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2013年06月22日 香港に快晴を持ち込んだ?
 もう上海に帰ってきてしまったのだが、香港滞在中はとにかく天気が良かった。

 今年の香港などの華南地方はとにかく天候が悪いと聞いていたので、今回の私の香港訪問が決まった際も結構心配していたのだが、その心配を吹き飛ばすような好天に恵まれたのである、

 以前にもブログで書いたが、私は天気に非常に恵まれている人間であることは自慢の一つである。

 私がどこかへ旅をする際には雨に降られた記憶はほとんどないし、逆に行きたくないなぁなどと考えていたイベントの日は雨が降って中止になることがしばしばなのである。

 そして、今回も1泊2日の短期とは言え天気はとても良かった結果となった。

 で、今日現在の香港の天気予報を見ると大雨となっていて、私が去った後の香港はどうやら雨模様となっている。

 まあ中国の天気予報なので実際に天気予報通りになっているかどうかは分からないが、少なくとも快晴では無さそうであり、私が滞在していた期間ほどの天候に恵まれているようには見えない。

 とすると、非常にラッキーなタイミングで香港を訪れたのかもしれず、偉そうに言えば、今回の好天は私の好運が好天を香港に持ち込んだということになるかもしれない。

 財運にはあまり恵まれない自分だが、こういうツキはあり、今後も大事にしていきたいと思う。

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2013年06月21日 チョンキンマンションン(重慶大厦)に泊まってみた
 今回の香港訪問は実は私用だったため、コストを出来るだけ抑えようと行動したのだが、その中で一番頭を痛めたのが宿泊費だった。

 何しろ香港はホテル代が高い。

 私が思うに世界で一番ホテル代が高い街ではないかという気がする。

 香港はご存じの通り山が多くて土地が狭いため、不動産関連は東京の都心に負けないくらいべらぼうに高く それ故にある意味面積貸し商売となるホテルも異常に高い。

 そんな土地柄にも関わらず、香港にはアジアや世界中からパックパッカーのような貧乏旅行者が数多く集まる。

 そんな人達はどこへ泊まるのかと言えば、ゲストハウスと言われる簡易宿泊施設であり、そんなゲストハウスが沢山集まっているのが、かのチョンキンマンション(重慶大厦)である。

 まあこのチョンキンマンションは、このような貧乏旅行者が多いため、治安の面で必ずしも良いとは言えず、やれ鍵を破られて強盗にあったとか、殺人が起きたとか、とにかく悪い噂は絶えない。

 とはいえ、それはそれだけ無数の旅行者がこの場所に宿を求め来ている証しであり、正確にどれだけの部屋が存在するのか把握されている資料もないほどに部屋数が多いようである。

 そんな中、ある旅行サイトでここのゲストハウスが掲載されており、背に腹は代えられぬ事情もあって少々怖いもの見たさで、このチョンキンマンションのゲストハウスに泊まってみることにした。

 到着した時は既に夜であったが、マンションの入り口は非常に明るく、両側には非常にレートの悪い両替商が煌びやかなネオンを光らせている。

 そして中に入ると、やたらインド系の人がいるのに驚く。

 携帯電話やDVDを売る店が並び、アキバの路地裏かガード下に入り込んだような雰囲気が広がり、薄黒いインド人の人波もあってすごく怪しい雰囲気だ。

 そして手前の方のエレベーターに、人が行列していた。
 恐らく上層階のゲストハウスに泊まる人たちで、エレベータが小さいために順番待ちをしているようだった。

 私が泊まるのはもっと奥のエレベーターだったが、あんなに混んでいたらどうしようと思いちょっと不安になった。

 幸い私の利用するエレベータは空いており、並ばずすぐに利用できた。

 恐らく、私の利用した部屋は、このマンションの中では比較的高級な部類なのかと思われるため利用密度が低い=宿泊者が相対的に少ないのではないかと推測される。

 さて、エレベーターで受け付けのある15階に行くと、幾つものゲストハウスがあったのだが、突然黒人のお兄さんに手招きをされて呼ばれる。
 
 どうやら彼がここの窓口担当らしく、英語で「予約はあるか」と話しかけられてきたので、予約してきた紙を見せると予約資料を探し始めた。
 幾つも看板があっても窓口は同じで、部屋を持っているオーナーだけが違うのかなという印象だった。
 どうやら私の名前ははっきりとは見つからなかったようだが、そのまま泊めてもらえることになった。

