TOP > BLOG > 上海ワルツNEW

上海ワルツNEW


2008年12月24日 上海タイフーンを見終わった
先日から毎日DVDで1~2枚ずつ見て、今日見終わった。
まあ見てない人も大勢いると思うので、ストーリー内容の詳しい説明はやはり避けたいと思うが、見終えた感想としては初回のストーリーが、上海が良く伝わっているドタバタ劇で面白かったので、現地に住む私としてはこういう面白いドタバタがどんどん続くのかなぁと楽しみに続編も見続けたのだが、後半は意外と穏やかな展開だった。
 決して単調でつまらなかったというわけではないが、映像も音声も運びも日本映画的で、東映か松竹あたりの日本映画関係者か、あるいはそのあたりの影響を受けた人が作ったドラマなんじゃないかという感じであった。
 つまり上海が舞台のドラマなのに、中身は日本映画そのものという感じなのである。
そういった意味でこの収まりの良過ぎるドラマは、もはや現実に上海を生きている我々からすると、非常に完成された枠にはまり過ぎていて物足りなさを感じる。
日本でこのドラマを見た人がどういった感想を持つか分らないが、自分達が生きている現実の上海のほうが、もっともっとドラマチックかつエキサイティングであるのは確かだと思う。私の人生もまだまだストーリーが展開中で、どんなラストシーンが待つか誰も予想できない人生を送っている。
もはや先の読める日本のドラマは楽しめなくなっている気がする。



2008年12月23日 雪が降るかもしれない
今これを書いている時点で予報を見たら最低気温-3℃~-4℃という予報が出ている。これは市内の数字だから、上海郊外はさらに下がって-6℃くらいまで下がる予想が出ている。しかも雪が降るかもしれないとのこと。どうりで寒いはずだ。
 この時期に雪が降ったらホワイトクリスマスなんて言えばロマンチックだけど、営業の仕事で外に出る私にとっては邪魔者以外の何者でもない。風邪でも引いた日には目も当てられず、「苦しみます」にならないよう気をつけなくちゃならない。
それにしても、今年の初めの大雪といい、上海はこんなに寒くなる街だっけかと思う?上海の冬はもう4回目の経験になるが今年が一番寒い気がする。
確か鹿児島と同じくらいの緯度のはずだが大陸性の気候ということか?経済の冷え込みとともに本当の気候も冷え込んでいる。
そういえば夜になると街を歩く人の数が本当に少なくなった気がする。以前は寒くてももう少し人がいた。風の噂で中国にいる韓国人が半分帰国したという。上海の韓国料理屋がさぞかし苦しんでいることであろう。韓国料理好きの私としては是非、美味しい店には踏ん張ってもらいたいと思いつつも、密かに値下げ傾向にならないかなあと期待してたりもする。
クリスマスケーキよりキムチチゲを食べに行こうと考えている今年のクリスマスである。


2008年12月22日 寒いっ!
今朝は氷点下に下がったそうで、非常に寒い!
今朝3時まで家のパソコンで作業していた影響もあって部屋の中がずっと暖かく、家を出るまで気がつかなかったのだが、部屋を出たとん凍てつくような寒さで耳が冷たく痛い。
 コート一枚では心もとない。本当はマフラーもしたいところだが、家にはあまりいいマフラーがないので我慢してせずに出た、がすぐに後悔した、首まわりが寒い!
 すぐにでも買いに行きたくなったが仕事も忙しいので、じっくり選ぶ時間がない。心情的に誰か俺のために編んでくれ~と叫びたいところだが、きっと自分で買ったほうが結果的に安くつくに違いないので叫ぶのはやめておこうと思う。(笑)
 それにしても今日ぐらい冷えると足回りも寒くどうにかしたいが、中国人は平気で穿いているらしいあの「ももひき」は、日本人の自分にとっては非常に抵抗がある。
 中国人の若い女の子に「ももひき」の印象を聞くと、みんな穿いてるんだから気にすることないよと言ってくれた。
 うーん、でもやっぱり、、、、ちょっと悩む。


