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2009年09月07日 無責任な前任者の後始末
日本の首相は過去2代無責任に職務を放り出したと言われるが、彼らにも同情すべき点は多々ある。
 小泉元首相の郵政改革路線の多難な続行を引き継いでしまった安倍晋三元首相。
そして安倍元首相が党のしがらみを優先した結果、参院選で敗北し、その状況の重圧に耐え切れなくなって職責を放り出した後にその責についた福田康夫元首相。
 そして福田元首相が衆参のねじれ現象による国会運営の難しさに職を投げ出した後に職についた麻生首相。
 麻生首相は本来衆議院解散の役割を担って首相の責についたはずなのに、前任者のつくった無責任なイメージを払拭できず、結局解散を先延ばしにした結果先の衆議院選挙の大敗北を招いてしまった。
 いずれも前任者の負の遺産に振り回され、結果自らも無責任な状況を作り出してしまった構図となっている。

 しかし、どんな場合でも物事を引き継ぐ場合は必ず前任者の負の遺産は存在する。プラスであったりゼロからスタートできる場合はほとんどない。何故ならば状況がプラスで有るならば前任者が辞める必要はなかったからだ。
 このことは今回ほぼ首相に就任することが決定している民主党の鳩山代表にも言え、自民党や麻生首相が残した負の遺産、例えば補正予算でばらまいてしまった予算の財源は国の借金として残っており、新任の鳩山さんがどれだけその予算の不当性を訴えてみたところで、既に国会という正式な手続きを踏まえて執行されてしまった以上、麻生首相個人から取り戻せるものではなく、またそれらが無かったものとして国政運営をスタートできるわけでもない。結局はその悪い状況をそのまま引き継がざるを得ない。

 しかし悪い状況を無責任な前任者のせいにしたところで、何の進歩が生まれるわけではなく、その前任者の負の遺産を片付けることから後継者の仕事は始めなければならない。
これはどんなポジションでも通る道で、やり通せなければ結局は自分も無責任のドミノ倒しの中に並んでしまうことになる。
 このドミノ倒しを止めるには前任者の負の遺産もあわせて背負うという相当な意思と覚悟が必要で、引き受けたポジションの前任にどんな無責任な人がいようとも、自らがその後始末しなければ結局は何も始まらないし、そういった意味で職責を放り出した2代の首相は就任時に負の遺産への意識が足りず、プラスの面にだけ目が行き過ぎて負の遺産の整理を怠った結果の本人の無責任を生んでしまったといえる。


 今回の政権交代によって就任する予定の鳩山次期首相にとっては、前首相・前政権与党が築いてしまった相当の負の遺産を引き継がなければなならいと思うが、そこを解決できなければ結局前には進めないと思われるので国民のために是非頑張っていただきたい。




2009年09月02日 兼業副業の覚悟
 日本のほとんどの会社が就業規則で兼業の禁止がうたわれていたと思うが、中国へ来て知り合いの何人かが幾つかの仕事を兼任していたので、中国の法律はそのあたり寛容なのかと思っていたら、昨日某ビジネス記事読んでみたところ、やはりそうでもないらしく兼業副業は会社が認めない限り原則禁止なのが方向性らしい。
 特に責任者レベルの総経理や高級幹部が兼任することを中国の法律は厳しく制限している。業務情報の流出の危険性防止もさることながら、複数の会社の幹部を兼務していたのでは、肩書き上で責任者となっていても事実上の責任をもった管理が出来ないというのが中国の法律姿勢のようだ。
 考えてみれば当たり前のことであり、日本のように一人の人間がいろんな部署やいろんな会社の責任者を兼任することのほうが、責任という概念に対して寛容すぎるというか甘い部分が見うけられる。

 日本は極端な場合、一人の人間がかなり多くの組織の責任者として名前を連ねている場合があるが、結局はそんなにたくさんの管理や責任など取れるはずもなく、名誉責任だけで実質は無責任状態なのが実情である。
 なら管理者でなければ兼業は時間の有効活用としてアリとも考えられなくは無いが、やはり一つのことに集中していない状態にはかわりなく、両方の仕事に対して同様の集中力を発揮できないなら兼業はやめたほうがいい。

