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上海ワルツNEW


2013年02月20日 南翔古猗園のランタン
 ランタン祭りが南翔で行われるという情報を拾ったので、早速行ってみた。

 南翔駅は地下鉄11号線上にあり、よく嘉定方面へ行くのに利用していたのだが、この駅で降りたのは過去一回だけで今回の古猗園は初めてだった。

 まあ南翔と言えば小籠包が有名で、豫園にもその支店があり、豫園の店では小籠包を食べたことがあったが一度くらいは発祥の地で食べて見たかったこともあり、今回ようやくその希望も叶うことになった。

 今回まず南翔の駅前に降り立った時に、大きなショッピングセンターが出来かけて居るのをみつけて驚いた。
 一部レストランなどがオープンしていて、以前来たときに比べ随分な変わりようだった。

 そして古猗園に向かうが、道はまっすぐだが駅から徒歩15分ほどかかる。

 入り口の前に大きな今回のイベント用ゲートができていたが、着いた時はまだ明るく、当然のことながら点灯されていなかった。

 早速入場料12元を払って入場する。

 当然のことながらまだ明るいので内部も点灯されていないので、先に小籠包を食べて時間を待つことにした。

 ここの小籠包は一籠が20個入りで30元。

 特別安くないなという印象だが、本場ということでお試しの意味もあって早速いただく。

 で味はというと、まあ不味くもないが特別に美味しいと褒めるほどのものではなく、名物として一回体験したことで満足する範囲の印象。

 いつかどこかで食べた生姜入り小籠包は美味かったなというのを思い出したが、今回は残念ながらそれには及ばずといった感想である。


 そうこうするちに陽も暮れてきて空の具合がいい頃合いになった。

 すると今日が初日ということだからなのか、花火も上がった。

 さて、出発である。

 ところが早速写真を撮ろうと園内に出ると、どういうわけか点灯しているランタンとそうでないランタンがある。

 「あれ、これはどういうわけなんだろう?」

と、思っている傍から新たに一つのランタンの点灯が始まった。

 「ん?」

 ふと、その新たに点灯の始まったランタンの背後をよく見ると、警備のおじさんが配電盤の蓋を閉じている姿が目に入った。

 どうやらそのおじさんが園内のランタン各一つ一つについて、電源のスイッチを入れて回っているようなのだ。

 つまり一個ずつのアナログな点灯となっているらしい。
 それ故に一斉点灯とならず、一個ずつ順番の点灯開始となっているようだ。
 
 こんな大きなイベントなのに、スイッチがバラバラだなんて、、、、

 そんな手作り的な運営にちょっとおかしくなって笑ってしまった。

 流石に夜に見るランタンはとても美しい。

 ただ、古猗園の庭園そのものが無茶苦茶でかいというほどではないため、このランタン祭りを、ゆっくり一周して写真を撮って回っても1時間とかからないであろう。

 まあ豫園なんかに比べれば人が少ないため、落ち着いて見られるのはここの利点である。

 こちらは豫園に比べて非常に短い7日間しか実施されないが、時間のある方は中国の一つの風物詩として一回くらいは訪れてみるのも良いと思われる。


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2013年02月19日 朝から北の国から
 今朝はまた上海に雪が降った。

しんしんと降る雪が窓の外に見える。

窓の下の車の屋根と常緑樹の葉には少しばかり積もっているが、地面はそれほど白くなってはいない。

 まあ冬景色であることには変わりなく、寒々しくもあり、ちょっと寂しさを感じる風景だ。


 こんな時には「北の国から」のアルバムを聞くと、すっと心が落ち着く。
 
 この曲を聞くと冷たい空気も寒そうな窓の外も、一瞬にして受け入れてしまう心の状態が生まれる。
 音楽一つで不思議なものだが、これがとてもしっくりくる。
 寒々しく静かな街の情景がとても心地よく感じられる。

 今朝はコーヒーがとてもよく香る気がする。


皆さんもぜひどうぞ!




