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2013年02月08日 中国製PCはマルウェアをプリインストール?
 先日ある件でネット検索を行なっていたら驚くべき記事を目にした。

 その記事とは中国で生産されたパソコンに出荷時にすでにマルウェアがインストールされていた機械があったというのだ。
 記事のURL http://www.computerworld.jp/topics/563/204871

 マルウェアとは「悪意のある不正ソフトウェア」といったような意味で、これらがパソコン内に寄生することによって、外部からの遠隔操作などが可能になり、例えば成りすましのダミーとしてそのパソコンを利用し、他のパソコンやサーバーに攻撃仕掛けることが可能になる。

 昨年もこのマルウェアによって、「遠隔操作ウィルス事件」が発生し、ウィルスに感染したパソコンから犯行予告が書き込まれたなどの事実が発覚し大きな社会問題になった。

 通常これらのマルウェアはユーザーのインターネット閲覧行為やメール配信などによって拡散されていたと考えられていたが、今回の発覚は工場からの出荷時にインストールされていたというもので、通常出荷後にインストールされるセキュリティソフトでは発見できないという非常に深刻なものとなっている。

 そしてこの事件のさらに深刻なところは、このマルウェアがネット上の感染ではなく、工場の生産ライン上で意図的にマルウェアを仕込んでいたという状況が否定しきれないところにある。

 つまりサプライヤー自らマルウェアを潜まさせていた可能性があり、マルウェアを「悪意のある不正ソフトウェア」と呼ぶならば、サプライヤーのこの行為はまさに「悪意のある行為」に他ならない。 


 またこれが単なるある個人によってもたらされてものなのか、組織的に行われたかによってもその意味が大きく違ってくるので、どうにも見過ごすわけにはいかない非常に大きな問題となっている。

 これらの事件は昨年9月に発覚し、当時の日本や世界のPC関係業界では大きなニュースになっていた様だが、当の中国に住む我々日本人にとっては、この記事が掲載された時期はかの反日デモの真っ最中で、とてもPCのマルウェアなどに気を配れるような状態ではなかった。

 故に、きっと多くの中国在住の日本人がこのニュースを見落としていたと思う。

 しかし、こうやって改めてこの事件を知ると、これが事実であるならば非常に深刻な問題となって我々の生活やビジネスに襲い掛かってくることになる。

 つまりパソコンの購入に日本製は高いなどと言って、うかつに中国製のパソコンを買って使用すると知らぬ間にネット犯罪の片棒を担がされたりする可能性があり、あるいは無意識のうちに国際問題の担い手になってしまうかもしれないことになるからである。

 今回このニュースを知って改めてこの国の恐ろしさを知ることになり、とてもじゃないが今後中国製のPCやアプリケーションソフトは絶対買えないなと感じた。

 当然だが同僚の中国人達は中国製の無料のセキュリティソフトや国内専用のブラウザなどを当たり前のように利用しているが、外国人の私は今回それらを信用して使用しようとは思えなくなったのである。

 個人の情報が監視される程度ならまだしも、犯罪の片棒を担がされたのではたまらないからである。

 とはいえ現状ではタブレットPCやスマートフォンなど、ブランドは日本や欧米のものであっても生産地が中国製であることを避けるのは非常に難しい状況になっている。

 今回の事件がどこまで究明されるか分からないが、やはりものを買うときは生産地まで確認して、日本製で揃えられるものは可能な限り日本製で揃えたほうが安心なのは確かの様である。

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2013年02月07日 尖閣に国連施設誘致とか
 ここ数日の中国の最前線たちの危ういう挑発行動など日中関係で色々緊張感が増す中、私自身もどうにか発展的解決方法はないものかとちょっと考えてみたが、件の尖閣列島に国連施設などを誘致してはどうかと、ちょっと暴論的アイデアが浮かんできた。

 例えば国連には、国際連合環境計画(UNEP)とか平和大学(UPEACE)なんて機関があり、これらを日本の外交力で件の島に誘致してしまうのである。

 或いは国の責任でこれらの機関に土地の使用権を無償貸与するとかでもいい。

 まああの島の規模から言って、そんなに大きな施設は無理だと思うが、研修所とか観測所とかそんなレベルの物でいいからとにかく国際機関の看板を持ってくるというのはアイデアとしてアリなんじゃないかと考えてみた。

