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上海ワルツNEW


2011年11月29日 マクドナルドのホットドッグ
ドラマ「家政婦のミタ」関連の話の続きだが、ドラマの中で遊園地でホットドッグが何度も映像に出てきてて、最近どうにもホットドッグが食べたくなった。

 とはいえ簡単な料理のように見えるホットドックもイザ買おうと思うと、上海のどこで買えるのか分からない。

 恐らく遊園地とかに行けばありそうだが、まさかホットドッグを食べにだけ遊園地に行くのもちょっと馬鹿馬鹿しい。

 そこで思い出したのはマクドナルド。

ハンバーガーの代名詞のようなマクドナルドであるが、最近ホットドッグを売り始めていたのである。

 マクドナルドがホットドッグを売るというのは、マクドナルドの成り立ちを考えると非常に面白いものがある。
 マクドナルドの創始者であるマクドナルド兄弟が最初に考えた商売がハンバーガー屋かホットドッグ屋だそうで、ホットドッグは客の好みや注文がうるさいからハンバーガー屋に決めたというのがいきさつだという。そのハンバーガーのマクドナルドがまたホットドッグを売りだした、これは非常に興味深い流れである。

 さて、まず古北のマクドナルドに行ったところホットドッグがメニューになかった。

あれ、おかしいなぁと思ったが、見た記憶は間違いはないので、いずれ別の店を探してみることにしてその日は撤退した。

 そして次の日の朝、今度はモーニングメニューの時間帯に西郊百聯のマクドナルドを覗いたところ、セットメニューでホットドッグが売られていた。

 やった!

 コーヒーついて10元と、まあホットドッグで外れることなどあるまいと思うし、
まずまずお得な価格で万が一外れても損はない。

 さて実際に食べてみた。

 ううっ、うまくない。。。マジ?本当に外れだ。。。(TT)

ホットドッグごときで、まさかの結果である。
ソーセージはともかくパンが駄目駄目であった。
ぼそぼそして美味くないのである。

 さすがに日本人なのでうまくなくても残さず全部食べたが、ちょっともう二度と注文する気にはならない。そのくらい食べてて不快だった。

 あんなパンを使わず普通のコッペパンを使えばいいんじゃないかと思うが、あのパンはとにかくぼそぼそして食べづらかった。

 うーん、こんなホットドックではこのホットドッグ欲求が満たせない。
 どこかもう少しマシなホットドッグはないものか?

 美味しいホットドッグ探しがまだしばらく続きそうである。


2011年11月28日 「家政婦のミタ」を見ている
 まあまだ完結していないので「家政婦のミタ」を「見た!」ではなく、「見ている途中」となるが久々にはまる連続ドラマである。

タイトルはもちろんあの市原悦子さんの「家政婦は見た」をパロったもので、公式ホームページにはオマージュだと記されているが、中身は全然違う。

 どうやら日本でもブームになりつつあるようで、視聴率はもとより「承知しました」とか「それは業務命令でしょうか」などといった言葉が子供の間でも流行っているらしい。

 このドラマは松嶋菜々子さん扮する無表情無感情な家政婦の三田が母親を亡くした家庭に努めるという設定で展開されるのだが、家政婦としての能力はスーパーピカ一な反面、言われたことは例え殺人でも何でもやってしまうちょっと危険な一面を持つ謎多き三田さんが様々な騒動を起こしつつも、実は彼女の存在によって家庭のトラブルがどんどん解決していくという不思議な展開を見せるドラマである。

 松嶋さんを初めとして、キャストワークも充実していて非常に面白い。

 そしてこのドラマの一番の凄いところは、家族たちの無茶な要求をそのまま三田さんがやってしまうことによって、無茶を言った本人が自分の無茶な要求に気づくという、家族の鏡の役割を三田さんが演じているところにある。

 「○○の鏡」といういい方は本来お手本にすべきという意味でつかわれるが、この場合は三田さんが反面教師に近い存在ではあるものの結局は命令した本人に従っただけであるわけだから、命令した人間の姿を映し出した本当の鏡ということになる。そのことによって本人が気づき自立していくというのがパターンになっている。

 さて、見ていない方のためにあまり詳しいことは書けないが、今週から実はその三田さん過去の真実が明らかになっていくということで、ますますもって目が離せなくなっている。

 公式ホームページの掲示板には色々今後の展開予想などが書き込まれているが、今の人気ぶりから言えば、このまま「家政婦のミタ、パート2」を期待する声も大きく、残念ながら最終回は誰かと誰かが結婚するといった完全なハッピーエンドの方向にはいかないのではと私は推測する。

 それが証拠に、ドラマのあちこちに一見解決したように見えるが、はっきり描かず後からどうにでも繋げられる種が結構ばらまかれ、そのまま終わってもよく、続編に続いて火種となっても辻褄が合うよう実にうまく演出されている。その辺の計算は凄いと思う。

 今回そんな色んな推測を交えながら毎週の放映を楽しみにするようになった「家政婦のミタ」である。




2011年11月23日 歩きにくい上海の歩道
 上海の歩道は、耐久性がないというかボコボコのところが多い。

 写真の場所も確か1~2年前に再舗装したばかりのはずだがもうこんなにボロボロである。

 煉瓦が貧弱で耐久性がないのか、歩道に降る「水」のせいなのか?

