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2010年03月08日 貯金のできる仕事をする
給料が高い仕事を探すとかそういう話ではない。
 日々の仕事を単なる一回限りの一過性のものとしてやっていたのではいつまでも成長できないという話である。
 つまり、一つの仕事をするとき単に右から左へ仕事を流しているだけでは、何年その仕事を続けてもその仕事から得られる利益は変わらない。
しかし、ここに貯金として使える仕事を見つけることが出来れば後々、それらは利益となって帰ってくる。
 例えばイベント開催のように、一回きりの仕事は、どーんと利益が入ってくる可能性は大きいが、結局はその契約それっきりであり、その仕事が終わったらまた新しい契約を探さなくてはならない。これは利益が大きいようで実は効率が良いのかといえばそうとも言えない。
 それよりも、新しい商品を開発する、新しい店舗を開くなど後々長期的な利益を生むものを確実に作り出すことが出来れば、利幅はそれぞれ大きくなくても
継続的に利益を生むことができる。そういう仕事を探すことが貯金のできる仕事を探すということである。

 もちろん、これは事業規模の話だけではなく、日々の仕事にも同じことが言える
例えば、一つの新しい仕事をするときは、必ずその経過や連絡した相手先などを記録して、後々別の仕事にも活用する。
こうすれば単に目先の仕事を処理したときの利益に留まらず、後々自社のノウハウや人脈としてストックしていくことが出来る。
これを一過性の仕事として、何も記録に残さなければ、例えば担当が替わったり時間が経ったりしたときに同じ仕事が来ても、また一からやり直さなければならない。
このような作業は非常に無駄で、効率が悪い。
 つまり、日常の仕事の中で無駄を省くことというのは、一度やった仕事を二度やらずに済むように一度目の仕事をやるということに他ならない。
これが後々貯金として帰ってくる。そういう仕事を探さなければならないと日々思考中である。



2010年02月12日 間もなく900兆円を突破する日本の国債残高
日本の国債残高が2009年度末に900兆円を突破する見込みとの発表が日本の財務省からあった。
900兆円といわれても、まるでぴんと来ない数字だが、国民一人当たり684万円だそうだ。お年寄りから赤ん坊まで皆が700万近くの借金を背負った格好になる。
日本人の平均世帯年収が600万円程度であるから、年間の収入を全て借金返済に充ててもまだ足りないことになる。しかもこれは世帯収入だから平均世帯人数の2.58人をこの国民一人あたりの国債発行額にかけると、一世帯あたりの国債残高は1764万円で、全世帯が全ての収入を借金返済に充てても丸3年かかってしまう金額になってしまう。
 つまりは結局途方もない借金額であり、日本という国の財政がいかにどうにもならない状態になっているのがよく分かる。

ではこれを減らすにはどうしたらいいか?

 答えは単純である。収入の範囲内で借金を返済していき、新たな借金をしないことである。


上記の平均世帯年収の数字の例を使って言えば、例えば600万円の世帯年収のうち約1/3にあたる180万円を借金返済、つまり税金として収めて国の借金返済に充ててもらえば10年で借金はなくなる。
しかしこれでは国の公共サービスの運転資金がなくなってしまうため、180万円の税金のうち半分を公共サービスの負担分とし、半分を借金返済に充てて返済期間を倍の20年とするか、世帯年収の半分を税金として収め、180万円を借金返済に、120万円を運転資金いに充ててもらえば、やはり10年で借金はなくなる。
 実際の借金額に置き換えると毎年90兆の返済をすれば10年で借金は無くなり、45兆ずつ返済すれば20年かかるということになる。
 現在の国家予算が補正も含めて90兆超であり、税収が40兆ほどであることを考えれば、20年で返済するにしても、ざっくり税収を2倍にして国家の事業を半分にする必要がある。
 もちろんこの計算は利息を考慮していないので実際にはこの返済期間はもっと延びる。
年収の1/3とか1/2を10年も20年も税金に取られてしまうのは今の日本の社会生活の常識から言えばとんでもないことであるが、現実にそれだけの国が借金を背負っているということは、国外にそのお金が流出していない限り直接的間接的に身の回りの何かに化けてばら撒かれていることになっている。
 いらない公共工事やわけの分からない公共施設であろうとも国の税金がそこに使われれば、国民にその恩恵の実感はなくとも<国民が恩恵を受けたことになっており>、いままさにその国の借金がツケとして国民に背負わされようとしているのが現実なのである。
 過去を嘆いてももう出来上がってしまった借金は後戻りは出来ないし、帳消しもできない。この借金をきちんと返せるかどうかはこれからの政府コントロールや国民の意識にかかっている。
 これからは国のサービスは今までの1/2になるかも知れないのだから、頼ることを期待してはいけない時代になった。そう覚悟しておいたほうがいい