 特に平和大学というのは国際法や安全保障の研究を行ない、紛争解決の出来る人材育成を行なっている機関だそうだから、まさにかの場所に設置するにはうってつけの組織であり、その存在そのものが、紛争解決のキーの存在となるので、もしここにかの大学の施設を設置することができたら大変意義のあることだと思う。

 もちろんその誘致目的には今回の問題だけでなく、日本や東アジアの過去の歴史を研究し、今後の平和的関係構築に役立てていきたいという大義名分をくっつければ、中国や台湾だってそうそう批判もできないと思うのだが、やはり暴論だろうか?

 棚上げ回帰論もいいが、こういった前向きな姿勢で日本の平和貢献アピールと近隣諸国へ歴史問題に対して積極的に協力的な姿勢を見せられると言った一挙両得のような方法だって、うまく外交力を発揮すればありうると思うのだが、どうだろうか。。。


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2013年02月05日 デフレは日本国内だけの問題か?
 昨年末に日本の政権が変わって、仕切りにアベノミクスなど経済対策に関する様々な言葉が、ニュース上に飛び交っている。

 そして現在のその一番の課題というか、目標はデフレ脱却ということになっている。

 まあここ20年ほどの日本経済は、物価下落や賃金減少などデフレスパイラルなどと言われて久しく、多少の浮き沈みはあるものの長く経済が低迷していた。

 そこへ現政権が登場したのであるが、彼らが政権奪還と同時に「デフレ脱却」の掛け声をかけたことによって市場の期待値も高まったようで、実体経済がまだ何も変わっていないのに、急激な円安と株高が進んでいる。

 まあ期待値で株が上がることは決して悪くないと思うが、実体経済が伴わないとこれもバブルということになってしまうので、いずれ化けの皮がはがれた時にはじけてしまう。

 故にはじけないうちになんとか実体経済を持ち上げなければならない。

 その具体策の第一弾として現政権が打ち出した先日の補正予算について、私はこの詳しい中身を見ていないが、まあバラマキという批判が世間にあるにせよ、一つのシナリオを持って実体経済が上向いてくれれば今回はヨシとしたいというスタンスで私はこれを眺めている。

 というか、再び国債増加という博打を打つ以上は上向いてくれないと困るわけで、失敗は国の破綻でしかないという崖っぷちの状態の我々は、成功を願って信じるほかないのである。

 しかしながら今回の現政権の方針を原点に立ち戻って考えてみると、その根本となる「デフレ脱却」という目標は果たして適切なんだろうかという、素朴な疑問を感じている。

 というのは、現政権はデフレは日本経済単体の問題であるような口調で対策を打ち出してきているが、その根本の原因判断が実は間違っているのではないかと私は感じているのである。

 確かに80年代のバブルがはじけた後の90年代の低迷は日本経済自身の問題だったかもしれないとは思う。

 しかし、21世紀に入ってからの日本経済の低迷は、日本経済単体の問題というより、経済のグローバリゼーションがもたらした結果に他ならないような気がしており、それ故のデフレの混迷だったような気がするのである。

 もっと端的に簡単に言えば、日本の隣の中国のガット加盟により中国経済が台頭してきたことが日本のデフレを招いている、そういう気がする。

 90年代から日本や欧米の企業がこぞって中国に進出したことにより全ての工業製品のコスト競争が激化し、日本国内の主要産業も人件費の安い中国へ工場がどんどん流れていった。
 その結果、日本経済は世界経済の中のコスト競争にさらされて投資資金を中国へつぎ込んでいく結果となった。

 そうなれば経済平準化の法則により、日本経済は中国水準のコストに引きずられるようにコストカット競争に陥り、やがて賃金低下やリストラなどが連発されいわゆるデフレスパイラル状態に陥って行くのは当然で、究極的には日本と中国が同一賃金レベルになるまでこの状態が続くというのが理屈である。


 むしろ、もはやこれから中国の方が大きい市場であることを考えれば、海を隔てた日本が輸送コストの面で不利な状態にあり、現に日本製品の中国輸出で日本製品のコスト高が目立つような状況が、今の中国のスーパー内で見られる状況となっている。(もちろん関税の問題はあるにせよ)

