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2012年02月28日 ヘルパーさんによるケア
 目が覚めた時は、既に病室だった。

 目覚めそのものの気分は恐れていたほど苦しくなく、多少寝起きが悪い時の朝程度のもので、麻酔自体の気分の悪さはそれほどなかった。

 鼻はさすが手術直後らしくガーゼなどが詰め込まれているようで、まだ血が滴っていてとても重かった。

 ふと気が付くと、手術前に入っていた病室とは雰囲気が違う。

どうやら手術中に部屋を変えられたようである。

 新しい部屋は前の部屋より綺麗だったが、手術直後の自分はそんなことに気が付いても、気持ちは鼻の状況に精いっぱいで、点滴を替えに来る看護婦にどうして変わったのかなど尋ねるほど余裕はない状態だった。
 
 特に鼻に物が詰まっている状態だと話しづらく、しかも中国語で話しかけようなどという気力にはとてもなれなかった。

 それにここの看護婦さんたちは私が中国語を分かると手術前に知ってからは、まず基本的に中国語で話しかけてくるようになり、日本語で声をかけるという姿勢は全くなくなった。

 24時間日本語の分かる看護婦さんが待機という説明はどこへやらという感じだが、手術直後の自分には抵抗する気力もない。
 故に自分のいる部屋が何号室なのかという基本的なことでさえ、知ったのはだいぶ後のことだった。

 すると、そんな中で私を介護する為にヘルパーさんがやって来た。

 家族の帯同をしていない私の状態を見るに見かねた病院側がヘルパーさんを呼んで、24時間体制で付きっ切りで私の身の回りの面倒を見させることになったようである。

 ヘルパーさんは歳のころで言うと50歳前後と思しき女性で、後に聞いたら河南省出身の人とのことである。

 普段なら気さくに話しかけることの出来る自分だが、この時はそんな質問に口を開くほどの余裕はなかった。

 ヘルパーさんはまずは鼻から吹き出る血を拭く作業、そして口呼吸になっている私の口の中を綿棒などを使って湿らせてくれる作業などをやってくれた。

 鼻が塞がれている状態というのは当然口呼吸になるのだが、すると口の中がガビガビに乾くので、常に口の中や唇を湿らす作業が必要になる。

 実は手術後の中でこれがつらい状況の一つであり、退院した今でも鼻の中に脱脂綿が残っているので同じ状況が続いている。

 もちろん水を飲んでもいいのだが、体はそれほど水を欲していないし、この時は特に手術直後だったので、麻酔明けの状態での水の大量摂取は危険で、故に湿らせていいのは口だけである。

 腕も点滴に繋がれた状態で身動きが取れない中、ヘルパーさんは定期的に唇と下を綿棒を使って湿らせてくれた。

 ちっちゃな作業だが、これが非常に助かった。

 この入院中、友達が何人か日替わりで見舞いには来てくれたものの、何れも1~2時間程度の見舞いしか来られないため、家族のいない自分にはこのヘルパーさんの登場は有難かったのである。

 まあもっとも、こんなに深刻な状況に陥るとは自分も想像しておらず、分かっていたなら手術の受け方も違っていたかもしれないが、とにかくこのヘルパーさんが外国の地での私の命を繋いでくれたと言っても過言じゃない程に助かったのである。

 そして上述のケアに加え、食事の手伝い、睡眠中の汗拭き、下の世話、体をタオルでふいてくれるなど身の回り全体を一通りやってくれた。
 テレビで老人ケアのヘルパーさんの姿はよく見かけていたが、まさか自分がこの歳でサービスを受ける側になるとは思いも寄らなかった。