2008年12月21日 「上海タイフーン」第一話を見た
だいぶ前にDVDを買ってあったのだが、今日まで忙しくてテレビの電源さえ入れておらず、恐らく購入後1ヶ月以上経ってしまっていたのだが、ようやく今日第一話に手をつけることが出来た。
 まあドラマのことなので、あらすじめいた話や感想は避けることにするが、今の自分が上海に暮らしている状況と重ねてみるといろいろと思うところはある。
 特に上海に来た理由である。
 私の場合、会社から派遣されてきたとかでもなければ、上海に特別な夢を持ってきたとか上海で大きな成功を収めたいとかそんな大きな志があって上海へやってきたのではない。またキャリアを積みたいとかそういう未来志向でもない。特別上海が好きということでやってきたのでもなかった。
 詳しい理由はここでは書かないが、とにかく中国で働く、中国で生きる、中国で生活する能力を身につける、そういう意思で中国にやってきた。つまり極端な話、受け入れてくれる中国の街ならどこでも良く、必ずしも上海でなくとも良かったのである。ただ中国行きを思い立った後、視察的に最初に訪れた中国の街が上海であり、そういう意味で親しみを感じた部分はあった。後に北京も訪れた時に、中国に踏み入れるステップとしての入り込み易さで、上海に優位性は感じたが、必ずしも絶対ではなかった。


 それが証拠に、中国へ来て最初に働くために住んだ町は上海ではなく蘇州である。ほとんど見ず知らずの土地であったが受け入れてくれたのがここであり、非常に嬉しかった。
 しかし、その当時の会社の都合で2007年の1月に上海に移動することになる。これが私が上海に住み始めた最初のきっかけである。
 その後2007年6月に再転職をせざるえない状況が生じて、転職活動をしたとき、上海以外の街へ就職する選択肢もあったのだが、ちょうどそのとき運悪くパスポートを紛失してしまい、上海に缶詰の状態になった。パスポートがなければ、飛行機にも乗れないし、ホテルにも泊まれない。
 大連の会社からアプローチがあり、面接に来て欲しいとの話もあったのだが、上記の理由から返事を保留せざるをえなかった。そんな時元同僚を通じて紹介があったのが今の上海の会社である。結局パスポート取得手続きに手間取り時間がかかってしまったので、生活安定を優先させた結果、今の会社に勤めることになり上海に引き続き住むことになった。以降現在まで1年半が過ぎた。


 確かに上海は結構肌にあう街で好きであり、友人や知り合いも多く出来た。今の会社の仕事も結構楽しんでいる。なので今後の人生として帰国も含めて上海から動くことは考えずらいとは思うものの、原点に立ち戻って考えて見れば、自分にとって上海が絶対ではなく、他の都市へ行くという意思を働かせる何かが発生したらいつか上海を離れるときが来るのかなぁと考えてみたりもする。
 そんな思いをめぐらせるのに十分なきっかけを与えてくれた上海タイフーン第一話である。


2008年12月18日 中国経済の強さはその鈍さにある?
今日あるセミナーに参加していたときに、某大学の先生が述べていたことで一つ気になる発言があった。
彼は金融危機について中国の影響はどのくらい出るかという趣旨の質問に答えていたのだが、彼はなんと来年の国の発表が出るまでわからないと答えていた。
これを聞いて、中国という国は何と世界情勢に疎い国なんだろうかとびっくりした。
日本では、毎日の株価のほかに毎月の月例経済見通しや、3ヶ月に一回の日銀の短観、或いは諸所のエコノミストが日々起こる経済状況判断に一喜一憂して日々株価や為替が変動して、そのきっかけになる内容によっては経済が一気にひっくり返るくらい変動する。 いま日本で起きている派遣切りなどが非常に良い例だ。
しかし今日の彼の発言は、それとは比較にならないくらいのんびりしている。まあその鈍さにあきれるとともに、実は逆にここに中国経済の強さがあるのではないかとも感じた。
 中国国内では良くも悪くも国家が経済指標などの報道をがっちりコントロールしているから、勝手な発言は許されない。