 宿帳に名前とパスポート番号を書いて手続きは終わりである。

 そして5階の部屋に連れて行かれ、部屋を見せてもらった。

 ダブルルームを予約したはずだが、見せられたのはベッドのファミリールームであり、まあ1人で泊まるだけだからこれは気にもしなかったが、やはり想像していたようにとても狭い部屋である。

 ほぼベッドが全てのような部屋で、トイレと一緒になった1畳にも満たないシャワールームがついているのみであとはテレビエアコン以外は何もなかったが、まあ寝るだけなら狭苦しさも感じず、十分と言えば十分だった。

 そしてこの空間では贅沢にもWIFIは無料で使える。

 ただ困ったことに、電源プラグの形状が、香港的な逆T字型しかなかったため、パソコンと携帯の充電に困ったのだが、これも後ほど1階で変換プラグを10HKドルで買ってくることで解決した。

 室内はエアコンが利きすぎて少々寒かったのだが。調節方法が分からなかったため、諦めて毛布をかぶることで我慢し、そのまま寝た。

 壁が薄く水の音が聞こえてくるし、インド人が作っていると思われるカレーの臭いがどこからともなく漂ってくるが、まあそれが気にならないくらい、暑さで疲れていたため、すっと寝ることが出来た。

 こんなチョンキンマンション体験であった。

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2013年06月20日 香港と上海の夜景の闇の深さの差
香港の夜景(斜めになってしまった、、)
昨夜香港にやってきて、久々に香港の夜景を眺めてみた。

 上海も外灘の夜景や陸家嘴など摩天楼群の夜景が有名だが、香港の夜景は100万ドルの夜景と言われるほど有名であり、こちら年季が違う。
 上海の夜景より香港の夜景の方が迫力がある。

上海の夜景
 上海も外灘の夜景や陸家嘴など摩天楼群の夜景が有名だが、香港の夜景は100万ドルの夜景と言われるほど有名であり、こちら年季が違う。
 上海の夜景より香港の夜景の方が迫力がある。 どこに違いがあるのか考えてみたが、ビルそのものより背景の問題かなと言う気がする。

 上海の夜景は手前のビルだけが光を放っているが、香港の場合は何層にも重なって高層ビル群が立ち並び光を放ち、数の上でも圧倒し、そこにはまさに100万ドルの富がたくさん詰まっている。

 そしてこの迫力の違いを決定づけるのが背景のピークの稜線の光なのかなという気がする。

 背景の山の中にポツンとポツンと見える光と、その間の闇がゾッとするような奥深さを感じさせるのである。


 昔どこかで読んだ資料に、イルミネーションに人は何故惹かれるのかと言った説明で、人は光に惹かれるのではなく、光と光の間に見える闇の空間に惹かれるのだと言った文章があった。

 そういった意味でいえば、この香港の夜景の光の後ろに見える闇は惹かれるのに十分な闇である。

 そういった面で言えば上海の夜景はどこかまだ表面的で薄っぺらい。

 もちろん上海の夜景の後ろに山が来ることは今後も永遠にないため、香港の夜景のような奥深さを感じるようになることも永遠に無いのかもしれない。

 香港の裏社会までを感じさせるその闇の深さは、今後も100万ドルの夜景を引き立ててることになるのであろう。


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2013年06月19日 時差ボケと戦うサッカー選手
 日本代表のサッカー選手と言うのはつくづく過酷な役割だなと思う。

 先日完敗したブラジル戦に関して、長時間の移動が影響したなどという記事をチラホラ見かけるが、まあそれも一因かもしれないが、時差ボケも大いに影響しているように思うのである。

 我々のような一般的なテレビ観戦者は、テレビをつければ試合を見ることが出来るが、スポーツ選手の大半は日々試合会場を求めて移動を行なっているのがテレビの向こうの実情である。

 野球でもサッカーでも同じだが、球場でのテレビカメラアングルはどこのスタジアムでも大体一緒なので、ついついゲームの中でのデザイン変更オプション程度の印象でしか物を見なくなるが、彼らは毎試合ごとに東奔西走であちこち遠征しているのが現状なのである。

 それでも国内リーグの場合は、同一国内で行われるので、時差もなく移動や気候変動による疲労だけを気にしていればいいが、国際試合を行なうサッカー選手はそこに時差ボケという敵も加わってくるから厄介だ。