 結局このヘルパーさんは丸48時間ほぼ付きっきりで面倒を見てくれた。

 もちろんこの作業費は無料ではなかったが、48時間でたった300元の支払いでは申し訳ないほど感謝を感じたのヘルパーさんのケアであった。



2012年02月27日 手術は手術だった。
ようやく今日退院した。

今回小さな手術ということで、結構甘く見ていた点があったのだが、受けてみると小さくても手術は手術であり、それなり大変な数日間であった。

 手術当日、朝6時に起こされ検温。

そして7時過ぎに、手術関連と思われる注射をお尻に一発。

 詳しくは聞かなかったが恐らく鎮静剤かなにかで、気持ちを落ち着かせるための薬ではないかと察する。

 そして8時過ぎにとうとうお迎えが来る。

 病室の前に、ストレッチャーが到着しそこに横たわるよう指示される。

 指示通りそれに寝ると、そのまま病院の廊下を運ばれ、エレベーターに乗せられる。
 そして手術室前に到着。



 そこでなんと麻酔のサインをしろという。

 サインをしないと手術ができないらしい。

 普通は家族が責任を持つようだが、今回家族の帯同はないので自分でサインをすることになった。

 中国語で説明が書いてあるが、もうこの状況では一言一句を頭の中で確認する余裕はなく、ほとんど盲目的にサインをせざるを得なかった。
 まあ話しかけてくれる麻酔医師や看護婦は日本語が通じるので安心材料ではあったが、結局書類は中国語である。
 ここが外国であり仕方ないことでもあるがちょっともう少し余裕を持って書類を読みたかったというのが本音だ。

 こうなったら何があっても悪い方に転んだら諦めるしかない。

 そして自分の体がそのまま手術室に運び込まれる。

 手術室は恐らくどの大病院の手術室も似たような状況であると思うが、大きな部屋の中央に巨大なライトを備えた手術台があり、部屋の周囲に手術内容に応じたそれぞれの手術器具がワゴンに乗せて留置されている。

 まるでスタジオのように感じる空間状況である。
 
 今回私自身は当初、鼻の中の小さなポリープを取る一つの「医療処置」程度に感じていたが、まさに私が受けようとしていたのは手術であり、小さくても手術は手術だったことにようやくここで気づかされる。

 そして手術の準備が始まり、心拍計などが取り付けらる。

 執刀する担当医はリラックスして座って待つよう周囲から促され、手術台周りを受け持つ医師が着々と準備を進める。

 ただその準備する雰囲気は「手術」という言葉から受ける重みに比べれば随分リラックスした印象であった。一部では鼻歌も聞こえる

 患者をリラックスさせるための演出なのか、本人たちが落ち着くための自己暗示なのか分からないが、重たい緊張感はそこになかった。

そして「差不多吧(大体OK)!」の声がかかる。ほぼ準備完了のようである。

 そのとき日本語のできる医師から、静脈注射の中に麻酔薬を入れましたからそのうち眠くなりますと説明された。

 そして間もなく私は眠りに落ちたようで、、、、気が付いたときは既に病室であった。



2012年02月23日 中国で手術準備
さて、まず書かされたのが基本問診票と保険の支払同意書。これが通らなければ自腹になってしまう。(笑)
 そしてまずは体温計測、血液検査の採血、血圧測定が行われた。
採血の際、腕に巻くゴムがプチンと切れ「縁起でもない」とちょっとビビったが、そこは手慣れた看護婦さん、患者を動揺を与えまいと何事もなかったようにそのまま短い部分のゴムで腕を巻き採血終了。

 まあ簡単な手術とはいえ、些細なことでも気にしてしまうナーバスになっていることに自分自身が気が付かされる。 

 そして手首に個人を識別する確認票が巻かれる。
患者取り違えミスなどを起さない工夫であろう。



その後身体検査を行う。
体重計測(麻酔のため?)、心電図、レントゲン、CTスキャン、、今回鼻の手術なので、CTスキャンで顔の炎症状態を調べるというのは、まあ当然としてレントゲンはどこを撮ったのだろうか?

