というのは凄いなと思ってしまうのである。

この45億年の間に地球が生まれ、海が生まれ、生物が生まれ、人間が生まれ、歴史が生まれ、私が生まれ育ってきたのである。

 今私の生きている1年間という時間は地球の45億年という歴史に比べればたかが45億分の1に過ぎないが、されど45億分の1なわけでごくわずかであっても変化の一片が実はここにあることになる。

 もちろんこの1年が地球の歴史の中にどういう意味が残るかなんぞ私には分かるわけもなく、人間の寿命ではそれを検証できるわけではないが、確かに現在も45億分の1の時間が積み重ね続けられている。

 そう考えると、平凡なように見える私の一年も何だか凄い意味を持ってくるような気がしてくるから不思議だ。


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2013年01月27日 見切り千両
 「見切り千両」という言葉がある。

 株式や投資を行なっている人に広く知れ渡っている言葉だそうで、まあ簡単に言えば投資などについてダラダラ未練を残さず諦めて(見限って)しまったほうが損が少なく、結果的に利益に繋がるので千両の価値があるという意味らしい。

 投資家の間では「見切り千両、損切り万両」などと並べて使われる場合もある。
 最近この言葉を知ったので出典を調べてみると、まず日本永代蔵や浄瑠璃作家として有名な井原西鶴の言葉として、
「貯蓄十両 儲け百両 見切り千両 無欲萬両」
 というものがあることを発見し、どうやら現代の「見切り千両」の意味はここから出ているようだということを知った。

 せっせと貯蓄できれば十両になる、儲けの才覚があれば百両になる、商売の潮時を判断出来れば千両の価値を得られる、でも無欲なら1万両の価値があるということ。

 さすが商人の都、上方で活躍した人間の言葉である。

 しかし、更にこの「見切り千両」の言葉を追いかけていくともう一人の人物にたどり着いた。

 それはなんと先日もブログに書いた上杉鷹山公である。

 ただ鷹山公の言葉は西鶴のものとは若干違い、
 「働き一両、考え五両、知恵借り十両、骨(コツ)知り五十両、ひらめき百両、人知り三百両、歴史に学ぶ五百両、見切り千両、無欲万両」
 となっている。

 最後の2つは同じ言葉だが、前半は似ているようでも言葉がやはり違う。

 きちんと働けば1両の価値を得る、考えて働けば五両の価値、人から知恵を借りられれば十両、働き方のコツを掴めば五十両、ひらめきのアイデアを持てば百両の価値、人間や相手の特徴をよく知ることが出来れば三百両、過去の成功例失敗例の歴史を学べば五百両の価値と続いてくる。

 「人知り」は人脈やパートナーの意味もあるかもしれないが、次に「歴史に学ぶ」と続くところを考えると、人間というものを良く知ることが価値があるのだと言っている気がしている。

 そして肝心の「見切り千両」だが、鷹山公が藩の財政改革に尽くした人間であるとはいえ、商人ではなく武士であったことを考えると、現代投資家たちのように「損切り」的な相場師的感覚でこの言葉を言ったようには思えなかった。

 彼が武士であることを考えて解釈するならば、剣術の世界で「見切る」と言えば、相手の動きを「完全に把握する、見極める」という意味になり、これを当てはめて「見切り千両」を解釈すれば、見極めができるようになれば千両の価値があるという意味で鷹山公が言っているような気がする。

 果たして何を「見切り」するのかは書かれている言葉が少ないので解釈が難しいが、前段が「歴史」に触れているところ考えると、「時流」とか「世の中」という言葉が隠れたキーワードとして存在するのではないかと思う。

 つまり「世の中の時流を見極められれば千両の価値がある」、鷹山公がそう言いたかった言葉として解釈できるのではと思っている。

 もちろん「見切り」には広義で「状況を判断し見限る」といった意味も含まれると思うので、世の中の状況を見てすんなり諦めるという意味の「見切り」も含めて「見切り千両」という言葉だった可能性はあると思う。