 水やお茶などの排水を平気で路上に撒くマナー文化であり、挙句の果てには歩道の真ん中で親が子供におしっこをさせてしまうような国だから、日本より歩道の寿命が短いのは当然と言えば当然である。


 とにかく上海の歩道はあちらこちらでボロボロである。


 それが今度は個人の靴の寿命にも影響してくる。
 私の靴は中国にきてから全く長持ちしなくなった。一か月に一足に近いペースで消費する。

 最近は靴をいつも上海で買うので、恐らくその靴の品質自体の低さもあるが、道路事情も靴の寿命を縮めている要因であることは確かである。

 そういえば歩道どころか、中国は一般車道や高速道路も決して褒められて状態ではなく、高速バスなどで郊外に出ると車道が安定していない状態なのがよくわかる。

 高速で走ると車がバウンドしそうになるほどの、日本では考えられないような状態で、中国では凄惨な事故が多いのも道路があの状態なら納得する部分がある。

 中国の方はあの状態の道路しか知らないから平気で通行しているが、私や普通の日本人にとってはあの道路状態だけでもかなりの危険要因であり、運転するには恐怖を感じる。

 例え中国の免許を持っていたとしても、うかつにドライブしたいなどという感覚になりにくいのが、普通の日本人にとっての中国の道路事情だろう。

 まあ、あれに慣れたら私も立派な中国人の仲間入りになるが、残念ながらとてもそこまではなりそうにない。


 上海はビルは立派になったが、足元を見れば歩道も車道もまだまだ通りにくい。



2011年11月20日 給料を受け取って仕事をしろ
 日本の細野大臣が省内の不祥事に関連して、大臣給与は返納するということを明言したというニュースを目にした。

 これに関して私が感じるのは彼の対応は無責任だなということ。

 彼に限らず過去に給料返納したりして責任を取ったりしているフリをしているケースがままある。

 これらの対応は一見格好いい発言のように見えるが、この行為は私には非常に無責任に映る。
 どんな職位であれ、給与や報酬は責任の対価であるからである。

 つまり大臣給与を受け取らないという行為は大臣の責任を果さなくてもよいというポジションを与えてしまうことにもなりかねず、また大臣報酬を受け取らなくても困らないという余裕のスタンスも見え隠れし、本当に真剣にギリギリの状態で戦う意思があるのか、その姿勢を疑ってしまう行為にも見える。

 大臣という肩書を付けるなら大臣としての報酬を受け取り、その報酬の責任分だけ大臣というポジションの責務を果たすのが筋で、責任を果たせないなら報酬を返納するなどといった躊躇半端な対応を取らず、本来は職務を辞するかあるいは100%の大臣給与を受け取り別の形で責任をとるべきではないか、私はそう感じる。


 これを一般の企業に置き換えても、組織の責任者が業務を50%しかやらなかったから後から50%の給与を返上しますといって済む話ではないはずで、100%の報酬に対して100%の職務を行うのが報酬というもので、業績の良し悪しはともかくポジションとして100%の責任を果たしてもらわなければ、任命側から見て運営上非常に困る話であろう。

 もちろん業績評価というのは別に存在し、業績が悪ければ交代・降格などの
判断が下されるが、少なくともそのポジションが必要であるから責任と報酬が設定されているのであり、職務に対して無責任な行為は業績の善悪の比ではない打撃を経営者など任命側に与え、給与を返納された程度では埋まらない穴を開けることになる。

 今回この細野大臣がどういった職務を行っていくか分からないが、大臣給与を放棄したりせず、決められた報酬を受け取ったうえで、その職務の責任を全うすべきだと私は考える。

 そのことを分からずして、マスコミや国民も報酬を受け取らないことで責任を取った行為を良しとしてしまう困った風潮がある。


2011年11月16日 競争から逃げる最近の日本人
 最近、韓国などのメーカーに日本が色んな分野で追い抜かれている様子がニュースなどで報道されているが、中国へ来て私が特に感じるようになったのは、日本人や日本企業というのはどうも勝負や競争を避けて動いているという印象がある。

