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2012年05月28日 オリンピックの足元
 先日東京オリンピックの一次審査通過の話題がニュースに出ていて、社会資本基盤が評価されていたような話があったが、実は東京の社会資本は非常にヤバい状態であることが言われている。

 つまり前回の東京オリンピックの時点で急速に整備された道路や水道などの社会資本が相当ガタがきており、いまその改修コストが非常に問題になっているのである。

 その代表格が首都高速で、近いうちに再建設並みの維持コストが必要だと言われていおり、そのくらい東京の交通機関などの足元は実はヤバい状態なのが現状らしい。

 東京に限らず日本の税金の使われ方というのは建設費には予算をつけるが、それを改修するためのコスト、所謂マンション建て替え積立金のようなメンテナンスコストがほとんど考慮されていないのが実態で、実は金銭の面では呆れるほどの無計画性のもとで行政が進んできたのが実態のようだ。

 もっともこの無計画性はお役所に限らず社会全体同様のようであり、物を作ったり導入したりすることは熱心だが、維持することには熱意が乏しいのは共通という気がする。

 私のまわりにも新しいものばかりもとめて飽きっぽい人がいかに多いことか。。。
 ある人が言っていたが、例えば一つの建物を建てれば、その後毎年その建設コストの1割くらいは維持費などにかかるはずので、それを覚悟した上での予算組をしないと建物は維持できないといっていた。

 普通のビジネスも同じで、実は新しいことを始めるときに、どうすれば永らえて維持することができるかを見越して動かないと後々苦しくなる。

 2020年の東京オリンピック、決して反対はしないが本当に足元は大丈夫なのか?かなり心配な東京の一次審査通過である。
 



2012年05月28日 過去の怠慢の後始末
 ここしばらく過去の怠慢の後始末作業に忙殺されていた。

 まあ以前いた人はうちは凄いんだのようなことを言っていた気がするが、確かに過去に大量の実績を見つけるも、その実績がほとんど現在に繋がっておらずある転換期を境にして断絶している状態だというのが私の現在の感想である。

 本来はその転換期に相当の移行作業をやらなければいけなかったのに、対処療法でやり過ごし、手を抜いてあったような印象がある。

 これが一つの失敗。

 さらに、どうも好みで仕事をチョイスしていた形跡があり、本来当たり前のようにカバーされるべき領域がずっぽり抜け落ちている。

 ライバルが当たり前のようにカバーしている領域を、まあ勝負の勝ち負けはともかく、踏み込んでもいなかった印象である。

 10年前からなにも進歩していないような印象で、中国のこの大事な10年の中で何をみて何を学んでいたのだろうかという感想が残る。

  そして多くの作業が中途半端だった。

 勢い込んで新しい仕事を始めても、飽きっぽいのか息が続かないのか、途中で放置された仕事のかけらを沢山見つけた。

 それゆえに過去の仕事の実績が今にほとんど繋がっておらずポロポロと抜け落ちているのである。

 そんな過去の怠慢を埋めるべく最近かなりの時間忙殺されていた。

 自慢していたあの人たちはいったい10年間何をしていたのだろうか?
と、この怠慢の山の内をみて愕然している最近だった。
 
 まあその代わり苦労したお蔭で、不器用ながらも取りあえず一つの方法を見つけた気がしている。
 


2012年05月18日 使うと失礼な謙譲語
 よく「一国民」「一市民」「一利用者」などといちいち「一」をつけて自らをへりくだっていろんな意見を言う人がいるが、この自らに「一」を頭につけるというのは場合によってはどうも相手に失礼に当たる気がする。

 つまり、「一」をつけるという言葉の裏には、「本当は自分は一じゃないんだが」という、優越感・傲慢さが本人に見えるからである。

 本来は主語は「私は」でいいはずなのに、わざわざ「一」をつけて自分を小さくしているんですよとPRする必要はないのである。
 「私」というのは基本的にPRしなくても「一」のはずなのである。