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2013年02月18日 先入観や固定概念は可能を不可能にする
「先入観や固定概念は可能を不可能にする」

 これは日本ハムに入団した大谷選手が言ってたらしい言葉。

 二刀流の挑戦や自身の野球に対する取り組みを表す言葉らしく、もちろん彼とてどこからか学んだ言葉だろうが、いい言葉である。

 初めから計算ばかりが立って未来を否定するともうそこで不可能が決定してしまうという意味である。

 まあ世の中は願えば全てが叶うほど甘くはないが、願わなければ最初から0%で不可能になり、願えば0%が0%でなくなるわけで、実現の可能性は生まれてくる。

 もちろん大人の経験則から言えば、今回の二刀流はかなり難易度が高いのは事実だが、実績がない競技を2つやりたいと言っているわけじゃなく、それなりの素質を持った彼にはそれを口にする資格はあろだろうし、その挑戦を今の時点で否定する理由は何もない。

 このことは何も大谷選手の話ばかりだけではなく、我々一般人の人生の中でも同様のことが言える。

 つまり物事を最初から先入観や固定概念を持って否定したのでは、何も前に進まないということ。

 特に最近の日本なんかは、ビジネスでも何でもアカデミックにルールが固定化され過ぎていて、先入観や固定観念で国が塗り固められている印象がある。

 故に安全を求めすぎて固定概念を突き破る勇気を持てない人が大勢いる。

 まあそこへ行くと、中国人の場合は教育が足りないのか固定概念に縛られず(というか知らないから?)、常に前向きな人が大勢いるのに驚く。

 その発展の急速な速度から、考えてから行動したのでは間に合わないのが今の中国であり、行動しながら考えるというのが今の彼らのスタイルとなっている。

 そのため失敗や周りに迷惑をかけることも多々あるが、少々の失敗にはめげないというか(反省しないというか?)、とにかく日本人から見ると驚くほどポジティブである。

 まあ日本人が持つ固定概念は今回の野球の件のように、先人たちが積み重ねてきた経験則から生まれてきたものだから、あまり軽々しく扱うことはできないが、さりとて100%縛られる必要はなく、前へ進むために突き破るための勇気をもつことは大事である。

 もちろんどこかで行き詰った時に断念する勇気を持つことも必要で、それがわかっていれば固定概念を覆す挑戦をしてみてもいいのではないかと思う。

 今回の大谷君の場合は人の2倍の活躍を目指すわけだから人の2倍苦労する可能性があり、我々が固定概念を突き破るには固定概念を作ってきた人以上の努力は必要になるのは当たり前で、突き進もうとする場合はそれなりの覚悟は必要ではある。

 そうは言ってもやはり現状に安住しているだけではいずれ誰かに抜かされ、負けてしまうので前に進む必要がある。

 だから前に進むためにも、

 「とりあえず、まずやってみる」

 この心意気だけは、中国人に学んだ前向きな考え方である。
 先入観や固定概念は可能を不可能にするのである。


2013年02月16日 ポスターの中国品質な貼り方
 昨日、某デパートの某ブランドショップ店の前を通りかかった時に店の外側の大きなポスターを目にした。

 なんか変だなと思って注意してみると、写真のようにきちんとボードに貼られておらず、空気が入ったりしてシワが出来ていた。


 「うわ、この作業ちょっと酷いなあ」

 とその状態に閉口してしまった。

 日本ならこんな作業は絶対にOKにならず、業者を呼び出してやり直し作業になること確実で、もしやり直しをさせなかったら今度は店の店長のほうがクビになるか叱責を受けるだろう。

 ひょっとすると最初は綺麗に貼られていて、徐々に紙が歪んだのかもしれないが、それとて気が付かなければならず、言い訳にならない。

 まあこのショップは誰もが知る若者向けの某ブランド店なのだが、そのネームバリューのある店でさえこの状態であることはちょっと驚いた。

 どのお店もこういう状態であると言う事は無いと思うが、ブランドバリューから言えば一店舗足りとてこんな状態のポスターが掲示される続けることが許されるわけじゃないだろう。

 業者が甘いのか、店長が甘いのかよくわからないが、ブランドショップは増えてもこの辺りはまだまだ「中国品質」からは抜け切れないなぁという印象である。

 この辺が改善しなければ、本当の意味でのブランドは成立しないのである。

 と、すぐ隣の店の天井を付近を見るとペンキの仕上げが汚く残っていた。

 「うーん・・・><」

 いずれ進歩して欲しいものである。



2013年02月14日 田子坊の写真の一つの撮り方
顔の高さからのアングル
 数日前になるが、久しぶりに田子坊をちょっと訪れてみた。

 案の定、春節の連休のおかげで大勢の客がいて、わさわさ人ごみ状態だった。

 まあぶつからないと歩けないというほどのものではないが、立ち止まって写真を撮るのは一苦労の状態ではあった。

 もとより田子坊はその独特の雰囲気から写真の撮影スポットとして人気なのだが、普段から観光客そのものが多く空間も狭いので、良いアングルで写真を撮るのはなかなか難しい。