 故に日々の細かい情報に一喜一憂して左右されるようなこともほとんどないと思われる。少なくとも日々の株価はともかく日本ほどやたら経済指標が年中出ているわけではないのだろうから、、いや出ているのかも知れないが国民にとって自分の所有株以外に興味がなく、そういった指標を見ていないのではないような気がする。  
 元々景気なんて言葉には実際の具体的な基準がないわけで、法人や個人一人一人の気分に非常に大きく左右され、それと一緒に経済も振り回される。
思うに、日本もアメリカも経済指標システムが高度になりすぎて、これらは経済をウォッチングするには非常に便利かもしれないが、ちょっとした動きにみんなが敏感に反応しすぎるから、何かが起きたときに一気に経済に影響が出てしまう。
 これがもし、今日の先生のように見通し発表が非常にのんびりした動きであったなら、そう大きな変動にはならないような気がする。
 もちろん世界経済は繋がっているのでアメリカや日本の急激な状況変化は、取引の多い中国に少なからず影響が出るのは間違いがないが、過剰な反応をしない限り必要以上に深刻な影響が出ないのではないかとそう見ている。
 そう考えると、アメリカがビッグ3がジリ貧に陥ったのは過敏な経済指標システムの影響が大きく、ある意味、経済の情報に鈍い中国国内はそれ故に強い力を保ち続けるのではないか?今日の発言を聞いてそう感じた。


2008年12月15日 危機意識の鈍い人
世の中にはどうも危機管理意識の鈍い人がいる。某国の某首相や昔の会社の上司がそんな感じだった。
世の中全体、会社全体がピンチに陥っているのに、どうもお気楽なのか状況を判ってないのか動きが鈍い。
 自分だけは沈まない船に乗っていると勘違いでもしているのだろうかと思う時がある。あるいは決断力や行動力がないだけなのか?
 平時はそれでもいいのか、危機が迫ったときはとにかく冷静に素早く判断して行動しなければならない。
場合によってはやれることはなんでもやるという決断力と行動力が必要だ。
最初から出口など見えなくても、もがいているうちに見えてくる出口もあると思う。
 しかし危機意識の鈍い人は一切そんなそぶりが見えない。口先だけの危機意識が聞こえたとしても行動に見えてこなければ本当の意味で危機を感じているようには思えない。
 まあその人が全く他人で、その人自身が堕落してしまうだけのことなら、そんなことはある意味知ったこっちゃないのだが、それが自分の国の首相だったり同じ会社の人だったりして、その人の鈍さが社会や組織全体に命取りになるような動きである場合、関係ないとも言ってられなくなる。

 私自身にはその人と同じ責任をとるポジションにはなくとも、放っておいたら自分も一緒に沈んでしまう可能性があれば、自分がどうにかするしかない。


2008年12月12日 のんきな中国
来年の祝日がようやく発表になったようだが、この時期にならないと翌年の休日がわからないというのはビジネス環境としては非常にやりにくい。
これは労務的に言えば年間の労働時間に繋がってくるし、そのまま生産効率に響いてくる話で、予想していた時期と休みの時期が移動すれば生産計画にも影響してくる。
 事業にもよるが、少なくとも年間の細かい予算計画を立てて運営している会社や、イベント型運営をしている会社は特に困るだろう。
日取りや休日が命のブライダル産業などが、困っているとの話も伝わっている。
 少なくとも日本人としては一年後のその日が休みになるかどうか判っていないと非常に不安だ。
つまり元旦を基準に考えれば、前々年の年末には休日が決まってて欲しいと思うのが日本人だが、そうはならないのが中国の現実。そんな先のことはその時になってから決めるというのは国家ならず、国民全体の中国のスタンスであるから、これはちょっと直りそうもない。


ただ土日を移動して連休を作るという発想は、週休2日を進める本来の国際的な労働精神には沿っていない気がして気になるところだ。ちなみに日本の場合は変形労働時間制に関して従業員との合意が出来ている場合を除き、カレンダーの中でどの連続する7日間をとっても、必ず2日間の休日が含まれているというようにするのが日本の労働基準法の週休2日制の精神である。なので週内に祝日が存在している場合を除き、土曜日から休みを移動させて翌週に休むという運営はありえない。
 まあこの運営の方法はともかく、オリンピックを実施するような国家に一応なったのだから、もっと早くもっと先の休日計画を決めてほしいというのが本音である。万博のイベント計画だってそろそろ決めなくてはならないだろうにと思うのであるが。。。