2010年02月11日 会社の休み方
先日のブログにも書いたが3月末に一時帰国を模索しているのだがなかなか日程が決められないでいる。
決められない理由というのが、どういう日程で帰れば一番仕事に影響が出ないか予測がつかないでいるからである。
 身内の不幸とか緊急な用事以外で休む場合は、こういった配慮を十分しないと仕事に影響が出てしまう。・
特に私の会社は大きくないので、一人の人間にかかってくる影響の割合も大きく、1日休む影響は自分の給料の1/30では済まされない。
会社全体の利益の1/30を意識しなければならない。
つまり休み方を間違えてしまえば、少なくとも数千元から下手をするとン万元の利益に影響を与えてしまうということになる。
よって会社を休む日程のセレクトには慎重にならざるを得ない。
 もちろんインターネットや電話が繋がっていれば、上海にいなくてもある程度のカバーはできるが、そうはいっても事務所に出勤している場合のような機動力には欠けてしまうので同じようにはいかない。
普段は助けてもらえる中国人スタッフが回りにいないし、通信費もかかる。
しかも何度も帰国すれば中国人スタッフ達の目も気になる。彼らには厳しい就業規則を課しておきながら、何故日本人だけ自由に休めるのかという話になり彼らの士気にも影響する。
 
 そう突き詰めて考えていくと、迂闊に長期間現場を離れて休むことは容易ではない。
まあ黙っていても利益が入ってきて左団扇でいられるような時期であるなら気にしなくてもよいのかもしれないが、今はそんな状況でもない。
普段もそういった緊張感があるのでデイリーの業務を一日止めることを考えるだけでも気が引けてしまう。 
 こんな意識をずるずると引きずっていたので、結局1年間帰国しないままに過ごしてしまったのである。


 世の中には何年も帰国しない人もいたりするので、1年程度でがたがた言うことでもないかもしれないが、せめて両親が元気なうちは一年に一度くらいは帰国したいのが本音である。
本来は春節の時期を選んで帰ればよかったのだが、同僚に先を越されたのと準備不足ということもあって、結局この時期を外すことになった。
(春節の花火をこちらで見たいというのもあるが、、)

 まあ今の予定だと3月末の年度末を挟んで帰国するのが一番良いような気がしているので、恐らくその時期になると思うが、まだまだ日程でしばらく悩みそうだ。
 


2010年01月20日 日本食品メーカーの中国進出の壁
最近、日本の色んな産業分野の会社が、市場の縮む日本への希望を捨て、中国市場進出に躍起になりはじめている。
特に食品関係メーカーの中国市場開拓は急務のようで毎月のように日本からメーカー担当者が上海へ商談会にやってくるようになった。
私も、時々そういうところへ行ってお話を伺ってくるのだが、各企業のPRを聞いているうちに日本の食品メーカーにとって壁になるであろう日中の食事情の違いに気がついた。

 それはご飯、つまり白飯の問題である。

 日本の食品は、総じてご飯をどう美味しく食べるかという観点に基づいて商品開発が行われている。つまりおいしいご飯があって、それに付随する食材としての商品がかなりの割合を占めている。
 ふりかけ、漬物、お惣菜、全てが「美味しくご飯が食べられますよ」とのPRで食品が作られている。
つまり全て美味しいご飯がなければ成り立たない食品ばかりなのだ。