 実は私も日本にいるとき平日働いていた会社のほかに、休日アルバイト的に結婚式場での音響操作の仕事を4年ほどしていた。もちろん平日の会社は兼業を禁止していたが趣味と実益とその当時の諸所の事情もあって週末は毎週結婚式場に通った。
 ここで私が非常に気をつけたのは、そのアルバイトのことが平日の会社にばれないようにすることはもちろんのこと、それぞれの仕事がもう一方の仕事に影響が出ないように気をつけたことである。時間の有効活用といいながら、兼業をすることによってどちらかがもう一方の仕事に影響を与えては元も子も無くなる。
 幸いなことに平日の仕事はヘビーな仕事ではあったが出張がほとんどなかったので残業があっても平日の間だけ頑張っていれば休日出勤する必要はなかった。


 逆にその音響のアルバイトも、同業他社の仕事に比べると給料は安かったのだが、その会社は指定された披露宴でその時間だけ仕事をすればよく、事前の打ち合わせや音楽の編集など余分な時間を取られることが無かったので、私にとってはとても都合良かった。隠れてやっている手前もあって平日の仕事の時間にその仕事が侵食してきては困るのである。

 ただ、そうはいっても休日の仕事に信頼を得るうちに、土日の2日で3本、4本と多くの仕事が入るようになると、疲れがたまり月曜の朝が辛くなったこともあった。 でも、そこは気合で乗り切り、休日の仕事の疲労を理由に月曜日に休んだことは一度も無かったはずである。一度だけ3連休で7本という超ヘビーなスケジュールをこなした時があったがその時も月曜の仕事は滞りなくこなした。
 まあ当たり前といえば当たり前だが給料をもらっている以上どちらもの仕事もプロの端くれとして責任がある。
 兼業という中途半端なことをする以上、両方とも人並み以上の結果も出す必要があり、どちらかが月並みだったり中途半端だったりしては兼業までして両方のプロをする意味がない。「私はもう一つの仕事があるから、この仕事は出来ません」などという理由が通用するわけが無いからである。
 兼業副業はお金の面で魅力な面もあるが、許可されていようがいまいが、よほどの覚悟とやりぬく意思が無ければ両方のお金と信頼を失ってしまう可能性がある諸刃の刃であるので志す方は注意したほうがいい。



2009年09月01日 嘆く前に手は尽くしたのか?
 今回の選挙において大量の民主党議員が当選した代わりにほぼ同数の与党議員が落選した。
 落選した議員はもちろん落胆しているだろうし、嘆いているに違いない。
 しかし伝わってくる落選者のコメントを見ると、「何か分からない風が民主党に吹いていて、それに勝てなかった」といったような敗因をつかみきれていないコメント記事を多く目にする。
 これを聞いて、ああ彼らは落ちて当然だなという気がした。
 何が悪くて何が敗因なのか全く分析できていないのである。逆にその分析さえ出来ていれば、有権者の心理や意向を汲み取って選挙に勝つことが出来たかもしれないなと私は思う。
 そんなものどうやって知れというのだというかもしれないが、世の中で頻繁に世論調査やアンケート調査は行われており、有権者の意向を知りうる場はいくらでもあるのである。
 にも関らず、結局落選した議員はそういった状況を分析していないのか、知ってても自分の主張を通せば何とかなると思っているのか、状況に対して何の対策もなしに投票日を迎えて落選という結果を招き、「何か分からない力と戦った」となってしまうのである。
 つまり私は今回の選挙の結果は立候補者個人の努力不足も多分にあり、民主党の勢いや麻生総理のせいにばかりにするのはいかがなものかと思うのだ。本人にまだまだやるべきことがあったはずだ。