 例えば今回の日本代表の移動スケジュールを見ると、6月4日の埼玉スタジアムから11日のイラク戦の行なわれたドーハとの時差は6時間あり、試合開始時間も日本時間ベースで考えると19時半から23時半への変更で時差が4時間あった。

 まあこのくらいは許容範囲であろう。

 しかしコンフェデレーションズカップの15日のブラジル戦の行なわれたブラジルとイラクの時差は6時間で日本との差は12時間、つまり地球の裏側である。

 そして試合開始は日本時間の朝4時で時差は8時間半となり、幾ら現地では昼間の時間であっても選手にとっては日本時間の4時の体内時計から幾らか調整されたに過ぎず、僅か10日余りので12時間の時差を克服するのはいかに屈強なサッカー選手と言えども大変だろう。

 午前4時と言えば観戦していた我々も感じていた通り起きているだけでも辛い時間である。

 そんなコンディションの中で90分間フルタイムで走り続けてサッカーをやるのは、身体のコンディションから言って無謀に近いというほかない気がする。

 しかも相手ははるかに格上の、かつ準備万端のブラジルであった。

 希望的観測でものを言うのは良くないかもしれないが、ここまでのコンディションの悪条件が無ければ、日本代表はもう少しまともな試合が行えたかも知れないという気がする。

 故に徐々に時差ボケが解消される2試合目、3試合目は徐々にコンディションが上がってくることが期待されるが、それにしても試合の度に時差ボケと戦わなくてはならないサッカー選手はつくづく過酷だなぁと思う。

 そう思いつつ、サッカーの国際試合の行なわれる時期は一緒になって時差ボケになっている私である。


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2013年06月18日 未解決なのに消えた原発デモ
 トルコの反政府デモやG8会場付近でのデモ活動が日本も報道されてるが、昨日聞いていたラジオの中であるジャーナリストがこんなことを言っていた。

 日本の原発デモは解決してもいないのにいつの間に無くなったというのである。

 確かに言われてみればその通りで、昨夏にあれだけ騒がれていたにも関わらず、
恐らく昨年の衆議院議員総選挙辺りを境に報道を聞かなくなったような印象がある。

 確か彼らは原発政策に反対しており、それが選挙でも争点の一つになったはずだが、選挙を終えてみて自民党の圧勝となり、原発反対派にとっては前に進むどころか後退した感のある状況になっているにも関わらず原発デモのニュースは聞かなくなった。

 実際、新政権のその後の政策の中身は原発廃止どころか輸出までするという話も出ており、「原発反対」と言う主義の人からすれば、憂慮すべき状況で、さらにデモはヒートアップしていて然るべきなのに、現実的には消えてしまっている。

 これは果たしてどういう事なのだろうかとちょっと考えてみた。

 まあ飽きっぽい国民性という片付け方も出来るが、そういうことではないという気がしている。

 私が思うに「原発反対デモ」を支えた意識は「原発反対ではない」と思え、つまり原発反対デモは表面的な現象でしかなく、根源的な不満はもっと別のところにあるだという気がするのである。


 そこで思い出したのが、私が昨年書いた原発デモに苦言を呈するブログにコメントをくれた人の文章である。

 今思うとその人の文章には「既得権益」と言う言葉が何度も出てて、原発そのものの危険性に反対するというより、社会への不安が強く、その象徴的なターゲットとして原発に反対するといった姿勢の文章だったように思える。

 つまり経済的困窮などによる社会不安への不満が自分たちと違った場所にいるように見える既得権益者(のように見える)人たちに向けられており、その経済社会の象徴として電力を生み出す原発が結びつけられ、原発が自分たちの生活を脅かす社会不安の根源として原発を廃止しろというデモの形になったのではないかと思えるのである。

 それが昨年の選挙によって政権が交代し、まあ今のところ中身が伴わない表面的な雰囲気であっても、実際円安や株高が進んで経済に対する将来への期待が頭をもたげてきたため、生活に対する不安感がやや解消されつつあるためにデモも無くなったのではないかと私は分析してみた。

 もちろん今でも原発反対の声は無くなっていないが、生活への不安を基準にした場合は、原発の危険性より経済回復への期待の方が勝っているのが、現在の社会の雰囲気がと言う気がする。