 故に「一○○」などと言えるのは、明らかに立場がある人に限られ、例えば市長や市議が「一市民」としてモノを言うのは意味がある。

 かつて、かの小沢一郎さんが、自らを「一兵卒」として呼んだことがあるが、あれは代表選挙に敗れた後だったから、使い方としては正しい気がする。

 しかし、そういう明確な社会的な立場が無い人が、客先相手でもないのにへりくだるというのはやはりどこかおかしい。

 実はへりくだったつもりが却って自らの尊大な意識をPRすることになるのである。

 現に「一国民として」「一市民として」「一利用者として」などの言葉で検索をすると、へりくだる必要もなさそうな立場の人が非常に強い意見を述べている。

 「私は○○なんだが、腰を低くして言っているんだ」という傲慢さがどこかにありそうな印象を受け、却ってかなり尊大に感じてしまい、じゃあお前は何様なんだと反発を感じてしまう。

 まあ日本語とはかくも難しく、使い慣れない言葉を意味も考えず使うと恥ずかしい思いをする場合があり、自らの戒めの意味を込めて是非気を付けたい。


2012年05月17日 策士、策に溺れる
 技術者や策士というのは自分の技術や策に自信を持ちすぎると、却って勇み足となり、蛇足となってしまうことが多い。

 仕事や日常生活の上でも、テクニックに自信を持った人間は、テクニックをやたら駆使したがる傾向にある。

 例えばパソコンや携帯の機能ツールなんかも、使わないと損だ思い込みが強いと、必要のない機能を付加したり、無理やり利用したり他人に使わせようとする。

 結果、そんなものを使わなかった方が実は効率的だったなとなどということがよくあり、まあ迷惑だとまでは言わないまでもコストパフォーマンスの上で決してプラスにならないケースがままある。

  まあ政治家なんかもその一種だ。

 あまりに策略に長けている人は、策に溺れてしまって本来その策が目指そうとしていた目標や本筋本質が本当の近道が見えなくなり、実に回り道ばかりをしているように見える。

 技術や策に自信があればある人ほど、実はその価値を自ら冷静に見つめ直すべきであろう。

 そう思わせる出来事が最近よくある。


2012年05月16日 大分っ茶
 近くのローソンでこんなものを売っていたので思わず買ってみた。

日本からの輸入品で20元以上の価格。

まあ普段なら3~4元くらいでお茶は買えるので、こんな値段のお茶を買うことはないのだが、なんとなく好奇心で買ってみた。

 飲んでみると流石にうまい!

 中国では出ないほど深い味わいである。

 で、で、でも。。。。

 毎回買うかと言われれば、たぶん買わないだろう。

 せめて半額なら買ってもいいかなぁ。。。

 やはり輸入品は高すぎる。

 だったらもうコンビニは諦めて超高級品として売った方がいいような気がする。。


2012年05月16日 友人は無事だった!?
 先日緊急帰国した台湾の友人は、どうやら無事だったようだ。

 普段はMSNでその友人とは常に繋がっているのだが、昨日ちゃっかりオンラインで繋がっていた。

 しかもなんともう自宅で仕事をやっていた。

 どうやら台湾に帰っても仕事が無くならないようで、、いや休んだ分だけ処理すべき案件が溜まっていたようで、相当忙しい様子になっていた。

 結局MSNで話しかけたものの「詳しいことはあとで」と言われたきりその後の詳しい話は聞けていない。

 まあ事情はともかく、死んだかもしれないという不安に比べれば、仕事するくらい元気になったなら何よりである。

 とはいえ急病で帰国した時くらい休めない状態だから病気になったのではないかと思うのだが、、今後は今後でちょっと心配である。



2012年05月15日 開発中の新メニューをこっそり公開
 先日、件の鳥ノ巣の店長にちょっとしたアイデアを提案したところ、なんとリクエストに応じてメニューを開発してくれた。

 その名も「鳥の酢」(笑)

 写真の通り、ポテトのバスケットの上に細ねぎやレタスが敷かれ、
さらにその“巣”の中に鳥肉のから揚げの甘酢あんかけのような肉がのり、
さらにウズラの卵までついている!