 故に中国に売るには値段を下げ、コストを下げることが必須となり実際その方向が生まれている。

 つまりこれらの日本人と中国人の賃金コスト競争の結果が今の日本のデフレだというのが私の印象である。

 もちろん、教育水準や業務能力水準、そして品質水準などはそれぞれ個別に違うので単純な比較は難しいが、例えば縫製や部品組立てなどは個人の技術水準や製品のでき上がり品質に差があったとしても、中国人の安い賃金で作ったもので事足りてしまうならば、日本の製品は競争に負けてしまうことになる。

 もし競争に負けまいと高いクオリティのものを中国製品の価格で出せば、結局はデフレとなって跳ね返ってきてしまうのである。

 故にもしこういった原因で現在のデフレが招ねかれているのだとすれば、現政権の対策はやはり世界に対する認識が足りていないんじゃないかというのが私の印象である。

 もし現政権が日本単体のことだけしか考えずに、デフレ脱却のために国内経済を活性化しようと単純に通貨供給量を増やすなどのお金のバラマキを行なったところで、その需要は中国資本を初めとする外国のコストの安い企業に吸収されてしまうのではないか?そんな危惧を抱かざるを得ない。

 私は経済の細かい数字などは全く読めないが、日本政府が国内で小手先の経済政策を行なったくらいで日本経済が上向くとはとても感じられないのが今の経済状況である。
 
 世界の経済は繋がっているのだから、日本政府にはそこを意識した対策をもっと実行してもらいたいのである。

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2013年02月04日 銀行の番号札も偽造防止措置
 先日のキャッシュカード行方不明の件、結局色々都合がつかず銀行にたどり着いたのは今日になってしまった。

 本来はまずカードを止めるのが常道なのだが、残高が少なかったため被害に遭ったとしても盗まれたことが実際に確認されない限り、カードを止めるのは避けたかったのである。

 何故ならカードを止めると、カードの再発行が確定的になり自動的にカード番号が変更になってしまうからである。

 そう、日本人の常識では考え難いことだが、中国では銀行のキャッシュカードを再発行すると銀行口座の番号も再発行となり変更されてしまうのである。

 もちろん預金はそのまま移行されるが、これは盗難に限らず破損による再発行でも同様の措置が行われる。

 これは知らないと大変な事態を招くことになる。

 以前、カード表面のフィルムがはがれかかったので気軽に交換をしてもらったところ、番号が変更になったことが気に付かず、職場からの振り込みがエラーになり大慌てになった。

 まあ、そんなこともあってカードの再発行は最終手段にしたく、被害の可能性の天井も知れていたので慌てた行動をしなかった。

 思い起こせば、置き忘れた当日に正体不明の自動電話がかかってきており、その時は変な売り込みかと思ってすぐ電話を切ってしまったが、あれが自動通知システムの連絡なんじゃないかと後から気づき、故にカードは盗まれていないという確信めいた自信があったのである。

 そして今日、パスポートを持ってまず口座のあるカード発行店舗に行ったところ、しばらく順番待ちで待たされたが、確かにATMで取り忘れていることが記録されていたことが確認された。

 まずは一安心である。

 ただ、私の直後に利用した人が私のお金を引き出した後にATMに敢えて故意に置き忘れをした可能性も捨てきれないから、金額の被害についてはこの時点で100%安心できるわけではない。

 そして肝心のカードの現物だが、行員によれば私が置き忘れたATMのお店で保管しているので取りに行ってくださいと言われた。

 ああ、そうなんだ。

 まあ当然といえば当然だが、ちと面倒くさい。
 仕方なく、すぐその支店に移動する。

 そして、再び10分ほどの順番待ちを経て、少々の書類を書かされたが無事カードが手元に戻ったのである。

 残高も減っておらず、どうやら被害はなかったようである。

 覚悟をしていた分だけ得したようなほっとする気分になった。

 ところでこの順番待ちの際に気が付いたのだが、中国の銀行も日本と同じように番号札を渡され、電光掲示板の表示に従って窓口に行くシステムになっており、この方法はかなり以前からどこでも採用されていて珍しい物ではなくなっていたのだが、最近では呼出し番号が目的別に分類され、アルファベットの頭文字が付くようになっていた。