 しかし、それでは日本メーカーの食品は中国の食生活に入っていくことが出来ない。

何故ならば、実は中国の食生活においては白米のご飯への依存度が日本ほど高くない。もちろん中国人も白米のご飯は主食として食べているが食事の中心はどちらかというとおかず(菜)のほうであって、ご飯はその「おかず受け」の役割しか持たされていないというのが中国の食事の基本スタイルである。
ここが同じように見える日本と中国の食生活スタイルにおける最大の違いと思われる。


 その理由として中国はご飯そのものがあまりおいしくないという事情がある。
品種や米の生産管理手法から来る品質の問題もそれなりにあるが、それよりも原因として大きいのは炊き方の問題のような気がする。
実は中国は日本に比べて米の炊き方が非常に粗雑である。

本来は白米のご飯は、お米を「研ぎ」「水を切り」「吸水させる」という手間をかければ少々安いお米でも、それなりにおいしいご飯に炊き上げることができる。
しかしながら面倒くさがりというか、気の短い中国人はその手間をまずかけない。
米を「洗った」あと、すぐに水を足してご飯を炊き始めてしまう。これでは白米に美味しいご飯に炊き上げることは到底無理である。
 それが証拠に中国人はご飯の良し悪しを米の銘柄だけで決めている節があり、ブランド品を非常にありがたがる傾向にある。
 
 また上海などにおいては水の問題も大きい。米の炊飯に向いているのはカルシウムの少ない軟水なのだが、中国の水はほとんどが硬水である。
 硬水でご飯を炊くと米にカルシウムがたんぱく質と結合してごはんがぱさぱさになる。実際ローカルの食堂で出てくるご飯はかなりぱさぱさしている。

さらに炊飯器の質もよくない。中国から来た旅行者が秋葉原で買い求める商品の第一位が炊飯器であることから、いかに中国製の炊飯器が貧弱であるかわかるであろう。

 故に中国のこんな環境ややり方で炊かれたご飯がそれほどおいしくなるわけがないのは自明の理である。そして、そんなおいしくないごはんとの組み合わせにターゲットを置いた日本の食品メーカーの目論見はやはりうまくいかないと思われる。


中国人に日本の食品を買ってもらうには、まずご飯をおいしく炊いてもらって食の中心としてもらえるよう啓蒙をするか、あるいはご飯以外の中国の食材と組み合わせて食べてもらえるような「現地化」した商品開発の工夫が必要になる。

一品一品の商品は非常に美味しい日本の食品だが、もの珍しい食品としてではなく日常の食生活の中で利用してもらえるようになるには、現地の食事情や食習慣を深く知ることが必要であろう。
そこに気がつけなければ中国の13億人市場など、揚子江の霧の向こうに遠く霞んでしまう。
 日本のメーカーにはぜひ頑張っていただきたいなと思う今日この頃である。



2009年11月15日 不調の原因
先日、試しで一人の中国人スタッフを雇ったのだ、余りにも仕事にミスが多く辞めていただいた。
しかしその新人を評価できなかったのは実はそのミスについてではない。
新人なのでミスが多いというのはある程度目をつぶろうとおもっていたのだが、その新人はミスの度に、謝るという行為を笑顔で濁すという態度を繰り返した。
これはどうにも仕事に対しての責任の重みをあまり感じていないように映ってしまった。
その後も仕事の取扱に慎重さが欠け、同じミスを繰り返し、しかもそんな状況にも関らず新人としての謙虚さにも欠け最初からベテランスタッフと対等な会話をしていたのである。業務以外ならともかく業務時間もそんな態度だった。
 そんな状況が周囲を苛立たせ、新人に対する距離を保ち始めた。
そんな周囲の態度はその新人も感づいたらしい。
 本来ならここで仕事そのものにもっと謙虚に集中して取り組んでくれれば周囲の評価も変えられたのかもしれないが、その新人はなんと仕事に対する集中ではなく、周囲に媚びることで対応しようとした。
お菓子を配ったり他のスタッフの体調に気遣ったりして、本業の仕事への集中力はますます欠けることになった。
こちらとしては、そんな周囲に気を使うより自分の本業に集中して欲しいと感じていたのだが、どこで身に着けた技なのか媚びることで人間関係の改善を図ろうとしてきた。
 本来、仕事への態度が人間関係の不調の原因であったにも関らず、本人がそれを理解できておらず周囲を更に苛立たせる方法で解決を試みようとした。それがますます周囲の人間を離れさせた。
 結局その新人がお客さんからクレームが来るような大きなミスを犯したので、それを理由に辞めていただくことになった。

