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2012年04月30日 24時間の強要の社会
 また日本で交通事故が起きた。

 深夜に金沢からTDLに向かうバス。

 運転士が居眠りをしていたということで、まあこの運転士や運営会社の責任は免れないところではあるが、それにしても深夜バスである限り、このようなリスクは避けられないような気がする。

 それにしても日本をはじめとして、社会の中にはありとあらゆる場所で24時間稼働が強要されている。

 今回の深夜バスは分かりやすい例であるが、走っているバスだけでなく高速道路を運営する会社や、それを監視する交通機動隊、さらに病院などは当然24時間体制で動いている。

 そしてその背後には、携帯電話やインターネットを支える通信会社、その電力を支える電力会社や発電所勤務の人などもやはり24時間稼働だ。

 今の社会は当たり前のように24時間電話が繋がり、水道をひねれば水が出て、スイッチを突ければ電気がつく。

 我々はこのような24時間同様のサービスが提供されることを当たり前のように強要するのだ。

 強要しているつもりはないという人もいるかもしれないが、夜中に突然電気が切れたり、銀行でお金が下ろせなかったら誰だって文句を言うだろう。

 結局はそうやって24時間稼働していることを自分ではない誰かに強要していることになり、誰かに24時間稼働を強要するということは、その誰かは朝起きて夜寝るというサイクルではない時間帯で生活していることになる。

 まあ他人事だと思えば睡眠時間さえ足りていれば問題ないと思うか知れないが、夜起きて昼に寝るという生活サイクルの逆転は本人の体に何らかの無理を要求することになる。

 今回の事故を起した運転士だって、それなりの注意を払って生活していたに違いないが、どこか体調を調節しきれず居眠り運転に繋がってしまったのだろう。

 今回犠牲になってしまった人達には気の毒だが、深夜バスというのはやはりそれなりにリスクが伴うし、24時間稼働を要求し過ぎている我々への警鐘という気がする。

 24時間稼働の全てを否定する気はないが、こういった人の体に無理をさせることによりリスクが増大するような24時間の強要は社会としてなるべく避けるべきであろうと思う。



2012年04月28日 春なのに高い空

「天高く」とは晩秋の空の枕詞だが。、今日の上海の空は雲が高かった。
風が強いせいもあるのか、黄砂の影響とかはあまり感じられない。
 とにかく陽射しの強さがとても暑く、朝早く行動したせいもあり夕方にはつかれてしまった。
 でもこういう空を見ると気持ちが疲れが心地よく感じられる。



2012年04月27日 外灘の時計台は何故時計台と呼ばれないか?
 写真は有名な外灘の風景だが、右側に映っているのが海関(税関)の建物で建物上部に時計台が乗っかっている。

 時計台があるということでシンボル性があって上海の外灘の写真には必ず紹介されるこの建物であるが、説明文章では上海税関と紹介されることはあっても時計台を主としてはあまり紹介されない。

 Googleで「上海」「時計台」と検索をしてみても、確かにこの建物の情報は出てくるものの、ラーメン屋の情報が混じったりしてきて「時計台」という言葉で絶対的な地位な存在となっていないのがこの建物である。

 我々日本人からすると、こういった建物の外観であれば税関であることよりもまず「時計台」と呼ばれて然るべきだという気がするがそうはなっていない。

 ロンドンのビックベンや札幌の時計台など、一般的に時を告げる建物はその街の中心でシンボル的役割を担っていて、時を告げること自体が重要な役割になっている訳で、時計ではないが日本のお寺の鐘なども同様の役割を負い日本中に存在する。