 競争に巻き込まれると「疲弊するだけで何も得られない」という発想がどこかにあるようで、負けるかもしれない競争を避けて別の分野で勝負をすると「言い訳け」をして結局勝負に勝てていない実態があるように思う。

 その象徴的な姿が、かつての漫画「常務 島耕作」に出ていた。
それはインド進出を巡って巨大な韓国企業とどう勝負するかという相談を幹部内で話し合ってた時の会話である。

 既に全階層を対象にして巨大なシェアを獲得している韓国企業に対して、どう勝負を挑むかについて、「後からインフラなどを整備していたのでは時間がかかり、価格競争のドツボに陥る」ことを恐れた島耕作らは、富裕層向け商品など「違う分野」で勝負しようと話していた。

 つまり勝負にでることを避けた、というか逃げたのである。

 まあ漫画の話なのでその後どうなったのかは書いていないし、フィクションと言えばフィクションなので、これを以て日本人の現状を指摘するのは申し訳ないと思うが、その後日本企業が実際にインドで収益を上げているなどという話は聞かないし、やはりこれが現在の日本企業の実態なのではないかと感じてしまう。


 日本人は戦後成長期を経て、安定期を迎えた後ある意味「賢く」なり無駄な競争を避ける術を覚え、負けるかもしれない勝負に挑まなくなった気がする。

 でもその勝負に挑まないこと自身が自信を失わせ、自信のない人間を大量に生み出す社会を生み出しているような気がしてならない。


 負けるかもしれない勝負を避けて、危険から逃げて安全な道をばかりを選んで歩いている奴に実はロクな奴がいないし、肝心な時に役に立たないヤクタタズが非常に多いことに上海にいると気が付く。 

 勝負に負けることは怖いがその気持ちを乗り越えないで乗り切れるほど世界は甘くはないであろう。





2011年11月12日 ルールをないがしろにする人
巨人軍の清武球団代表の会見をネットで見た。

まあ、あの会見をやることでどれだけのものが得られるかなどいろいろ批判はあったりもするが、世の中には決められたルールをないがしろにする人がいることは常で、ルールを真面目に守っている側からすれば非常に腹が立つことが多いのも常である。

 ただ腹が立っても一般的には、そのことがよほど犯罪性でも帯びない限りなかなか糾弾するのは難しいのも事実で、多くの場合はその不満は腹の中に仕舞い込まれることになる。

 そしてそのルールをないがしろにする人は糾弾されないことをいいことにルールを無
視し続ける。あるいは糾弾されても訴追でもされない限り知らぬ存ぜぬを突き通す。

 もし勇気を振り絞って正義のために訴追などを行い、最終的に正義を勝ち取ったところで、時間的ロスや社会的な立場など返り血は免れまい。

 つまり刺し違える覚悟でもなければ、ルールをないがしろしたもの勝ちということになる。

 それを知って彼らはルールを平気でないがしろにする。

 実に困った話である。





2011年11月06日 やってみたい職業
 現在フィギュアスケートの大会が上海で行われているが、まあ自分の見識眼は健在のようで、音楽と選手の動きを見て、この選手は転ぶだろうなと感じた選手はまずジャンプに失敗することを当てることができる状況は今も変わっていない。

 つまり音楽と動きがシンクロしていないことで、選手の動きのリズムの悪さを見抜けるというか感じ取れてしまうのである。

 フィギュアスケートというのは音楽を使う数少ない表現競技であり、そのため音楽とのかみ合わせが競技者の動きに大きな影響を与えている。

 たとえ一発目の高度なジャンプが成功して調子がよさそうに見えても音楽に乗りきれていないポイントでジャンプを行っている場合は、後々にズレを生じさせ、結局別のポイントで転ぶ。

 また選手の調子もさることながら、音楽自身が選手が滑りにくいであろうなぁという不適切な選曲が行われているようなケースも沢山あり、実際あんな曲では滑りにくいだろうと感じた場合は成績も伸びてこない。でもそういう選手の技術が低いかと決してそういうわけではない。

 つまり力はあるのに音楽への対応が適切ではないため実力を発揮できていない場合があると私は思うのである。

 そんな時、ああそばへ行って私がアドバイスできたらなぁと僭越ながら思ってしまう。こんな音楽を使ってこういう組み立てにしたらもっと表現が伸びるでしょうと感じることが非常に多い。