 恐らく肺か気管支であるが、この撮影はちょっと理解が出来なかった。

 と、検査を終えるとあっという間にお昼ご飯の時間である。
病院の食事は普通よりちょっと早く11時である。
 食事はお重にはいったご飯・オカズとスープ、そして林檎である。
病院食はマズイとは聞いていたが、その先入観で食べればこの病院食はそれほどマズイわけではなかった。

 まあ特別美味しいとも言えないのだが、許容範囲である。
希望すれば、近くの日本料理屋から有料で日本食メニューも頼めるらしい。

 リンゴは、、、果物ナイフが無くて食べられず、後で友人に持ってきてもらうことにした。



 さて、午後は正直言ってずっと暇だった。
アレルギーチェックなどが少々はいったものの、あとはずっと病室待機。
幸か不幸かネットに繋いで仕事をやっていた。

  3時には点心のおやつも出たが、まあやることもなく時間が流れる。


 夕方ころ、医師が手術同意書を取りに来る。
「血が出る」「再発の可能性がある」「麻酔で予想外のことが起きる可能性があります」などなど。

 まあ「麻酔」の点は気になったが、ここは信じるしかなく、何かがある確率というのは上海で交通事故に遭う確率よりは低いと信じているので、それでも起きてしまう時は何があっても運が悪い時であると覚悟をし、サインをした。

 そして夕方になって鼻毛切りに看護婦さんがやってくる。

 鼻の手術なので邪魔にならないようにとの配慮なのだが、盲腸の手術で下の毛を剃ったこともある看護婦さんも、さすがに鼻毛切りは滅多に無いようで、笑いながら鼻毛を切っていた。

 17時に夕食。
 まあこれもオカズはまずくはないが、ご飯がイマイチだったので持ってきたふりかけをかけて食べる。
 リンゴはやはり友人待ち。。。

 さてこれでほぼいよいよ準備完了で、手術は朝8時からと告げられた。
夜8時以降は絶食で水も許されない。

 故に体力の問題もあり、早く寝た。

 翌日はいよいよ手術である。



2012年02月22日 入院始まりました。
 昨夜入院の荷物をあれこれまとめているうちに、時間が遅くなってしまい寝不足での病院へ訪問となった。
 結局なんだかんだスーツケース一個分の荷物を持ち込むことにしたので、タクシーで向かおうとしたのだが、生憎の雨模様でタクシーがつかまらず、地下鉄での移動となった。

 さて、今回は外国人専門階ということで、一般の患者さんたちと同じ入り口から入るも専門エレベーターで17階へ。

 すると日本語の上手なナースさんが迎えてくれ、早速病室へ案内される。

 その時の到着時間の時計がなんと9時42分。。。。(ちと数字が悪いかも)


 さて案内された病室は、ちょっとばかり古めかしい印象の内装の個室。
 中国のローカルなマンション特有の内装の雰囲気である。
パステルカラーのソフトな印象の病室のイメージとはちょっと遠いオールドファッションな病室である。
 まあ今回は数日だから良いが、長期だとちょっとそれほど居心地が良いとも言えなさそうである。
 最初は午後から他の広い部屋へ移るかもしれないなどの話もあったが結局それも立ち消えとなり結局この部屋に落ちついた。


 まあさすが17階というだけあって窓からの眺めは素敵だがこの日は天候が悪く見えるはずの陸家嘴などは見えなかった。


 部屋にはシャンプーや歯磨き、スリッパなど、基本的な日用品は一応揃っているようなのだがバスタオルの類は見つからない。
 まあこの辺は持参して良かったというところ。


看護婦さんたちは完ぺきに日本語が通じる人は少ないが、必要最低限度は通じるのでほぼ事足りる感じである。

 取りあえず、入院が始まったご報告である。


2012年02月21日 全身麻酔の苦い思い出
 いよいよ明日に迫った入院だが、手術自体は恐れていないものの全身麻酔であることを思い出して、少々気が重くなっている。

 というのは遥か昔にやはり手術で全身麻酔をしたときに非常に苦しい思いをした苦い思い出があるからだ。

 あれは、高校1年の夏のことであるから、既に20年以上前のことになってしまうが(泣)、柔道をやっていて鎖骨骨折をした。

 そして止せばいいのにケガをした後もあまり大人しくしていなかったものだから、骨が飛び出し開放性骨折となってしまい、結局入院・手術となってしまった。

 で、全身麻酔をしてボルトを埋め込む手術をし、手術自体はうまく行ったのだが、麻酔から覚め正常になるまでが地獄であった。
 あんなに気分が悪く吐き気があり、痛みがあり辛かった時間は生涯においてあの時を置いて他にないほど苦しかった。