 まあ鷹山公にしろ西鶴にしろ(どっちも名が鳥だ!)、「見切り千両」と言っておいて、最後は無欲が一番価値が大きいと言っている点で一致しており、欲深い私にとっては非常に意味が深い言葉であり、耳の痛い話である。


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2013年01月24日 二枚岩の政治
 先日、日中関係に関して公明党の山口代表が事実上の尖閣問題の棚上げ論を発言した。

 これはとても興味深い動きである。

 この問題に関しては、昨年9月より日中双方譲れない状態が続きお互い引っ込みがつかない形となっている。

 領土の問題だからどちらも譲れるわけもなく、どちらも折れるわけにはいかないので、究極的には戦争でしか解決できないような課題である。

 しかも日本に至っては領土問題そのものが存在しないとの立場を取っているから、棚上げ論すら話題に上げられず、話し合いすら容易に応じられない状況となっている。

 迂闊に棚上げ論に同調すれば、今度は国内の強硬派の突き上げが待っているから与党の自民党としても容易に立場を変えられないだろう。



 そこで今回の公明党の代表の発言である。

 この状況は、本来なら日本の立場が1枚岩になってないと非難されるような状況であるが、実は連立与党が別々の発言をすることにより2枚岩というか都合の良いダブルスタンダードの状況が生まれている。

 公明党は連立与党であり日本政府側の立場を取るべき党であるが、首相を出している自民党とは別の組織なので、党として自民党と全ての考え方一致していなくとも何ら不自然ではない。

 もちろん領土問題を完全に認めない立場を貫く考え方の人からは多少の非難は有ろうが、首相サイドが語る日本のスタンスと少しずれた発言をしたとしても連立与党の従属側の党首でしかないから政府の立場で話したことにはならない扱いとすることはできる。

 しかし振り返って中国側から見れば、例え首相側の与党ではなくても日本の政権与党の党首が発言したことは、日本政府側の一つの意思が示されたと扱うことはできるのである。


 このずれというかグレーゾーンの出現は日中両国にとって外交的チャンスのような気がする。

 つまり中国側としては山口代表の言葉を日本政府の譲歩のきっかけとして棚上げ的解決へ進めばよく、自民党サイドは政府として領土問題は存在しないとの立場を変えることなく中国側の動きを待てば、事実上のかつての棚上げ的状態へ戻すことが可能になる。

 具体的には公明党の代表が、それを以て中国側が政治的な譲歩を得たと国内にPRできる材料を、あいまいな言葉で中国側に与えることによってお互いに尖閣諸島に近づくのを止めて、危機的状態を回避する合意を図るような道筋があるような気がする。

 まあ本来私は自民党も公明党も特に支持している政党ではないが、もしこのダブルスタンダード状態をうまく利用して状況を解決できたとしたらちょっとだけ尊敬してしまう。

 とにかく一日でも早い解決を祈っている。


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2013年01月23日 中国のコンビニ弁当が美味しくない理由
 先日、上海に進出してきている日本の某コンビニ関係の会社の人と話す機会があった。

 そこで私が質問したのは、日本のコンビニチェーンが上海に入ってきているのに、何故弁当があまり美味しくならないのかという疑問。

 中国のコンビニ弁当は最近でこそ、まあ何とか食べられるレベル状態にはなっているものの、自信を持って「美味しい!」と呼べるものには出あったことが無いのが実情である。

 それに比べて日本のコンビニ弁当は非常に美味しく、おにぎり一つとっても普通の家庭でもなかなか追いつけない程度に品質が向上している。

 私なんかは一時帰国するたびに、コンビニの食材を食べられることをいつも楽しみにしているくらいである。
 
 もちろん中国には日本の3大コンビニチェーンであるセブンイレブン・ローソン・ファミリーマートが進出してきており、台湾資本を使うなどテクニカルな点はあっても基本は日本品質に近いサービス方式によって運営が行われており、競争状態にもなっている。

 それなのにである。

 弁当だけはどうも品質が向上していかない気がする。

 やはりコストがかけられないから美味しいものが作れないのか?
 或いは原料調達の品質に問題があるから美味しくならないのか?