 もちろん、この現在の景気期待感が裏切られればデモが再燃する可能性もあり、その時の状況は前政権の時より逼迫するのはないかと私は感じている。

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2013年06月16日 理想と現実のギャップ
 今朝のコンフェデレーションズカップの試合で、日本代表とブラジル代表が対戦して0-3のスコアで日本代表が完敗した。

 戦前の予想では、勝てないまでももう少し善戦するのではないかと思っていたが、そんな希望は見事に打ち砕かれてしまった。

 しかも試合内容はスコア以上に差があるように感じ、まさに「優勝を目指す」と言っていた理想と現実のギャップを突き付けられた形となった。

 このように現時点では埋めようのない差を知ってしまったわけであるが、ただ、このような理想と現実のギャップを突き付けられることは人生の各シーンでも多々あることではある。

 故にそういった現実を知った時に次にどう行動するかが実は重要なポイントとなる。

 つまりそのままそのギャップを埋めるために今の努力を続けるのか、その道を諦めて次の道を探るかを考えなくてはならない。

 これは立場によってもその選択肢の有り様が違うが、今回のサッカーの件で言えば、選手は今のチームの環境で努力するかチームを出るかの選択肢があり、監督からすれば戦術や選手を替えるという選択肢があり、それぞれがどう進めば理想に近づくかを真剣に考えなければなない。

 もちろん、全く諦めるという選択肢だって言葉としてはあるが、それは人生を捨てるという言葉と同義語で、自分の努力不足に負けただけの意味であり、それをする意味は全くないと言ってよく、してはならないのである。

  故に、結局どんな道でも前に進むのが唯一の道と言うことになる。
  理想と現実のギャップがあっても、結局は前に進むしかないのである。


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2013年06月16日 気の毒な日本の政治家たち
 日本の政治家たちを見ると、時々気の毒に感じる時がある。

 他国に比べ鍛え方が足りないというか、鍛えられる場もなければ政策能力を高める場もないまま国政を担う立場を背負わされる場合が少なく、そのまま何となくの数週間の短期間の選挙の結果で首相や党首などになる場合が少なくないからである。

 その結果どうなるかというと、運よく政治力のある人間がトップになればそこそこの長期政権が作れるが、大方の場合は他国に比べ非常に短期の政権で終わっているのである。

 ウィキペディアの資料によれば、明治の大日本帝国憲法以降の日本の内閣総理大臣経験者は62人いるとされるが、そのうち1年以内の短期間で終わった総理が20人もいる。

 さらに40人が2年以内しか在職しておらず、実に内閣総理大臣経験者の3分の2が2年以内の短命在職と言う実績であり、逆に4年以上の在職期間を経験したのは7人しかおらず、3年以上に拡大しても11人にしかならない。

 これに比べアメリカや韓国の大統領の任期は4年、中国の国家主席は5年であり、如何に日本の内閣が短命かが分かる。

 この原因として一つ考えられるのが、日本の政治家が政治的に鍛えられないまま政治の舞台に立つから経験不足で打たれ弱いということがあるという気がする。

 例えばアメリカなら、大体が上院議員や州知事などまず政治の実践の場で実績を積んでから大統領選挙に進むのが通常であり、大統領候補になるために実質一年近くの予備戦を党の内部で戦って候補に選ばれる必要がある。

 さらに大統領選本番でも実質半年近くの選挙戦を戦うことになるから、結局候補者は1年半近くもの間に本人の人物の政治的思想や人間性が徹底的にさらけ出されるので、選挙に出る本人は相当の準備を持って臨む必要があり、色んな弱点をつつかれる度に勉強してカバーしていくことになるから、選挙期間を乗り越えることによって大統領になる政治家として鍛えられる面がある。

 また、この選挙活動の中身も単なる選挙カーの上からの一方的な街頭演説ではなく、州によってはタウンミーティングのような非常に自治意識の高い選挙民たちの討論の中にさらされるため、国民と非常に近い距離で意見を受け止める必要があり、マイノリティーなどへのかなり幅広い視野を求められる。

 こういった修羅場を潜って成長した人間が選ばれるのがアメリカの大統領であり、こうやって鍛えられた大統領が打たれ強くなり、ちっとやそっとの事では揺るがないのは当然のことのような気がする。