2008年12月11日 晩秋に聴きたい音楽「弦楽セレナーデ」(チャイコフスキー)
今朝、上海の街を歩いていて、曇り空と紅葉した銀杏などの樹々のコントラストに非常に感銘した。
恐らく、私は一年のうちでこの季節が一番好きである。日本ではこういった風景は11月の終わり頃であったような気がするが、上海では12月のこの時期にこのような風景が訪れるようである。
淡いグレーとも、セピア色ともつかぬ空に、僅かに散らばる黄色になった街路樹。掃除される前の散らばる落ち葉。ひんやりと冷え切る前の、ちょっと湿り加減の空気。こんな朝を散歩するととても気持ちいい。
ヨーロッパかどこかの公園を歩いているような気分になる。札幌の中島公園もこんな風景を持っている。
 こういった季節になると必ず聞きたくなる曲がある。
それが今回紹介するチャイコフスキー作曲の「弦楽セレナーデ」(作品48)である。チャイコフスキーの代表作ともいえるべき曲だが、「白鳥の湖」や「くるみ割り人形」などに比べると、クラシック好き以外の方にとっての知名度はそれほど高くないように思う。
 一時、某人材会社のTVコマーシャルにBGMとして使われたことがあり、聴けばわかる人も大勢いると思うが、そのコマーシャル内ではこの曲が非常に滑稽に扱われていて、この曲を大事にする私としては非常に心外な扱われ方であったので、あの時のイメージでこの曲を聴いて欲しくないのが本音である。


 さてこの曲はタイトル通りヴァイオリンなどの弦楽だけの音楽でモーツァルトへの敬愛から書かれたといわれる。チャイコフスキーの真骨頂ともいえる叙情的で流麗かつメランコリック(物思いに沈み憂鬱なさま)な旋律が非常に印象的な曲である。この曲のユニゾン(違う楽器が同時に同じ旋律を奏でること)の部分や絡み合うハーモニーが美しく、特に第3楽章は「エレジー(哀歌)」と作曲者自身に名付けられとも言われ、聴いているこちらも非常に強い哀愁に駆られ感銘深い。
 この曲の演奏で私が好きな版はカラヤンとベルリンフィル」で演奏された版で、普段小編成の弦楽合奏で演奏されるこの曲が、オーケストラ編成で演奏される音の深さと厚みはまた格別の味わいである。
次々とCDのミリオンセラーを世に送り出し、美しさを売り物にして儲けている娼婦だとまで揶揄されたカラヤンの真髄を見せるようなこの演奏は一聴の価値がある。

晩秋を迎えた上海の風景の中、是非この曲を聴いていただきたいと思う。

ここで試聴出来ます。




2008年12月11日 極上のデザート「楊枝甘露」をルネッサンス揚子江ホテルで発見
 普段、あまりスイーツ系には手を出さない私であるが、今回友人がどうしてもこれを食べさせたくてということで招待に預かってきた。
五つ星ホテル内でスイーツなんぞ、滅多に食べないのでちょっと緊張気味である。
 さて招かれたのは、虹橋開発区の延安西路沿いにある上海ルネッサンス揚子江ホテル(揚子江万麗大酒店) 内の2階の「翠竹小館」という中華レストランである。
メニュー構成は一般的な中華のメニュー構成で、およその台湾的な味付けのものが多い思われる内容のような気がした。もちろん地元の小龍包など上海点心もきちっと抑えてある。
値段的にはローカルのレストランと比べるとかなり高い気もするが、日本料理店など比べ滅茶苦茶高いわけでもない。結構気軽に伺える範囲のレストランである。
 さてさて今回の主役は、中国語で「楊枝甘露」で書かれており日本語ではなんと訳せばいいか分からないが、「よんじーがむろ」とそのまま名前で呼ばれている場合も多いようだ。英語は「Chilled sago cream with pomelo and mango」とある。
この楊枝甘露は香港などで流行しているデザートメニューらしいが私は初体験である。


