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上海ワルツNEW


2008年12月29日 盛り上がらない中国の年末
昨年も同じようなブログを書いた記憶があるが、中国の正月はあくまでも旧暦の春節であるため、この12月が押し迫った時期になってもあまり年末という気がしない。
 日本だと、テレビの特番などで一年を振り返る番組が頻繁に流れ、企業でも「ボーナス」「年末調整」「年賀状」「あいさつ回り」「忘年会」など12月に関わる行事が目白押しになる。
しかし中国ではそんなことは一切無く、通常の月の月末を迎えるのとほとんど変わらない。というか、最近テレビもほとんど見なくなった。
12月かなと思えるのは忘年会の回数が増えることくらいであろうか?
それととて自分にとっては年中行事なので全然特別なことではない。
 仕方なく無理やり自分で気分を盛り上げるべく、家で第九を聞いてみたがどうもしっくりこない。なんとなく独りよがりのような気がする。

まあ、駆り立てられるような慌しさがないのは良いことのようだが、節目節目を感じられなくなるのはちょっと寂しいかもしれない。


2008年12月24日 寂しいクリスマスイブ
仕事上の都合で、延び延びになっていたことをどうしても今夜しなければならなくなり何の予定も入れられなくなった。
 仕事に逆恨みしてもしょうがないが、幸せも吹っ飛んでしまいそうな寂しい夜になった。
 365日分の1の夜とはいえ、やはりこの日に一人で食事するのはとっても寂しい。
こんな巡り合わせの人生では人に幸せを与えることなど、なかなかできないなと、夜空を見上げてみた。



2008年12月24日 上海タイフーンを見終わった
先日から毎日DVDで1~2枚ずつ見て、今日見終わった。
まあ見てない人も大勢いると思うので、ストーリー内容の詳しい説明はやはり避けたいと思うが、見終えた感想としては初回のストーリーが、上海が良く伝わっているドタバタ劇で面白かったので、現地に住む私としてはこういう面白いドタバタがどんどん続くのかなぁと楽しみに続編も見続けたのだが、後半は意外と穏やかな展開だった。
 決して単調でつまらなかったというわけではないが、映像も音声も運びも日本映画的で、東映か松竹あたりの日本映画関係者か、あるいはそのあたりの影響を受けた人が作ったドラマなんじゃないかという感じであった。
 つまり上海が舞台のドラマなのに、中身は日本映画そのものという感じなのである。
そういった意味でこの収まりの良過ぎるドラマは、もはや現実に上海を生きている我々からすると、非常に完成された枠にはまり過ぎていて物足りなさを感じる。
日本でこのドラマを見た人がどういった感想を持つか分らないが、自分達が生きている現実の上海のほうが、もっともっとドラマチックかつエキサイティングであるのは確かだと思う。私の人生もまだまだストーリーが展開中で、どんなラストシーンが待つか誰も予想できない人生を送っている。
もはや先の読める日本のドラマは楽しめなくなっている気がする。



2008年12月23日 雪が降るかもしれない
今これを書いている時点で予報を見たら最低気温-3℃~-4℃という予報が出ている。これは市内の数字だから、上海郊外はさらに下がって-6℃くらいまで下がる予想が出ている。しかも雪が降るかもしれないとのこと。どうりで寒いはずだ。
 この時期に雪が降ったらホワイトクリスマスなんて言えばロマンチックだけど、営業の仕事で外に出る私にとっては邪魔者以外の何者でもない。風邪でも引いた日には目も当てられず、「苦しみます」にならないよう気をつけなくちゃならない。
それにしても、今年の初めの大雪といい、上海はこんなに寒くなる街だっけかと思う?上海の冬はもう4回目の経験になるが今年が一番寒い気がする。
確か鹿児島と同じくらいの緯度のはずだが大陸性の気候ということか?経済の冷え込みとともに本当の気候も冷え込んでいる。
そういえば夜になると街を歩く人の数が本当に少なくなった気がする。以前は寒くてももう少し人がいた。風の噂で中国にいる韓国人が半分帰国したという。上海の韓国料理屋がさぞかし苦しんでいることであろう。韓国料理好きの私としては是非、美味しい店には踏ん張ってもらいたいと思いつつも、密かに値下げ傾向にならないかなあと期待してたりもする。
クリスマスケーキよりキムチチゲを食べに行こうと考えている今年のクリスマスである。


