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上海ワルツNEW


2008年08月08日 上海でもオリンピックの影響で事務所から追い出される
いよいよオリンピックも開幕だけど上海は静かだなぁとのんびり仕事をしていたら、五時半になって急にビルの管理人がやってきて6時までにビルから退出しろと言ってきた。
何事かと思ったら、どうやら近くの某大学のグラウンドで、某国のサッカーチームが練習をするらしい。そいうわけで盗撮などされないよう周囲のオフィスビルから人を追い出しているようだった。
うーん理由は分からなくはないけど、そんな事言わなきゃ気がつかなかったし、言うにしても何故もっと早く通知できないのか?30分前の通知なんて・・・。
 そう文句を言って喧嘩をしても始まらないのでさっさと退勤してきた。まあお陰で開会式を家でのんびり見られるのだが、どうにも手際が悪い運営サイド。これから16日間、何も起こらないことを祈るばかりであるが、それは無理というものか。。。。


2008年08月08日 体感温度摩擦
日 本でも中国でも同じことが起こるのだが、人によって体感温度が違うため、真夏の冷房温度設定はとても難しい。
 私は生来汗かきであるのと、暑いと思考回路が鈍るので基本的に冷房は強くしたい。時には自分自身が手足が寒いなと思いつつも頭の思考スピードを優先して、温度を低めに設定することがある。
 特に家で作業するときなどはよくそのようにする。厚手の服をを来て体を冷やさないようにしつつ頭は冷やして最適温度を保つなんてことは日常茶飯事である。
 ところが家で作業するときは一人なのでそれで構わないのだが、会社ではそうは行かない。薄手の服をまとった女子スタッフとそのあたりは良くぶつかり、摩擦が良く起きる。
 彼女らはあまり動かないため、強い冷房設定にすると手足が冷えるため冷房を弱め、場合によっては真夏でも冷房を切ってしまう。
 汗かきの私はこれはたまらない。特に外へ出て帰ってきた後などちょっと厳しい。外へ出なくても、彼女らが望む室温は、快適ではあるのだが頭の回転にとっては快適とはいえない。ある意味心地よすぎるのである。
 このあたりを説明しても、どちらかといえばファッション性を優先して服を身にまとっている彼女らとは相容れないのである。暑い真夏に仕事をしている限り永遠に避けられない摩擦のようである。



2008年08月07日 ネットでサッカー観戦
どうやら日本戦は衛星放送も含めて、テレビで生放送を見られないようなので、仕方なくCCTVが発信するインターネットの放送を見ることにした。
 ActiveXソフトのダウンロードが必要で、天下のCCTVといえどもウィルスの心配や、その他の誤作動、更にはもろもろの心配が無いわけではないが、サッカーの試合が観たいとの思いが勝ってしまいインストールしてしまった。ということでインターネット観戦で生中継を今見てます。

 オリンピックが終わったらはずそう。。。

CCTVサイトはここ


2008年08月07日 オリンピックの名曲③ロス五輪「オリンピック・ファンファーレ」
 回を重ねるごとに巨大化してきたオリンピックは、1976年のモントリオール大会において運営費で大赤字を計上してしまったため、オリンピックはその財政のあり方について大幅に見直しを迫られることになった。1980年のモスクワ大会は西側諸国のボイコットなどにより大会規模が縮小したことと、主催国が社会主義国家だったためその問題が表面化することはなかったが、1984年大会の立候補がロサンゼルスただ一都市であったことからその不人気振りが露呈していた。
 モントリオール大会の反省を受けて、運営費の大幅な見直しが行なわれ、税金を1セントも投入しないという大胆な商業主義へ変革を遂げたのがロサンゼルスオリンピックである。税金を受け入れないということはボイコットが続発していたオリンピックへの政治介入を防ぐという意味もあった。
 この商業主義化においてハリウッドやブロードイウェイを生み出したエンターティメント大国アメリカは、MLB、NBA、NFLなどスポーツをショービジネスに変えた手法をオリンピックに対してもかかんなく発揮することになる。
 その象徴的なイベントが、この大会より初めて導入された開会式演出セレモニーである。人間ロケットが飛び、馬車が走りまわるといった演出は世界の人々を驚かせた。


