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上海ワルツNEW


2013年01月20日 やっぱり本厄だったような
 実は私は昨年から本厄の年だった。

 厄年というのは一般的には体力的に下り坂の差しかかるところで病気をしやすいので気をつけなさいと言うことになっている。

 そう思って振り返ってみると、春節の発熱から始まり、春の鼻の手術や秋の発熱、目の腫れなど、結構体のあちこちにガタがきているなと思う面は沢山あったので本厄の年そのままだったと言えなくない状況になっている。

 そして明けて先日も発熱。

 ということで言えば、旧暦で言えばまだ厄年は終わっていない。

 実はその後の後日談もあり、金曜の夜の食事後に食べた物を吐いてしまうような事態もあり、実はまだ体調が安定している訳ではない。

 どうも胃が本調子ではない様なのだ。

 咳もまだ止まっていない。

 まあゆるりと静養するのは簡単なのだが、果たしてリハビリ的に復帰のエンジンをふかさずともいいのかなと考えてしまうが、現実そこまで体がついていきそうな感じはしないので休まざるを得ない。

 それに外に出たところで上海の大気の悪さの中では、更に体調を悪化させるのがオチだと考えるとやはり無理は出来ない。
 そんな中、土曜日に野暮用で江蘇省の田舎までちょっと足を延ばしたら、流石に上海よりは空気が綺麗で心地よく、何日か上海の田舎で休養して過ごそうか?そんな気持ちになる環境であった。

 本厄が終わる春節まであと3週間あまり、どうやら焦らずどこかで時を待った方が良さそうな気がしてきている。


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2013年01月20日 春節にあって元旦にないもの
 春節(旧正月)にあって元旦にないもの。

 答えから先に書くとそれは暦の上でその日を定める根拠ということになる。

 「旧暦」つまり月の動きを使った太陰暦をベースにした中国の正月である「春節」の日は、毎年「新月の日」と決まっている。

 それゆえ西洋のグレゴリオ暦を使っている我々日本人からすれば、春節は毎年の日付が移動する為に不便さを感じる面は少なくなくないが、春節の決定はきちんとした暦の考え方、つまり月の動きに基づいて決まっているので、何らぶれることが無い。

 同様に例えば旧暦の7月7日の七夕は必ず半月であり、伝説の由来から言えば月が天の川を渡る舟になったということから、七夕の月は人が乗るため半月でならなくてはならないので「7日」となっているなど、それぞれに根拠がある。

 さて振り返ってグレゴリオ暦を調べてみると、その1年の精度は非常に高いものがあるものの、肝心のスタートとなる1月1日元旦の設定にはほとんど根拠がないようだということが分かった。

 確かにグレゴリオ暦の精度が高いため、毎年の1月1日の黄道上の位置はほぼぶれることが無いようなのだが、問題は何故そのタイミングが1月1日と設定されたかということになる。

 太陽の動きをベースにするグレゴリオ暦の精神に従うのなら、本来元旦の最も分かりやすい基準は「冬至」であり、冬至が1月1日なら春分は4月1日前後、夏至は7月1日前後、秋分は10月1日前後と太陽の位置と月の区分の仕方がほぼ一致することになる。

 まあ1年が正確に365日ではなく、365日と5時間45分45秒ほどと半端であるから夏至の日付などそれぞれは一定しないかもしれないが、この点に関しては太陽暦なのになぜ「月(month)」という制度がそのまま残ってしまっているかを考えると、夏至の日付が一定しない不合理な理由は「月の定め方」にあると言える。

 今の暦では月の定め方として毎月の日数が同じでないばかりか、その大小の月の並び方にも一定性がなく、しかも閏年の閏日(2/29のこと)の挿入次期だってよく考えれば中途半端である。

 この太陽暦と月の定め方についてはグレゴリオ暦の前身であるユリウス暦採用の紀元前153年まで遡ってしまうのだが、どうやら当時の宗教的政治的思惑で月の日数配分が決められたらしく、それが変えられないまま現代まで2000年以上も続いてしまっている。

 それ故に現代のグレゴリオ暦の中では、冬至でも何でもない黄道上のある地点が、ぽつんと1月1日の元旦として定められ、我々日本人はその日を「初日の出」だの「正月」だのと言って大切にしてしまっていることになる。