 故に私もここを訪れる度に写真には苦労しており、特に写真内に人が写つろうと写るまいと全く構わないのだが、その問題には関係なく空間の特殊性故に、中々いいアングルが分からずプロのような雰囲気を伝えられる納得の写真は撮れずにいた。

 今回もやはりカメラを構えてみたものの、最初はうまく写真が撮れない状態だった。

 そこで今回ある一つの方法を試してみることにした。

 それはローアングルからのアッパー方向へのアングルである。

 ローアングルと言っても地面すれすれからの撮影では、その恰好は傍から見るとちょっと怪しい状態になるので、流石にそこまでトライする勇気はなく、今回は立った状態から腕を下ろした位置でカメラを構え撮影を試してみた。

 地面から80~100センチ程度のいわゆる子供の目線の高さであり、そこからやや見上げる角度での撮影である。

三脚を持つおじさんも見上げる状態に
 この高さでも電子ファインダーを覗くにはしゃがまないといけないのだが、そうするとこれもやはり傍から見られるのが恥ずかしいし、何よりも歩いている人たちにカメラを意識されてしまうのは避けたく、故に立ち姿勢からファインダーを覗かすにアバウトなアングル設定で撮影を実行することにした。

 まあこれはさすがコンパクトデジカメの良いところで、一眼レフでは重さの面などから言って、なかなかこういった撮影は実行しにくい。

 またデジカメなのでフイルムの無駄を気にする必要がないのもありがたい。

ローアングルからの撮影の2枚
 さて、そうやって撮ったのが今回掲載している2枚の写真で思いのほか気に入る写真が撮れることがわかった。

 顔の高さからの撮影だと、どうしてもアングルが高過ぎて石畳の床から通路両側の建物の壁までをいっぺんに収めることは難しく、街の雰囲気が捉えづらかったのだが、今回下から仰ぐ角度で撮影することにより、その様子全体がきちんとカメラに収まるのである。

 特に空が映るのが良い気がする。(今回は青空じゃないが)

 まあファインダーをのぞかないで撮影する分だけ、アングルの切り方とかタイミングはアバウトになってしまうので、撮影はある意味勘任せになってしまい失敗写真も沢山生んでしまうのだが、その点はデジカメの利点を利用して出来るだけ数多く撮ってその中からいい写真を選んで駄作は捨てるしかない。

 故に今回の撮影とて駄作の失敗写真も沢山生んだが、何枚かは秀作というほどではないにしろ、昔撮った写真よりは気に入ったものが撮れた。

 このローアングル撮影スタイルは、上海の他の水郷古鎮の狭い路地でも使えそうで、今後是非試してみようと考えている。


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2013年02月13日 春節でも働いている人が沢山いる
 春節に上海に残って見て気が付くのは、思いのほか店が沢山開いているということである。

 もちろんシャッターを閉めている店もかなりあるが、飲食店などサービス業系はかなり店が開いており、特に駅の周りなんかはかなり飲食店などが開いていて、私のような居残り組にとってもそんなに不便は感じない。

 スーパーなんかも、生鮮品に多少の品薄感はあっても買えないわけではない。

 まあありがたいことではある。

 ただ、ありがたいことではあるが、こうやって春節でも便利になった分だけ、春節に休まず働いている人がいると思うと実に申し訳なく思う。

 「世間は休み」と思っていても、社会を見渡すと街がただ動くだけで働いている人がかなり大勢いるのである。

 交通機関や飲食店、警察、報道機関、電気・水道・電話などのライフライン管理、街の清掃員に公衆トイレの管理人など法律で社会が休みであっても、ただ街が存在するだけでもそれをキープするのに想像以上に多くの人が働いている。