 その華々しく変貌を遂げたオリンピックを、音楽的な演出効果面で強烈にサポートしたのが、このジョン・ウィリアムズ(1932-)作曲の「オリンピック・ファンファーレ」である。
「スターウォーズ」や「E.T」といった映画音楽でスペクタクルでドリーミーな音楽を提供してきたJウィリアムズが、このオリンピックに捧げたこの曲は、アメリカのエンタティメント的演出そのもので、オリンピック選手の力強く華々しい印象を世界中に与えることになる。 表彰式のたびに流されるこのファンファーレは、栄光を勝ち取った選手への賛美のみならず、その映像に対してドラマ性を与えて感動という言葉を強烈に呼び寄せる映画そのものに変えた。特に曲の冒頭で高々と奏でられるトランペットのアンサンブルは非常に印象的で、以降のオリンピックやオリンピック関連のイベントなどで度々利用され、オリンピック音楽の代名詞的な形で語られることになる。
 また非常に高音部を使用するので技術的に非常に難しいとされながら、吹奏楽の演奏会などで何度と無く挑戦されるように、トランペットを吹く大勢の方の憧れの曲になったと言われている。
 このロサンゼルス大会の成功を受け、以降のオリンピックへ立候補する都市が急増し、また開会式の演出セレモニーも定着することになり、以降のオリンピックに多大な影響を与えたのがこの大会の「オリンピック演出」であった。

こちらで試聴できます。(6番目)



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2008年08月06日 夏風邪が長引く
先週北京から戻ってきて依頼、体調がイマイチ戻らない。睡眠と休養を十分に取れていないことに一因があるのは分かっているのだが、それにしても鼻が詰まったままの状態が続いていたり、痰が絡んだりして会話も楽ではない。薬は飲んでいるが一向に改善の兆しがない。
薬のお陰で熱はないと思う(計ってない)ので日常生活には特別支障はないが、日中の暑さも手伝ってちょっと集中力が途切れ気味。やらなくてはならない仕事も結構溜まってるのに、時間ばかりかかってしまう。
上海はこの夏の暑さえなければいい都市なのに、、、暑い毎日が恨めしい。


2008年08月05日 万里の長城の北に美しい景色の「延慶」片道12元
この日、本当は別のところに行くつもりでバスに乗ったのだが、どうやらバスを乗り間違えていたようで、乗っている途中でバスが山間を走るようになり、途中で万里の長城まで見え始めたのでどうもおかしいなと思っていた.

結局終点に着くまで、完全に間違いであったことには気がつかず、「延慶」という、北京北部の小さな町についてしまった。地図で見ると想像を超えてエライ遠くまで来てしまったもんだとびっくりした。
 ただ、途中の景色が素晴らしく乗り間違えて後悔というよりは得した気分になっており、ずいぶんお気楽な私であった。
  この延慶という町は、万里の長城の八達嶺城の北側に広がる町で日本の高原的景色が広々と広がり、フラットな上海や北京の地形に慣れてしまった私にとっては、中国でこんなに爽やかな空気に出会えるとは思ってもいなかったような緑の高原が広がる素晴らしい景色であった。


 天気が良かったこともあったかもしれないが、心もすがすがしい気分にしてもらえた。
 日本にいたときは年中レンタカーを借りて山間へドライブに行ったものだが、中国に来て以降そんな機会も無く、特に自然の中を旅したいなどいう欲求が溜まっていたわけでもないのだが、その前の数日間、北京のうだるような暑さに辟易していたところで、ちょうどいいリフレッシュの機会を得ることが出来た。
 しかも、この怪我の功名のとんぼ返り観光、徳勝門から約1時間ちょっとの行程なのだが、バスの運賃はなんとたったの12元。滅茶苦茶得した気分である。
 まあ今回は間違えて来ただけで、その分ゆっくりも出来ず急遽本来の目的地に急行してしまい、この町を楽しむことは出来なかったのだが、もし機会があればもう一度観光で訪れたいと思う町であった。
 北京からそれほど遠くないので是非みなさんにもおススメしたい町である。
延慶はここ
徳勝門のバス乗り場はここ