 今回、全身麻酔という言葉を聞いて、そんな記憶が蘇った。

 あの時は申告より体重が軽くなっていて、実は麻酔が効きすぎたんじゃないかとか今でもいろいろ思案するが、実の事情は分からない。

 他の人もあんなに麻酔明けが苦しいのかどうか知らないし、今回と前回がどのくらい違うのか分からないが、思い出すとやはり不安である。

 手術そのものは恐れていないがやはり全身麻酔に対しては不安が残る。

 今回は無事済んで欲しいと祈るばかりである。


2012年02月20日 入院するとモテる?
今回の入院について入院の日程をMSNの名前のコメント欄に記載しておいたら、色んな人が心配して声をかけて来てくれた。

 「大丈夫?病気なの?」

 まあ正直なところ、病気としてはそれほど重い内容ではないので、あまり心配されてしまうと恐縮するのだが、一応説明してもやはり「入院」とか「手術」とかという言葉には非常に重い物を感じるらしく、やはり心配してくれる。

 私だって友達が「入院」とか「手術」と聞いたらやはり心配するだろう。

 こうして、瞬く間に沢山の中国人の友達がお見舞いに行ってあげるよと声をかけてくれた。
 人生のうちでこんなにモテた時期があっただろうか?と思えるほどの勢いである。

 でも私が入院するのたった4~5日なのでそんなに来られても、ちょっと大変かなぁという気もする。

 でもそうやって声をかけてくれるだけでもとっても有難い。
「情けは人の為ならず」がようやく自分に帰ってきたという印象である。

 まあ普段からこんなにモテたらいいなぁと思うがバチが当たりそうなので、その想いはちょっと仕舞っておこう(笑)


2012年02月20日 中国での入院準備
入院が決まり、早速土曜日の朝に血液検査を受けてきた。
腎機能と肝機能のチェックということで、まあ手術に耐えられる状態かの基本チェックであろう。
 今回特に怖いことはないと思うが、やはり入院となるとちょっとドキドキしてきた。

 さて入院に際して、分からないところをいろいろ質問をぶつけたところこんな案内が来た。

①入院の流れ
   1日目:検査、注意事項などの説明
   2日目:手術(当日は全身麻酔により術後は要安静)
   3日目:術後経過観察(術後順調であれば、この日は通常通りの生活可)
   4日目:退院

②持ち物
   パスポート、保険証券、下着など。
   洗面用具、タオル、パジャマなどの生活用品は全て病院に有るが、
   自身で好きなものを持参してもよいとのこと

③インターネット
   使用可能。

④●●医院 国際医療部について
 
   ●●●●●●●XX楼(専用エレベーター有り)
   ℡:(021)XXXX-XXXX(日本語可)
   ★日本語ができる医師及び看護士が24時間体制でいます。

 まあこれを読んだところでどうなるものでもないのだが、分からないより何となく安心だ。

 ネットが繋がるということでこれが一番の安心。

 入院中、どの程度パソコンと向き合えるか分からないが、もう生活必需品なので手元に無いというだけでやはり不安なのである。

 それと日本語が通じる環境というのもやはり安心要素かもしれない。

 まあ日常の会話程度にはそれほど苦労しなくなった私だが、やはり病気の時に外国語で話せる思考状態になるかどうかは分からないので、最低限通じるのは安心である。

 さてさてそろそろ荷物の準備ですね。




2012年02月18日 自己満足な東京五輪誘致
 2020年のオリンピックに東京が再び立候補し、オリンピック委員会に申請書を提出したというニュースが入ってきた。

 まあ誘致活動そのものには反対はしないのだが、ニュースを見る限りどうも訴えるコンセプトにインパクトがない。

 東京オリンピックを積極的にやろうという思わせる動機に欠けるのだ。

 確かに東日本大震災からの復興というのは一つの動機づけにはなるが、今回開催しようとしているのは東京であり、東北ではないが故に微妙に焦点がぼやけてくる。

「何故、東京なのか」という報道陣の問いに対して、今回招致委員会が掲げたテーマは「日本復活五輪」と「東京の都市力を世界に示す」ということなのだそうだが、これはどうも自己満足な言葉にしか聞こえない。

