世の中には会話大好きな人がいて、大事な会議をしているときも、違う論点や枝葉の部分の議論を持ち込んで議論の本筋ではないところに時間を費やす人がいる。
本筋ではない論点が持ち込まれると、さもやその論点が一番大事な論点であるかのように思わされ、時間を費やされてしまう。
先日も例に出した、「国立メディア芸術総合センター」を今回も例に取ると、これは政府の第2次補正予算として急浮上したものであるが、「意味がない」「無駄である」という反対派の意見に対して、出される意見というのは「これはアニメの殿堂ではない」「ゲームやアニメは立派な文化であるという」という主張が出されてしまう。すると議論はその是非を論点を中心に進んでしまう。
しかし、ここで議論されるべき本当の論点は補正予算で組むものとして必要であるかどうかである。いうなれば今回の補正予算は低迷する景気への刺激策として組まれたもので、その建物を建てることによって有用な景気刺激策となるかどうかが論議されるべきであって、アニメやゲームの文化性を議論することは予算の目的から言えばなんの意味も持たない。本予算としての国の施策を議論を要する場合は必要な論点かも知れないが、緊急を要する補正予算ではその目的に純粋に沿っているかどうかを議論すべきであり、枝葉の議論に時間を費やすべきではない。しかし現実には国が借金をしてまで行おうとしている施策にもかかわらず、予算の本来の目的を忘れ、とうとうとアニメの文化性を語る人が現れてたりして枝葉の議論に膨大な時間が割かれている。
しかしこれは国だけの問題ではなく、企業内でも時々同じようなことが起こる。
ある一つの新規プロジェクトの進行に関して本来は「成功させためのボトルネックはどこか」「マーケティングはどうか」「スムーズな業務フローを行えるか」など本来はこういうことに時間を割いて考えることが大事なのに、時々プロジェクトの本筋ではない枝葉の部分に時間が費やされたりする
たとえば商品に書かれるキャラクターのディティールについてこだわったりするような場合である。そのキャラクターのディティールが、そのプロジェクト成功の鍵を握っているような場合もあるが、単に装飾の一つで全体から見れば枝葉であるような部分である場合もある。キャラクター好きや話し好きの人が加わったおかげでそこに時間を費やしすぎて、肝心のマーケティングが疎かになったりプロジェクト全体の進行が遅くなるようなことはよくある。
このディティール議論のようにどの部分が大事かどうかの判断はプロジェクト責任者のコントロールセンス一つにかかっているのだが、結局はどんな議論をしていても時間は平等に過ぎていく。
何がプロジェクトに必要な本質的な議論であるかを見極めることを忘れて、枝葉の部分にこだわっても時間を費やして結局はプロジェクトは成功しない。であれば枝葉の部分と幹の部分を見分けるスキルを身につけ、枝葉である部分の議論に時間を費やさないようにするのがビジネスとしての成功の鍵とも言える。
「枝葉の議論に時間を費やすな」である。