世の中、人間関係も含めて仕事上の不調の原因はいろいろあると思うが、結局本来果たすべき仕事上の責任を果たしていないことが主要因である場合がほとんどのように思える。
本来果たさなければならない部分を放置して、原因をほかに求めて別の手段でいろいろ捏ねくりまわしても、結局は本業がますますおろそかになるだけで解決どころかますます状況が悪くなる。逆に言うとやるべき仕事さえ果たしていればそれほど問題は起きない気がする。今回はそこを学んだいい例だった




2009年11月04日 F1レースの終焉のはじまり
 ブリジストンのF1へのタイヤ供給に引き続き、トヨタも今季限りでF1から撤退することが決まった。
 昨年の金融危機以降の経済状況の悪化による経費削減が主な理由とされているが、社会状況を考えると現実にはそういった単純な経済状況によるものだけではないように思える。
 言うまでもなくF1レースは、内燃機関のエンジンを積んだ自動車レースの最高峰であり、ここで磨かれた技術が現実に我々が使う車に生かされてきた。
 故にF1は単純な広告費効果や入場料目当てのショービジネスではなく、技術競技の場であったため、各メーカーはこれまで計り知れないお金を湯水の如くF1につぎ込み成果を競うことが出来たのである。

 しかし近年の原油高騰や昨年の金融危機、さらに地球温暖化に対する世論の高まりから、一般消費者の嗜好がガソリンを消費しないエコカー志向に傾きはじめ、各国政府の誘導政策の効果もあって次第に内燃機関自動車が売れなくなってくるようになった。
 これらのユーザーの志向変化に合わせて、各自動車メーカーも次第にエコカー開発に力を入れ始め、将来の電気自動車に向けての開発に方向性を変え始めた。
 つまり世の中は日本のエコカーブームに見られるような、自動車そのものの開発の方向性が今や単純な内燃機関駆動の自動車から燃料の消費を抑えたエコカーや電気自動車にシフトして来ているのである。 
 よってこういった世の中の流れの中で日本の自動車メーカーが内燃機関車のレースであるF1への投資意義を失い、撤退を決めたのは当然の流れなのである。

 つまり昨年の金融危機という経済的理由は世の中の自動車に対する志向変化のきっかけであって、自動車メーカーがF1から撤退する直接のきっかけではないということになる。
 経済的な言葉で言えば非採算性事業から足を洗い採算事業に資産を振り向ける「選択と集中」を行なっただけであり会社全体が縮小ということではないのだと思う。
 F1が自動車メーカーの利益にとって価値ある選択でなくなったという時代の変化がここに見える。

 この流れは日本メーカーのみならず、いずれ各自動車メーカーに波及することが予想され、近いうちにF1レースに参加するメーカーが激減し、ファンにとっては非常に残念なことだがレースそのものが終焉を迎える可能性が非常に高い。

 もちろんショービジネスとして生き残る可能性は否定できないが自動車技術の最先端を競う場としてのF1は確実にその意義を失っていき、自動車メーカーがかけられる予算は非常に限定的になり、従来のF1とは形の異なったものになってしまうであろう。
 いずれ電気自動車によるF1といったものが新たに生まれるかもしれないが、電気自動車にはあの内燃機関車特有の重低音で響くエンジン音という魅力がないので、ファンにとって魅力あるものとして成立するかは非常に疑問だ。

 まあそれくらい今回のトヨタやブリジストンのF1撤退は、自動車業界やファンにとっては単純な日本メーカー撤退という意味だけでなく、F1レースそのものの終焉が始まったという意味で、非常に意味が重い変化ということになる。
 上海でもここ数年、F1が開催されるようになり、一つの季節風物詩として賑わってきたが、いずれそれも無くなりそうであり、そう思うとそれはそれで非常に寂しいものがある。