 この点を上述の関係者に聞いてみると意外な答えが返ってきた。

 中国のコンビニ弁当の味が向上しないのは、実は輸送温度の規制の問題だという。

 日本のコンビニの場合は、弁当は18℃前後という常温温度により輸送が行われており、これにより弁当やおにぎりの米が硬くならず、おいしさそのままに店舗に運ばれてお客様に提供されているとのこと。
 また常温管理のために腐りにくくするためのPH管理なども行われているという。

 それに比べて例えば上海市などでは18℃の常温輸送は認められておらず、6℃という低温管理のもとで輸送をしなければならないということだった。

 これにより食品の安全性は保たれるが食材は冷たくなり、ご飯などは固くなってしまうのだと言い、電子レンジで温め直しても美味しさは取り戻せないそうだ。

 つまりこの温度規制の影響で中国のコンビニ弁当は美味しくすることが難しいということらしい。

 この規制に対して例えばセブンイレブンは対抗策を講じ、中国の快贅という弁当方式を取り入れ、各店舗でご飯を炊くという手段に出たとのこと。

 どうやら各店舗ごとに飲食店許可を取得しているらしく、この影響で他の日系コンビニに比べ店舗展開速度がややゆっくりなのだという。

 まあこのように日系のコンビニの弁当戦略の足かせとなっている中国の輸送温度規制であるが、これを緩めて他の中国系飲食業界も含めて18℃の常温輸送を始めることを想像すると、今の中国の品質管理の実態では品質に問題のある食品が大量に流通しあちこちで食中毒続出なんて事態が容易に想像できてしまう。

 故に安全か味かと言われたらやはり安全を取らざるを得ず、当面は現状のまま我慢するのも致し方ないようだ。

 低温輸送でも美味しいままのコンビニ弁当の開発をぜひお願いしたいと祈る毎日である。


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2013年01月23日 体罰の事件の話
 日本で体罰が原因で生徒が自殺したとされる事件について、主に体罰の是非について意見が真っ二つに分かれた論争となっている。

 今回の当事者の行なった行為が暴力なのか、体罰なのか、指導なのか様々な見解が分かれていることであり、特に体罰絶対反対を主張する人から圧倒的な非難の声が上がっている。

 恐らく各人の中でも体罰と言われる行為からイメージされる行為の具体的な中身に相当の差異があり、絶対反対から一部容認、必要論者までそれぞれ実は思い描いているものが相当違うのではないかという気がしている。

 また実際経験してきた人生によってもこの意見は相当違うであろう。

 まあ体罰が必要か否かを論じる議論はまず横において考えたいのだが、人が成長する過程において忍耐力や精神力が必要なのは言わずもがなで、大して苦労せず蝶よ花よと育てられたお坊ちゃんお嬢ちゃんが、社会で打たれ弱いのは当然の話となっている。

 ましてやスポーツを行う者が、お遊びスポーツクラブではなく真剣に日本のTOPや世界のTOPを目指したアスリートを目指すためには、人並み外れた精神力や忍耐力が必要で、その成長過程で相当自分を追い込んでいかないととてもTOPになんぞたどり着けないのは誰もが知るところだと思う。

 このアスリートたちが自分を鍛え上げるための手段の中で、自ら厳しい課題を自分に課して行くのが大方のアスリートたちのやり方でもある。

 自分ひとりで厳しい状況を作れればそれに越したことはないが、アスリートたちは自らの意思が非常に弱いことをよく知っており、他人が作ってくれる厳しさに身をゆだねる場合が多々ある。