 まさに店名の「鳥ノ巣」そのものの雰囲気である!

 試食したところ、多少の改善の余地はあるが、結構面白い仕上がりである。

 今後レギュラーメニューでの登場が非常に楽しみになった。




2012年05月13日 国がタバコを禁止しないは財源だから
 中国でも最近各都市で次々に禁煙条例が出来てきており、ルール通りならば都市の公共の場所ではほとんど喫煙できなくなる状況になりつつある。

 まあ中国の場合「ルール通りならば」というのが一つのミソであり、なかなかルール通り行われないのが普通だから、禁煙条例の効果がどれだけ有効なのかはちょっと懐疑的ではある。

 それはさておき、日本や中国を含めてこれだけコストをかけて喫煙場所の規制をやるくらいなら、いっそのことタバコそのものを禁止してしまえばいいのではないかというのが非喫煙者の意見なのだが、実はそういう議論は少なくともどこの国からも一切出てこないのが常となってる。

 何故ならタバコは貴重な国の財源の一つであり、タバコを禁止してしまうということは財源を自ら捨ててしまうことになり、ただでさえ税収不足に悩む各国政府がそこまでのことをするの勇気を持つのは無理だからである。

 日本も一兆円近い税収が毎年タバコから生まれている。

 よく考えてみれば国家にとってタバコほど都合の良い課税対象はない。

 つまりタバコには常習性があるにも関わらず麻薬ほど身体への影響は大きくないものとして社会に認識されているものだからである。

 一般的にはタバコは吸い過ぎると健康に被害を及ぼすと言われているが、実際影響が出てくるのは早くても10年後20年後の話となっている。

 しかもその健康への因果関係についても科学的にあると言われてみたり実は無いんだと言われていたり色々諸説あるが、少なくとも麻薬ほど急速に体をボロボロにするものではないということは確かだというのが社会の共通認識である。
 
 それ故に麻薬ほど健康に害がない状態で常習性をもたらし、かつなかなか止められないタバコというのは各国で格好の課税の的となっていて、麻薬が蔓延するのを防ぐ意味でも古来から国家政府が独占販売権を持ち、税収源として重宝されてきた。
 
 つまりそんな便利な財源となっているタバコであるから、多少の健康被害が報告されたところで致命的にならなければ、喫煙量をコントロールすれば問題ないという見解のもと、一向に全面禁止という方向にはならないのである。
 
 むしろ完全禁煙になっては国は困るから、「喫煙は体に悪い」などという形だけのキャンペーンをやりつつ、実際は本気で禁煙を推し進める気などまるでなしに、“納税者”を保護し続けるのである。 

 喫煙者がよく禁煙の努力をしているがタバコを止められないという話をしているが、それは当然なことで、各国国家はタバコの持つ常習性をよく知るからこそ全面禁煙にせず収税ツールとして野放しにしてを課税を続けているのである。

 またよくニコチン中毒者から、タバコは必ずしも害だけではなく体にいい面もあり、吸うと頭がすっきりするなどの利点もあるから、積極的に吸っているのだと意見も聞かれるが、それこそが実は常習性を生む一つの要素であり、麻薬を吸う人が幻覚を楽しむのと一緒なのであるが、健康に影響が少ない(遅い)という面でタバコが相対的に認められているだけであることを自覚するべきであろう。