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2008年08月05日 花のように泳ぐ?って何?難解五輪中国語
 今回のオリンピックがあって初めて知ったのだが、中国語でシンクロナイズドスイミングは「花様遊泳」と書くそうで、なんとも優雅な表現である。
 この種目に限らず、実際中国語表記を見ただけでは何の種目かわからないものが多い。
日本人にとっては簡体字の存在も余計に意味を分かりずらくしている。外国語だからと言って見ればそれまでだが、日本人が、多くの種目で外国語発音をそのまま輸入して使っているのに対して、中国語は一生懸命自国の言葉に直している。
 今回ちょっと興味があったので下記のように調べてみたが、ほんのわずか調べただけなのに、調べるのに一苦労してしまった。普段滅多に使わないような漢字も多く使われているので読み方一つとっても解読が非常に困難だ。
 毎度のオリンピックでは、言葉の壁を越えるべくイラスト表記による競技の説明があるのだが、何とも今回採用されたイラストレーターは、若干表現が下手なようで、絵を見ても競技が想像できないものが幾つもあった。それがまた壁を高くしている。
 とりあえず、漢字から観て種目を想像しづらそうなものを挙げてみた。簡体字と繁体字の対応がうまくいっているか分からないが、よければ観戦のご参考にしてください。


「花様遊泳」→シンクロナイズドスイミング
「<足へん+崩>床」→「トランポリン」
「田徑」   →「陸上」
「皮劉艇」  →「カヌー」
「羽毛球」  →「バドミントン」
「壘球」   →「ソフトボール」
「曲棍球」 →「ホッケー」
「芸術体操」→「新体操」
「摔跤」   →「レスリング」
「沙灘排球」→「ビーチバレー」
「鉄人三項」→「トライアスロン」



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2008年08月04日 パラリンピックを残奥会と呼ぶのはちょっと抵抗がある
北京オリンピッ閉幕後に、9月6日から実施されるイベントが、もう一つのオリンピック「パラリンピック」である。ご存知の通り身体障害者のためスポーツ競技会であるが、もともとオリンピックのIOCとは何の関係もなく、場所も別の場所で開催されていた。1992年のソウル大会よりオリンピック開催国での開催が義務付けられたとのことだ。
 このパラリンピック、日本では英語読みをしてしまうので、名前そのものを気にしたことは無かったが、漢字国、中国では「残奥会」と表現する。
 正確に書けば「残疾人奥運会」のことである。「残疾人」は障害者の意味を表す。この「残疾人」という言葉、病気が残っている人という意味になり、日本人の私にはなんとなく希望を無くてしまいそうな言葉に聞こえてしまうのだが、実際の中国の障害者の方々は気にならないのだろうか?

 無論、残奥会と漢字で書いても欧米人は漢字の意味が分からないだろうし、中国人は使い慣れている言葉だから平気なのかもしれない。中途半端に漢字の意味が分かってしまう我々日本人などだけが気にしているだけなのだろうか?


 当然のことながら、日本語の「障害者」という言葉が本当に適切な言葉であるかは分からないし、もしかすると中国人にとってはこの言葉のほうが残酷に聞こえているかもしれないが、少なくとも私からすると彼らは「病気が残っている」人ではない気がする。幾ら他国の文化の中で浸透した言葉とはいえ、やはりパラリンピックを残奥会と呼ぶのはちょっと抵抗がある。



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2008年08月04日 オリンピックの名曲②モスクワ五輪「祝典序曲」
 政治的な原因がきっかけで、アメリカや日本を初めとする当時の西側諸国が参加をボイコットし、日本の選手にとっては幻のオリンピックとなってしまったのが1980年のモスクワオリンピックである。
 その大会の入場行進曲として使われたのが、地元ロシアのドミトリー=ショスタコヴィチ(1906-1975)が作曲した「祝典序曲」。もともとこのオリンピック用に作られた曲ではなく、そもそも作曲者自身、このオリンピックが始まる5年も前に既にこの世を去っているので、オリンピックで自分の曲が使われるかどうかなど知る由もなかったはずである。この曲は本来ロシア革命37周年の記念日祝典のためにソヴィエト共産党中央委員会からの委嘱され作曲されたもの。
 37周年というのがいかにも中途半端だが、実は30周年記念の式典の時点で一度曲を委嘱されており作曲をしたのだが、スターリン政権下での政治的な理由で、日の目を見ることができなかった。スターリンの死後改めて委嘱され発表されたものがこの37周年用「祝典序曲」なのだが、その原型が、そのときの幻の曲だと言われている。その曲が今度はオリンピック用入場行進曲として用いられた。