2009年10月27日 右脳と左脳と音楽
よく人間の脳は左右で働きが違うといわれ、右脳は感性や情緒的な部分をつかさどり、左脳は論理的な思考をつかさどるといわれている。
この理論に立てば、人はする作業の内容によって使っている脳が違うことになり、私も最近その理屈を日常で実感するようになった。
 実際に自分の仕事に当てはめてみると通常のデスクワークに関して言えば、圧倒的に左脳的労働が支配的で、理屈にしたがって目の前の仕事を処理している。
まあアイデアをひねるような時は右脳を働かせているのかも知れないが、仕事の95%の部分は左脳的処理をしている。
 それが証拠にほぼ左脳的労働だけで処理できてしまうような作業をするときは、右脳を刺激する音楽を聴いていても全く邪魔にならず、苦にもならない。
むしろ両方が適度に活性化して作業がはかどる。


 ところが、ブログなど個人的な文章を書いたり、創作的な作業をする場合はちょっと事情が特殊である。文章を書くという作業自体は左脳の領域といわれていて、一般的な会社の業務処理などはその左脳領域でおさまってしまうのだが、ブログとなると、ブログを書く元になるインプレッションは右脳の領域になる。
 まあ、見たまま感じたままそのままストレートに文書をぶつけられれば、左脳領域はあまり使わず文章を書けるのかもしれないが、私はそのあたり頭の構造が不器用に出来ているのか、左脳できちんと論理的に組み替えなおさないと文章として表現できない。
 つまりブログを書くときも左右両方の頭脳を使っていることになる。
故に、日常で仕事で左脳を酷使したあとでも、右脳は疲れていないのでブログに書きたい題材を拾ったり閃いたりすることがあるのだが、やはり文章にしてくれる左脳が働いてくれずとても筆が動かないので、文章が書けなくなる。言い訳になるが最近ブログがちょっと滞っていたのは題材や時間がなかったわけはなく、左脳が仕事で疲れていて文章にするエネルギーが落ちていたからである。
 まあ左脳のパワーが落ちているときは、脳を活性化しようと音楽を聴きながら作業してもあまり意味がない。
音楽が刺激するのは右脳であり、疲れているのは左脳だからである。つまりこんなときは右脳を活性化させるのではなく左脳を休ませることが必要なのだ。
しかももしこのとき聴く音楽が右脳のインプレッションとマッチングしていなければ右脳が混乱を起こし、余計に悪影響を与えてしまう。
 これは例え音楽ネタのブログでも同じことである。


 では、こんなとき音楽の存在は脳に対して全く無意味かというと実はそんなことはない。
 音楽を右脳だけで聴き左脳を一定時間休ませてみるという行動をすれば左脳の疲労が回復する。
 ヘッドフォンなどで外界を遮断し、どっぷりと音楽の世界に浸るのである。このように音楽を聴いている間は働いているのは右脳だけなので左脳を休ませることが出来る。
 日常の生活ではなかなか左脳を休ませる時間をとることが出来ないから、実際に音楽を感じ取るのは右脳かも知れないが、休ませてくれる機会を与えてくれるという点で、左脳にとっても音楽の与えてくれる功績は大で、貴重な存在である。
 こうやって見ると忙しい時こそ、音楽を聴く時間は必要なんじゃないかなと最近思うようになった。 
 いまさらながら音楽の凄さを見直した。


2009年09月18日 ありがたい中国人スタッフ達
今、私などの日本人スタッフ達がふがいないおかげで会社の中国人スタッフ達に我慢を強いる状況になってしまっている。
時々不満の声も漏れ聞こえてきたこともあったが、大きな不平を言うこともなく黙々と業務をこなしてもらっている。
 明日にでも会社から離れてしまうのではないかと毎日冷や冷やしてして私も仕事をしているが、幸い何とかこんな日本人達を見捨てず離れずついてきてくれている。
 中国人は合理的な非情な人種だと言い切る人もいるが、少なくとも今いるうちのスタッフに限ってはそんなことはない。非常に信頼できるスタッフ達だ。こんな彼らと一緒に仕事が出来て非常にありがたい気持ちでいっぱいだ。
 面と向かってそんな気持ちを伝えるのは恥ずかしいし、今はまだそのときではないので言葉には出来ないが、彼らの働き振りにはとっても非常に感謝している。
彼らのためになんとか頑張りたい。