 また議員に限らず一般の人の中にも、状況が悪化してもろくに分析をせず、諦めがいいというかただ嘆くばかりの人がいる。
 そういう人を傍から見ていると、状況分析どころかろくに手を打とうとせず、ただ状況悪化におろおろしている。確かに手をいくら打ったところで焼け石に水の場合もあり、状況の打開にはならない場合もあるが、多くの場合、嘆く前に打つ手尽くす手はいくらでもあるように思う。打てる手は一つじゃないし、一人で考えて分からなければ協力者と一緒に知恵を絞るべきなのに、ただただ悪い状況を嘆くだけでほとんど何もしない。
 何もしなければ何も変わらないのは当たり前で、悪い状況に遭遇したならば、まずは嘆く前に冷静になって尽くせる手は無いかよーく考え、思いついたらどんどん行動すべきであろう。もがいているうちに活路が見えてくる場合もある。
 とにかく嘆くヒマがあったら状況を分析して手を尽くすべきである。やるべきことをきちんとやっているかよく考えるべきである。


2009年08月29日 枝葉の議論に時間を費やすな
世の中には会話大好きな人がいて、大事な会議をしているときも、違う論点や枝葉の部分の議論を持ち込んで議論の本筋ではないところに時間を費やす人がいる。
本筋ではない論点が持ち込まれると、さもやその論点が一番大事な論点であるかのように思わされ、時間を費やされてしまう。
 先日も例に出した、「国立メディア芸術総合センター」を今回も例に取ると、これは政府の第2次補正予算として急浮上したものであるが、「意味がない」「無駄である」という反対派の意見に対して、出される意見というのは「これはアニメの殿堂ではない」「ゲームやアニメは立派な文化であるという」という主張が出されてしまう。すると議論はその是非を論点を中心に進んでしまう。
 しかし、ここで議論されるべき本当の論点は補正予算で組むものとして必要であるかどうかである。いうなれば今回の補正予算は低迷する景気への刺激策として組まれたもので、その建物を建てることによって有用な景気刺激策となるかどうかが論議されるべきであって、アニメやゲームの文化性を議論することは予算の目的から言えばなんの意味も持たない。本予算としての国の施策を議論を要する場合は必要な論点かも知れないが、緊急を要する補正予算ではその目的に純粋に沿っているかどうかを議論すべきであり、枝葉の議論に時間を費やすべきではない。しかし現実には国が借金をしてまで行おうとしている施策にもかかわらず、予算の本来の目的を忘れ、とうとうとアニメの文化性を語る人が現れてたりして枝葉の議論に膨大な時間が割かれている。


 しかしこれは国だけの問題ではなく、企業内でも時々同じようなことが起こる。
ある一つの新規プロジェクトの進行に関して本来は「成功させためのボトルネックはどこか」「マーケティングはどうか」「スムーズな業務フローを行えるか」など本来はこういうことに時間を割いて考えることが大事なのに、時々プロジェクトの本筋ではない枝葉の部分に時間が費やされたりする
 たとえば商品に書かれるキャラクターのディティールについてこだわったりするような場合である。そのキャラクターのディティールが、そのプロジェクト成功の鍵を握っているような場合もあるが、単に装飾の一つで全体から見れば枝葉であるような部分である場合もある。キャラクター好きや話し好きの人が加わったおかげでそこに時間を費やしすぎて、肝心のマーケティングが疎かになったりプロジェクト全体の進行が遅くなるようなことはよくある。
 このディティール議論のようにどの部分が大事かどうかの判断はプロジェクト責任者のコントロールセンス一つにかかっているのだが、結局はどんな議論をしていても時間は平等に過ぎていく。
 何がプロジェクトに必要な本質的な議論であるかを見極めることを忘れて、枝葉の部分にこだわっても時間を費やして結局はプロジェクトは成功しない。であれば枝葉の部分と幹の部分を見分けるスキルを身につけ、枝葉である部分の議論に時間を費やさないようにするのがビジネスとしての成功の鍵とも言える。
「枝葉の議論に時間を費やすな」である。


2009年08月20日 余分なプライド
中国国内の日本人ではあまり見かけないが、日本や中国人の企業だと、我々は○○グループの会社であると、さも自慢気に話す方がいる。
確かにその会社の総経理であったりすれば、そういった態度もわからなくはないが、そういう態度で話す方の多くは、何のこと無い一介の一従業員でしかなく、その人のおかげでその○○グループができたわけではないのに、さも虎の威を借りる狐のように誇りを持って話をする。
 まあ自分の所属する企業に誇りを持つことは悪いことではないが、その企業の看板というのは寄りかかるものではなく、必死になって守るものである。
その企業にいる時点で既に企業に守られており、それ以上よりかかることは企業に負担になるだけで、結局は企業を弱くする。
 それを勘違いして、ただ寄りかかってあぐらをかいている人がいかに多いことか?