2008年12月22日 寒いっ!
今朝は氷点下に下がったそうで、非常に寒い!
今朝3時まで家のパソコンで作業していた影響もあって部屋の中がずっと暖かく、家を出るまで気がつかなかったのだが、部屋を出たとん凍てつくような寒さで耳が冷たく痛い。
 コート一枚では心もとない。本当はマフラーもしたいところだが、家にはあまりいいマフラーがないので我慢してせずに出た、がすぐに後悔した、首まわりが寒い!
 すぐにでも買いに行きたくなったが仕事も忙しいので、じっくり選ぶ時間がない。心情的に誰か俺のために編んでくれ~と叫びたいところだが、きっと自分で買ったほうが結果的に安くつくに違いないので叫ぶのはやめておこうと思う。(笑)
 それにしても今日ぐらい冷えると足回りも寒くどうにかしたいが、中国人は平気で穿いているらしいあの「ももひき」は、日本人の自分にとっては非常に抵抗がある。
 中国人の若い女の子に「ももひき」の印象を聞くと、みんな穿いてるんだから気にすることないよと言ってくれた。
 うーん、でもやっぱり、、、、ちょっと悩む。


2008年12月21日 「上海タイフーン」第一話を見た
だいぶ前にDVDを買ってあったのだが、今日まで忙しくてテレビの電源さえ入れておらず、恐らく購入後1ヶ月以上経ってしまっていたのだが、ようやく今日第一話に手をつけることが出来た。
 まあドラマのことなので、あらすじめいた話や感想は避けることにするが、今の自分が上海に暮らしている状況と重ねてみるといろいろと思うところはある。
 特に上海に来た理由である。
 私の場合、会社から派遣されてきたとかでもなければ、上海に特別な夢を持ってきたとか上海で大きな成功を収めたいとかそんな大きな志があって上海へやってきたのではない。またキャリアを積みたいとかそういう未来志向でもない。特別上海が好きということでやってきたのでもなかった。
 詳しい理由はここでは書かないが、とにかく中国で働く、中国で生きる、中国で生活する能力を身につける、そういう意思で中国にやってきた。つまり極端な話、受け入れてくれる中国の街ならどこでも良く、必ずしも上海でなくとも良かったのである。ただ中国行きを思い立った後、視察的に最初に訪れた中国の街が上海であり、そういう意味で親しみを感じた部分はあった。後に北京も訪れた時に、中国に踏み入れるステップとしての入り込み易さで、上海に優位性は感じたが、必ずしも絶対ではなかった。


 それが証拠に、中国へ来て最初に働くために住んだ町は上海ではなく蘇州である。ほとんど見ず知らずの土地であったが受け入れてくれたのがここであり、非常に嬉しかった。
 しかし、その当時の会社の都合で2007年の1月に上海に移動することになる。これが私が上海に住み始めた最初のきっかけである。
 その後2007年6月に再転職をせざるえない状況が生じて、転職活動をしたとき、上海以外の街へ就職する選択肢もあったのだが、ちょうどそのとき運悪くパスポートを紛失してしまい、上海に缶詰の状態になった。パスポートがなければ、飛行機にも乗れないし、ホテルにも泊まれない。
 大連の会社からアプローチがあり、面接に来て欲しいとの話もあったのだが、上記の理由から返事を保留せざるをえなかった。そんな時元同僚を通じて紹介があったのが今の上海の会社である。結局パスポート取得手続きに手間取り時間がかかってしまったので、生活安定を優先させた結果、今の会社に勤めることになり上海に引き続き住むことになった。以降現在まで1年半が過ぎた。


 確かに上海は結構肌にあう街で好きであり、友人や知り合いも多く出来た。今の会社の仕事も結構楽しんでいる。なので今後の人生として帰国も含めて上海から動くことは考えずらいとは思うものの、原点に立ち戻って考えて見れば、自分にとって上海が絶対ではなく、他の都市へ行くという意思を働かせる何かが発生したらいつか上海を離れるときが来るのかなぁと考えてみたりもする。
 そんな思いをめぐらせるのに十分なきっかけを与えてくれた上海タイフーン第一話である。


