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2013年02月02日 談志の紺屋高尾
 「紺屋高尾」というのは落語の有名な演目の一つで、私はこの噺が結構好きである。

 もっとも私がこの噺を知ったのは「幾世餅」という古今亭志ん朝さんがやっていた演目がきっかけであり、最初に好きになったのは「紺屋高尾」だったわけではない。

 この「紺屋高尾」と「幾世餅」は若干の設定の違いはあるものの、ほぼ大筋では同じストーリーで、私は「幾世餅」の演目名を思い出すのにググっていたら「紺屋高尾」にたどり着いた次第で、実はこちらのほうがメジャーな演目であることを知ったようないきさつとなっている。

 この噺の大まかな流れとしては、江戸の若い職人が吉原の位の高い花魁に恋をして、一心不乱に仕事に精を出し金をためて会いに行くというのがストーリーとなっていて、身分を偽って花魁に会った職人が別れ際に自分の身分を告白する場面が山場となっている。

 こういう古典落語の世界を聞くと、江戸時代というのは今よりかなり性の文化が開放的であることが分かり、今では男性が女性の前で吉原など岡場所の話をすることはタブーに近いが、話の中では主人公の務める店のおかみさんが、吉原を容認しているような会話をするなど、独身者が吉原に通うことには寛容だったことが分かる。

 また高貴な商家の旦那が吉原の遊女を身請けするという話も数多くあり、吉原にいたという立場がそれほど蔑まれていないような雰囲気がある。

 どうやら日本の性の観念ががらっと変わったのは明治維新がきっかけで、それ以前はかなりおおらかだったというのが落語の世界から見て取れる。

 この明治維新の変化は、今の中国を見ていると実は同じような観念の変化が起きているのではないかと感じるところもないではない。

 さて話を元に戻すと、今回一昨年に亡くなった立川談志さんの「紺屋高尾」の高座をYOUTUBEで観た。

 本来私は談志さんの落語はあまり聴かないが、たまたまこの紺屋高尾の収録がYOUTUBEに載っていたのを見つけて観ることにした。

 フジテレビでやっていた「落語のピン」の最終回の収録で、1993年当時のもののようだから今から20年前のまだかなり元気だったころの高座である。

 談志さんの落語は聴いてみると、決して立て板に水というほどテンポがよいわけではなく、それどころかところどころ脱線があって時々話が止まるのだが、それが妙なアクセントを持って不思議な魅力を放っている。

 そして今回の噺の最大の山場である職人が花魁に嘘を告白するシーンの語りは、何とも惹きつけられるものがあり、ホロッと涙を誘うほどに職人の真剣な思いが伝わってくる語りだった。

 私はどうもこういった一途な思いを持つ人の心に弱く涙せずにはいられない。

 そういった一途さを見事に演じてくれた談志さんの紺屋高尾であり、久しぶりにいい噺を聞いたな、そういった印象を受ける高座だった。

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2013年01月30日 ビルマの竪琴1956年版
 ビルマの竪琴の映画を見た。

 今回見たのは中井貴一さん主演の1985年版ではなく、安井昌二さん主演の1656年版である。

 同じ市川崑監督の作品であるが、若干ストーリーが違うしこちらは時代的に当然モノクロ版となっている。

 実は1985年版を見ていないので比較は出来ないのだが、1956年版は凄く秀逸な作品のように感じ、モノクロ版であるが故に迫力も重みもあり当時の海外で評価されたことも納得する作品となっている。

 先日の戦場のメリークリスマスに引き続いてこの映画も戦争末期ものだが、これらの映画を通して日本の戦線は対米の太平洋戦線のみならずアジア全体に広く侵攻していたことを改めて知る機会となった。

 日本国内での生活の情報の中では、かつての戦争の話題と言えばどうしても東京大空襲や原爆など本土が直接攻められたことの記録が多くその印象も大きくなっている。

 しかしそうなる前の戦争の前段では、日本は中国や東南アジア全体にかなり手広く侵攻しており驚くほど遠くまで出兵しているのである。

 そして彼らの多くは自業自得とはいえ結局敗退し悲惨な末路を辿っている。

 本来「日本の戦争の歴史」ということで言えば、これらの南方戦線の状況は太平洋戦線や中国戦線同様に取り扱われてもしかるべきだが、やはりどちらかというと話題としては小さいような気がする。