それは企業だけではなく、日本という国の信用も同じことで、日本人であることで高給であったり、優遇されていることを当たり前のように享受し、それをさも特権であるかのように振りかざす。そうやっているうちに、日本という国は借金だらけになっており、実質的な能力は非常に低下しているのに未だに過去の栄光にすがりついて、今までの振る舞いを繰り返す。

 我々は○○会社の社員である、○○国の人間であるということが、そうでないこととどれだけ違うというのであろうか?そんな余分なプライドは邪魔なだけの気がする。
どうしてもプライドを捨てきれないというなら、プライドに見合った中身を保てるよう必死に守るべきで、寄りかかることほど馬鹿な真似はないと思う。


2009年08月10日 「ほうれんそう」の基本
社会人の新人が会社に入ってまず教え込まれるのが、「ほう」「れん」「そう」の基本である。
「ほうれんそう」とは言うまでもなく「報告」「連絡」「相談」のことで、つまりまめに状況を報告せよとのことである。特に状況が悪いときほどこれを欠かしてはいけない。小さな変化であれ、堤防の一つの穴が堤防全体を壊してしまうこともあり早めに対処しなければ間に合わないかも知れないからである。
 つまり状況が悪いときは、何らかの手を打ってアクションを必要があり、故にその状況報告は早いほどいい。それは社員→会社だけでなく、会社→社員の方向でも同じことであり、必ずしも社員側にだけ要求されるものではない。
 会社側も不利な状況ほど社員に明確に開示しないと、いざというときに社員の協力を得られなくなるし場合によっては不信感を生む。

また客先に対しても同様のことが言え、待ち合わせ時間に遅れたり予定納期に間に合いそうも無いときずるずる報告もなく遅れてしまえば、あっという間に信頼を無くしてしまう。もちろん遅れないことが第一だが、事前に状況さえちゃんと報告できれば、客先にも対処のしようがあり、ドミノ倒し的な遅れの連鎖を防ぐことができるので、こちらの報告が相手の被害を最小限にくいとめることができる。故に自社の仕事の遅れの報告は確かに格好悪いが連絡はするべきなのである。

 こういった日本では当たり前の「ほうれんそう」の基本だが、ここ中国ではまだまだ時間観念がルーズのためあまりきちんと実行されない。
それを強く感じるのは飛行機が遅れたときの空港係員の対応である。
 明らかにチェックイン時には遅れの状況が発生しているであろうにも係わらず、定刻表示され登場口について初めて飛行機の遅れを知り、そこで長時間待たされる。
空港間あるいは航空会社内部の連絡がうまくいっていないのか、或いはその空港の案内がルーズなのか、或いは客が逃がさないための「意図的」なサボタージュなのかわからないが、毎度毎度同様の対応で腹が立つ。搭乗時に遅れの状況がわかれば、別の便に振り替えることができたかもしれないのに、搭乗口まで来てしまっていたのでは基本的にお手上げである。飛行機の遅れは日常茶飯事の出来事とはいえ、状況によっては泣きたくなる場合もあり、そんな時空港係員の対応ぶりには苛立ちを覚える。