 もちろん彼らにとってもお金を稼ぎたいという名目はあるだろうが、春節くらい休めるものなら休みたいはずである。

 でも誰かがやらなくちゃいけないことならと仕方なく引き受けた人も大勢いるだろう。


 私も学生時代に一度だけ年越しコンビニバイトを経験したことがあり、割増はいくらかもらったが、かなり寂しかったことを覚えている。

 このように正月でも自分が便利でいられることは、誰かの努力で成り立っているわけで、それに気が付くと働いている人に感謝したい気持ちでいっぱいになる。

 まあ中国ではそういった配慮からか春節の3日間の賃金は3倍となる法律があり、例え休みを他の日と振替えたとしても同様の割り増し分がもらえるようだ。

 経営側から考えれば高過ぎるという声もあるようだが、まあ貧乏くじを引いた人を納得させるにはこのくらいの配慮が必要だろう。

 そういえば日本でも最近では正月営業のスーパーや百貨店が増えているが、ここまでの割り増しはもらってはいまい。

 利益が上がると思って正月開店をするなら、日本の正月出勤者にももう少し優遇があっていいと思うし、日本の経営者や法律には正月に働いてくれる人に対する感謝が足りないような気がする。


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2013年02月12日 レーザー照射発表はスキャンダル隠し?
 今日ラジオを聞いていたところ、件のレーザー照射事件について国際ジャーナリストの小西克哉さんがちょっと興味深い疑問を呈していた。

 それは今回のレーザー照射事件のN側の発表のタイミングについてである。

 レーザー照射が行われたとされる事件は先月の1月19日と30日に発生したにも関わらず、何故その発表がかなり遅れた2月5日の火曜の夕方という時期だったのかという疑問である。

 レーザー照射の解析に時間がかかるにしろ、2回目の照射からほぼ一週間経ってからの発表であり、緊急性を要する内容なら時間がかかり過ぎるというのである。

 しかもA首相自らC国側の反応に対して謝罪を要求すると発言し国会内で熱くなっている。

 実は今回小西さんが指摘していたのは、日曜日から突如と噂として浮かび上がっていたJ党所属の議員T政務官の未成年者レイプスキャンダルの件である。
 土曜日深夜には既に本人から辞任が伝えられたが、その原因とされる「謎の女性問題」に世間が湧きあがっていた。

 5日の時点ではまだ件の週刊誌の発売前だったが、火曜の昼間まではワイドショーなどでこの噂で持ちきりだった状況となっており、政権運営に大きな打撃が与えられることは確実な情勢だった。
 しかし偶然か否か、急遽5日の夜に発表されたこのレーザー照射事件の影響で世間の話題からはこのスキャンダルの話が見事飛んでしまったとのこと。

 もちろん単なる偶然かもしれないが、意図的にスキャンダルによる政権へのダメージを避けるためにあのタイミングで故意に発表した可能性がないとも言えないようなことを言っていた。


 聞けばレーザー照射そのものはかつてから何回かあり今回急に出てきた話ではなく、恐らくN側も両国関係を考慮し、今まで相手軍のイタズラの範囲として騒ぎを大きくしないよう抑えてきたのに、急に何故このタイミングで発表を行なったのかという説明がつかないらしい。

 故にそんな程度の事件だからC側政府も今まで見逃されてきたことが、突如悪質な挑発勃発のように言われてしまったので、「捏造だ」と反論するまでの態度発表に繋がってしまったのだと考えられるようだ。

 もちろんレーザー照射そのものは事実であったとN側の発表を信じているが、まあこういう状況が揃ってしまうと、必ずしもC国ばかりを非難できるものではなくなってしまう。
 
 もしN側の本音がスキャンダル隠しにあったとなると、C国側の言うように実は相手国を貶めるための「捏造」なんじゃないかなと疑われても仕方なく、それに反発する気力をそがれてしまう。

 つまりA首相の謝罪要求だって、実は相手国の非難ではなく、政権を守るための茶番の演技であった可能性が出てきてしまうのだ。

 真実は実際にどこにあるか分からないが、政権保持のために国際関係を出汁にするようなそんな政権運営はどこの国も是非控えてもらいたいものである。


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2013年02月10日 春節の花火はジャズのリズム?
新年快楽!