 しかしである。

 上海での紹介のされ方からわかるように少なくともこの上海の建物は時計台であるよりも先に税関の建物としての価値が重要になっている。

 つまり、中国では時を告げるという機能が税関より低い価値で扱われ重要視されていないことがわかる。

 時を告げる価値が重要視されていないということは、即ち中国人は時刻を知ることを必要としていないということに繋がり、つまり時計を必要としてないことに繋がる。

 中国に暮らしていればすぐわかることだが、上海市内には日本に比べれば驚くほど時計が少なく意識的に探さないと時計を見つけることができない。

 例えば日本だとどんな駅にも大きな時計がいくつも設置されているが、中国では駅でさえ時計を探すのが難しく、一生懸命探さないとなかなか見つからない。

 一応列車情報案内板の中には確かに時刻が表示されているが、すぐそばまで近寄らないと見えない程に字が小さく、とても時間表示が大事にされているとは言い難い状況なのである。

 こういう状況の中で暮らしていると、中国人が時間にルーズであると言われることに非常に納得する。

 確認する手立てが少ないので、時間を守るという意識が育たないのだ。


 そういえば中国語の語彙の中には日本語ほど時間を表す言葉が多くないようにも感じるし、時間帯があまり細かく表現される機会も少ない。

 さらにインターネットで時計の歴史を調べてみても中国に関する記述は非常に少なく、火薬や紙を発明した技術はあっても時計の開発には必要性を感じなかったということになるだろう。

 つまりあの外灘の建物は、恐らく当時の人間の見栄で西洋式に恰好つけて時計台を乗っけて建ててはみたものの、結局時間を重要視しない文化の中国人にとってはあまり意味のない時計機能だったことから、時計台としては認識されずに税関の建物として歴史を経てしまったのだと思われる。

 上海人たちの物まねグセと見栄っ張りなところは昔も今も変わっていないのである。

 まあこうなると逆に中国中に時計を送れば時間を守る癖をつけさせられるのではとも考えてみたが、時計を送る意味の「送鐘」は葬式を意味する「送終」と発音が重なり縁起が悪いとされ、文化的も障壁が存在してしまっているため、それも容易ではなさそうである。

 とはいえこんな話、最近は実は時計を拒否する(時間を守らない)言い訳が起点だったのではないかという気がしてしまうのは中国人の嘘に慣れてしまったからであろうか。。。。



2012年04月27日 私の借金割当て940万円
 昨日の小沢さんの無罪判決によって、またまた日本の消費税論議が沸騰してきた。

 小沢さんの動向には直接興味がないものの、日本の財政状況くらいの知識は捉えておく必要がある。

 そんななかで下記のような「リアルタイム財政赤字カウンター」なるものを見つけた。


 それによると、日本の借金全体は1200兆円、国民一人当たりになおすと940万円ということになり、約1000万円近い数字となるとのことだ。

 国の借金だけに絞っても705兆円、一人当たり553万円となる 

 ぶっちゃけ、私もこれを読んでいる人も全てこの金額の借金を背負っているという数字で、家族がいればその倍数ということになる。

 940万円、、、家のローンならともかく、個人の借金としてはちょっと気が重くなる数字だ。


 まあ、上記のサイトの脇に広告のあった書籍著者のエコノミストに言わせれば、日本は国有財産が600兆ほどあり国民一人あたり470万円ほどあるから、1000兆という数字は鵜呑みにできないとしているようだが、どう説明してもその借金自体が無くなるというわけではない。

 気になっていろんな数字を一人当たりに直してみたのだが、こうすると現状への認識が少しリアルになってくる。

 まず国家予算は90兆として計算すると1人あたり年間70万円の負担の予算となる。

 しかしこのうち自前の租税収入は27万5千円で、残りの43万円ほどは公債で賄われつまり毎年新たに背負う借金を43万円増やされていることになる。
 うーん940万円の借金を抱えながら、43万円の新規の借金が増えるとはまさにほとんどカードローン地獄の状態である。

 もちろん、これは仮定ではなくリアルな数字であるから恐ろしい。

 個人の借金なら最悪自己破産という手段もあるが、国家単位でそんなことができるわけなく、もし実施すれば信用は地に落ち借金地獄より苦しい国の未来が待っている。


 じゃあ支出を減らして収入を増やせと言う話になるが、今話題の消費税を10%にした時の増える税収見込みは10兆円ほどと言われ、国民一人当たり7万8千円となる。

 そして支出の方だが国会議員や公務員を減らせとよく言われるが、国会議員に対する政党助成金と歳費の支出合計は確か550億円ほどで国民一人当たり430円の負担に過ぎない。