全てに通じる「ほうれんそう」、人の振り見てわが振り直せ、自分も初心に立ちかえって忘れないように気をつけたい。


2009年08月07日 中国でISO9001を取得している企業はすごいと思う。
 ISO9001というのは、国際的な品質保証認定規格のことである。といってもピンとこないかもしれないが、企業や組織の中の仕事の動きをきちんと定め、それを文書化して、その通り継続して実施することができるシステムがあると認証された企業や団体に与えられるものである。
 一見当たり前のことの要求であるようだが、これが価値を持って認められるということは、それだけそのことをきちんと実施できる企業や団体が少ないということである。
 人間の組織である企業や団体は、ともすれば組織の個人の裁量権が大きいため、恣意的な判断が行われやすく、企業としての一貫性や信頼性が損なわれることになりやすい。また業務の流れが文書化されていなかったり、その場の行き会ったりばったりの対応で、仕事の質に斑が生じ同じ業務を同じように依頼しても時期によって納期や内容に差が出来たりしやすく、会社の品質として信頼性に欠けた状態になりやすい。
 ここでいう会社の品質とは一般的にいう商品の品質、たとえば最高時速300kmで安定して走れる車ですとか、そういうものとは直接関係なく、どちらかといえば商品に対するクレームがあった場合、それをきちんと社内で処理し、顧客への回答・対応とともに、商品の改善にいたるまでのワークフロー体系がきちんと決まっていて、それが実施されているかどうかという部分のことである。

 もちろん、ルールは決めただけでは駄目で、実施されないと品質が悪いとされ、IS9001の場合は認証されない。また例え一度合格してもその後も継続的に審査が行われるので、企業内でそのシステムが機能し続けていないと、当然認証は取り消され、なんとその場合企業名が公表されてしまう。つまりこの企業は品質が悪くなりましたよということがばれてしまうのである。
 こういったISO9001であるが、日本では海外と取引を目論む大手企業が一生懸命取得に精力を傾け、取得をする企業がかなり増えてきた。国際取引をする上での信頼性の証であるからである。組織的なルールで動き方が得意とされている日本企業であるが、やはり全ての企業が取得できるわけではなく、取得できているのはほんの一部の企業に過ぎない。それだけ会社の品質というものを維持をすることがいかに難しいことかがわかる。
 
 さて、中国に向けると、ISO9001を取得している企業はゼロではないが、まだまだ非常に少ないというのが実感である。百度で検索してみても、審査の手続きをしますよという業者の広告サイトは目立つが「取得しました」と謳っている企業はあまり見当たらない。


 そもそも中国は国家自体が法治国家ではなく人治国家といわれるほど、法律やルールではなく人の裁量に依存された社会文化であり、ある意味ISO9001が目指すところの対極にいるのが中国文化である。
 会社でルールを定めても、老板の鶴の一声で朝令暮改に変えられてしまうのが中国企業の現実で、社長といえども株主や企業の一パーツである日本の会社組織とはかなり違う。
 またどんなに立派なルールがあったところで、まだまだ末端の社員までそのルールを厳格に運用させることが難しいのが中国の文化で、先日の餃子事件やメラミン牛乳事件で中国でも食の安全に対する意識が高まって法律も改正されたはずだが、現場では相変わらず商品の品質管理に対して無頓着な対応が続いていると知り合いの日系企業の方から聞いたことがある。
 そんな社会風土の中、仕事のルールを文書化して、純粋な業務上の部分以外は個人の裁量をを排除したようなISO9001のマネージメントシステムというものに認証された中国企業というものはすごいと思ってしまう。
 中国には個人能力に優れた人間はいくらでもいるが、組織として行動するのが苦手な国民性である。そんな中で企業の末端まで、システムを機能させることができる組織を作れた経営者というものは尊敬に値する。