 ところが今回これ以外に驚くべきものを発見した。

 実は番号札の中央部になんと「排隊検証碼」という番号が付加されていたのである。

 ようするに、この番号札が本物かどうかを検証するためのランダム番号がこの番号札に印刷されていたのである。

 つまりこれの意味するところは、この番号札を偽造してちゃっかり割り込みで銀行の手続きを行なおうとしたやつが過去に大勢いたことを意味し、トラブルが多発していたということになる。
 つまり、その対策としてこの番号が印刷されることになったと推測できる。

 まあ銀行の時間待ちは確かに非常に面倒ではあるが、それにしても番号札の偽造とは、驚きである。

 偽造大国とは知っていたが、お金だけでなくこんな番号札まで偽造するとは、今更ながら中国人達の根性を思い知らされるこの番号札である。

 キャッシュカードの番号変更といい、この番号札といい、中国の過去のふとどきものの歴史がここに現われている。 

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2013年02月03日 上海の春節は雪か?
 あと一週間に迫った春節だが、出かける予定も大してないのに週間天気予報をみたところ、今日3日現在の予報ではなんと春節は雪の予報となっていた。

 まあ中国の天気予報の精度から言って、一週間後の天気がそうそうアテになるとも思わないのだが、改めて日本のYAHOOの天気予報を見てみるとやはり8日から9日にかけて雪マークが出ている。

 その先はまだ予報が出てないが、どうやら多少の時間的な前後はあるとしても、一週間後くらいに雪がやってくる状況は正しいらしい。

 「雪ですか・・・」

 もし、積もるような雪が降った場合に春節のあの賑やかな花火はどうなるんだろう?とそんなたわいもないことがまず気になった。

 上海に住んで6年を超え、あの花火の音を聞かかないと歳を越した気がしないようになった私にとって、静かな春節などありえない。

 どうしてくれるんだと言いたいが、こればっかりは天気の事なので文句を言うわけにもいかない。

 そういえば5年前の春節も、直前に大雪となって広州から列車に乗って何とかギリギリ上海に辿りついたのを思い出した。

 あの時の春節も大雪の直後の上海にいたがあの時はどうだったのか?たった5年前なのに思い出せない。

 まあ、今回雪が降るなら降るで仕方ない。

でも、

「新年は去年のように病気をせず過ごしたい、まずはそれが第一」

であるかなと、まずそこを心配しようと気持ちを改めた。

 春節のスタートから高熱でつまずいて、何度も体調を崩した一年をすごした私の願いである。


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2013年02月02日 談志の紺屋高尾
 「紺屋高尾」というのは落語の有名な演目の一つで、私はこの噺が結構好きである。

 もっとも私がこの噺を知ったのは「幾世餅」という古今亭志ん朝さんがやっていた演目がきっかけであり、最初に好きになったのは「紺屋高尾」だったわけではない。

 この「紺屋高尾」と「幾世餅」は若干の設定の違いはあるものの、ほぼ大筋では同じストーリーで、私は「幾世餅」の演目名を思い出すのにググっていたら「紺屋高尾」にたどり着いた次第で、実はこちらのほうがメジャーな演目であることを知ったようないきさつとなっている。

 この噺の大まかな流れとしては、江戸の若い職人が吉原の位の高い花魁に恋をして、一心不乱に仕事に精を出し金をためて会いに行くというのがストーリーとなっていて、身分を偽って花魁に会った職人が別れ際に自分の身分を告白する場面が山場となっている。

 こういう古典落語の世界を聞くと、江戸時代というのは今よりかなり性の文化が開放的であることが分かり、今では男性が女性の前で吉原など岡場所の話をすることはタブーに近いが、話の中では主人公の務める店のおかみさんが、吉原を容認しているような会話をするなど、独身者が吉原に通うことには寛容だったことが分かる。