 まあ伝統行事の形と言ってしまえばそれまでだが、日本がグレゴリを暦を導入する前の天保暦などのほうがよほど天文学的に根拠のある正月を定めていたと言えるはずなのに、今は根拠があるのだかないのだかよくわからない日を元旦と言って崇めている我々がいる。

 これもどうやら当時の明治政府の政治的思惑によってグレゴリオ暦に改暦させられ(一説にいよると13か月目の給料を払いたくないから12か月の制度に移行したとも)た時にこうなってしまったようで、その時に変えられてしまった正月の設定が実は現代まで続いている。

 ゆえに現在では真冬の寒さ真っ只中の季節に「新春」などピンと来ない言葉を書くことになる。

こうして考えると日本の伝統文化を有形無実にした罪は明治政府にあるとも言えるのである。

 本来はグレゴリオ暦の導入と同時に二十四節の設定をきちんとやり直し、文化季節は文化季節として残し、例えば中国のように春節(旧正月)を正月とする制度を残せば、今のような「形ばっかりの正月」を祝うよな文化にはならなかったはずなのに、残念ながら今の日本の正月は「形だけ」の根拠の無い正月になってしまっているのである。

 まあ、このように不合理な面がいっぱいの現代のカレンダー制度であるが、世界中が長い間これに基づいて動き、今ではコンピューターなどの面でもシステム化されてしまっているため、今更不合理だと気付いても変更というのはほぼ有り得ない話ではある。

 しかしせめて地球に生きる生物として季節文化を大切にしていくため、二十四節季のようなものは再定義をして太陽の動きに基づいた季節を計りやすい物差しをつくり、それに合わせた社会の季節行事を再定義してもいいのではないか、中国の春節制度を見ていてそう感じざるを得ないのである。


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2013年01月19日 ちと異常なウィキペディアマニアたち
 ネット上の百科事典「ウィキペディア」は若干正確さに欠けるものの、まあおおよその意味を捉えるのに便利なのでよく利用している。

 しかしながら、執筆協力者たちの執筆態度を見るとちと異常過ぎるかなと感じない面もないではない。

 その一つに更新が早すぎるというのがある。

 先日日本の笹子トンネルの天井版崩落事故があった時に、笹子トンネルについて調べようと思ったら、事故から数時間しか経たずまだ全員が救出されていないタイミングにも関わらず、もう事故の記載があったのである。

 これは異常な速さというほかない。

 先を争って一番執筆者争いをしているのかも知れないが、被害者や事故の大きさを考えるとあのタイミングで既に事故の記載を一生懸命行なっているのはいささか不謹慎とも言える。

 もちろん刻一刻と起きている事象は、その瞬間瞬間に記録していくのが一番いいとはいえ、事故の全体像が見えないうちに百科事典的役割のページに速報的に事故状況を書き込んでいく状況はいかがなものかと感じてしまう。

 有名人の訃報なども同様で、その日の朝に亡くなったような人でもYAHOOなどでニュースになっている時は、もう既にウィキペディアに記載が終わっている。

 確かに事実になってしまったとはいえ、いささか無神経さも感じる。

 さらにこの上海の街などについても、日本人のウィキペディアマニアがどこかにおり、地下鉄駅などについて懸命に記述を行なっているようで、開通後の記載がかなり早い。

 どうもこういったウィキペディアマニア工作員たちの存在は、辞書を利用する側からすれば便利な面もあるが、どうも無神経さへの印象が先に立ち、身の回りにこんな奴らが潜んでいるのかと思うとちょっと気持ち悪い面もある。


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2013年01月18日 人質は全員見殺しか?
 アルジェリアの情勢が、騒がしくなっている。(訂正しました)

 色んな情報が飛び交っており、何が正しい状況なのか国家レベルの情報機関でも把握できていないようだ。

 その中で最悪のケースの情報として伝わっているのがナイジェリア政府軍が、人質に全く配慮せず犯人グループもろとも攻撃して射殺してしまったという話である。

 アルジェリア軍はかねてから、テログループとは一切交渉しないということを公言してきたようだが、今回の報道が事実ならあまりにも人の命や国家関係に対して無配慮とも言える。

