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上海ワルツNEW


2011年10月31日 上海蟹を食べに行く計画
 いつも参加する山形県人会で陽澄湖へ上海蟹を食べに行く計画が勃発した。
まあいつも最大20人程度のメンバーなのでそんなに大所帯にはならないであろうとは思うが、それでも自主企画となるとちょっとした大事である。

 食事代は現地で精算するとして、蟹を二杯で100元前後と普通の食事代が70~80元以内くらいであろうか。

 最大の問題は足をどう確保しどの程度の金額に抑えるかが一番の悩みどころである。

 車をうまくチャーターすれば足代が一人100元程度で収まるのではないかというのが今のところの目算であるが団体行動は人数の確定が一番の悩みどころである。
 まあ結果として一人300元程度に抑えれば御の字であるが果たしてどうか?

 予定の11月末は恐らく雄が一番おいしいころである。




2011年10月31日 負けに不思議の負けなし
 応援していた日本ハムがCSシリーズで負けた。

 まあ昔からの贔屓なので悔しいが肝心なところでエラーや暴投が出ては勝てるわけはないのである。

 ところで仕事の方でもある契約が一つ終わることになった。

 はっきりした正確な理由はわからないが、本来イザという時のための契約であったはずなのに、担当者が怠慢な作業をただ繰り返していただけだったのようで、肝心のイザという時に役立たず、意味がなかったようだ。

 それが全ての原因かどうかわからないが、あの仕事ぶりでは仕方なく、終わるべくして終わったような気がする。

 負けに不思議の負けなしである。
 


2011年10月28日 勇気を与えてくれる「運命」
 以前、テレビで音楽評論家だか誰かがベートーベンの曲は勇気を与えてくれると言っていたのを思い出した。その中でもやはり「運命」が最高だと。
 あらゆるクラシック曲の代名詞ともいえる、ベートーベンの交響曲第5番だが、あまりにも一般人も含めてポピュラーな曲となっているため、ある意味マイナーであることを誇りとしているインテリなクラシック通には少々人気がない面もある。

 まあそれはそれだけこの曲が人々の印象に残る曲であることの裏返しであり、多くの人に受け入れられる何かをもっているということであろう。

 とはいえ冒頭のジャジャジャジャーンがあまりにも有名で、それ続く疾走するような第1楽章の旋律もかなり知れわたっているはずだが、そのあとの第2楽章以降はどのくらい聞かれているのだろうか?

 「運命」は全曲を聴き通すとおよそ30分くらいかかるが、この曲の長さがクラシック音楽を多くの人々がクラッシックに馴染まなくさせている理由の一つでもある。
 つまり現代の生活の中ではそんなに長く音楽をじっくり聞く時間が取れないのである。
 故に5分程度で聴き通すことのできる第1楽章だけであれば、広く市民に浸透することが可能だったわけである。

 でもこの曲に限らないがクラシックでもポップスでも音楽はやはり最初から最後まで聴き通すことが基本で、この曲も実はじっくり通して聴くことができれば第一楽章以上にもっと格好いい面が見えてくるし一曲を聴き通すことに意味があるとわかってくる。


 この曲は多くの評論家が評するように苦悩の暗から喜び明へ走り抜ける楽曲構成が非常に気持ちよく、未来に対して明る希望を与えてくれるところに最大の醍醐味がある。つまり前へ進むこと勇気を与えてくれる曲構成になっている。

 多くのポピュラー曲がそうであるように、クラシック音楽では暗なら暗、明なら明と一つの雰囲気で曲が包まれているわけではなく、途中で次々に曲調が変化していくところに決定的な違いがあり、それをうまく導ける音楽を構成しているというところにこの作曲家の凄さがある。

 故に例えばモヤモヤした状態でこの曲を聴きはじめると、冒頭のジャジャジャジャーンという音楽動機でまず心が揺さぶられ、その後の不安定かつ圧迫されるようなメロディとリズムによって心理学的用語でいう同質効果で、実は心が安定し始める。
 そしてそのまま緩徐楽章である2楽章で心の平静を取り戻し、3楽章でそろそろと再稼働をはじめ、4楽章の歓喜の音楽の希望へとつながる。

