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2013年02月22日 ニセ医師検索システム
 先日、日本で厚生労働省がニセ医師検索システムを新たに強化するというニュースを目にした。

 なりすまし医師による事件が多発しているためとのことで、ニセ医師発見に力を注ぎたいとの意向のようだ。

 さて、この点について中国はどうなんだろうか?

 まあ日本でさえこうなのだから、この中国で全くいないなんてことは考えられず、ニセ医師がどのくらいいるかは全く見当もつかないが、1%なのか10%なのかはともかく、ゼロではないだろう。

 また医師と名乗らないまでも、本当は医師以外には禁止されている医療行為を無許可で行なっているような人間まで含むとそれなりの人数がいそうな匂いはする。

 そしてさらに困った存在が、きっと沢山いそうな裏口医師の問題である。

 これは日本でも同様かと思うが、医大の入試或いは医師免許試験の時に下駄をはかせてもらえるように袖の下やコネを使って医師免許を取得したようなケースである。

 これらの裏口医師の困ったところは表向きは正式な医師であり、上述のようなニセ医師検索システムを使ったところで、あぶり出せないところにある。

 日本では以前はよく聞いたが、最近では聞かなくなっており、チェックが厳しくなって減ったか地下に潜ったかのいずれかだろう。


 中国では具体的には報道でそんなことが事件になっていないものの、社会風土から言って裏口医師がいないということは有り得ないのではないかと推測する。

 お互い分かっていても同じ穴のムジナということで、よっぽどのことが無い限り内々で処理され表に出て来ないのかもしれず、結局のことろ実体は分からない。

 まあ命にかかわる分野だけに、ニセでも裏でもいいが、とりあえず金儲けのために人の身体を傷つけることだけはやめてもらいたいと願うばかりである。


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2013年02月12日 レーザー照射発表はスキャンダル隠し?
 今日ラジオを聞いていたところ、件のレーザー照射事件について国際ジャーナリストの小西克哉さんがちょっと興味深い疑問を呈していた。

 それは今回のレーザー照射事件のN側の発表のタイミングについてである。

 レーザー照射が行われたとされる事件は先月の1月19日と30日に発生したにも関わらず、何故その発表がかなり遅れた2月5日の火曜の夕方という時期だったのかという疑問である。

 レーザー照射の解析に時間がかかるにしろ、2回目の照射からほぼ一週間経ってからの発表であり、緊急性を要する内容なら時間がかかり過ぎるというのである。

 しかもA首相自らC国側の反応に対して謝罪を要求すると発言し国会内で熱くなっている。

 実は今回小西さんが指摘していたのは、日曜日から突如と噂として浮かび上がっていたJ党所属の議員T政務官の未成年者レイプスキャンダルの件である。
 土曜日深夜には既に本人から辞任が伝えられたが、その原因とされる「謎の女性問題」に世間が湧きあがっていた。

 5日の時点ではまだ件の週刊誌の発売前だったが、火曜の昼間まではワイドショーなどでこの噂で持ちきりだった状況となっており、政権運営に大きな打撃が与えられることは確実な情勢だった。
 しかし偶然か否か、急遽5日の夜に発表されたこのレーザー照射事件の影響で世間の話題からはこのスキャンダルの話が見事飛んでしまったとのこと。

 もちろん単なる偶然かもしれないが、意図的にスキャンダルによる政権へのダメージを避けるためにあのタイミングで故意に発表した可能性がないとも言えないようなことを言っていた。


 聞けばレーザー照射そのものはかつてから何回かあり今回急に出てきた話ではなく、恐らくN側も両国関係を考慮し、今まで相手軍のイタズラの範囲として騒ぎを大きくしないよう抑えてきたのに、急に何故このタイミングで発表を行なったのかという説明がつかないらしい。

 故にそんな程度の事件だからC側政府も今まで見逃されてきたことが、突如悪質な挑発勃発のように言われてしまったので、「捏造だ」と反論するまでの態度発表に繋がってしまったのだと考えられるようだ。