 故にもし人生許されるのなら、フィギュアスケートのミュージックアドバイザーのようなことをしてみたいのである。

 もちろん、それが生活できるほど職業として成立するのかわからないし、こんなスケート素人が首を突っ込める世界ではないのかも知れないが、過去に音楽を絡めた表現活動をやってきた自分にとっては、今のフイギュアスケート界の音楽の使い方の現状を見ていると口を突っ込みたくウズウズするのである。
 


2011年11月03日 涼しくなったらブルックナー
 ブログとして音楽について書くときは比較的誰にでもわかりやすい曲についてなるべく書こうと思っているが、まああまりライトな曲ばかり聴いていると思われるのも嫌なので今回はついて来れる人が減ってもいいので少し重めに、、ブルックナーの話題。

 年がら年中クラシックの曲を聴いている私でも、さすがに上海の真夏の時期にはブルックナーの曲を聴こうとは思わない。

 上海の真夏の暑さに頭も心も参っていて、ブルックナーの交響曲が紡ぎだす分厚くそして思慮深い音楽の響きに、とてもじゃないが頭も心もついていけないからだ。

 しかし秋に入り気温が下がり始めると、途端に頭と心の重しが取れたようにブルックナーの曲を受け入れる余裕が生まれる。

 その中でも現在はまっているのが最後の未完の交響曲である第9番である。というかブルックナーのCDはほとんど実家に置いてきてしまっていて、手元にあるのはカラヤン&BPOのブル9と、ベーム&VPOの4番くらいなものであるので仕方ない。
(肝心なチェリビダッケエディションは家でしっかり眠っている)

ブルックナーの曲は全体的にアダージョ的な雰囲気が漂っているイメージがあるが、現実的にはそうではなく、その曲に人間の内面の激しい信仰心的な動機がずっと漂う。

 とくにこの第9番は死を間近に感じたブルックナー自身が己の激しい炎を燃やすがごとく強い音を響かせる。「愛する神へ捧ぐ」と譜面に記されたとされるこの曲はそんじょそこらのロックなんぞ顔負けの非常に重厚かつ激しい音楽が展開する。

 そして断筆となった最後の楽章では死への悟りのような主題と、死が差し迫った瞬間に神の降臨のような光が差し、最後は静かなコーダで天に召されるように音が消えていく。
 そこがブルックナー好きにはたまらない至福の瞬間をもたらし、心に余韻を残す。。。

 こんな風にたっぷり60分もかかかる音楽をじっくり聴くにはやはり真夏の上海は暑すぎる。涼しくなって体力と集中力に余裕があってこそのブルックナーなのである。

 まあただ出来ることならCDではなく、いい環境、いいオケ、いい指揮者、そして良い聴衆と一緒に(ちょっとイヤミか)ナマで聴きたいというのが本音である。
 ブルックナーの響きを感じるにはやはりCDでは物足りなすぎる。。。
 


2011年11月01日 日本人は経費を削る話ばかりをする。
 最近日本からやってきた日本人と会話していると、一様に感ずる感想がある。

 日本の国内全体の雰囲気がそういう雰囲気なのかもしれないが、あのコストはもっと削れるとか、ここを取り換えればもっと安上がりになるとか、どうも現状からいかにスリムにし利益を浮かせるかという発想ばかりでモノを考えている印象がある。

 つまり、コレとアレを足せばもっと魅力的になるとか、もっと収益が見込めるとかといったそういうプラスの面の発想でモノを考えられなくなってしまったようだ。

 経費を削っていかにコストを安く抑えるという発想はそれはそれで大事だが、それはベースになる魅力があって初めて言える話である。

 別にアップル社を持ち上げたいわけではないが、あの会社の成功は経費を削って利益を生み出したわけではなく、既存の技術を独特の発想で組み合わせて魅力を生みだし、利益を生んできた会社である。それは以前のSONYにも言えた話である。

 もちろん魅力を生み出す裏で、アップル社が独特の販売戦略で経費を削ってきた面も各地で伝えられている通りだが、それは魅力を磨いたからこそ生きた経費節減なので、魅力がなければ単なるジリ貧の経費節減になっていたはずである。

 新しい魅力が生み出すための努力、それを忘れたら単なるジリ貧である。

 私は故ジョブス氏のやり方や考え方の一つ一つは決して好きになれないが、新しい魅力、新しい価値を創造して前へ進もうとしていた姿勢だけは評価している。

 日本のビジネスマンがアップル社から学ぶべきはiPhoneの使い方ではなく、新しい魅力を創造してビジネスを開拓していこうとするその姿勢であろう。

 彼らが作った価値にまんまと魅了され、その商品を手に入れただけで悦に浸り、自ら価値を築くことを忘れてしまった愚か者がいかに日本にも中国にも多いことか?

 私も日本人だが日本がなぜ停滞しているかわかったような気がする。



プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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