 人質には日本人も含まれているようで、是非情報が間違いであることを祈りたい。

 それにしても地球上にはまだこんな地域がたくさん残っているということである。
 

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2013年01月18日 ふりかけの再評価
 つい最近まで、「ふりかけ」と言えば子供っぽい食材というイメージがあった。
食が進みにくい子供たちに対する、大人達の子供だましと言う印象があったのだ。

 何処かのメーカーで「おとなのふりかけ」という商品があったが、あれは明らかに世間のふりかけに対する評価に「子供向けのイメージ」があることを前提にしてつけられた商品名だ。

 しかしである。

最近になって私自身はその評価をかなり見直しつつある。
きっかけは胡麻のセサミンの重要性を知ってからである。

 中性脂肪値の高い私は、肝臓の健康に気を配る必要があり、そこでいろいろ調べていくうちにセサミンというものの働きを学んだ。

 詳しくは省略するが、セサミンの摂取は肝臓や中性脂肪に好影響があるということで、セサミンが多く含まれている食材として胡麻が重要な食材であるということを最近改めて知ったのである。


 そこで「胡麻を摂取すべき!」ということになったのだが、改めて胡麻だけを摂取するとなると、意外と面倒くさい。

 もちろんあんな小さな粒なので食べることにはいつでも抵抗が無いのだが、自炊生活では意外と気が回りきらなく、料理に入れるのを忘れるのである。

 そこで「ふりかけ」の登場である。

ご飯にかける食材と思えば、ふりかけはまずその存在を忘れることはなく、納豆などとともに必ずと言っていいほど切らさず常備してある。

 つまりご飯にふりかけとしてかけて食べれば、胡麻を忘れずに摂取することができるのである。

 これに気が付いた時は、昔ふりかけを考えた人は偉いなぁと感心してしまった。
ふりかけには胡麻以外にもかつを節とか体に良い影響を与えそうな栄養素を含んだものがたくさん含まれている。

 まさに元祖総合サプリメントと言っていいほど栄養に気が配られたものが多く含まれており、実はふりかけを毎日ごはんにかけて食べるということは体に優しいことなのだと気付かされた。

 よってふりかけは何ら子供っぽいことではなく、実は大人として体に気を使う大人の心遣いなのだと改めて自分の中で再評価することになり、最近では遠慮せず日々ふりかけでご飯を食べる毎日になったのである。

 皆さんもふりかけを積極的に取り入れてはいかがであろうか?

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2013年01月17日 実は夜の方が空気が悪い
 最近大気汚染情報をウォッチするようになって気が付いたことがある。

 それは昼間より夜の方が悪化する場合が多いということである。

 私のような素人から見ると、昼に稼働する工場や自動車などの影響で、昼の方が排出ガスが多いと考え、大気汚染が進むという気がするのだが、必ずしも現実はそうはなっていない。

 実は調べてみると日本や世界でも同様なのだという。

 その理由についてあまり詳しいことは解明されていないようだが、ある説によると日中は太陽光によって地面が暖められ滞留が起きやすいが、冬はその対流が少なく自然風に依存する為、空気が溜まりやすいらしい。

 さらに都市特有の状況として昼間は人間の活動が活発に行われれ、空調ファンその他人工的な営みによって積極的にエリア内の空気が撹拌されるが、夜はこれらの活動が昼間より低くなり、さらに深夜は非常に撹拌機能が低くなるので大気汚染の空気が溜まりやすいのだという。
 
 つまり遅くなればなるほど、空気が悪くなるということだ。

 何とも人間ぽい大気汚染であり、早く家へ帰れと言っているようだ。。。



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2013年01月17日 フェイスブックは時間の浪費
 中国のネット規制の問題もあって、私はフェイスブックをやらないで来ている。
まあアカウントだけは、アメーバの記事を読むのに年齢認証用として必要だったので、登録だけは行なったが、それ以外は全くやっていない。

 時々知り合いと思しき人から友達申請も来るが、拡げる気もないので全てスルーしている。

 ある方によれば、フェイスブックは実名制が原則なので自分の情報管理に時間コストがかかり過ぎるのだそうだ。

 本来なら匿名性ゆえに遮断できるはずの社会のしがらみやノイズが、そのままネットの世界に入り込んでくるのがフェイスブックであり、リアル社会なら本音と建前の使い分けを個人として気を使って語っておけばそうは問題にならないことも、フェイスブックではシステムとして気を使って設定が必要になってくる。