 もちろんレーザー照射そのものは事実であったとN側の発表を信じているが、まあこういう状況が揃ってしまうと、必ずしもC国ばかりを非難できるものではなくなってしまう。
 
 もしN側の本音がスキャンダル隠しにあったとなると、C国側の言うように実は相手国を貶めるための「捏造」なんじゃないかなと疑われても仕方なく、それに反発する気力をそがれてしまう。

 つまりA首相の謝罪要求だって、実は相手国の非難ではなく、政権を守るための茶番の演技であった可能性が出てきてしまうのだ。

 真実は実際にどこにあるか分からないが、政権保持のために国際関係を出汁にするようなそんな政権運営はどこの国も是非控えてもらいたいものである。


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2013年02月07日 尖閣に国連施設誘致とか
 ここ数日の中国の最前線たちの危ういう挑発行動など日中関係で色々緊張感が増す中、私自身もどうにか発展的解決方法はないものかとちょっと考えてみたが、件の尖閣列島に国連施設などを誘致してはどうかと、ちょっと暴論的アイデアが浮かんできた。

 例えば国連には、国際連合環境計画(UNEP)とか平和大学(UPEACE)なんて機関があり、これらを日本の外交力で件の島に誘致してしまうのである。

 或いは国の責任でこれらの機関に土地の使用権を無償貸与するとかでもいい。

 まああの島の規模から言って、そんなに大きな施設は無理だと思うが、研修所とか観測所とかそんなレベルの物でいいからとにかく国際機関の看板を持ってくるというのはアイデアとしてアリなんじゃないかと考えてみた。

 特に平和大学というのは国際法や安全保障の研究を行ない、紛争解決の出来る人材育成を行なっている機関だそうだから、まさにかの場所に設置するにはうってつけの組織であり、その存在そのものが、紛争解決のキーの存在となるので、もしここにかの大学の施設を設置することができたら大変意義のあることだと思う。

 もちろんその誘致目的には今回の問題だけでなく、日本や東アジアの過去の歴史を研究し、今後の平和的関係構築に役立てていきたいという大義名分をくっつければ、中国や台湾だってそうそう批判もできないと思うのだが、やはり暴論だろうか?

 棚上げ回帰論もいいが、こういった前向きな姿勢で日本の平和貢献アピールと近隣諸国へ歴史問題に対して積極的に協力的な姿勢を見せられると言った一挙両得のような方法だって、うまく外交力を発揮すればありうると思うのだが、どうだろうか。。。


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2013年02月03日 上海の春節は雪か?
 あと一週間に迫った春節だが、出かける予定も大してないのに週間天気予報をみたところ、今日3日現在の予報ではなんと春節は雪の予報となっていた。

 まあ中国の天気予報の精度から言って、一週間後の天気がそうそうアテになるとも思わないのだが、改めて日本のYAHOOの天気予報を見てみるとやはり8日から9日にかけて雪マークが出ている。

 その先はまだ予報が出てないが、どうやら多少の時間的な前後はあるとしても、一週間後くらいに雪がやってくる状況は正しいらしい。

 「雪ですか・・・」

 もし、積もるような雪が降った場合に春節のあの賑やかな花火はどうなるんだろう?とそんなたわいもないことがまず気になった。

 上海に住んで6年を超え、あの花火の音を聞かかないと歳を越した気がしないようになった私にとって、静かな春節などありえない。

 どうしてくれるんだと言いたいが、こればっかりは天気の事なので文句を言うわけにもいかない。

 そういえば5年前の春節も、直前に大雪となって広州から列車に乗って何とかギリギリ上海に辿りついたのを思い出した。

 あの時の春節も大雪の直後の上海にいたがあの時はどうだったのか?たった5年前なのに思い出せない。

 まあ、今回雪が降るなら降るで仕方ない。

でも、

「新年は去年のように病気をせず過ごしたい、まずはそれが第一」

であるかなと、まずそこを心配しようと気持ちを改めた。

 春節のスタートから高熱でつまずいて、何度も体調を崩した一年をすごした私の願いである。


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2013年01月29日 45億年という時間
この歳になってくると1年の時間の長さというものをだんだん掴めるようになってくる。