 公務員は国家公務員全体の給与が3兆円ほどと言われるところから計算すると、一人当たり2万3千円程度を負担していることになる。
 (但し警察など地方公務員の給与計は35兆円で一人当たり27万円の負担らしい)

 整理すると、毎年70万円の支出のために43万円の借金を増やし、その総額が940万円となっていて限界に近づいている状態がリアルな数字。

 それを現状として今後27万円しかない収入に消費税で7万8千円増やして、少しでも足しにする選択をするか、或いは違う収入を探せるかどうか。

 また支出として70万円の支出の中から、2万3千円の公務員負担支出を減らすか、430円の国会議員への負担支出も減らすか、或いはもっと減らせる部分があるのかどうか?

 まあどういう判断をするかは我々国民の選択となるが、反対を騒いでいるわけでは借金は背負わされる一方だし、正しい数字の大きさを認識しなければ、細かい議論に囚われて本質を見逃すということになりかねない。

 
 


2012年04月26日 岡田監督の杭州緑城チームが苦戦中
 去年だかに日本のサッカーの岡田元代表監督が浙江省杭州のクラブチームの監督に就任したというニュースを見たと思うが、その後実際どうなったのか今日突然気になった。

 就任以降、日本語ソースも中国語ソースもとんと情報を見ていなかったが、どうやら調べてみると中国のスーパーリーグは開幕していて、既に7試合ほど消化した状態らしい。

 で、戦績はというと彼の杭州緑城チームは今日4月26日現在で1勝4敗2分けで16チーム中の最下位16位という位置に沈んでいるらしい。

 得点も7試合で3点だけと、かなり寂しい状態で当然2点以上とった試合が1回もないような状態のようだ。

 まあ元日本代表監督として鳴り物入りで入ってきた割には成績としてはまだ実績らしいものはなく現状としてはとても寂しい状態に見える。



 しかしである。

 彼の動向を詳しくチェックしている日本語サイトなどを見ると、成績はともかく周囲からの評判はそれほど悪くないらしい。

 というかどうやら評価が高いようなのだ。

 例えば就任早々に、コネ入団などなぁなぁで在籍していたような選手のクビをすぐに切ってヤル気のあるユース選手と入れかえたり、チームプレーをしない外人選手を外したり、とにかくプロたるは何たるかを一生懸命叩き込んでいるようで、そのしがらみに縛られない動きの良さが評価されている。

 故に成績を求めること自体はこれからということになるようだが、オーナーさえ短気にならなければ、現状の動きを見ている限りでは数年後にはいいチームになる可能性はありそうである。

 とはいえ、彼も中国に来た日本人の例にもれず我々同様に中国人という異文化星人には苦労しているようで、試合中に控え選手が電子ゲームで遊ぶといった子供のような中国人選手たちには日々手を焼いているらしい。

 まあただそういう姿も、W杯の出場国監督として世界の舞台を経験してきた彼が、また改めてゼロに近い状態からスタートして頑張っている証しなわけで、その姿は外から見ていて面白い。

 日本代表監督時代、W杯直前のあまりにもふがいない姿に私も彼を叩いたこともあったが、今は新天地で何もない状態からスタートできる彼が羨ましくもある。

 明日もACL常連の大連実徳チームとの対戦があり、まあ今の現状からいくと勝つのは難しそうだが、焦らず数年後の活躍を目指した本当のプロといえるチームを作って欲しいものである。