 まあ設定を細かに行っていけば、それなりにプライヴェートは守れるらしいが、そこに気を使いすぎるのはあまりにも面倒で、時間の浪費だという気がする。

 さらに複雑な友人関係や社会の上下関係が入り込んでくるとさらに煩わしいようだ。

 リアル社会では、人はどうしたって社会の中で自分の都合のいいところと都合の悪いところを使い分けて生きている。

 人間関係だって表面上は平等に付き合っているフリはしても、いろんな都合で偏った付き合いが必要になったり、Aを優先してBを諦めることは必ず出てくるので、それをネット上で管理して公開・非公開をコントロールしようとすればどうしたって矛盾が出てくる。


 リアル社会なら、自然フェードアウトなど人間が忘れることによって「時間が解決すること」が沢山あるが、ネット上にしっかりと記録されている事柄はそうはいかないのである。

 そんな管理に気を使っている時間は非常に無駄な気がしており「別にそんな人間関係をわざわざネット上に再現して管理しなくてもいいんじゃないか?」「リアル社会で普通に気を使って付き合うだけでいいんじゃないか?」そんな印象を持つようになったのである。

 そう思うとますますフェイスブックに対しては興味を失っているのが今の自分である。

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2013年01月17日 一時帰国の際のモバイル環境
 日本という国は、ネットなどモバイル関連環境についていろいろ整備されて便利な状況が整っているが、基本的には居住者向けサービスである。

 これは当たり前と言えば当たり前だが、逆に言うと短期外来者に対してはあまり優しくないという印象がある。

 月定額の使いたい放題サービスなど、充実した安い料金の契約体系は全て毎月の基本料金を支払ってくれる人向けサービスであり、私のように長期に外国に拠点を移している人間にとっては入り込みづらいことこの上ない環境となっている。
 
 故に1年くらい前までは一時帰国の際のネット利用は、親元のネット回線を利用しかなく、その場所での固定利用はできても「モバイル」にはなり得なかったのである。
 どうしてもというのであれば、旅行者用の馬鹿高いレンタルルーターを借りることもできるが、「帰国」するのになぜそんな高い「旅行者用」を選ばなければならないのかを考えると納得できるものではない。
 
 故に一時帰国した際のネット環境にはいつも苦労していた。

 しかしである。


 最近こちらにある日系の携帯販売会社T社の方から良い情報を頂いた。
 
 その方によると実は日本のアマゾンで使い切りの通信専用の定額SIMが買えるというのである。

 それをWIFIルーターに差し込めば、ドコモの3G電波の飛ぶ範囲であればすぐに中国契約のスマートフォンやパソコンがWIFI環境として使えるとのことであった。

 しかも、アマゾンはLAWSONに配達してもらえるので帰国日に合せて発注しておき空港のローソンを配達先として指定しておけば、代引きで受け取って空港到着直後から使用開始することが可能だという。

 これを聞いて私は昨年11月の一時帰国の際に早速実行した。

 買ったのはビーモバイルの1GB定額のSIMカードで標準サイズで3163円だった。
(この値段は何の理由か変動するらしく、いつも同額ではない)

 さらに当時はWIFIルーターもなかったので同時に購入したが、これはもちろん一回限りの出費である。

 さてさて成田空港の第一ターミナル5階のローソンで品物を受け取ると、早速見学デッキ脇のテーブルで設定作業を行なってみた。
 (第二ターミナルにはローソンが無いようで、JALなどの場合は第一まで来る必要がある)

 まずはSIMの開通設定で、作業自体は簡単なのだがこの作業にはどうしても日本の携帯電話が必要なようで私は持っていたので良かったが、そうではない人は結局知り合いにこの作業は頼むことになる。

 そしてルーターの設定。

 これをやらないとWIFIルーターが動作してくれなく、結局役に立たない。

 そうしてようやく5分後に開通し無事携帯もパソコンに繋がるようになった。

 ただWIFIルーターの電池は貧弱なので、パソコンにつないで使うには良いがモバイル用としては短時間利用に限られ、また空港地下のスカイアクセス駅のホームなどではどうも電波が弱いようで全く繋がらず、沿線も電波が弱い個所がたくさんありやはりプチプチ切れてしまうようだったので、結局電車の中でのWIFI利用できた時間は僅かだった。