そんな時、ふと地球の歴史を思い出した。

「45億年」

 ちょっと考えるととてつもない数字で、例えば私の寿命とかと数字の上で比較したら、比較にならないのは理解している。

 もちろん中国の歴史が4千年だろうが5千年だろうがとても比較にならない。
 ただ45億年といえども有限の時間であることを考えるとちょっと奇妙な感覚になる。

 今私が生きているこの一年という時間を、遥か過去に遡って追っかけて行くと、人間は愚か単細胞生物など地球上のあらゆる生物が存在しなかった時間があり、地球も存在しなかった時間があったなどと考えると、この45億年という時間のもたらす変化というのは凄いなと思ってしまうのである。

この45億年の間に地球が生まれ、海が生まれ、生物が生まれ、人間が生まれ、歴史が生まれ、私が生まれ育ってきたのである。

 今私の生きている1年間という時間は地球の45億年という歴史に比べればたかが45億分の1に過ぎないが、されど45億分の1なわけでごくわずかであっても変化の一片が実はここにあることになる。

 もちろんこの1年が地球の歴史の中にどういう意味が残るかなんぞ私には分かるわけもなく、人間の寿命ではそれを検証できるわけではないが、確かに現在も45億分の1の時間が積み重ね続けられている。

 そう考えると、平凡なように見える私の一年も何だか凄い意味を持ってくるような気がしてくるから不思議だ。


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2013年01月24日 二枚岩の政治
 先日、日中関係に関して公明党の山口代表が事実上の尖閣問題の棚上げ論を発言した。

 これはとても興味深い動きである。

 この問題に関しては、昨年9月より日中双方譲れない状態が続きお互い引っ込みがつかない形となっている。

 領土の問題だからどちらも譲れるわけもなく、どちらも折れるわけにはいかないので、究極的には戦争でしか解決できないような課題である。

 しかも日本に至っては領土問題そのものが存在しないとの立場を取っているから、棚上げ論すら話題に上げられず、話し合いすら容易に応じられない状況となっている。

 迂闊に棚上げ論に同調すれば、今度は国内の強硬派の突き上げが待っているから与党の自民党としても容易に立場を変えられないだろう。



 そこで今回の公明党の代表の発言である。

 この状況は、本来なら日本の立場が1枚岩になってないと非難されるような状況であるが、実は連立与党が別々の発言をすることにより2枚岩というか都合の良いダブルスタンダードの状況が生まれている。

 公明党は連立与党であり日本政府側の立場を取るべき党であるが、首相を出している自民党とは別の組織なので、党として自民党と全ての考え方一致していなくとも何ら不自然ではない。

 もちろん領土問題を完全に認めない立場を貫く考え方の人からは多少の非難は有ろうが、首相サイドが語る日本のスタンスと少しずれた発言をしたとしても連立与党の従属側の党首でしかないから政府の立場で話したことにはならない扱いとすることはできる。

 しかし振り返って中国側から見れば、例え首相側の与党ではなくても日本の政権与党の党首が発言したことは、日本政府側の一つの意思が示されたと扱うことはできるのである。


 このずれというかグレーゾーンの出現は日中両国にとって外交的チャンスのような気がする。

 つまり中国側としては山口代表の言葉を日本政府の譲歩のきっかけとして棚上げ的解決へ進めばよく、自民党サイドは政府として領土問題は存在しないとの立場を変えることなく中国側の動きを待てば、事実上のかつての棚上げ的状態へ戻すことが可能になる。