 本人一人ならともかく、社員の協力が無ければ成り立たないのがISO9001である。社員に重要性を説き、実施させることがどれだけ難しいか、日本にいたときは、自分もこのISO取得に関わっていたことがあるのでその苦労は身にしみてよくわかる。 しかもこの中国での取得となるとその国民性のベースが、日本より難しいところにある分だけ、その相対的難易度はさらに高いと思われる。
 もっとも、ここは中国であるからして、そのISO9001の審査が厳格に行われたかどうかは、疑いが残る部分ではある。果たして日本と全く同じ水準、同じ厳しさで審査が行われているのかという疑いである。
「人治国家」の社会風土であるからして、ISOの審査機関といえども中国人だけで運営されていたならば、袖の下が存在しないのかどうかなど、100%の信頼感を持ってみることが出来ないのが実際のところである。
 まあ、そんな疑いの面を割り引いて見てもISO9001、あるいはそれに続く環境マネジメントシステムのISO14001などを取得している中国の企業はそれなりに信頼に値する。それを意識しているというだけでも全く違う。
 実際に取得出来ている企業は少ないかもしれないが、今後中国で取引企業を探す際に、ISO9001あるいは14001は取得しているかと質問するだけで、相手の企業の姿勢や考え方を見抜けたり、中国全体の企業の質の向上につながるやも知れないので、中国でのビジネス行う方は是非頭に入れて欲しいのがこのISOである。


2009年08月02日 ヒットは出なくても得点は入る
 野球の例え話で、ルールのわからない人にはちんぷんかんぷんかも知れず恐縮なのだが、ビジネスにおいてホームランやヒットを打つことばかり考えている人がいる。
もちろん、ホームランが出れば得点は入るし、ヒットが出れば得点の確率は高くなる。
 しかし、忘れないで欲しいのは、野球はヒットの数を競うスポーツではなく、得点を競うスポーツだということである。
つまり実は野球においてヒットやホームランは、得点における必須事項ではない。

どういうことかというとヒットをを何本打っても得点にならなければ試合に勝つことはできないし、ホームランはなかなか出る確率が低い結果なのでホームランばかり狙って皆で大振りし、1試合に1本だけホームランが出たとしてもそれでは1点しか得点を得ることができず、試合に勝つことはなかなか難しいのである。


 逆に、先頭打者が四球で歩き、その後2塁へ盗塁、そして次の打者の内野ゴロの間に3塁へ進塁、そして外野への犠牲フライで生還すれば1点となる。つまりノーヒットでも得点することができる。もしこれを9イニング繰り返すことができれば、理論上はノーヒットで9点が入ることになり、それ以下に失点を抑えることができれば勝つことができる。
 つまり野球の勝利にヒットは必要条件ではないということになる。逆に投手の側の言葉に、ノーヒットノーランという言葉があり、無安打無得点試合と訳されるが、無安打でも無得点ではない場合が有りうり、無得点に抑えなければ記録にならないということなのだ。
 

 さて、これらを仕事の話に置き換えると、ビジネスにおいても必ずしも「ヒット」つまり「ヒット商品」は必須ではないといえる。得点が入ればいい、儲かればいいということになる。
 もちろんヒット商品があれば儲けが出る確率も高くはなるが、実は必ず儲かるとは限らない。売れたとしても利益率が低かったりして儲けの採算ラインまでなかなか届かない場合がある。
 またホームランならば得点は入るが、そればかり狙っていたのではほかの面でに犠牲が多く、結局ホームラン以外の得点がなく、全体として大きな利益になってない場合がある。故にホームランを狙うと実は会社全体にマイナスになってしまう場合が多い。
 ではビジネスにおける四球とは何か?
 それは球の見極めで、話の見極めであるように思う。
 ヒットにならないであろう球をきちんと見極め、ストライクゾーン(リスクの高い話)ならファールでカットし、ボール球(安全な話)なら見逃し(無条件に受け入れる)、そうやってリスク回避を続けることによって、ヒットやホームランが出そうな好球を待つ。そうやって危ない話を避け続けることによって信用が積み重なって四球でフォアボールで歩くことができるようになる。四球を続けることによって、満塁押し出しなんてこともあるかもしれない。

 もちろん相手(ライバル会社)のあることなので、こちらが何にもせず得点を重ねていくことは難しいが、隙を見て盗塁(抜け駆け提携?)をして、犠打(協力連携)で得点を重ねることは可能かと思う。クサイ球を見極め、カット(危険回避)する技術は必要だが、少なくともホームランばかり求めるより確実に得点に近づく。
 つまりヒットは出なくても得点は入るということである。