 恐らくこの2つの作品の両監督もそういった情報が抜け落ちがちな点に対するもどかしさもあってこの作品を撮ったのではないかという気がする。


 さて「ビルマの竪琴」は東大の教授だった竹山道雄氏が児童文学として書いた話とのことだが、戦時中の話というだけに子供向け作品とは思えない程に内容は非常に重い。

 ただこの重い内容にもかかわらず、映画では主人公の水島上等兵の奏でる竪琴が非常に美しく響き、この作品に希望の光を与えてくれている。

 また「埴生の宿」(英国側では「Home! Sweet Home!」)を敵国である英国兵と日本兵が合唱するシーンもあり、戦争中を描く映画でありながら音楽によって人間性を失ってない兵士たちの姿が非常に印象的だった。

 そしてラストシーン近くで奏でられる「仰げば尊し」はこの曲の持つ音楽的メッセージが十二分に伝わるシーンとなっており、音楽が単なるサウンドトラックではない意味のある使われかたをされている。

 まさに映画っぽい映画というか、今更ながらこの作品の総合的な凄さに感服した。 
 そして今や釣りバカの社長のスーさん役が定着してしまった感のある三国連太郎の、若かりし頃の存在感のある姿もこの作品を高めていいるであろうことを付け加えておきたい。

 見てない方がいたら是非一度は見ておくべき作品だと思っている。


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2013年01月09日 チェリビダッケのブルックナーツィクルス
 とうとう中国に持ち込んでしまった私の秘蔵版。
チェリビダッケ&ミュンヘンフィルのブルックナー交響曲集。

 全8ジャケット10枚組の代物で、これを運び込むために一部の日本食の持ち込みをあきらめてまでもどうしても持ち込みたかったCDである。
購入当時は確か3万円近くかかったような記憶があるが、今はずいぶん値下がりしていて同様のものをそろえても2万円に行かない感じで、もっと気軽に手に入りそうだが、氏が亡くなったときの追悼盤だったので、後発の発売では代えられない価値がある。

 これを聴くのは中国上陸以来だから、実に6年以上の歳月を経ている。
 ブルックナーの交響曲は各曲とも1時間以上だから、全てのCDを聴きとおすには相当時間を要する。

 映画1本分近くの時間を音楽と向き合うのは体力もいる。

 しばらくはチェリビダッケにどっぷりつかれそうである。


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2012年12月26日 チェリビダッケの第九
 クリスマスも終わり年末に近づいてきたので、チェリビダッケ&ミュンヘンフィルの第九を聴いた。
といっても彼の第九は日本人がいつも聴いている年末向きの第九ではない気がする。

 どこがどう違うのかというのはなかなか説明しずらいが、年の瀬を追いたてるような演奏にはなっていないのである。

 氏の振る演奏というのはいつも響きを大切にしながら音楽を奏でているのが良くわかる。

 故にCDを通して聴いていても雑味な響きが残っていない。

 ホールに綺麗に拡がって響きあう様が良くわかるのである。

 彼の得意とするブルックナーのオルガントーンというべき音の柔らかさが、このベートーベンでも十分に発揮されており、決して透明感のある音ではないのだが柔らかく溶けているのである。

 これが他の指揮者だと、どんなにいい演奏でも意外と音と音がぶつかってうまく溶け合わず、綺麗な響きとして残らないことがしばしばあるのである。

 そして彼はゆったり目のテンポで、力感は見せても力まず自然に淀みなく音を走らせていくのである。



 彼の演奏を聴いていると、ベートーベンがいわゆるベートーベン然としているような、あのいかめしい表情の肖像ようなイメージの型にはめた音楽ではなく、もっと人間らしく素直な表情を見せる自然な音楽として響いてくるから不思議だ。

 どちらかというとクラシックというよりジャズや映画音楽に近い雰囲気であり、宗教的なデバイスがかった音ではなく、一人の等身大の人間の心が素直に表れている気がする。

 フィナーレとなるあの合唱の部分も、堅苦しい日本語訳があほらしくなるほど生き生きとした人としての素直な喜びにあふれている。

 きっと多くの人は第九という曲を宗教がかった恍惚的な音楽として捉えている気がするし、毎年合唱に参加しているような「第九マニア」たちは恐らく第九を非常に高貴な崇高な音楽として捉えて歌っているに違いない。