 実はこういった雰囲気運び、心の導きのうまさがこの曲の価値を決定づけている。

 故に聴き終ったあとに気持ちがスッと晴れ元気になれ、そういった面でこの曲は人類に勇気を与える最高の名曲であると評されているのであろうと思う。

 普段の生活の中で、思い悩みイライラする心のモヤモヤから脱出したいときはぜひ恥ずかしがらずこの曲を聴くことをお勧めしたい。勇気を与えられ心の健康を取り戻すことができると思う。

ぜひ「運命」を信じてみてください。^^b


2011年10月28日 味噌汁あそび
「あそび」と書いてしまうと、料理に失礼な気がするが、私の味噌汁あそびというのは、味噌汁を作るたびに色々な具を入れてバリエーションを楽しんで味わうということ。

 味噌汁というのは非常に便利な存在で、普段不足しがちな野菜を片っ端からいれることにより野菜不足を補うことができる。

 しかも煮ることによりたくさん食べられる。いわゆる温野菜的発想だ。

 まああまりたくさん入れすぎてしまうと味が濁ったり干渉しあったりするので、たくさん食べたくても野菜の種類は絞った方がいいが、入れる野菜によって色んなバリエーションが楽しめる。

 この辺はほとんど鍋の発想に近いともいえる。

 さてさて夏場は味噌汁を一生懸命作っても基本的に一晩しか持たないため、自炊の中にあっても味噌汁は作るのは諦めていたが、段々涼しくなっていい頃合いになったので「味噌汁あそび」を再開することにした。

 そして先日作ってみてちょっと感激したのが春菊のお味噌汁。某農園に出かけたときに春菊を大量に買ってきたので味噌汁に入れることにした。

 春菊なんぞ普段は鍋でしか出会わないし、中国にあってはそんな気の利いた味噌汁を出す店はほとんどないであろう。 というか上海には日本料理店が数多くあれど、どんなにおいしい店でも店で出される味噌汁の具にはほとんどバリエーションがなく、具を楽しむ幅はほとんどない。

 故にこれは自炊ならではの組み合わせである。

 日本にいるときは特別好きとか嫌いとかなかった春菊だが、久しぶりに食べたその濃厚な香りと味わいに、自分で作った料理ながらノックアウトを食らってしまうほど感激した。

 これだから自炊はやめられない。

 これから冬に向かってキノコなどいろんな食材で「味噌汁あそび」を楽しんでみようかと思っている。
 


2011年10月27日 日本人学校もどうかしてる
自分のブログを書いても、仕事の確認を怠るような人を呼ぶなんてどうかしている。

 なし崩し的に仕事を他人に押し付け、やらないことを既成事実にしてしまうような人物は、一番教育現場で参考にしてはいけないタイプの人でしょう。

反面教師として見るならともかく。。。

ブログを書く暇があったら仕事をやれと言いたいし、過去の穴をまずきちんと埋めろと言いたい。

 そんな筋の通らないことを繰り返してきたような人物に、教育現場で人に教えを説かせようなんてお笑い草だ。

 人物の裏を見る目がないというのは困ったものだ。



2011年10月27日 映画「南極物語」を見た
 先日の「南極料理人」に引き続き、南極モノの映画観賞である。

 個人的に人生の難局続きだから南極モノというわけではないが、私は基本的には北国など寒冷地を舞台にしたドラマや映画を好む傾向にあるような気がする。

 以前見た「八甲田山」もやはり寒冷地ものであった。

 そういえば現在日本ではキムタク主演の「南極」というドラマが話題らしいが、こちらは今のところ興味がなく中国のネットから古いライブラリーばかりを掘り返している。

 どうもスターの名前が先に出てくる映画やドラマはそれだけで興味がそがれてしまう。やはりドラマや映画はストーリーが大事で役者を見るために映画を見るわけではないからだ。
 故に今回のそのキムタクドラマは、いいドラマという評価が聞こえてきてから見ても遅くないと思っている。