2009年07月30日 二度目の依頼の無かった仕事
振り返ってみると、昨年は引き合いがあって今年は音沙汰が無かった仕事がいくつかある。先方の都合でその仕事自体がなくなっている場合もあるが、よくよく調べてみると他の業者と取引しているような形跡を見つけてしまったことがある。

 つまり、前回の仕事以降、自分の会社の仕事がお客に満足してもらえず、何らかの形で見限られたような格好になっている。
 まあこういうことが分かると悔しい限りだが、実は見限られた理由に心当たりが無いわけではない。
 一つは締め切り期限などの問題で、ギリギリで押し込んだり、遅れたりした仕事は二度目が回ってきていない。
 もう一つは、客先の要求をこなすのに手間がかかって何度もやり取りしたような仕事も二度目の依頼が回ってきてない。
 どちらも信用や会社としての能力が見限られた形になっており、そういう面では非常に悔しい。

 昔読んだ本で、指揮者の小澤征爾氏が修行時代にあるオーケストラへ客演した際にマネージャーに「一発で成功させろ、二度目の依頼がなかったら失敗だと思え」といわれたらしい。確かにその通りである。
 普通の仕事の場合でも、二回目の依頼がこなかったら仕事は失敗したと考えるのが正しい。その失敗の理由が一時的な仕方ない理由である場合もあるが、ビジネスの上で「今度こそうまくやる」は通じない。その理由だって回避できる方法はあったはずである。
 一つの失敗は全ての失敗に通じると心得て今後仕事に臨みたい。



2009年07月27日 計算機をやめてExcelを
日本では散々当たり前のように使いこなしていたExcelだが、上海に来てから使う機会がめっきり減った。
確かに日本の会社での業務は800人からの社員のデータを扱うような仕事をしていたので何千件というデータを日々非定型に処理するのにExcelの利用は必須だった。
しかし、上海に来て以降、仕事が変わったこともあるが、社内でExcelを共有することがなくなったのも私自身がExcelを使わなくなった一つの要因ではある。
いや正確に言うと皆使ってはいるのだが、作表するだけのワープロとしてExcelを使っているのだ。図表は作るが定型的な業務を省力化するための計算ツールとしてはあまり使われていない。縦横合計の計算くらいは埋め込んでいるようだが、それ以上の式を埋め込んでいる人はほとんどいないのである。
 で肝心な計算はどうしているのかというと電卓を叩いて計算しているといった有様である。これはとても勿体ないことである。
 なぜ彼らはExcelもっと活用できないのだろうと不思議になった。
 Excelはご存知の通り、かなり複雑な条件式や計算式を組み込みつつ、簡易データベースとしても利用できる非常に汎用性の高いソフトである。一アプリケーションという位置付けに留まらず、現在のパソコンを使った業務の必須ソフトといっても過言ではない。


 確かにExcelの計算式は慣れない人にとっては一見複雑そうに見えるかも知れないが、少なくとも電卓を叩いて計算できるような内容なら、何の苦もなく対応でき、それほど複雑な計算式にはならない。そしてひとつの雛形を作ってしまえば毎月、毎週、毎日、毎案件ごとに使用でき、繰り返し作業というものを省力できるのだ。
 そういった繰り返し作業は日々の業務の中で非常に無駄な部分であり、できる限り省力化するのが業務改善である。最初の取っ掛かりは面倒くさいかもしれないが、一度作ってしまえば後々楽ができる。それがパソコンを使った業務の最大の利点である。
 しかしながらまだ中々浸透しないのが現状である。彼らを見ていると、最初の面倒くささの壁がどうやらまだ高いらしい。しかも分からないことに対する拒否反応がものすごく高い。
 また、定型化して合理化するという発想がまだ足りない。
 故に私の周囲にExcelの便利な使い方を教えるのに日々苦心している。もちろん中国語で、、、Excelの中国語メニューがまだ全部理解できず日々苦戦中ではあるが、これも最初の取っ掛かりであるゆえ仕方ない。
 今後計算機を使わせないようにするためにも日々格闘が続く。




プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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