2012年04月25日 日本人的安心感と中国人的誠意感
 上海にいると、日本人と中国人ではお客に対しての安心感の与え方が違うということに気が付く。

 まあ旅行会社のパック料金などを見ればわかる通り、日本人がお客様に対して安心感を与える方法というのは支払い金額の上限を示してあげるというものだ。

 例えば日本料理屋の食べ飲み放題というのはその典型で、200元という上限が決まっていれば、それが割安であろうと無かろうと余分な支出の心配がないため安心して飲み食いできるのである。

 日本の携帯電話の通信量課金のパックプランもその一例と言うことができ、どんなに通信しても上限が決まっているというのは日本人にとって非常に安心する材料であり単純な従量制課金に比べ好まれる傾向がある。

 恐らくこれは日本人が長らく月給労働体制を続けてきたサラ―リーマン的経済サイクルの知恵というか産物であって、毎月の予算枠をいかに超えずに過ごすというかという発想が染みついているものだと考えられる。

 それ故に予想外の請求が来る可能性のある従量制的課金体系を嫌い、割高になる可能性があったとしても毎月の上限額の決まっている固定額的支払いを方を好む。

 しかし、中国ではその発想の根本がまず異なっている。

 中国では日本のように上限制ではなく、使った分だけしかお金を払いたくないという意識がまず根底にある。

 故に日本のように得しているのか損しているのだか分からないような固定額サービスはあまり好まれず、純粋な従量制課金のほうが好まれる傾向にある。

 これは中国人たちの生活の中で、もらう給料にしても受けるサービスにしても未来が保障されている訳ではなく、自らの生活についても1年後や5年後がどういう状態になっているのかが想像できないという状況が根本にあり、未来何年間分を均して得かどうかということではなく、今損するか得するかが大事で、つまりは使った分しか払いたくないという考え方に繋がる。

 つまり未来を信用していないのだ。

 そのため中国人のお客に対して物を売るときのサービスの考え方は、日本人のそれと比べ微妙に異なる面がある。

 例えば旅行用の車両手配などを行なう場合、誠意的に動こうとする中国人は料金体系を細かく示し、変動要素のある駐車料金や高速道路などは客側に直接負担させるというスタンスを取る。

 これは日本人からすると総額予算が見えず不安を抱えたままの出発となるが、中国人の側からすると、車の料金以外の部分で不正に儲けたり余分な利益を得ていませんよと誠意を示すスタンスのつもりなのである。

 中国では不当に間を抜いて儲けるという“悪意”のスタンスが一方に存在する為、そうではなく明朗会計ですよというのが、彼らの誠意なのだろう。

 まあ誠意という意味では理解できなくないとは言えないが、やはり日本人にとっては総額が幾らかになるかがわからないと安心できず、そこに違和感が生じることがままある。

 こういった日本人と中国人の安心感、誠意感の意識の違いは、実は中国市場を考えたり逆に彼らに日本人向けサービス業的考え方を説明するときに、重要なポイントになってくる。

 それが分からず日本的な業務方式にこだわってしまうと昨日撤退を表明した楽天のようにやはりうまく行かないことになる。

 先日書いた餃子の例を一つとってもわかるように、お互い同じように餃子を食べているように見えても頭の中は実は全く違う意識の考え方であるのが文化の違いということなのである。



2012年04月24日 大企業病の正しい意味
 中国に来ると言葉の意味を分かっていない人が分かったフリして使い慣れない言葉を分かったの如く振りかざす人がいるから困ったものである。

 大企業病とは組織が大きくなりすぎると、セクションごとの業務に固執して、自分の与えられたポジションを黙々とこなすことに帰結し、毎月安定した給料をもらえることに慢心して、社員が冒険心や向上心を失い組織が非活性化することである。

 つまり本来民間企業であるはずの企業が所帯が大きくなるため社員一人に与えられる責任や影響力が小さくなり社員が公務員化・官僚化してしまう状態である。

 例えば日本の多くの大企業では、非常に高いレベルで待遇が安定し過ぎるため、出世競争以外の競争意識が失われることが多く、事なかれ主義で毎月の安定した給料を楽しみに過ごすような社員が増え、会社全体が危機に陥っても危機感を感じられないようなケースが多々発生する。