 具体的には公明党の代表が、それを以て中国側が政治的な譲歩を得たと国内にPRできる材料を、あいまいな言葉で中国側に与えることによってお互いに尖閣諸島に近づくのを止めて、危機的状態を回避する合意を図るような道筋があるような気がする。

 まあ本来私は自民党も公明党も特に支持している政党ではないが、もしこのダブルスタンダード状態をうまく利用して状況を解決できたとしたらちょっとだけ尊敬してしまう。

 とにかく一日でも早い解決を祈っている。


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2013年01月23日 体罰の事件の話
 日本で体罰が原因で生徒が自殺したとされる事件について、主に体罰の是非について意見が真っ二つに分かれた論争となっている。

 今回の当事者の行なった行為が暴力なのか、体罰なのか、指導なのか様々な見解が分かれていることであり、特に体罰絶対反対を主張する人から圧倒的な非難の声が上がっている。

 恐らく各人の中でも体罰と言われる行為からイメージされる行為の具体的な中身に相当の差異があり、絶対反対から一部容認、必要論者までそれぞれ実は思い描いているものが相当違うのではないかという気がしている。

 また実際経験してきた人生によってもこの意見は相当違うであろう。

 まあ体罰が必要か否かを論じる議論はまず横において考えたいのだが、人が成長する過程において忍耐力や精神力が必要なのは言わずもがなで、大して苦労せず蝶よ花よと育てられたお坊ちゃんお嬢ちゃんが、社会で打たれ弱いのは当然の話となっている。

 ましてやスポーツを行う者が、お遊びスポーツクラブではなく真剣に日本のTOPや世界のTOPを目指したアスリートを目指すためには、人並み外れた精神力や忍耐力が必要で、その成長過程で相当自分を追い込んでいかないととてもTOPになんぞたどり着けないのは誰もが知るところだと思う。

 このアスリートたちが自分を鍛え上げるための手段の中で、自ら厳しい課題を自分に課して行くのが大方のアスリートたちのやり方でもある。

 自分ひとりで厳しい状況を作れればそれに越したことはないが、アスリートたちは自らの意思が非常に弱いことをよく知っており、他人が作ってくれる厳しさに身をゆだねる場合が多々ある。

 今回自殺した生徒の子も、恐らく体罰を振るっていたとされる顧問が日常からどのような指導方法をとっていたか1年生の時から知っていたはずで、それにも関わらず彼は自らキャプテンに自ら志願してなったと聞く。

 恐らく彼なりにアスリートとしての自分を追いつめていく方法をとったのだと思われる。

 もしかすると同級生を傷つけないための彼なりの正義感で犠牲の意味で代表になったのかもしれないし、その真相は私には分からない。

 でも、自分を追いつめた場所が自分が想像していたより厳しい場所だったのか、体罰の痛みだけが残って成長出来ない自分に苦しんでいたのか、彼にしか本当の真相が分からないが、結局自ら命を絶つ選択肢を取ってしまった。

 世間では今回は体罰が彼を自殺に追い詰めた直接の原因であるという一辺倒の論調で体罰そのものがやり玉に挙げられているが、今回のケースでは体罰が無くてもやはり同様のケースを招いていた可能性があるような気がしている。

 残念ながら体罰であろうとなかろうと、厳しかったり苦しかったりすることを乗り越えられないとなかなか精神的に強くなれないのは事実で、どんなに理論的科学的な事を学ぼうとも、最後にはそれをやり遂げる精神力の勝負になってくるため、スポーツの指導者は基本として甘い顔をして教え子を甘やかすことはしないのが通例である。

 アスリートが甘い考えを持ってスポーツに臨んでも何らいい結果をもたらさないからである。

 そして彼らがなぜ体罰を与えるのかというと、人は痛みからアドレナリンを分泌するからであり、本来は防衛本能の為のアドレナリンであるが同時にスポーツ選手に必要な闘争本能をもたらしてくれると考え、体罰は体育系の人々に容認されてきたのだと思う。