 また中身は違うが中国の国家主席とて、一党独裁と言っても当然ポッと出の党員から主席に選ばれるわけではなく、長年に渡って国内のあちこちの機関を歴任するうちに組織の人間として鍛えられ、そこを勝ち抜いてきた海千山千つわものであるから、この非常に複雑な国のトップとして君臨出来るのだと思われる。

 さらにアメリカの大統領などは就任した後も非常に優秀な政策ブレーン機関がつくと聞き、ある政策方針をとった場合の影響を即座に分析レポートしてくれるから、迂闊な政策ミスはほとんどなない状況にあるようだ。

 これに比べ日本の政党の政治家は、どちらかと言うと地域の地盤を受け継いできたお山の大将のような人も多く、親が死んだから出てきた二世のような鍛えられていない人がいきなり国会議員になってしまう場合が少なくない。

 そしてその議員たちをまとめる政党組織も組織と言っても、会社や役所のような固定化された組織というよりも、同じ意識を持った人が集まる寄り合い所帯的な議員連盟組織であり、そこで組織の論理や難しさを学ぶような関係になっていないというのが日本の国会議員たちの実態になっている。

 さらに実際の政治の中身についても、政策勉強は本人たちの自助努力に頼るほかなく、日本のように自治意識の薄い国民との間で幾ら討論をやっても我田引水的な利益誘導の要望しかないので、例えば国の財政危機などについては深く突っ込んだ真剣な議論や認識にならないのである。

 日本の場合は、本来ならば政治家が膨大な情報量を持つ官僚組織をうまく使いこなして政治家主導で政治を進めればいいのだが、組織に関わる人間としての鍛え方が足りないまま議員になっているため、膨大な情報量を持つ官僚たちを使いこなせず、逆に使われてしまう面もあるのである。

 結果、あまり広い視野を持っているとは言えない政治家が官僚政策に乗った格好で、わずか数週間の短期の政局の勢いで首相に選ばれたりするので、就任後の一つや二つの政策については乗り切れるが、議会運営などで一つ問題が発生したりすると、堪えきれず短命の内閣で終わってしまう結果となる。

 このような自治意識のない選挙民風土の環境の中で、鍛えられる機会もないまま短期的な選挙活動の結果だけで政治を行なっている日本の政治家たちはちょっと気の毒であるという気がする。

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2013年06月15日 オランダ代表のユニフォームが漢字表記
 先日、日本の男子サッカー代表がイラクと戦っていたあの日、その裏?では中国ではオランダ代表を迎えてフレンドリーマッチをやっていたようである。

 そういえばニュースでも、ロッベンがサインをねだろうとしたファンを警備員が止めたのを見て警備員を怒鳴りつけただの、オランダ代表チームが現地政府から要望された故宮の観光を拒否したのだと、幾つかトピックスが話題になっており、まあ試合をやるのだろうということは知っていたが、何よりも日本代表の試合の裏試合だったので、興味が無かった。

 故に、その試合の存在を知ったのは翌日テレビをつけた時に、試合中継の再放送をやっていたからである。

 この試合、最終的にオランダが2-0で勝ったようなのだが、興味深かったのはオラン代表のユニフォームと、その名前の表記である。

 なんと選手の名前が背中に漢字表記されていたのである。

 ロッベンが「羅本」、スナイデルが「斯内德」となっており、一人一人の名前を説明しているような印象で、親善試合と言うよりまるでスター揃いのオランダ代表の見本市のような状態だった。

 しかもそのくせ自国の代表選手のユニフォームは番号だけで名前が無く、オランダ代表を見るための当て馬感は否めない状態だったのである。

 まあ一部にはオランダ代表にとっても金目当ての顔見世興行という報道もあり、オランダ代表もそれを認めたという報道もあったようで、この漢字ユニフォームもOKしたのだろう。

 以前、プレミアの試合で「嘉士伯」というカールスバーグのビールの中国語表記の広告が胸に着いたこともあったが、それだけ中国から欧米サッカーを見ている人が多いと言う事かもしれない。

 まあそれにしても、他国の代表に自分の国の言葉をつけさせてしまうなんて、相手がオランダであるかどうかを抜きにしても、一国を代表してくる対戦相手に対するリスペクトが足りないという印象がしており、サッカー観戦を単なるエンターティメント商品の一つとしてしか見ていない状況を、この漢字ユニフォームに見てしまう気がする。

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2013年06月14日 則巻千兵衛さん
 声優の内海賢二さんが亡くなった。