 さてこの「南極物語」、少なくとも1回は過去に見たことがあるはずだがストーリーはすっかり忘れていた。
 主演は高倉健さんと渡瀬恒彦さん、そして犬たちである、というか犬が主役の映画で人間は脇役といったほうがいいかもしれない。

 止むを得ない事情で置き去りにされた犬たちの南極でのサバイバルの姿が描かれているこの映画、犬たちの演技(しているように見せるスタッフの努力)が素晴らしい。仲間の犬が命を落としてしまったときに見せる表情などは人間顔負けで、つい感情移入して犬たちを見てしまう。

 それにしても零下40℃とも50℃ともなる極寒の地で生き抜く姿は物凄い生命力である。

 もちろん実話をもとにしているとはいえ、人間の手を離れた犬たちの南極での行動は全て想像上でのフィクションだから、実際はどうやって犬たちが生き抜いたかは全く分からないのだが、気温と環境はどう考えても厳しい現実であったはずでその環境の中で人間の保護もなく生き抜いたことは凄いことであろう。

 そして犬を仲間と思う高倉健さんと渡瀬恒彦さんの存在感も素晴らしく、彼らによってこの映画が単なる動物映画やヒューマンドラマに終わらない重みを持った映画になっている。

 ところでこの映画の音楽を担当したのがヴァンゲリスで、初期のシンセを駆使した機械的な硬質な音がこの南極の厳しさをうまく表現していて、サントラ曲の名作との一つと言ってもよいであろう。
 ヴァンゲリスは、炎のランナーや2002日韓ワールドカップのテーマ曲など非常に印象に残る音楽を作っており私の好きな現代作曲家のひとりである。
 
  こうやって極地モノを続けて見ると自分も何となく南極に行ってみたい気になるから不思議である。



2011年10月24日 日本仕様PCはキーボードカバーも日本で買うべき。
さてパソコンが手に入って、少しでも綺麗に使おうと思いキーボードカバーも手に入れようと考えた。

 そこで同僚に頼んでほとんど型番が一緒のものをタオバオで探してもらって購入することにした。

 若干PCの型番が違ったが、PC本体のスペックがほぼ同じ機種で同じ系列だったため、単にOSの言語の違いだけだろうと思い、油断してキーボードカバーを購入した。

 しかしそれが甘かった。

 ほんのわずかだが中国製と日本製ではキーボード配列が違ったのである。

 特に日本語変換に関するキーの部分は日本語仕様独特のキーボード配列となっており、中国で購入したものとは合わなかった。

 うーん残念。

結局たかが20元程度とはいえ、無駄な買い物をしてしまったことになる。

 キーボードカバーはPCと同じタイミング、同じ国家で買うべきだと悟った今回の買い物であった。




2011年10月24日 性能4倍価格は1/3、パソコン5年の進化
 中国へ来て5年経った記念ということではないが、とうとうパソコンを更新した。

 前回購入したのは前の会社を辞めた日で、会社を辞めたその足で退職金を引出しその場で秋葉原へ向かって購入した1台だ。

 あれから5年を超えてずーっと上海で使用していたが、電池やDVDドライブなどあちこち故障し満身創痍の状態となり、さらにどうも今年の夏からパソコンが起動しなくなったりなんだのあり、業務にも支障が出てきていたので更新することにした。

 現行機種に愛着があったので修理して繋ぐという手もあったが修理代だけで新品が何台も買えそうな感じであったので、潔く更新することにした。

 さて、後継機種を探し始めて驚いたのがこの5年間におけるパソコンのスペックの上昇と低価格化である。
 5年前の購入時にはパソコンとはかなり意を決して買わなければならない価格だったものが今は数万円で手に入るようになった。しかも当時より何倍も性能がアップしているにも関わらずである。


 そして今回決めたのが従来と同じSONYのVAIOブランドのパソコン。

 何よりブランドの信頼性とデザインが美しかった。

 スペックも申し分ない。メモリ4GB、HDD640GB、CPUがCore3の4スレッド(2.1GHz)であり、全ての主要スペックで現行の4倍となってしまった。
(CPUはシングルだったから4スレッドで4倍)