 闘争本能を必要としない我々の生活からすれば、アドレナリンのための体罰なんかとんでもないとなるが、限界を追及する彼らからすればそれほど違和感のない行為なのである。
 故にこうした実態が露見しても受験志願者が減らないのはそういったことを感じているからだと思われる。

 今回の体罰論争がどこへ決着するか分からないが、例え今後体罰が一切禁止されることになったとしても、アスリートたちが自らを追い込む手段を探す行為は変わらず、やはり自らの課した課題の重さに迷い苦しむ人が出て来るのはいつの時代も変わらないんじゃないか、そんな気がしている。

 故人の御冥福をお祈りします。

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2013年01月20日 春節にあって元旦にないもの
 春節(旧正月)にあって元旦にないもの。

 答えから先に書くとそれは暦の上でその日を定める根拠ということになる。

 「旧暦」つまり月の動きを使った太陰暦をベースにした中国の正月である「春節」の日は、毎年「新月の日」と決まっている。

 それゆえ西洋のグレゴリオ暦を使っている我々日本人からすれば、春節は毎年の日付が移動する為に不便さを感じる面は少なくなくないが、春節の決定はきちんとした暦の考え方、つまり月の動きに基づいて決まっているので、何らぶれることが無い。

 同様に例えば旧暦の7月7日の七夕は必ず半月であり、伝説の由来から言えば月が天の川を渡る舟になったということから、七夕の月は人が乗るため半月でならなくてはならないので「7日」となっているなど、それぞれに根拠がある。

 さて振り返ってグレゴリオ暦を調べてみると、その1年の精度は非常に高いものがあるものの、肝心のスタートとなる1月1日元旦の設定にはほとんど根拠がないようだということが分かった。

 確かにグレゴリオ暦の精度が高いため、毎年の1月1日の黄道上の位置はほぼぶれることが無いようなのだが、問題は何故そのタイミングが1月1日と設定されたかということになる。

 太陽の動きをベースにするグレゴリオ暦の精神に従うのなら、本来元旦の最も分かりやすい基準は「冬至」であり、冬至が1月1日なら春分は4月1日前後、夏至は7月1日前後、秋分は10月1日前後と太陽の位置と月の区分の仕方がほぼ一致することになる。

 まあ1年が正確に365日ではなく、365日と5時間45分45秒ほどと半端であるから夏至の日付などそれぞれは一定しないかもしれないが、この点に関しては太陽暦なのになぜ「月(month)」という制度がそのまま残ってしまっているかを考えると、夏至の日付が一定しない不合理な理由は「月の定め方」にあると言える。

 今の暦では月の定め方として毎月の日数が同じでないばかりか、その大小の月の並び方にも一定性がなく、しかも閏年の閏日(2/29のこと)の挿入次期だってよく考えれば中途半端である。

 この太陽暦と月の定め方についてはグレゴリオ暦の前身であるユリウス暦採用の紀元前153年まで遡ってしまうのだが、どうやら当時の宗教的政治的思惑で月の日数配分が決められたらしく、それが変えられないまま現代まで2000年以上も続いてしまっている。

 それ故に現代のグレゴリオ暦の中では、冬至でも何でもない黄道上のある地点が、ぽつんと1月1日の元旦として定められ、我々日本人はその日を「初日の出」だの「正月」だのと言って大切にしてしまっていることになる。

 まあ伝統行事の形と言ってしまえばそれまでだが、日本がグレゴリを暦を導入する前の天保暦などのほうがよほど天文学的に根拠のある正月を定めていたと言えるはずなのに、今は根拠があるのだかないのだかよくわからない日を元旦と言って崇めている我々がいる。

 これもどうやら当時の明治政府の政治的思惑によってグレゴリオ暦に改暦させられ(一説にいよると13か月目の給料を払いたくないから12か月の制度に移行したとも)た時にこうなってしまったようで、その時に変えられてしまった正月の設定が実は現代まで続いている。