 曲は、冒頭の伸びやかなファンファーレが華々しく、伝統と格式を感じさせる荘厳な響きは、いかにも近代まで厳格な政治体制を保ったロシアの音楽という気がする。しかし一転して、ショスタコヴィチらしい軽やかな曲調に変わりクラリネットが奏でる音色がさらに印象的である。
 この曲をオリンピックに用いた人の名前は分からないが、伝統的なオリンピックの入場行進曲としてはいかにも適当である。それが証拠に、オリンピックで使われたきっかけかどうかわからないが、日本でもよく演奏されるようになり、特に各地の吹奏楽団に好んで演奏され、今ではいろんな式典の入場行進曲などに頻繁に使われている。
 ところで、このモスクワオリンピックでは、今では当たり前になった開会式のイベント的演出ははまだ行なわれておらず、入場行進と開会宣言、聖火の点火、オリンピック旗の掲揚などが主なイベントで、言うならば入場行進が一番のメインイベントであった。つまり分かりやすくいうならば甲子園の開会式のようなものである。従って、オリンピックにとって音楽といえば行進曲がほとんどであり、この時代までオリンピックから求められた音楽とは式典音楽でしかなかった。


 それが次のロサンジェルス五輪では、全く違う意味を持って音楽が登場してくることになり、人々に強烈な印象を与えることになるのである。
 そういった意味で、モスクワオリンピックは伝統的な式典を保った最後のオリンピックであり、この「祝典序曲」はその伝統的な雰囲気を感じ取るのに適当な音楽といえよう。
こちらで試聴できます。



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2008年08月03日 オリンピックの名曲①東京五輪「オリンピックマーチ」
日本で阪神タイガースのファンの共通言語となっている「六甲おろし」と、その永遠のライバルである読売ジャイアンツの応援歌「巨人軍の歌(闘魂こめて)」が、実は同じ古関 裕而(1909年- 1989年)であることはあまり知られていない。「中日ドラゴンズの歌」も彼が作曲したというから驚きで、普段お互いにライバル心むき出しで歌うお互いの曲の根っこが同じだと知ると、少々拍子抜けでもある。
 さらに早稲田大学応援歌「紺碧の空」と慶応大学応援歌「我ぞ覇者」のライバル同士も彼の作曲だというからなんという幅の広さであろう。
 このように日本のスポーツ関連のテーマ曲のヒットメーカーだった古関 裕而は、そのほかにも夏の高校野球のテーマ曲「栄冠は君に輝く」など、日本のスポーツ史、メディア中継史に欠かせない人物である。
戦中には戦時歌謡をたくさん作っていたようで、スポーツテーマ曲といい、戦う人間を鼓舞する曲の天才ともいえ、音楽界では和製スーザとも言われているという。


その古関 裕而が、五輪組織委員会に依頼されて作曲したのが「オリンピックマーチ」である。残念ながら私が生まれる前なのでリアルタイムでは体験していないのだが、戦後の暗いイメージからの脱却の象徴であった東京五輪の開会式で、この曲とともに各国の選手団を会場に迎えた瞬間は、日本国民が世界にようやく認められたという喜びの瞬間であったともいう。
 彼の音楽の特徴はスポーツの応援歌といえども、軍歌のように攻撃的ではなく、どちらかというと格調と気品があり、選手をリスペクトし舞台を整えるという、音楽の役割としての脇役に徹したスタンスが感じられる。それによって選手は舞台の重みを感じ、自尊心をもって正々堂々と戦いたい気分になるのである。
 東京オリンピック終了後も、この「オリンピックマーチ」を含め古関裕而の曲は、全国の小中学校の運動会や式典で使われ、私を含めオリンピック後世代は「オリンピック」の冠を知らないまま、知らず知らずに彼の曲が耳になじんでいる。東京オリンピック世代のみならず、その後の世代に受け継がれている隠れた名曲であり、今後も大事にしていきたい曲たちである。
ここで試聴できます。




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プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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