 さらに買ったマシンはオフィス2010のソフトまで入っている。

 そして価格面は5年前の1/3である。

 つまりトータル12倍ものコストパフォーマンスアップとなった。

 価格ドットコムのレビューにはああだこうだ細かな短長所を書き込んでいる人もいたが、まあ私にとっては12倍の性能アップだけで十分である。

 CPUについてはもっと高性能なものを選択する手もあったが、そうすると電力消費も多くなり電池の持ち時間に影響するので、ゲームをしない私にとってはモバイルで使うことを優先して無理にCPUのクロック速度を上げる必要はなかった。
 実際、人間に実感できるほどの差はないのである。

 そして使い始めてみてかなりストレスがなくなったことがよくわかる。
まあ旧機には悪いがこれから新相棒と今後仲良くやっていけそうな気がする。

 是非故障せず頑張ってほしい。



2011年10月23日 中国に上陸して満5周年
10月23日で中国に住み始めて満5周年を迎えた。

他の人にも何人も尋ねてみたが、やはりほとんどの人が中国へ引っ越した日はみんなきっちり覚えているようだった。

 そのくらい海外に住む一歩目を踏み出し始めた日というのはほとんどの人に忘れられない日となる。

 まあ私のことで言えばそれ以前の旅行ベースで上海を初めて訪れたのも10月でそこから数えると満6年になる。

 あの当時と比べて自分が変わったのか変わっていないのかよくわからないが、まあ6年分だけ歳を重ねたことだけは事実である。

 とりあえずまだ自分は上海にいる。



2011年10月21日 何も分かってない取材者たち
 昨日、取材をする人は本当は取材対象のことを何もわかっていないんだなと思わせる出来事があった。

 昨日の夜に某チャリティコンサートに出かけたのだが、その会場にいた「媒体」という腕章をつけた坊主頭の人物の行動には呆れてしまった。

 その腕章をつけた男性は、コンサートが始まった途端にビオラによるクラシック音楽の演奏が行われているにも関わらず、一般の聴衆を尻目に二階席の最前列まで赴き、バシャバシャとシャッター音を鳴り響かせ写真を撮っていたのである。


 シャッター音で音色を汚すという認識もなければ聴衆の視界を遮る失礼さも何も感じていないようだった。
 そしてある程度撮り終えると今度は自分の席に戻ってノートパソコンを開き、データ移行のような作業を始め、その作業を終えるとそのまま演奏中にも関わらず会場外へ出かけて行ってしまったのである。

 つまり演奏会の取材に来ているにも関わらず彼は音楽に何の敬意も関心も払わず、もちろん音楽もろくに聞かず写真だけ撮って満足していたようだった。
 例え関心のない音楽であったとしても、取材に来たのなら演奏者や聴衆にもう少し敬意を払い礼儀を尽くすべきであろう。

 
 ここは中国とは言えあまりにもひどい取材記者である。


 音楽や舞台においてはステージ上だけが会場ではなく、ホール内の空間全体がステージ上と一体化しているものなのであるが、少なくともその取材記者にはそんな認識すら無いのであろう。


 そういえば以前も似たようなことがあり、某ホテルの室内でピアノのコンサートが開かれたときであるが、中国人カメラマンたちは聴衆はもとより演奏者の本人に対する失礼さお構いなしに、ひたすら自分のアングルを追っかけ演奏者に近寄って写真を撮っている姿があった。カメラマンというよりまるで社会性のないオタクのようであった。

 日本でも通称「撮り鉄」の鉄道写真ファンのマナーの悪さが話題になっているが、彼らも含めて写真を撮るということに夢中になりすぎている人々は、被写体のことを実際には何もわかっていないのが実体なのだと思う。

 まあカメラマンに限らずともマスコミなどの取材者たちは、ともすると話題性追求を優先してしまうため、取材対象をロクに知らずろくでもない人間を素晴らしい人間だと持ち上げて取材しているケースがよく見られ、中国で活躍する医者などと持ち上げられてい某氏もその一例だろう。

 多くの取材者たちは実は何もわかってないで取材している可能性があるのである。
 そんなメディアたちの記事は気を付けて受け止めなければならないように思う。




プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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