 ゆえに現在では真冬の寒さ真っ只中の季節に「新春」などピンと来ない言葉を書くことになる。

こうして考えると日本の伝統文化を有形無実にした罪は明治政府にあるとも言えるのである。

 本来はグレゴリオ暦の導入と同時に二十四節の設定をきちんとやり直し、文化季節は文化季節として残し、例えば中国のように春節(旧正月)を正月とする制度を残せば、今のような「形ばっかりの正月」を祝うよな文化にはならなかったはずなのに、残念ながら今の日本の正月は「形だけ」の根拠の無い正月になってしまっているのである。

 まあ、このように不合理な面がいっぱいの現代のカレンダー制度であるが、世界中が長い間これに基づいて動き、今ではコンピューターなどの面でもシステム化されてしまっているため、今更不合理だと気付いても変更というのはほぼ有り得ない話ではある。

 しかしせめて地球に生きる生物として季節文化を大切にしていくため、二十四節季のようなものは再定義をして太陽の動きに基づいた季節を計りやすい物差しをつくり、それに合わせた社会の季節行事を再定義してもいいのではないか、中国の春節制度を見ていてそう感じざるを得ないのである。


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2013年01月18日 人質は全員見殺しか?
 アルジェリアの情勢が、騒がしくなっている。(訂正しました)

 色んな情報が飛び交っており、何が正しい状況なのか国家レベルの情報機関でも把握できていないようだ。

 その中で最悪のケースの情報として伝わっているのがナイジェリア政府軍が、人質に全く配慮せず犯人グループもろとも攻撃して射殺してしまったという話である。

 アルジェリア軍はかねてから、テログループとは一切交渉しないということを公言してきたようだが、今回の報道が事実ならあまりにも人の命や国家関係に対して無配慮とも言える。

 人質には日本人も含まれているようで、是非情報が間違いであることを祈りたい。

 それにしても地球上にはまだこんな地域がたくさん残っているということである。
 

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2013年01月16日 戦場のメリークリスマス
映画監督の大島渚さん訃報を受け、恥ずかしながらこの「戦場のメリークリスマス」をこの歳になって初めて見た。(中国語字幕だが)

 坂本龍一さんが担当した音楽は何度となく耳にしていたが映像そのものは初めてだった。

 この映画の公開が1983年だというから私はまだ小学生くらいの時で、内容からすればまあ当時見ても理解できなかっただろうと思うので、この歳で初めて見るのは正解だったかも知れない。

 この映画には色んな愛の形が描かれている。

 ストーリーの中心となっているのは戦地における兵隊さんたち同士の同性愛を巡る嫉妬や葛藤ではあるが、そんなにどろどろした内容とはなっておらず、寧ろみなそれぞれが純粋でさっぱりしている。

 そしてそれを見つめるタケシ演じる原軍曹の存在感が秀逸であった。

 一見かなりいい加減そうでふざけた人間に見える彼の役柄は、きとんと人間の生と死を見つめ、人の人としての尊厳を大事にし誰もを平等に扱っており、武士道の根幹とも言うべき人生観を内に秘め、達観した悟りのような状態で任務を遂行していた。

 人間の姿をした菩薩如来そのもである。

 それを演じたタケシ、本人は演技はまるで駄目だったと言っているようだが、人間としての経験の深さが滲み出た彼そのものの人間性が見せた業であろう。


 そんな彼が生き残った友人にかけるラストの
「メリークリスマス、ミスターローレンス」
 のセリフはとても意味が深く、この映画を名画たらしめるいいラストシーンであるように思える。

 その後北野武さんはご存じのように映画監督の道を歩んでいくのだが、大島渚監督のこの作品に出演したことの影響が大きかったというのは、やはり言わずもがなである。

 大島渚監督のご冥福をお祈りします。素晴らしい映画をありがとう。

 

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プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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