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上海ワルツNEW


2012年09月27日 結膜炎
 先々週の発熱に続いて、実は先週の初めから結膜炎が発症していた。

 目から目やにがどんどん出てきて瞼が腫れてしまったので慌てて医者に行った。

 実はその2週間前に耳鼻科、次に発熱で内科に通っていて、今度は眼科となんと3週続けて同じ病院の違う科に通うことになった。
 以前から顔見知り受付の方も流石に、私のこの状況には苦笑していた。

 さてさて診察を受けると、どうやらその前の週の発熱の原因の延長の症状のようで、雑菌の抵抗反応が目にも来てしまったような話だった。

 しかもなんと特に治療法はないとのことで10日ほど治癒するのを待つしかないというお話だった。(がーん)

 ただ、雑菌がさらに入って化膿などの危険があるので、消毒用の目薬を点すようにと2種類の目薬をもらった。

 特効薬がないとは何とも心もとなかったが、ひたすら抵抗力を高めるほかないということで、ビタミンとかを相当意識して接種することになった。

 この目が悪い状態というのはとても不便で、日常の動作そのものは特に支障がなかったが、パソコンの画面を見たり文章を書いたりするのに集中力というか、力みを必要とさせられ、とても仕事に影響が出てしまった。

 集中力の欠如を目のせいにしたくないが、やはり目に支障があるとどうにも集中できないのである。

 そして昨日今日になってようやく目のゴロゴロが無くなった印象である。
ただ、視力が落ちているのか疲れているのか、パソコンのニュースの文章を読むのは正直って言ってまだ疲れる状態である。

 もちろん中国語の文を読むのは更に疲れるので、今月になって読んだ量は先月の半分にも満たずけっこう仕事に影響が出ている。

 視力の復帰までもう少し我慢が必要なようである。

 まあこれまでの馬車馬のような時間を考えたらいい休養とも言えるのだが、、、



2012年09月21日 昔の恋人に再会してきた
 ブログの順番が前後してしまったが先週日本に一時帰国した時に昔の恋人に再会してきた。
とはいっても、本当の恋人ではなく音楽の恋人、、、サントリーホールとの再会である、。
 私が中国に渡ってから訪れていなかったから、かれこれ6年以上この場所を訪れていなかったことになる。

 私がこの場所を恋人と呼ぶからには、それなりの恋い焦がれた歴史があるからで、実はピーク時には年150回近くもこの場所通った。
(向こうが招いてくれたことはないので、片思いの恋とも言えるが、、、)

1990年3月4日に小林研一郎さん指揮日本フィルのでフィンガルの洞窟から始まった恋は、それ以後ン百回の逢瀬があったが、私が中国に来てしまったことにより途絶えてしまっていた。
 

本当は撮影禁止です。
 そしてようやく今回6年以上ぶりの再会が実った。

 今回聴いたのは島津楽器さんの冠コンサートで、広上淳一さん指揮の都響の演奏だった。
 どちらも日本でトップクラスの評価を得てはいるが、普段はこのオケと指揮者の組合せでの演奏はなく、主催者側が企画として敢えてぶつけてみたという気がする。

 そして座席はP席という、ステージ後方の指揮者と向かい合うような位置に座る席をとった。
  ここを取ったのはチケット代が一番安いというのも大きな理由だが、演奏中の指揮者の表情や動きを全て観察でき、オーケストラと一体感になって音楽を味わえるというのが非常に楽しい席である。

 そして、いよいよ一曲目のグリンカ作曲の「ルスランとリュミドラ」序曲が鳴り始めた。

 あ

 その瞬間私はあまりにも懐かしい音の響きに感極まった。
 この曲は決して冒頭から感激するとかそういった曲ではないし、どちらかと言えば楽しげな雰囲気なので、乗っけから感動するような曲ではない。

 しかし、この空間がもたらす豊な響き方との再会に、私は思わず感極まってしまったのである。

 この空間を離れていた6年以上の時間、今いる上海生活の中ではどうしても得られなかった渇きを潤す響きを感じた。


「ああ、俺はここに帰って来られたんだな・・・・」
 
そのことが単純に嬉しく、音楽が響き続けるほどに心がどんどんと潤されることに喜びを隠せなかった。

 演奏家たちにとっては小手調べのようなこの曲で、レベルが高い低いの問題もゼロではなったように思うが、私にとってはそこに音楽が響いていることが嬉しかったのである。
 
ただ音楽が響いていて、そこにいることが嬉しい、、、やはりサントリーホールは私の永遠の恋人かなぁと思ってしまう。



2012年09月18日 無責任に投げ出した人が未だ平気な顔
 何年か前に仕事を無責任に投げ出して放置した人が、まるで当時の無責任さの状況の責任を感じて無いが如く、未だに堂々と顔を出している。

 彼は投げ出した職責の大きさをまるで分かってないのだろう。

 分かっていたら恥ずかしくて二度と顔など出せないはずだ。

 分かっていても顔を出したいなら、あの投げだした日々以降、日々のの償いや信頼回復のための努力の日々があってもいいはずだ。

 しかし彼にはまるでそれが感じられない。

 あの日、彼がポジションを投げ出して仕事を放棄したこと。

 ずるずると逃げ出して行ったこと。

 それは周りの人がよーく覚えている。
 
 私は仕事を無責任に途中で投げ出す人間を絶対に信用しない。

 苦境に追い込まれそうになるたびに、周りの人間への影響など無視して、自分だけ助かろうと自分の領域に逃げ込むやつ。
 
 そんな奴は絶対信用できないし、そんな奴に仕事を任せるなどとてもできない。

 「わが愛しの上海」こと山之内 淳、こいつだけは絶対に許せない、

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2012年09月16日 40度の熱
先週末に日本に一時帰国して、月曜日に上海に戻ってきたのだが、どうも火曜あたりから非常にだるくなった。

 水曜からは節々が痛みだし、最初はバンテリンなどの膏薬を使っていたが、どうもそういう痛みではないらしい、発熱から来る痛みだということに気が付いた。

 どうにもいたたまれなく水曜は早退し、熱を測ったら38度5分もあった。
 
 何故、こんな体調になったのだろう?

 思い当たる節が無いわけではなく、日本にいる間中は残暑と節電の中途半端な冷房に悩まされ汗をダラダラかき、しかも夜もちょっとしたトラブルもあり思うような環境状態で睡眠を取れなかったのである。

 そんな免疫が下がった状態で上海に戻ってきて、何らかしらの雑菌を取り込んでしまった上での発熱のようである。 

 そして木曜の夜にはとうとう40度直前まで熱があがった。

 私の記憶では小学校のおたふくの時にこのくらい上がった記憶があるがそれ以来じゃなかろうかと思われる高熱である。

 ただ不思議と発熱以外のつらさ、、、咳とか気分の悪さとかはなく、発熱のだるさのみで、なんとか自分のことを自分でできたのが病中の幸いであった。

 そして金曜日にようやく医者へ行き診察してもらうと風邪という判断で、薬をもらう。

 しかしそこからまた2日あまりだるさと戦う安静の時間となり、熱は早い段階で下がっていたが、喉とリンパ腺の腫れがひかず、結局今日午後になりようやく復調。
ようやく文章を書けるような状態になった感じである。


 ニュースを見ればこの間、世間では反日デモで街が騒がしかったようだが、よくも悪くも蚊帳の外にいた私で、難を免れた?ようである。




プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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