 そういう状態を大企業病と一般的に呼ぶ。

 まあ今の東電がそんなようなものでろうか。。。

 意味を分かってないことばを振りかざしているのを見ると、その人の言葉がいかに表面的で中身が無く上っ面で語っているのかが分かり、他のすべてについて意味を本当に分かって言っているのか疑いたくなってしまう。

 病気の専門家が病名の中身を把握せずに語るとはいかにも危うい語り口である。



2012年04月24日 日本人の博士は使い物にならない
 先日、日本のラジオ番組で社会学者の宮台真司さんが言っていたことだが、日本では政府が一時博士号取得者を増やすべく努力を行なったのだが、ほとんど効果が得られなかったということを言っていた。

 何故ならば、日本の企業が博士号取得者をあまり使いたがらなかったたため、博士を育ててもそれを受けいれる土壌にならなかったということが大きいらしい。

 では何故日本企業が博士号取得者を受け入れないかというと、はっきり言えば日本人の博士は企業であまり使い物にならないからだとのこと。

 諸外国では必ずしもそうでもないということらしいが、日本の博士号取得者の多くはグループワークに取り組む訓練を経ていないため、組織の中での協調性がなく共同作業に向かず、企業として扱いにくいのだとしている。

 さらにその博士号をとった能力に関しても、あまりにもピンポイントな自分の研究課題にこだわるため、つぶしが利かず企業としても余程マッチングしなければ研究者としても受け入れがたいのだとしている。

 そして実際受け入れられた後でも、彼らは博士号を取ったというプライドが高すぎて、頭でっかちに理屈を振り回し企業内では持て余すケースが多いということらしい。

 実はこの状況は博士号だけでなくMBAという修士取得者にも同様の傾向が見られ、やはり企業社員としては持て余すケースが多いようだ。

 まあ、皆それぞれ称号を得るために能力を積み上げに相当の時間を使っているはずなのに、結局は使い物にならないというのは、なんという時間の浪費であろうか。
 非常にもったいないことである。

 これらの事の根本的原因は恐らく日本の教育体制にあり、グループワーク能力を育てないまま学力試験だけで評価をしてしまうが故に、社会で使いものにならない無駄な博士を生み出してしまうのだろう。

 結局は彼らは社会で受け入れられず、大学の研究機関で黙々と自分の殻に閉じこもってオタク化してしまうようなことになるらしい。

 まあ博士になるならないに限らずグループワークが出来ないのは現在の若い世代に共通することのようで、どうにかこの状況を打破しないと日本は朽ちてしまうのではないかと私も危惧を抱いている。



2012年04月24日 餃子に対する日本人と中国人の認識の逆転の驚き
 最近、餃子に関してちょっと気が付いてびっくりしたことがある。

 ご存知の通り中国人にとって餃子は主食の一つで、ご飯・麺と並ぶ三大主食といっても良いくらいの位置を占める

 故に餃子をおかずにご飯やラーメンを食べる日本人とは、餃子に対する認識が全く違い逆転を起している。

 まあ餃子を後から取り入れたのはほぼ間違いなく日本だから認識を逆転させたのも日本人ということになり、中国人から見れば餃子をオカズとして食べる認識のほうが間違っているとも言えるのだが、とにかく餃子の扱いが日中では正反対ということになってしまっている。

 しかし、日本人としては今更それは逆だと言われても、すでにその習慣が深く定着してしまったので、今後も中国流に戻すこともなく餃子をオカズとして食べ続けるに違いない。

 
ただ、ここで中国人が餃子を主食扱いとして認識していることを知るとなると、日本人の餃子に対する認識のおかしさをもう一つ気づかされることになる。

 それは皮と餡の関係である。

 恐らく多くの日本人は餃子をオカズとして見ているから、餃子を食べるということは即ち中身の餡を食べることが主になり、それを包む皮は従ということになっているはずで、食べる側としては皮はどちらかというとオマケ的扱いになる。

 つまり日本人は基本的に餃子の餡が食べたくて餃子を食っているのである。

 しかしである。

 もし、中国人が餃子を主食として考えるとするならば、餃子における主役は小麦粉で出来た皮の方ということになり、肉や野菜でできた餡は従ということになってしまう。

 えーーーーー?