 しかしチェリビダッケの第九を聴いていると、どうもそういった「型」は邪魔になってくる。

 彼の演奏するこの曲はもっと人の優しさにあふれた音楽なのだ。

 特に第三楽章などはその優しさに自然と涙がぽろぽろとあふれてくる。

 例えば、この音楽はある職人の出世ストーリーのようなイメージでとらえると分かりやすいかもしれない。

 第一楽章は、恐る恐る勇気を持って踏み出した壁にぶつかりながら開拓する精神
 第二楽章は、試行錯誤の一進一退、一喜一憂の日々と大きな夢へ近づきそうな予感
 第三楽章は、ふと立ち止まり過去を思い出し思慮にふける時間。
 第四楽章は、夢がついに徐々に実現へと花開き、喜びがふつふつとわきあがる。
       そして苦労を共にした仲間と喜びの宴、最後はどんちゃん騒ぎへ

 というような感じである。

 さて共感してくれる人はいるだろうか?

 そんな音楽が私のチェリビダッケの第九である。





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2012年12月25日 買わず外れず運のうち
 そういえば日曜日の有馬記念、先日どうどうとブログに予想を書いたが見事外れてしまった。

 さすが伝統を誇る清水寺で今年の一字は伊達ではなく見事な「金」だった。

 また尖閣の周りを思えば2着オーシャンブルーも世相を反映してなくもなく、これは見逃していた。
 また選挙を振り返れば比較2位となった民主党の党カラーはブルーであった。

 さらに権威を振りかざすH市長率いるあの党は突然の選挙で今回出遅れ、何とか追い詰め2位には届かなかったものの3位に食い込んだところも3位となったルーラーシップのレース運びと重なる。

 こうやって考えると無理やりのようでも何となくストーリーが一致する。
だから有馬記念は不思議なのである。
 
 とはいえ、実は今回は馬券を依頼するのを忘れていて結局買わなかった。

 故に結果的に負けもしなかった。(笑)

 まあ予想は大外れだが、買わず外れず運のうちで損もしなかったのでヨシとしたい。


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2012年11月25日 中国ダンス界にブームを起していたワカワカ
 先日、某DVD店の店頭で聞き覚えのある歌声を耳にして、ふと店内を覗いてみるとあのシャキーラさんが歌っていたミュージックビデオだった。
 シャキーラさんと言うのはサッカーのW杯2010年南アフリカ大会の時に公式ソングを歌っていたあの人で、私もあのWAKAWAKA(ワカワカ)という曲を気に入ってこの人の名前を覚えた。

 当時、サッカーのゲームの盛り上がりとともにあの曲が何度も耳に入り、ワクワクしてゲーム観戦をしていたのを思い出し、久しぶりに聴きたくなってネット上でミュージックビデオを探して見ることにした。

 そして中国の百度(バイドゥ)で検索してみるとシャキーラさんのオリジナル映像以外に、驚いたことに、一般人が踊るシーンを収めたビデオが多数投稿されているのを見つけた。
 街中のダンススタジオからダンス学校、或いは一般学校の学園祭までアリとあらゆる場所でこの曲のダンスが行われており、中国のダンス好きの人々に広く流行したようだ。

 この状況を知らなかった私は非常に驚いた。

 確かに、あの曲はリズムが良く人をワクワクさせる魅力がある。

 それにシャキーラさんにはちょっと失礼だが、彼女がどちらかというと肉付きのいいスタイルを持つダンサーで、それほどスマートではないのにダンス姿がとっても格好がいいというのが一般受けした理由なのではないかと思う。

 もちろん、中国人たちがあの曲ばかりを踊っているわけではないだろうが、すっかり定番として浸透したのは確かのようである。
 おまけにこんなパンダの着ぐるみの連中を着て踊っている連中のビデオを見つけてしまった、いかにこの曲が浸透したかの証拠でもある。

 パンダの着ぐるみダンス 


 ところで、この曲が日本のダンス界で流行っているという話を聞いたことがないが果たしてどうなのであろうか?


2012年10月20日 4番とエースと新監督
 北海道日本ハムがパリーグ優勝に引き続き、CSファイナルステージを勝ち抜いて日本シリーズへ勝ち進んだ。
 このファイターズを贔屓する私としてはこの上なく、嬉しい。
 
 関東出身の私が何故、北海道のチームのファンか?