 もちろん日本人にとって、オリンピック開催を東日本大震災からの復興や経済低迷からの復活の足ががりにしたい気持ちは十分理解できるが、実はこのこと自体は世界から見ればある意味どうでもいいことなのである。
 まあ世界の国々は日本の震災に対し道義的人道的立場から復興を願ってくれているかもしれないが、それが単純にオリンピックという形に結びつくとはどうも考えにくい。

 つまり復興はして欲しいが、それは一般的人間の慈愛であり、そこにオリンピックを開催する意義までは見いだせないのではないかと思われる。

 また同様に「東京の都市力を」と言われれても、やはり世界の人にとっては東京に都市力があろうがなかろうがどちらでもいいことなのであり、そこにオリンピック開催の意義を見出すのはとても難しい。


 いずれにしても結局は東京の自己満足な主張でしかなく、今回東京で開催することが世界の人々にとってどういう意味があるか?という点がまるで考慮されていない。

 この点を考えると、「南米初のオリンピックを!」と掲げたリオデジャネイロに負けた2016年の開催地争いの反省がどうも生かされていない気がする。

 結局、東京が過去の「都市力」のストックを引っ張りだして使うだけでは、初開催を目指すイスタンブールなどとの争いに開催意義で負けてしまうのは目に見えていて、施設状況などで質的に他の都市を上回っているなどと考え楽観視するのは傲慢な考え方としか言えないであろう。

 じゃあ、どういった点をPRすれば東京に意義が生まれるか?

 非常に難しい話だが、やはりオリンピックぐらい大きなイベントの誘致には、世界の人が一目置くような東京から世界に向けて発信できる新たな価値を生み出していかなくてはいけないのだと思う。

 それはコンパクト五輪などといった、小手先のテクニック的な話ではなく、世界の人の心に届く理念なのではないかという気がする。

  例えば、前回もある程度あった環境関連のコンセプトをさらに推し進め、コンクリートではなく「木」の文化によって地球にやさしい街づくりをPRしたり、屋上緑化推進による省エネ都市の実現、さらには都市における森の再生事業、スポーツの自然への回帰などをテーマにして、震災から復興段階にある現在だからこそ取り組めるテーマを見つけ、実際の都市再生と両輪で五輪誘致を推し進めるべきなのではないかと感じる。

 そして先進国にも発展途上国にも見習ってもらえるような市民の知恵を生かした都市の豊かさと自然保護が共存できるモデルケースを目指し、そこでのオリンピック開催を訴えれば、それなりの開催意義を感じてもらえるのではないかと思う。

 故に今回のオリンピック誘致があろうがなかろうが、その理念を実現するための努力が必要であり、それを実現させるんだという気概を都側が見せ、都民がそのことにプライドを持って取り組めるような土壌が醸成されれば、この街をオリンピックを通じて世界に見せたいという雰囲気も生まれ、そうすれば自ずとオリンピックもついてくるのではないかという気がする。

 戦後復興の最中に開催した前回の東京オリンピックもそんな雰囲気があったのではないかと想像する。

  とにかく今のような過去のストックに頼った小手先の自己満足な誘致活動では、東京の再生もオリンピック誘致も駄目なような気がする。

 オリンピックは挑戦する姿が人を惹きつけるということを忘れちゃいけない。



関連ページ旅行関連情報

2012年02月17日 仕事を押し付けないために
 今回手術を受けることを決めたのはいいが、日程を決めるのにちょっと苦労した。

 3~4日の短期とは言え、入院してしまえば仕事にそれなり影響は出る。故に仕事に一番影響の少ない休み方を探す必要があった。

 まあ数日休んだところで致命的な影響が出るわけじゃないにしろ、現場はやはりずっと動いているわけで、一人が休めば私以外の誰かに何らかのしわ寄せが少なからず出る。

 どんな業種でも対外的には現場として動いている状態にしておくのが一つの信用でもあり、やはり私が休むからと言って私の持ち場が全く止まってしまうような休み方は避けなければならないのである。