 まあこのように移動中はともかく、普通の市街地での使用は問題なく、これにより短期の日本滞在中も快適にネットライフが復活したので一時帰国中がすこぶる快適になったのである。

 皆さまにも是非お試しいただきたい。







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2013年01月16日 戦場のメリークリスマス
映画監督の大島渚さん訃報を受け、恥ずかしながらこの「戦場のメリークリスマス」をこの歳になって初めて見た。(中国語字幕だが)

 坂本龍一さんが担当した音楽は何度となく耳にしていたが映像そのものは初めてだった。

 この映画の公開が1983年だというから私はまだ小学生くらいの時で、内容からすればまあ当時見ても理解できなかっただろうと思うので、この歳で初めて見るのは正解だったかも知れない。

 この映画には色んな愛の形が描かれている。

 ストーリーの中心となっているのは戦地における兵隊さんたち同士の同性愛を巡る嫉妬や葛藤ではあるが、そんなにどろどろした内容とはなっておらず、寧ろみなそれぞれが純粋でさっぱりしている。

 そしてそれを見つめるタケシ演じる原軍曹の存在感が秀逸であった。

 一見かなりいい加減そうでふざけた人間に見える彼の役柄は、きとんと人間の生と死を見つめ、人の人としての尊厳を大事にし誰もを平等に扱っており、武士道の根幹とも言うべき人生観を内に秘め、達観した悟りのような状態で任務を遂行していた。

 人間の姿をした菩薩如来そのもである。

 それを演じたタケシ、本人は演技はまるで駄目だったと言っているようだが、人間としての経験の深さが滲み出た彼そのものの人間性が見せた業であろう。


 そんな彼が生き残った友人にかけるラストの
「メリークリスマス、ミスターローレンス」
 のセリフはとても意味が深く、この映画を名画たらしめるいいラストシーンであるように思える。

 その後北野武さんはご存じのように映画監督の道を歩んでいくのだが、大島渚監督のこの作品に出演したことの影響が大きかったというのは、やはり言わずもがなである。

 大島渚監督のご冥福をお祈りします。素晴らしい映画をありがとう。

 

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2013年01月15日 今年はハッピーマンデーが9回らしい
 今年は聞くところによると日本は3連休が9回もあるらしい。

 しかも5月後半の連休を除いてだ。

 つまり1月、2月、4月、7月、9月2回、10月、11月、12月に3連休がある。
 
 その第一弾が昨日の成人の日だったようで、私の成人式の頃は1月15日と相場が決まっていたのだが今は第2月曜日と状況が変えられてしまった。

 ハッピーマンデーは観光業界を活気づかせるための某党の提案らしいが、私は昔からこの愚策に反対している。

 休みが増えたところで一般市民の収入や生産性が変わらなければ、結局個人の可処分所得や休みが増えるわけではないから旅行に行ける回数が増えるわけではないからだ。

 むしろ平日であるはずの月曜日に休みが集中すると学校のカリキュラムなどに支障が生じるなど弊害の方が大きい気がする。

 1勤1休のタクシーの運転手なども土曜と月曜の休みが連続して入ってしまうと商売に影響が出るとの話も聞いたことがある。

 で、実際観光業に好結果が出たとかの話も聞いたことがない。


 まあ、そんな文句を垂れているうちに私は上海へ来てしまったのだが、中国でもやはり同様の理由で3連休を一生懸命作るようになった。

 休み全体が増えてくれるなら歓迎だが、休みの総計は増えず、3連休になった分だけ土日出勤となり連続8日出勤となるようなカレンダーさえ生まれている。

 結局休んだ分でお釣りがくるくらい余計に疲れるようになったというのが私の周囲の声だ。

 これはどう考えてもおかしく、休みの概念を取り違えている。

 労働者保護の精神から言えば、週休1日とか2日というのはカレンダーのどの部分を切り取ってもそうあるべきで、一部の繁忙期のために変形労働時間制度が認められるにしても、国の制度として最初っから連休を作るために別の週を犠牲にしていいというのは間違っている。

 観光業やレジャー休日のために労働者の休みを動かすのは日中両国とも止めてもらいたいと切に願う。

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プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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