 こうやって考えるとタバコは国の税金のために存在してるようなもので、喫煙者は税金を払うために“納税者”として飼われてしまっているようなものである。

 まあお国の為を想えば喫煙納税もやむなしと考えるか、国の策略をNOとして禁煙の意思を貫けるか、全ては本人の考え方ひとつであるが。。。



2012年05月13日 台湾人も中国医療を信頼せず
 先日、台湾人の友人が急病のため急遽帰国した。

 お腹が痛いというだけで詳しい事情はわからないが、手術をすると言っていた。

「そんな緊急の状態なのに飛行機に乗って大丈夫なのか?」
という気はするのだが、とにかく帰って行った。

 どうやら中国の病院は信用できないということで、意地でも台湾に戻って治療と手術を受けたかったらしい。

 台湾人でさえも我々日本人同様にやはり中国の医療を信用していないようだ。

 私も先日中国で手術を受けたが、まあ命のリスクは非常に低いだろうということで、怖い物見たさの好奇心が含まれていたことは間違いなく、中国の医療を本気で信用していたわけではない。

 連日、中国人社会の人命軽視というか、命への尊厳が分かってないなというニュースを見ると、医療の世界とてこの社会の一部と考えると日本のそれとはどこかずれているのだろうということは想像に難くない。

 故に台湾人とて同じものを感じて中国の医療を信用していないのだろう。

 何医学であろうがどうも中国で信用のある治療を探すのは大変な気がする。 

 中国の場合、医学の技術より、社会や人に問題があるからである。

 恐らく中国でも医大などで教える項目は日本とあまり変わらない可能性があり、医療のルールそのものはそれなりに厳格なはずであるが、そのルールを細かく守らないでもOKという中国社会の小さな手抜きの積み重なりが問題を起している。
 
  連絡一つ、仕事の締切り一つなど直接医療に関係ないルール違反に見えても、それを許容してしまう人や社会の資質は結局人の命にも影響を及ぼすことに繋がっているのである。

 ところで人の命の存在とはあやふやなものだ。

 この台湾人は、現在恐らく手術を済ませて安静にしている頃だと思うが、連絡もないためどのくらい重病なのかわからず、実際のところ今現在生きているか死んでいるか全く分からず、非常に不安な気持ちで成行きをを気にしている。

 便りが無いのは元気な証拠と思いたいが、実際連絡があるまではとっても不安だ。
 
 時間がかかってもいいから、また元気な姿で上海に戻ってきてほしいものだと切に思う。


2012年05月09日 餃子の発見はマカロニにも波及
 先日、餃子に対する中国人と日本人の認識の逆転について書いたが、今日コンビニで「マカロニサラダ」を見て、ああこれもそうかと気が付いた。

 イタリア料理の上でマカロニもスパゲッティも同じパスタに区分されるというのは最近日本人の間でもかなり知れ渡って来ているが、そうは言っても日本人にとってのマカロニは今のところ完全な主食扱いではない。

 まあスパゲッティなどのロングパスタなら麺類の一種として捉えらることが出来るが、マカロニに限らずペンネやフジッリなどショートパスタ全般は日本人にとってはどうも料理に対する添え物といった印象がある。

 しかも日本人はそのスパゲッティでさえ、添え物として副食にする場合もあり、焼きそばパンともにスパゲッティパンなどもあったりするから、どうも完全な主食の扱いとはなっていない。

 現に日本のお弁当などではどうどうとスパゲッティやマカロニサラダが副菜として添えられているケースが多々ある。

 しかしである。

 餃子は皮が主食である理屈から言えば、小麦粉で出来たパスタもまた主食であり、マカロニ達もまたその例に漏れす主食ということになる。

 あの小さなマカロニを主食として捉えることは日本人としてはちょっと抵抗があるが、小麦粉をつかったでんぷん食という意味からいえばマカロニはやはり主食であり、マカロニサラダは本来はサラダマカロニでなくてはならないのがイタリア料理的立場ということになろうか。

 最近ではサイゼリアなど安いイタメシ屋の普及もあってパスタを主食として食べるケースも増えてきたため、日本人にとってもマカロニを含めたパスタを主食として捉えることに抵抗感はなくなりつつあるが、そうは言っても私にとってはまだマカロニを主食とするには、どこかまだ頼りない印象が残るのである。




プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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