 答えは簡単で、日本ハムは昔東京ドームを本拠地にしていた東京のチームだったからである。
 関東出身の私は多聞に漏れず、YG軍の試合中継ばかりテレビで見ていたのでその頃はYG軍が好きだった。
 だが高校生の時に東京ドームが出来てああいいったホール系の場所が好きだった自分はチケットが滅多に手に入らないYG軍の試合より、幾らでもタダ券が手に入った日本ハムの試合を良く見に行くようになり、そのうちこのチームが好きになった。
 あの頃は売り出し中の西崎投手が新人らしからぬ派手な活躍をし、近鉄の阿波野投手と新人王を争っていた、そんな時代であった。
 あのころから数えて20年以上日本ハムのファンで、まあこの間そこまで熱心にチームの状況はチェックしていたわけではないが、北海道に移転してからも新庄だのダルビッシュだの各時期のヒーローは応援してきた。
 そんなうち2軍も私の地元近くに移転してきたのでますます身近になった。

 そして去年大黒柱のダルビッシュ投手がメジャーへ抜け、今年から栗山監督を迎えることになったのだが、今年は過去数年なかったほどに野球シーズンを上海から気にするようになった。

 何故、今年はこんなにファイターズが気になったのか分からないが、とにかく全試合に近い勢いでほぼ毎日情報をチェックしていた。

 そんな中で一番気になったのが4番を任された中田翔選手である。

 栗山監督がシーズン当初打率が2割に満たない状態だった彼をずっと我慢し続それをずっと見守っていた。

 中田は高校時代に怪物と言われるほど凄い選手だったが、プロに入ってからは伸び悩む状況で、その彼を、どこに出しても恥ずかしくない4番に育てるという信念のもと監督は使い続けていた。

 すると、打率こそそれほど上がらなかったが、徐々に勝負強さが目をだしここぞという場面で打ってくれる打者に徐々に成長しシーズン後半ではすっかり4番の貫録が出て、優勝を左右する大事な試合で痺れる仕事をしてくれるようになった。

 そうやっていつの間にかワクワクする選手となった。


そしてもう一人、過去3年0勝だった吉川光夫投手が今年は大化けをして獅子奮迅の活躍で14勝を挙げた。

 彼の突然の活躍も栗山監督が去年声をかけた言葉がきっかけだったようだ。


こうやってみると、いかに野球がメンタルで左右されるスポーツかが分かり、さらに人は信用することによって、変わったり成長したりすることができるのだと言う事を知ることが出来る。

 栗山監督の技術や采配などの能力は未だによくわからないが、彼が選手を信じることによって4番とエースを育てたのは事実である。

 とにかく、今夜は嬉しい、おめでとう。

日本シリーズも引き続き頑張ってほしい。 


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2012年10月16日 オーケストラを分解する
 最近、といってもここ数年であるが私自身の音楽の聴き方が変わってきたように感じる。

 音楽を聴きはじめたころは聞いたことのない新しい曲の経験を広げることに精力を注いでいたような気がするが、最近は主要な有名曲は聴きつくしてしまっており、演奏会めぐりなどという金のかかる趣味人生も上海に来てから生きづらくなってしまったので手元にあるライブラリーを繰り返して聴く回数が増えた。

 まあいくら聞いても音楽に飽きることがないというのが私の性分だが、ただ最近聴き方に変化が起きた。

 どう変わったかというと、同じ音楽に深さを見出すような聴き方に変化してきたのである。

 それは何かというとオーケストラの分解である。

 つまりオーケストラの音楽を総合的に聞き流すのではなく、楽器一つ一つにスポットを当てて音楽を聴くようになったと言えばいいだろうか。

 オーケストラには言うまでもなく数十の楽器があり、それぞれがある時はユニゾンでひとつの旋律を、或いは全くバラバラのメロディラインを奏で結果として一つの響きを作り出す。

 この楽器一つ一つの音を聞き分けながら音楽を聴くのが私の言うオーケストラの分解で、全体の響きの中に各楽器個々の音の響きを見つけるのである。

 そうやってきくと聴き慣れた曲に実に新鮮な発見がある。

「おお、この(聴き慣れた)旋律の中であの楽器はこういう音を出していたのかぁ」

など、オーケストラの響きの中に埋没しそうな一つの楽器の響きを発見する作業はとても新鮮である。

 特に木管楽器や金管楽器など、ソロ以外の部分でどう鳴っているかを見つけるのは非常に面白く、聴き慣れた音楽の流れに新しい発見をすることができる。

 もちろん、オーケストラとして鳴っている中で一つの楽器の響きを聞き分けるのは非常に集中力を要求される作業であり、特にファゴットやホルンなど、全体の響きを支えているような楽器の音をソロ以外の場所で拾い上げるのは非常に大変で、生演奏で聞いてもなかなか拾い上げるのは大変なのに、ましてや質の悪いCD録音や安っぽい再生装置ではどんなに頑張ってもなかなか聞き分けられない。