 また高貴な商家の旦那が吉原の遊女を身請けするという話も数多くあり、吉原にいたという立場がそれほど蔑まれていないような雰囲気がある。

 どうやら日本の性の観念ががらっと変わったのは明治維新がきっかけで、それ以前はかなりおおらかだったというのが落語の世界から見て取れる。

 この明治維新の変化は、今の中国を見ていると実は同じような観念の変化が起きているのではないかと感じるところもないではない。

 さて話を元に戻すと、今回一昨年に亡くなった立川談志さんの「紺屋高尾」の高座をYOUTUBEで観た。

 本来私は談志さんの落語はあまり聴かないが、たまたまこの紺屋高尾の収録がYOUTUBEに載っていたのを見つけて観ることにした。

 フジテレビでやっていた「落語のピン」の最終回の収録で、1993年当時のもののようだから今から20年前のまだかなり元気だったころの高座である。

 談志さんの落語は聴いてみると、決して立て板に水というほどテンポがよいわけではなく、それどころかところどころ脱線があって時々話が止まるのだが、それが妙なアクセントを持って不思議な魅力を放っている。

 そして今回の噺の最大の山場である職人が花魁に嘘を告白するシーンの語りは、何とも惹きつけられるものがあり、ホロッと涙を誘うほどに職人の真剣な思いが伝わってくる語りだった。

 私はどうもこういった一途な思いを持つ人の心に弱く涙せずにはいられない。

 そういった一途さを見事に演じてくれた談志さんの紺屋高尾であり、久しぶりにいい噺を聞いたな、そういった印象を受ける高座だった。

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2013年02月02日 汚染の大気はどこへ行った?
 今週に入ってすっかり大気汚染の状況が改善し、ニュースが鳴りを潜めた感じだが、あの汚れた空気はどこへ行ってしまったのだろう?

 上海に住む私にとっては空気の状況が改善されて確かにありがたい話であり、北京市民にとっても同様のことだと思う。

 しかしこれは天候がちょっと変わったというだけの話であって、あれだけあった汚染物質は目の前に見えなくなっただけで、分解されて無害になったわけではあるまい。

 つまり汚染物質が風に飛ばされて、北京や上海から何処かへ移動し拡散されたというだけの話であって、空気が飛んで行った先に又溜まっているか、地球全体の大気に拡散され地球全体の汚染が進んだ、或いはどこか広く地上や海に落ちたのであって汚染物質そのものは無くなっていないのが現実だと思う。

 つまり風という状況が目先の状況をちょっと助けてくれただけで、根本的には何も変わっていないことになる。

 そういえば南京で人工的に雨を降らして空気の状況を改善しようとしていたという話を聞いたことがあったが、
 「それって、雨になって地面に落ちたら今度は地面が汚染されるんじゃないの?」
とその場しのぎな対応をおかしく思ったことを思い出した。

 雨で目の前から汚染物質を失くしても、汚染を排出する状況を改善しない限り、また同じ状況は天候次第でやってくることには変わりない。

 そういう状況であるにもかかわらず、どうも世間の雰囲気は「良かった良かった」になっているような気がする。

 「風が吹いて空気が入れ替わって大気が改善した」

 それでは済まないであろうに思う。


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2013年02月02日 上海人のムラ的なコミュニティ
 改めて語ることもないかもしれないが、今や中国はおろか世界の大都市となった上海であるが、この都市は中国の中でも特殊な存在となっている。

 上海は同じ中国でありながら、上海とそれ以外の場所では物事のルールというか習慣が異なる印象があり、状況を知らない日本人が上海や上海人を中国全体や同じ中国人として一緒にして一括りに語ってしまうのはここに住む私からすると非常に違和感がある。

 実は大都市となった今でも、上海には上海人ムラともいうべき独特な地縁的コミュニテイ状況が存在するのである。

 まず上海人という括りだが、一応身分区分としての上海市戸籍という要素も存在するが、それよりも上海人を定義づける重要な要素は上海語という言葉が重要なキーワードとなっている。(もちろん身分区分の意味も大きい)

 中国国内で公用語として語られるのは普通語という北京語をベースにした言葉だが、上海には上海語というこの地域独特な言葉が存在する。

 私も詳しく上海語を理解しているわけではないので迂闊な説明は出来ないが、文法などは基本的に北京語などと共通のようで、文字も原則同じ漢字を使っているようだが、発音が全く別言語と言っていいほど違い、上海語独特の言葉も沢山存在する。