2009年09月15日 サービスは提供する側にならないと儲からない
上海でもここ数年日本並みに便利になってきて、どんどん便利になるのを実感するのと同時に、そういった新サービスのニュースを聞くたびに逆に悔しい思いも感じてしまう。
どういうことかというと、サービスというのは消費者として提供を受けている側でいる限りは、お金を払う側でしかなく、そのサービスを受けることによって儲けられるというわけではないからだ。
 もちろん直接の払う、払われるの関係だけでなく、ビジネスの面で言えば、そのサービスをいち早く提供するという意味の競争において完全に負けてしまっていることを意味する。
 実はこれが結構悔しい。相手が自分ひとりではとても競争も出来ないような巨大な企業や、今の仕事の業界と全く関係ない内容であってもやっぱり悔しさは一緒である。

 普段から、こうすれば便利とか、ああすれば儲かりそうだと色んなアイデアはもっているのだが、自分に直接関係ない業種だったり、自分の会社や私自身の人脈と能力ではどうにもならないことがほとんどで、結局アイデアの99.9%はお蔵入りしてしまい、誰かがそのアイデアを実現したのを見つけがっかりすることになる。
 まあ、世の中の多くのサービス業に同時に首を突っ込むこと自体も現実的ではないので、結局自分がターゲットを絞ったほんの狭いジャンルでしか具体的なアイデアは出せないので結局目の前の仕事で成果を目指すことになる。
 まあ目の前の仕事でさえ、一つ一つ大事に進まないと競争に勝てるわけでもないし、自分の仕事を狭い固定観念に閉じ込めさえしなければビジネスチャンスというのは意外と無限に広がるので業界が関係ないとか諦めることもない。
 しかしそれ故なのか、やはり世の中の便利なサービスのニュースを耳にするたびに、サービスというのは自分で提供する側にならないといけないなぁといつも悔しい思いを感じている。



2009年09月10日 仕事のメールはいつ捨てるか?
同じ会社でずっと何年も仕事をしているとどんどんメールが貯まる。
まあ大体は顧みることのない不必要なメールだが、時々掘り返されなければならない時が出てくる。
メールはいろんなことの証拠になりうるものであるし、いつ何時過去に出会った人に連絡を取りたくなるか分からない
故に、よほど極端にハードディスクに影響を与える程のメールでない限り基本的に仕事のメールは捨てられない。
 というか幸いにもPCのハードディスクの容量に比べたらメール一通の重さはカスのようなものなので、1kのメールを10万通溜め込んだところで1Gにも達しない。
 この時代100Gとかの単位のハードディスクが当たり前の時代だから、メールだけでハードディスクをいっぱいにするには気の遠くなるような時間がかかる。
もちろん電子データであるので、物理的容積が増えるわけでもない。
 故にハードディスクの容量から言えばメールの件数に関する問題はほぼ問題にならないといえ、それを理由にしたメール廃棄は必要ないことになる。

 しかしそれにも関らず、仕事のメールでも、いともあっさりと廃棄しているスタッフが時々いる。数字の単位が分かってないのか、単に綺麗好きなのか分からないが、用件が過ぎたメールは廃棄するそんな仕事ぶりを見ていると果たして大丈夫なのかとちょっと恐ろしくなる。
 99%はもう活用されないデータかもしれないが、過去のメールが必要とされるときは必ずある。
そんな1%のために、というかもしれないが、その1%が大きな利益を生む可能性があり、その1%が無いために信用を失ったり裁判に証拠不足で負ける場合もある。


 日本にいたときの会社では紙データでの保管の場合は容量的な限界があるため必要保管年限が定められていたが、どんなにあまり重要でない書類であっても最低でも1年程度の保管年限が定められており、書類やデータを保全することは仕事の基本であった。
 逆に言うとメールをあっさり捨てる人は過去の仕事を掘り返される恐さを知らない、仕事の基本が分かっていないような人のような気がする。
あるいは証拠隠滅のためのわざと消すという理由も考えられるが、証拠がなくなってしまっては本来勝てる裁判も勝てなくなるのでとてもプラスとは思えない。
 やはり仕事のメールは可能な限り捨てないほうがいい。




プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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