 マンゴーピューレ(マンゴーネクター)とポメロと呼ばれる東南アジア系の柑橘果物のジュースとサゴと呼ばれる椰子の一種ココナッツミルクを混ぜたスープの中にサゴの澱粉質を小さなゼリー状に固めたものが入っている。
 スープは非常にトロピカルな色合いで、マンゴーのオレンジとポメロのグリーンとサゴのクリームが程よく混じった綺麗な色合いだ。また味わいも同様で、マンゴーの甘さに対してポメロのほのかな酸味がブレーキを利かせており、だらだら甘すぎない引き締まった甘みを演出し、非常に上品な味に仕上がっている。
 サゴの粒はタピオカよりさらに小さく柔らかく、するするっと喉を流れていってしまう。他のお店ではタピオカが入っている場合も多く、あれはあれで良いのだが、サゴは歯ごたえを許さないくらいに柔らかく、これもまた上品だ。
 この出来栄えはなかなか素晴らしく、さすが友人が薦めるだけのことはある。こんなスイーツを味わってしまうと、食べなかった他のスィーツも味わいたくなってしまう。五つ星ホテルの魅力恐るべしである。

上海ルネッサンス揚子江ホテル(揚子江万麗大酒店)
2F「翠竹小館」
延安西路2099号【地図
(021)62750000





2008年12月10日 中国人どうしでも日本語のほうが便利らしい
 昨日、ある会合に参加したときの話である。
日本滞在暦6年と8年の中国人女性同士の会話の輪の中にいたときだが、彼女たちは中国人どうしなのに何故か日本語で話していた。
 日本人がほとんどの会なので彼女たちも基本的には日本語を使いこなせるというのは理解出来るが、だからといって中国人同士のときまで日本語で話すのは不自然に感じた。
「中国人同士なんだから中国語で会話すれば?」と私は笑いながら伝えた。
すると、彼女たちはもう既に頭の中の思考回路が日本語で回ってるし、日本語でなければ表現できない言葉がたくさんあるので、どうしても日本語のほうが便利でついつい日本語での会話になってしまうと答えた。
 確かに中国語では、あまり細かい表現が出来ない。細かいニュアンスを伝えるのにも苦労する。それ故、中国語は日本人にとって学習が比較的楽な部類に入ると思うが、やはりある程度会話能力を身につけても思ったような表現が出来ない。それは自分の能力の問題もあるとは思うが元来中国語には表現の幅が少ないのも一因のように思う。

 狭い島国の中の狭い社会の中で熟成されてきた日本語と、広い大陸の中で常に幅広い異文化との接触を繰り返してきた中国語では、自ずと要求される表現の幅が違ってくるのは当然のことで、とにかく共通言語を持つことが最優先なので中国語の語彙数が限られてしまったのは仕方のないことのように思える。
 しかし、現代になって社会が熟成してくると、この語彙の少ない中国語に表現の限界が見えてきたことは否めなく、中国語にもどんどん新しい言葉が生まれているとは言われるが日本語の持つ表現の幅にはまだまだ追いついておらず、日本語を堪能になった彼女たちにとっては、日本語のほうが便利だと思うのは仕方ないことであろう。
 このような話を聞いてこんな言語を持てた日本人としてちょっと誇りに思えた。
ただ理屈として納得してはみたものの、やはり中国人同士が日本語で話す風景はどこか滑稽だ。




プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

音響さんのこだわり復刻版
上海ワルツ記事目次
エクスプロアブログ同窓会


GOOGLEでブログ内検索

ブログランキング・にほんブログ村へ



空港ドットインフォブログ浦東空港虹橋空港北京空港広州空港香港空港天津空港青島空港ハルビン空港すいすいビザ

コメント一覧


記事タイトル一覧

カテゴリ一覧


RSS 1.0My Yahoo!に追加




上海すいすいビザ代行][空港ドットインフォ][上海の天気][音響さんのこだわり][上海ガイドブック手帳][日中地域交流会
[上海浦東国際空港][北京首都国際空港][天津濱海国際空港][広州白雲国際空港][上海虹橋国際空港][青島流亭国際空港]
Copyright(C) since 2007 カランドリエドゥモンド
h_12