 今回自殺した生徒の子も、恐らく体罰を振るっていたとされる顧問が日常からどのような指導方法をとっていたか1年生の時から知っていたはずで、それにも関わらず彼は自らキャプテンに自ら志願してなったと聞く。

 恐らく彼なりにアスリートとしての自分を追いつめていく方法をとったのだと思われる。

 もしかすると同級生を傷つけないための彼なりの正義感で犠牲の意味で代表になったのかもしれないし、その真相は私には分からない。

 でも、自分を追いつめた場所が自分が想像していたより厳しい場所だったのか、体罰の痛みだけが残って成長出来ない自分に苦しんでいたのか、彼にしか本当の真相が分からないが、結局自ら命を絶つ選択肢を取ってしまった。

 世間では今回は体罰が彼を自殺に追い詰めた直接の原因であるという一辺倒の論調で体罰そのものがやり玉に挙げられているが、今回のケースでは体罰が無くてもやはり同様のケースを招いていた可能性があるような気がしている。

 残念ながら体罰であろうとなかろうと、厳しかったり苦しかったりすることを乗り越えられないとなかなか精神的に強くなれないのは事実で、どんなに理論的科学的な事を学ぼうとも、最後にはそれをやり遂げる精神力の勝負になってくるため、スポーツの指導者は基本として甘い顔をして教え子を甘やかすことはしないのが通例である。

 アスリートが甘い考えを持ってスポーツに臨んでも何らいい結果をもたらさないからである。

 そして彼らがなぜ体罰を与えるのかというと、人は痛みからアドレナリンを分泌するからであり、本来は防衛本能の為のアドレナリンであるが同時にスポーツ選手に必要な闘争本能をもたらしてくれると考え、体罰は体育系の人々に容認されてきたのだと思う。

 闘争本能を必要としない我々の生活からすれば、アドレナリンのための体罰なんかとんでもないとなるが、限界を追及する彼らからすればそれほど違和感のない行為なのである。
 故にこうした実態が露見しても受験志願者が減らないのはそういったことを感じているからだと思われる。

 今回の体罰論争がどこへ決着するか分からないが、例え今後体罰が一切禁止されることになったとしても、アスリートたちが自らを追い込む手段を探す行為は変わらず、やはり自らの課した課題の重さに迷い苦しむ人が出て来るのはいつの時代も変わらないんじゃないか、そんな気がしている。

 故人の御冥福をお祈りします。

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2013年01月22日 経営者が現場にいないとうまくいかない
 これは中国進出に限らないことであるが、最終決定者が現場のそばにいない会社はまずうまくいっていない気がする。

 中国にいるとよく見かけるのが、現場に中途半端な権限は与えるが、最終的な決定権は日本の本社が持っているような形で進出して来るケース。

 現場で先遣隊が一生懸命頑張っていても現場を知らない日本の幹部があれこれ細かく口を出してきて現場が混乱しているケースをよく見かける。

 或いは先遣隊の人が日本の本社の顔色ばかり伺って、全く話が前に進まないケース。

 或いは完全に現場任せなのはいいが放任過ぎて、発展性が望めない状態になっているケース。

 まあいずれのケースも結局現地の状況を知らない人が日本でジャッジをするものだからうまくいくわけもなく、途中で空中分解して撤退するケースが多々あった。


 もちろん出資元は日本であるから最終的に日本のジャッジが必要な面があるのは仕方ないが、ならば判断に責任とれる人が直接乗り込んで指揮をすべきだという気がするのである。

 どんな仕事でも熱意を持つ人が現場にいないとまずうまく行くはずもなく、その仕事で一番熱意を持つ人イコール「経営者」と考えるならば、難しい判断が連続するはずの中国進出の現場判断は、やはり最終権限者が現場に入るのが成功の道筋と言う気がする。

 現場に入らず現状も直接その目で見ない人間には、業務環境の現状が本当の意味で理解できるわけはなく、業務に対して正しい判断が出来るわけがないのである。
 ましてやここは異文化の地中国であり、日本の常識では判断できない事柄が沢山ある。
 恐る恐るの小手先だけの日本から派遣をしている会社はやはり小手先の業務しかできなく、実際に困難を迎えた時の突破力に影響してしまうのである。