 故に、仕事への影響を最小限に抑えるために休む時はやはりそれなりの根回しが必要になり、そのためのコミュニケーションは普段から取っておく必要がある。

 別におべっかをいちいち使う必要はないが、少なからず自分の時間を犠牲にしてでも助け合う姿勢を見せておかないと自分が困った時に助けてもらえない。

 ある意味恩を売るというか、情けは人のためならずというか、とにかく普段からのコミュニケーションがイザという時に役に立つ。

 しかし世の中には普段は人から助けてもらってばかりいるくせに、それを当たり前のように受け取り、全く返さないことを当然と思っている奴もいるようで、下記のネットで見つけたコラムを読んで私の他にも同様のことを感じている人が沢山いると知って笑ってしまった。

 《たぶん頼まれた仕事を断るのが下手なんでしょうが、やたらと色んなプロジェクトに参加していて、全てが中途半端になっている先輩がいます。結局、キャパシティを超えて色んな人にヘルプを頼んでは迷惑をかけている…。でも彼は“俺は仕事ができるから引っ張りだこになっている”と思っていて、自分が原因で修羅場になってもむしろ被害者ヅラ。仕事を安請け合いして他人に尻ぬぐいをさせている自覚を持ってほしい、、、》(R25WEBより)


 こういう人は実は関わる仕事一つ一つの重みが分かっていなく、他人の現場がずっと動いていることもわからないから、自分が本来やるべき仕事のキャパも領分も測れず、一方の仕事があるのに他方の仕事に手を付け結果的に無責任になるのだと思う。

 そういえばレギュラーの仕事に平気で穴を平気で空けてまで、やたら講演だのテレビ出演だの目立つ行動をブログで報告する人もいたが、その実際は上記のコラムの人同様であった。

 まあ今回は他人の振り見て我が振り直せということで、人にかかる迷惑を最小限にして休もうとは思っている。



2012年02月16日 鼻の手術
 先日ブログに書いた鼻のポリープだが、緊急性はないもの切除しない限り副鼻腔炎も再発しやすく、呼吸の通りも悪いので医師の勧めで手術を受けることになった。

 手術というと多少怖い面もあるが、幸い中国で手術を受ければ海外保険の適用ということになるようで、個人の費用負担もなく今のうちに受けることにした。
 診察室も贅沢にもVIPルーム待遇らしい。これも海外保険の為せる業である。

 まあ中国の病院での手術ということで多少怖いという意識が無いわけでもないが、それほど大きな手術ではなく、中国人医師であっても日本の医大を卒業した方で言葉にもほぼ問題ないので心配はないだろうという気がする。

 このあたりは上海に長く暮らしていると、日本人であっても中国の大学を卒業した医師がいかに外面ばかりでいい加減であるかを知り、中国人であっても日本の大学を卒業してきた人ならばそれなりに信用ができると実感しているところではあるので、心配はないと思っている。

 もちろん日本の大学とて医師の裏口云々の噂が全くないわけじゃないが、外国人がそんな器用なルートを持つとも考えずらいし、中国の大学のそれよりは確率的にかなり可能性が低く信用性は高いであろう。

 それに今回手術が怖いという意識より、この慢性鼻づまり状態のほうが苦しく、恐らくこれが原因で数年前に比べかなり集中力が低下しているという認識があり、何とかしてこの状態を脱したいという思いが強く、早期の手術実施に踏み込んだという気がする。
 また日本に帰ってゆっくり手術を受けている余裕もあまりない。

 入院は来週22日から実施で、恐らく25日か26日までの3~4日の入院である。

 入院中は恐らくネットに繋ぐこと可能だと思うので、現時点で術後にどういう体調状態になるかわからないが可能な限りブログで実況報告をしようとは思っている。




プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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