 でもこれらの楽器の音を響きの中に見つけた時は非常に嬉しいのである。

 この嬉しさはなんというか、一つの会社を支える平社員や事務方の頑張りを見つけたような、イベントで言えばスポットライトの当たってない裏方の高度な職人芸を発見したような、そん嬉しさなのである。

 そしてこうやって一つ一つの音が拾い上げられるようになると、オーケストラの中でどの楽器とどの楽器が絡んで一つの響きやメロディを作り上げているのかが分かってくるから余計に音楽を聴くのが楽しくなり、さらに作曲家の癖なり個性に近づくことが出来る気がする。 

 もちろん演奏している彼らや指揮者などはこの分解作業を毎回当たり前のようにやって音楽を作り上げているのだから実に敬服に値することを改めて感じる。

 こんな聴き方をしているものだから、実は先月日本に帰国した時にサントリーホールに行った時も、プログラムが著名なソリストが登場したコンチェルト(協奏曲)であったにも関わらず、ソリストそっちのけでオケ側の木管やホルンの動きや響きばかり気にしていた記憶がある。

 私にしてみればソリストの演奏が上手なのは当たり前で、それをどうオーケストラの一つ一つの音が支えているかに興味があったのである。

 このオーケストラの分解作業は実に止められない、まるで機械屋の機械いじりのような状態の現在の私である。

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2012年10月13日 「ツナグ」を読んだ
 普段、あまり本を読むことの無い私だが、昨年この谷村美月さんの「ツナグ」の本の紹介をラジオで聞いてからどうしても読んでみたいと思っていた。

 上海におり、なかなか買うきっかけも読むきっかけもなかったが、この本が映画化されたのを知り、是非映画を観る前に原作を読んでおかなければと思い、たまたま一時帰国した同僚に無理言って買ってきてもらった。

 そして昨日本を受け取って早速に読んでみた。

 話の筋は、生きている人と死んだ人を一度だけ「使者(ツナグ)」を仲介人にして会わせることができるという設定で、幾つかの人生のドラマがそこに進んでいく。 
 ぱっと聞くと一瞬SFチックだが、そんな面はほとんどなく、完全なるヒューマンストリーの内容である。

 まあ詳しい内容は是非読んでいただきたいが、登場人物一人一人の血の通った心の動きの描き方が凄く、人がそれぞれ色んな想いを持って生きていることを感じられる本で、涙が何度となく溢れる本だった。

 もともと涙腺の緩い私だが、文章でここまで涙を流したのは初めてのような気がする。

 本が紹介されたときのラジオでも、是非ドラマ化してほしい内容だとの話があったが、今回実際に映画となり、なかなか評判も悪くなさそうなので鑑賞機会に期待がかかる。

 まあ一般的に小説の映画化は、なかなか期待を満たさないことも多いが、この小説は文字が人の表情や言葉になって人の血が通った時でも、決して期待を売ら切らない様なそんな期待感がある。

 今はまだ上海にいて映画に手が届くのは何時になるかわからないが、時間が経っても見てみたいこの作品である。
 


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2012年10月06日 ようやく初めての台湾
 今日から初台湾旅行に行くことにした。
初香港が2000年で、初大陸が2006年だからおよそ6年周期でお初という状態になっていて中国圏としては12年遅れの初上陸となってしまった。。

 香港には12年前に踏み込んだのだが、それはちょっとした縁ときっかけがあって行ったのであって、何故その後に台湾に踏み込まなかったのかは縁ときっかけがなかったということになる。

 大陸に渡ったのも縁ときっかけがあった。

 振り返ってみると、私にとっての新規の地域訪問は結構定期的にやってきて集中す る。

 85年にサンフランシスコとハワイ、92年に韓国とイギリス、2000年に香港とフランス・スペインと6~7年おきとなっている。

 この周期は星の関係か何か関係があるのだろうか?

 まあ台湾自分の中でぽっかりと抜け落ちていたエリアとも言え、ようやくそのピースが今日埋まる。

 とにかく今日から初台湾である。



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プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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