2008年12月09日 礼を言いたい ヤクルトは中国生活の命綱
今日、神奈川県人会で上海のヤクルトの副総経理の方に会う機会があった。
だから言うわけじゃないが、私の上海生活の秘訣は毎日のヤクルトにあるといっても過言ではない。
 もともと腸があまり強くない自分は、運動不足などや仕事のストレスが続くと途端に腸の調子が悪くなる。
下痢をしたり便秘をしたりととにかく安定しない。
 日本にいたときはどちらかというと乳酸飲料は嫌いというわけでもなかったが特に好んで飲んでいたわけではない。
特に毎日の通勤が往復3時間ほどあり、とにかくそれなりに動くのであまり腸の働きに関しては気にしてこなかった。
しかし、去年ひどい下痢をしたときから、自分の消化能力に関して年齢による衰えを感じ、まずは腸を整えようと気軽に手に入るヤクルトをほぼ毎日飲むようになった。 すると、腸が非常に快調になった、腸が快調になると体全体を覆っていた全身の慢性的なけだるさから徐々に解放されるようになった。腸のそのものの不調に起因していたストレスもなくなり体と心が非常に軽いのである。

 ヤクルトが全てではないかもしれないがヤクルトに負う部分は非常に大きい気がする。それが証拠に時々冷蔵庫にストックを買い忘れ、買いに行くのを面倒臭がって数日飲まない日が続くと、途端に腸の調子が落ち、たちまちガスが溜まり易くなり体の調子が落ちてくる。ある意味善玉麻薬のようなもので、切らすと禁断症状が出てくるといったところであろうか?
とにかくヤクルトを飲んで過ごしている限り、年末の忙しさも何とか乗り切れるほど元気でいられるのである。下手な栄養ドリンクを飲むよりこちらのほうが余程体によい影響を与えてくれる。
 この毎日ヤクルトを飲むというスタイルは、対処療法的な西洋医学に対して体質改善で病気を治す中医学に近いものがあり、西洋医学なドリンク剤に対し、中医学的な飲み物がヤクルトのような気がする。
 とにかくこのヤクルトを飲み始めてからストレス的な腹痛が一切なくなった。

 いまや私の上海生活にとって命綱というべき存在がヤクルトである。
 従ってお礼を言いたい「ヤクルトよありがとう」そして「今後ともよろしく」である。




2008年11月28日 足を捻る
どうやら昨日の朝、寝起きにちょっとバランスを崩したときのときのことが原因のようで捻挫をしてしまった。
 朝、捻った時点では痛くもなんともなかったのだが、出勤時に歩いていると捻った右足だけちょっと長くなったような感じでびっこを引いている自分に気がついたのだがこれといった痛みもなく、歩くのに不便な理由がその時点ではわからなかった。
 ただ、若干足の感覚の鈍さのようなものはあった。そのあと出勤するまではなんともなかったが、足の反応が鈍いせいで路上で何度も段差を踏み外したり、つまずいたりした。こういう繰り返しが追い討ちをかけて効いたのかもしれないが、結局足が腫れたようで、皮膚が感覚が非常に鈍くかつ、筋肉が痛いことに気がついた。捻挫のようである。
 こりゃいかんと慌ててシップを買ったが、結局今日の時点までまだ痛みは取れていない。足が痛いとか、体のバランスが崩れ、腰や背中など色んなところに影響が出てくるので注意が必要だ。この足を引きずりながら今日も外出である。
 ただ収穫があったといえば「足を捻った」という中国語の表現を覚えたことであろうか。。。気をつけよう。