  その事実に気が付いた時はまさに青天の霹靂だった。

 そう、餃子の皮と餡の主従関係に対する認識が日本人と中国人では全く逆なのである。

 つまり中国人にとっての餃子は日本人にとってのオニギリと一緒で、餃子の皮は単なる餡を包む道具では無く主食として腹を満たすものであり、日本人がオニギリの中身を鮭やタラコを入れて楽しむように、中国人はでんぷん質の皮を美味しく食べるために具材を入れるという発想で食べているのである。

 故に中国人にとっての餃子の皮は単なる包む道具ではなく、餅や米、パンなど同等の存在だということになる。

 これに気が付いた時、今まで餃子の皮を単なる道具としてしか見ていなかった自分の文化認識の浅さに恥ずかしさを覚えた。

 うーん知らないというのは恐ろしいことである。

 まあこうやって考えてみると日本と中国では似たようなものに見えながら実は認識が全く違うものがまだまだ沢山あるのではないかという気がする。

 私の探究はまだまだ続きそうである。


2012年04月23日 上海にいると人命への尊厳がマヒする
 先日の京都祇園の事故は大騒ぎだったが、今日またもや京都で無免許運転の車が小学生の列に突っ込むという痛ましい事故が起きた。

 しかし、ほぼ時を同じくして上海近郊でも13人もの人が亡くなるバス事故が起きている。

 実は中国にいると日本以上に凄惨な事故で人が死んでいるニュースが毎日のように流れる。

 本来は死んだ人の人数で事故の大小を騒いではいけないはずだが、中国の事故のように死亡者の数が2ケタの人数になる事故が日常になってしまうと、どうも日本の交通事故は死者数を見ても大きくない事故に見えてしまう時がある。

 しかし死者の数が何人であろうが人が死ぬということは重大な事態であり、周囲の者にとっては身を切られるより辛い事である。

 故にそういった身の回りの人間を失う立場を想像すれば、死んだ人数の多い少ないなど言ってられないはずなのだが、中国にいるとどうもその感覚がマヒしがちになる。


 しかもそれは長く居ればいるほど深刻になるようで、意識的に心をキープしないとどうも人の死にマヒし全く反応しなくなる場合もあるようだ。

 例えば昨年温州で起きた列車事故でも多数の人間が亡くなったが、事故当日のある中国が長い人のブログには、壊れた新幹線車両の姿が惨めだという感想や日中の列車の責任争いや事故原因の分析などがつらつらと書かれていたが、結局車両や鉄道についての文章に終始し、あの映像からすぐ想像できるそこで犠牲になったであろう人間への配慮が全くなかったのである。

 あれくらい凄惨な事故であれば普通の日本人は人の命にまず配慮が行くはずだと思えるが、中国に長いその人は人の命に対する感覚がやはりマヒしているようで、犠牲者や乗客に対する配慮の言葉が一文も現れなかったのである。

 つまり中国に長く居続け、数多い悲惨なニュースの中にいるとそういった配慮を忘れるくらい人の命への尊厳がマヒした人間になってしまう可能性があるのである。

 そういう人の命の重さを忘れた人の心を知ってしまうと人として非常に悔しい思いでいっぱいになる。

 まあ中国では悲惨なニュースが多すぎるため、日々のニュースに心を痛めすぎても暮らし続けるのは大変だが、そうは言っても人の命への尊厳がマヒするような人間にはなりたくないので、長くここに滞在したいと思うなら意識的に心を保って過ごす必要があるかもしれない。

 まずは京都の2つの事故と中国の今回の事故の犠牲者の冥福をお祈りするとともに負傷者の1日も早い回復をお祈りします。




プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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