春節を迎えて中国は新年を迎えた。
昨夜も例年通りに、九江路の中福大酒店の主催する(?)花火を見に行った。


 まあ例年通り狭いビルの空間で打ち上げられる迫力ある花火だったが、今年は規制が厳しくなったのか花火の種類の幅が限られていたようで、ある意味シンプルな打ち上げで、仕掛け花火らしきものはほとんど見なかった。

 ただそのおかげで花火の音そのものを楽しめ、結構楽しかった。

 この音を聞いてこそ、春節という感じである。

ところで、数年前から感じていたことだがこの花火のリズムは、ジャズのシンバルのリズムに良く似ている。

 リズムというか響き方である。

 上海のこの場所で聞く花火の音はジャズのドラマーがスティックでシンバルを、
「ターン、ターン、タンターン」
 という小気味よいリズムで叩くような印象とよく似ている。

 実は、これ一昨年にジャズのリズムを聞いていたときに感じ始めたことで、ジャズのシンバルの音って何かに似ているなと感じ、思い出したのがこの春節の花火である。

 シンバルの音というのは最初のアタックから音が減衰するまでの時間が比較的長く、約2秒前後かかっていると思うが、その音が減衰しきらないうちに次のアタックが来て次々と被せていく感覚が、花火のそれとよく似ているのである。

 故に花火が続けざまに打ちあがる様は、ジャズドラマーがソロの魅せ場でヒートアップしている情景が目に浮かび、とても音楽的で心地よい。

 こういう共通点を見出すと
「ああ上海で伝統的にジャズが流行るのはこの花火の影響なんだな」
と考えたりもする。

 ただこの理屈で言うと、春節の花火は上海だけではなく中国全土で打ちあがるので、中国全土でジャズが流行っていても良さそうなものだが、現実にはそうなっておらず、やはりほぼ上海限定の状態である。

 つまりこれだけでは、上海にジャズが流行る理由としては不十分で、何か別の答えが必要になる。
 
 まあこの疑問に対する優等生的答えを言うのは簡単で、
「海外との交易が盛んだった上海では外国文化を受け入れやすい素地があった」
という風な理屈付けはすぐできるのだが、これだけでは何だかつまらない。

 何故ならこの答えだけで片付けてしまうと、中国全体の対外開放が進んだ現在でもジャズが上海以外にあまり広がっていないように見えることに、説明がつかないからである。

 そこで音楽好きな私として自分なりの答えを出すとすれば、この上海の空間がジャズの響きに近い響きを生んだ、そういう推論を導き出してみた。

 外国文化が多く流入した外灘では戦前から石造りの建物が多く密集し、外灘以外でも石庫門などと言われる上海の代表的伝統建築は石造りの住宅となっており、上海市内ではこれらの建物が非常に多く建てられている。

 この外灘などの石造りの建物と建物の間の空間は、石そのものが音を反響しやすいために音が良く響き、建物が密集することによって結構遠くからも音が反射して帰ってくるので、音の減衰時間は自然と長くなる。

 この空間で花火を打ち上げれば、恐らく何もない平地で「ドン、ドン」と打ち上げる花火より音の聞こえ方として減衰時間が長くなるのは必須であり、他の土地で聞く花火よりジャズのシンバルの響き方に近くなるのだと推測される。

 それに外灘などは経済的中心であると同時に夢のスマロ(四馬路)などと言われた歓楽街が存在しており、こいう環境でジャズの演奏が多く行われていたのだと察すると、ここにいた人間たちにとっては、ジャズのシンバルの音は親しみやすい音だったのではないか?そういう風に推測するのである。

 こうして考えると、この外灘近くのビルの谷間の中福大酒店の花火を毎年聞いている私が花火とジャズとの共通点を感じるのは結構合点がいくのである。

 「上海ジャズと花火の関係」というのは考えてみれば見るほど結構面白く、もう少し掘り下げてみたいテーマである。


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2013年02月09日 隣の喧嘩
 春節の大晦日だというのに天気が悪いせいか、路面が湿っていて湿気ているのか、夕方になっても窓を閉めている限りにおいては、まだあの嵐のような花火はきこえてこず静かなままである。

 その代り隣の住人の夫婦喧嘩がヒートアップしているのが壁を通して聞こえてくる。

 旦那がどなり、奥さんも吠えている。

 両方とも顔を知らないし、いつ引っ越してきたのかも知らないから本当に夫婦かどうかも良くわからない。
 まあ男女の喧嘩であることは確かである。

 明日は春節だというのにと思ったが、まあ爆竹よりは平和というものか。

 口喧嘩で済んでいるうちは、他人が気にするものでもないが、まあ平和でいてくれたほうがやはりこちらとしても安心する。

 明日から新年、私にも隣の夫婦にも新年には新年の風が吹くことを信じたい。

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2013年02月09日 もっと大人の外交をしなくちゃ
 N政府というの伝統的には外交が下手だと言われているが、昨年末に政権交代があったにも関わらず、今回のレーザー照射事件において残念ながらその伝統は変わっていない状態を露呈した気がする。