 YAHOOのニュースでは「ラオウの声優亡くなる」と出ていたので誰のことかわからなかったが、「Dr.スランプ アラレちゃん」の則巻千兵衛さんの声優だと知ってびっくりした。

 まあ世代によって見ていたアニメが違うのは当然で、私はラオウの出ていた北斗の拳はほとんど知らないので、ピンと来なかったのである。
 (「お前はもう既に死んでいる」のセリフは有名だったが、それしか知らない)

 そうか、そんな歳になってしまったのか。

 考えてみれば最初の放送が行われたのは私が9歳の時であり、あれから30年以上が経ってしまっていると考えれば、声優さんが亡くなったとしても不思議ではないのであるが、やはり寂しさを感じる。

 そういった懐かしさを思い出してみてまたちょっと観たくなり、中国の百度で昔の映像がないかどうか検索したところ、全放送分が登録されていることを見つけた。

 まああまり時間も無い中でちょとだけ見てみたところ、40代バリバリの内海賢二さんが千兵衛を楽しむような演技っぷりは絶好調で、今見てもとても楽しかった。

 今回そんな小さなころの思い出がなくなったのは残念である。


 ところでこの、「Dr.スランプ アラレちゃん」は1997年にもリバイバルで作成されているのを今回初めて知り、その映像も見てみたが、初代作品とは声優陣も違い前作のイメージもあって私には馴染みづらい作品となっていた。

 まあ評するに、前作の面白さを知っていた世代のクリエイターが、主要要素だけ抜き出して、新時代的にアレンジしてスピードアップしたものであるという感じだったが、私には前作にあったアホらしい限りのペンギン村ののんびり感がなく、そこが魅力だったはずなのに新作にはそこが見られず寂しさを感じた。

 ただ、現在中国で売られているアラレちゃんのキャラクターグッズなどは、どうやら97年版のキャラクターデザインをベースにしている物が主流のようである。

 メガネの形などが微妙に違うのである。

 以前から最近の中国人達が売っているキャラクターグッズは私の記憶にある印象とどうもちがうなぁと常々感じていて、パクリ文化の偽物デザインだからと自分の中で片付けていたが、今回97年版があることを知って、そのグッズだという事を知って納得した。

 ただ、そうすると現在の中国人達がイメージするアラレちゃんや千兵衛さんのキャラは、97年版のものということになり、同じキャラを知っているはずなのに実は彼ら彼女らと違うものを意識しているのかと思うと、得も言われぬ壁を感じてしまう。

 私にとっての則巻千兵衛さんはやはり内海賢二さんでなくてはならないのである。

 故人のご冥福をお祈りします。

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2013年06月14日 ロケット発射で飛べなくなった飛行機
 先日、中国のロケット神舟10号が打ち上げられたことがニュースになっていたが、その陰でちょっとだけ気になるニュースを見つけた。

 11日の神舟10号のロケット発射時刻の前後に、発射場近くの山東省済南空港では離発着禁止の措置が取られたというのである。

 もちろん念のための安全確保という理由であった。

 報道によればロケット打ち上げ予定時刻の17時38分に合せて、済南空港では16時30分から同空港からの出発はもちろんのこと、到着便の着陸も受け付けない状況になったようで、18機の機体が空港で待機させられていたという。

 そして17時38分に無事打ちあげられ、大気圏突破後の18時5分にこの飛行禁止令は解除されたとあり、その後航空ダイヤは正常運行に復帰したと報道されている。

 まあ、トラブルもなくたわいもないニュースと言えばたわいもないニュースだが、有人ロケット打ち上げと言う国家プロジェクトのためならば、95分間も民間航空機を飛行させなくてもいいという状況になっている。

 もちろん、これがかなり早い時点で告知されているなら特に問題もないと思うが、通知されたのが発射2日前の6月9日であり、これにより予定が狂わされた人も大勢いるだろうと思うが、そんな個人の要求は国家プロジェクトの看板の前では一蹴されてしまうに違いない。

 日本だと、緊急時の臨時の特別措置を除いて、こういった大イベントが2日前の告知と言うことも有り得ず、民間航空便の運航禁止時間設定などということはほとんど考えにくい状況なのだが、この国ではそれが通じてしまう。

 たかが95分の飛行禁止であるが、この国の状況を垣間見るようなニュースである。
 


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プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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