 よくプロ野球選手が副業で始めた飲食店がうまくいかないのは、本人が現場にいないから最終的判断が出来ないからだと言われている。

 お金に最終権限を持つ人が現場にいないと、どうも個々の場面の判断が妥協的になってしまうらしく結局うまくいかないようだ。
 中国で成功するビジネスというのはなかなか一筋縄には見つけられないが、こうしたら失敗するという典型例は数多く見てきており、同じ轍を踏まぬよう気を付けたい。


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2013年01月21日 冬に便利な中国スタイルの水筒
 最近、中国式スタイルの水筒でお茶を飲むようになった。
中国に暮らしている人ならわかると思うが街頭で働いている清掃員の人たちなどが、ペットボトルと同じくらいの大きさの瓶にお茶を入れて飲んでいるアレである。

 私が買ったのはステンレスの魔法瓶タイプのもので、茶こしの網が中にあり直接飲めるスタイルのものである。

 まあこの水筒の何が便利かと言って、保温性が実によく冬の夜に作業しながら飲むのにとても都合が良い。

 ペットボトルやマグカップだとすぐに冷めてしまう飲み物が、これは一度温かい飲み物をセットすればその晩はもう温め直す必要が無く、長い時間程好い温度で飲めるのである。

 お茶の葉を入れても良いし、インスタントコーヒーなどでも差支えない。

 私はこの水筒のおかげで最近中国茶を日常的に飲む習慣が出来てしまった。

 日本だとお行儀が悪く敬遠されそうな水筒からの直飲みであるが、中国ではよく見かけるスタイルであり、一人一本の習慣が確立しているから直飲みも恥ずかしくもなく、故に私もすこぶる重宝している。

 まあ惜しむらくは私の買った水筒は少々安物であったため、保温性は悪くないのだが蓋をしても逆さにすると中身が漏れてきてしまうことだ。

 故に外出時の携帯には使えず、買ったばかりの頃に持ち出してリュック鞄の中がびしょびしょになった苦い経験がある。

 携帯用は次回アマゾンでしっかりした奴を買おうとは思うが、まあ室内で使っているうちは便利な水筒である。

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2013年01月21日 なぜいま大気汚染の話題か?
中国国内では大気汚染の話題が世間を騒がしている。

日本人ネットワークの間でも外出を控えるようにとの通知が出回っている。
確かに冬になって空気があまり良くない状態が続いているのは事実だが、実はこの現状は決して今に始まったわけではない。

 中国の発展が始まったころからずっと問題になってきていることで、実は今更このことを騒ぐのはちょっと不思議な話である。

 なぜいま大気汚染の話題か?

 まあ簡単に言うと大気汚染の話題が世間を席巻していた方が都合のいい人が大勢いるということになると思われる。

 まずは医療関係者。

 まあ不安に思って検査や相談に来る人が増えてくれたら都合がいいのは間違いなく、悪意はなくても商機とばかりに話題にして人前に積極的に出て来る人はいるだろう。


 そして、不都合な話題が世間で出て欲しくない人たち。
この大気汚染が大きなニュースになる前にどんなニュースが大きく取り扱われていたかを思い出せば、何故この大気汚染の話題が今ニュースになっているのかはわかるというもの。

 しかもニュースの発信源は何処かというのもキーポイントになってくる。

 本来は外敵をつくるというも手段としてあったはずだが、日中関係はこれ以上悪化させるとシャレにならなくなってくる状態だから手段として使えなかったというのが実情のような気がする。

 故に市民共通の社会話題である大気汚染が登場したと推測できる。

私も中国に住む身で迂闊なことは書けないが、大気汚染の話題に乗っかって騒いでしまっては、誰かの思うつぼという気がするのである。


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プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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