 今回レーザー照射事件において、N側がレーザー照射を受けたと発表した内容に対してC政府はなんと「事実と一致しない」と発表した。

 N側が敢えて事実捏造を行なう理由は全くないのに、ねつ造だとしたのである。

 今回の事件は明らかにC政府が預かり知らぬところで起きた現場レベルの悪戯が原因で起きた事件だが、それは同時にC側の海軍に対する統制の無さや海軍の世界的常識の教育不足を露呈する物であり、面子を気にするC政府にとっては絶対あってはならない事実なのである。

 故に「事実に合致しない」との苦し紛れの発表となったと思われる。

 しかしこれは明らかにC国側の苦しい対応だというのは誰が見ても明らかだった。

 これに対してN側は黙っていればいいものを、なんとA首相は昨日自ら謝罪要求を発言してしまったのである。
 このニュースを見て、私はまたN側が外交下手ぶりを露呈してしまったなと感じた。

 実はこのC政府側の苦しい言い訳は、N側にとっては大きな外交チャンスであったはずである。

 C政府側にとっては、領土の主張はあっても両国関係の改善を目指したいこの時期にこんな事件の発覚は想定外であり、処置に困った結果のかの発表であることは、N政府だって理解していたはずである。

 それ故に今回C側も国のトップではなく外交部の副報道局長を使っての発表だったのだろう。

 よって国家主席などC政府首脳はこの事実は知っていても、恐らく当面は一切この件を口にしないと思われる。

 もしC側のこの姿勢を理解していたらな、N政府にとってはC国に「借り」をつくる大きなチャンスだったはずである。

 N政府は表向きこそC政府の発表に対する反論の姿勢を見せないわけにはいかないが、相手の苦しい立場を察して外交的「借り」を作るためには、こういった対立的なコメントは外務省の事務次官など政府の役人レベルに留めるべきで、首相や政府首脳のレベルの人間は沈黙を保つ姿勢をとって、国会の答弁があっても「再度調査を指示した」とか何とか言って、お茶を濁すべきあったと思っている。

 こういった表向きで相手の発言に直接的に反論しないというスタンスをとれば、外交メッセージ的には相手の立場を理解したという姿勢となり、「借り」をつくれたはずなのである。

 つまり、テーブルの下で「この事件についてのN国内の世論は今後収束に向かわせるから、そちらもあの海軍に対してもう少し大人しくさせてくれ」と言えたはずなのである。

 こうして政府のTOP同士の徹底的な「対立な立場を避ける」ことによって、時間を経れば雪解けに向かうことが可能になるのである。

 しかしなが今回国のトップのA首相自ら「謝罪要求」という愚行を行なってしまった。

 恐らくA首相にとっては自らの感情や、マスコミ世論の論調・周囲の人間に後押しされた結果の発言なのだろうあが、どう考えてもこれは稚拙であり選挙ポピュリズムの生み出した愚策外交にほかならず、折角の外交チャンスをフイにした可能性がある。

 首相というのは民主選挙というルートを経て選ばれた立場とはいえ、その立場は相手国にとっては国民世論とは別のカテゴリであり、世論と同じスタンスで外交にあたればいいというものではなく、世論と一緒になって吹き上がってはいけないのである。

 本来ならば、レーザー照射事件そのものだって外交ツールとして使おうと思えば使えたはずで、これを材料にテーブルの下でC政府と交渉が可能であったと思っている。

 M主党政権時代に端を発するこの両国政府の悪化だが、どうも政府機関にこれらをコントロールできる有能な外交ブレーンがいないことがN国の外交下手の原因のような気がする。

 まあN国内のマスコミの報道の仕方も問題で、かなり感情的に右往左往する部分が大きく、C政府の発表を発表者の格の違いなどを意識せず、上から下まで同様に扱いを行なってN国内にバラ撒くから不必要な世論の沸騰が起きるのである。

 N国というのは妙に平等意識が発達しているせいか首相の発表も外務省の役人も同レベルの言葉として伝えてしまう傾向があるが、対外的にみれば特にC国に対してはそれは全く別の言葉であり、同じ内容の言葉であってもどのレベルの人間が発言するかによって外交的メッセージの意味が全く違うことを理解するべきである。

 「誰が発言し、誰が発言しない」ことが、相手国に対して有効なメッセージとなるかを使い分けるような、そんな大人の外交をN国には是非求めたい。


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プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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