2008年11月27日 あと3日!臨時住宿登記票の更新に行ってきました。
 領事館から通知が出ていた、臨時住宿登記票の書き換えに今日行ってきた。
11月30日までに書き換えの手続きせよとの通知があり、通知によると書類の上のほうに番号が無いものは手続きしなければならないとの話である。
 自分が今年の6月に一時帰国して再入国したときの書類はピンク色の従来の書類であったが、書類の上に番号が振ってあったので、もしかすると手続きは必要ないかも知れないと疑いつつ、万が一のことを考え公安局を訪れることにした。
 で、どうやら念のために訪れたことが功を奏したようでやはり手続きは必須のようだ。私の住む地域の管轄の公安局は、いつもはこの戸籍関係の担当者は一人しかいないのだが、何と今回は3人も担当者がいて、中国人も同様に手続きが必要になっているようである。
 早速従来のピンクの紙とパスポートを出して、手続きをしてもらった。
 担当の男性の係員は、こちらが提出した資料とコンピューター上のデータを見比べながら、「今もこの住所に住んでますか」「その後出国してませんか?」という質問をし、こちらが「ずっと同じです、その後出国してません」と答えると「判った」とし、ぶつぶつ言いながらデータ作成を行っていた。どうもこの係員もこの作業に慣れていないらしく、思いのほか時間がかかった。およそ10分くらいかかっただろうか?
 

 察するに、今回の臨時住宿登記票の更新通達というのは、戸籍管理システムをオンライン化したが、手書きで提出された資料の読み違いなどで登録精度がいまひとつ高くなかったので、登録データの確認作業のために書式変更を理由に更新確認作業を行ったものと思われる。
 案の定、一通りのデータ登録作業が終わると、内容をプリントアウトし、間違ってないかどうか確認させられサインをさせられた。このサインさせられた用紙が誰かの身分証のコピーした裏白用紙の再利用であったところがいかにも中国的ではある。
 サインをした書類を係員に渡すと、今度は真っ白い新しい用紙に再度プリントアウトし、確認印を押し手渡してもらった。これで手続き完了である。

システムや制度変更の度にこのような手続きをさせられるのは結構面倒くさいように思うが、日本の年金制度が、手帳のデータ化の精度が悪すぎて、現在膨大な確認作業に追われ、未だ解決の目処が経っていない現状を鑑みると、一見強引に見える今回の上海市の通達だが、後々のことを考えた場合、非常に冷静で合理的な判断であるようにも思える。

 突然の強引過ぎるやり方にいろいろ問題はあるにせよ、移行期間を設けるが故になかなか物事が進まない日本に比べると、この中国の制度の切り替えの素早さは見習うべき点は多々あるように思えるのは私だけであろうか?

 とりあえず、手続きの済んでいない皆様は早急に手続きをすることをお勧めします。



2008年11月17日 布団カバー新調で招福祈願!でも見本と若干違う??
今日、何故か占いの部屋の模様替えが吉を招くという言葉をそのまま受け止め、布団と枕カバーを新調してしまった。
新調といっても仕立てたわけじゃなくてもちろん出来合いのものだが。
 従来のものは1年半くらい使ってきて、さすがに何回か洗っているうちに色褪せて飽きてきたので、まあいい機会かなという感じで新調する気になった。
今回も、上海に来て以来贔屓にしている布団屋で買うことにした。布団やに贔屓があるというのもなかなか地元に馴染んでしまったような気がするが
日本から新しい赴任者が来るたびに連れて行くので、布団やの主人ともすっかり仲良くなっている。ので、逆に別の店で買うというにも逆に気が引けるくらいだ。
 布団屋はチェックやら花柄やらいくつもの商品を薦めてきたが、今回の買い物の目的は「開運」であるからには、どうもピンクや青の花柄模様、幾何学模様、アーバンチックなストライプなどは腑に落ちない。
で結局気に入って今回今回買ったのが写真のカバー。何となく福を招きそうな感じがする。特に朱色っぴ枕がいい。
 ちなみに値段は198元のところ180元に負けてもらった。もっとディスカウントできたのかもしれないが、大型スーパーで買うとこの値段のものはあまりないので、お店との関係もあって必要以上に値切るつもりはなかった。たかが布団カバーとはいえとはいえ非常に満足である。



 で、早速、持ち帰ってつけたのが左の写真である。

 あれ?あれれ?枕の色が違う??なんで?

布団カバーとシーツはほぼ写真の通りなんだが、枕だけ色が違う。確かに同じ布から作られているようだがカットしている場所が違う!
うーん、確かにセットとしてのバランスは保たれているが、あの朱色が気に入ってたのになあ、、まあこんなことは中国ではよくあることなのだがちょっと残念だ。
 
まあ枕の色は違うが、とりあえず概ね満足。布団カバーが違うと気分も違う。
さてさて明日から開運だ!!



プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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