 故に上海人同士の上海語の会話は、上海以外の中国人が聞いてもまず理解できないというのが普通である。

 もちろん上海とて公用語は普通語(北京語)であり、上海人たちはそれらを理解し普通に話すことはできるが、彼らが生活の中で使う言葉は上海語であり、この上海語を理解するかどうかで彼らは相手を上海の人間かそれ以外の人間かを見分ける。

 見分けるだけならいいが、それによって区別するというか差別をする面もある。

 つまり上海の人間なら信用するが、上海以外の人間に対しては疑ってかかるというか、まず即座には信用してくれない。

 特にお金の絡む話になると、よそ者だと万が一の際に逃げられてしまう可能性があるため、上海に生活を根ざした人間かそうでないかは信用の面で大きな区別を受けることになるのである。

 それ以外でも職場などでは上海人同士で悪口の会話が良く行われ、日本人や外地人(上海以外の中国人)に上海語を理解できる人はほとんどいないので、コソコソと(堂々と?)人知れず上司への不満などを言い合うのである。

 このある意味閉鎖的とも言える上海語圏の人々の社会こそが上海人であり、ヨソモノの人間には入り込みがたい一種独特なムラ社会的なコミュニテイを形成している。

 このムラ的な対応は、当然行政機関である市政府や警察、税務署などにも影響があり、さらにオフィスや部屋を借りたりする場合において上海人が手続きを行う場合と外地人や外国人が手続きを行う場合では、表向きの対応は同じように見えても実際の手続きのスムーズさには大きな差が生まれる。

 アパートの借入交渉などがいい例で、日本人が通訳として同じ中国人を連れて行くとしても、上海人かそれ以外の中国人かで相手の対応が大幅に違ってきて、家賃の値下げ幅などにも影響してくる。

 大家さんの側も相手が同じ上海人の場合だと、親近感があるのか上海語によって阿吽の呼吸で会話が弾み交渉が進みやすい。(もちろん例外もあるが)

 むろん上海人が同じ上海人を信用するのは、地縁の他に上海の人間が他の地域に比べ平均的に豊かであるということも影響しているとも言える。

 古くから上海にいる人間は交易や商売に慣れ、土地やマンションのバブル的な値上がりもあって、現在に至っては日本人の中間層的レベルあるいはそれ以上に達している人がかなり多くおり、貧しい人の多い田舎から出てきた外地人と比較して上海人には貧困層など存在しないのではないかという印象さえ受ける。
(実際はどうか知らないが)
 衛生観念やビジネス感覚もはるかに西側に近く、外地人たちとは大きな差がある。
 
 こういった互いに豊かになってきたという状況が上海人達のお互いの信用を生み、また連帯感も生んでいるような気がするのである。

上海語で語られる上海漫才もある
 さらに外国人と長く渉りあってきた都市という他の中国の都市にはない独特な共通のプライドも彼らを支えている面があり、我々日本人やその他の外国人がこれだけこの上海という都市に入り込んでも想像以上に彼らはすんなり受け入れているという他の都市にはあまりない状況が生まれている。

 そして外国への留学や移住なども非常に多く、特に上海の日本人社会の周辺には、日本に何年も住んでいましたと言う上海人を多く見かけ、左様に異文化に対する免疫が高い。

 まあ自国の伝統文化より拝金主義、儲け主義だから外国人を受け入れやすいといってしまえばそれまでだが(実際他の中国人からはそう思われ嫌われている面もあるが)、上海人は独特の非常に柔軟な姿勢を持っており、それがこの都市を国内に先駆けてここまで発展させてきたと言える。

 故に「上海人」という括りは、他の都市でも使われる北京人や広東人、四川人などとは別格の特別さを持って理解すべき分類となっている。

 よってもし我々日本人がビジネスの上で中国進出を図る場合は、上海とそれ以外の地域は全く別物としてノウハウを知るべきであり、上海での成功には上海人のパートナーの協力無しではまず遠い道のりとなるし、もし最初に上海で成功したとしても他の地域では同様のやり方では進まないことを理解すべきと思われる。

 そんな独特の上海人ムラがあるのがこの上海という都市である。


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プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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