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上海ワルツNEW


2010年08月16日 継続力
ブログを暫く休んでしまった。
まあブログを書くことは仕事ではないので、仕事に追われるとどうにもブログを書く余裕すらなくなる。
世の中には忙しい忙しいとブログに書く人がいるが、その人はまだブログを書く余裕があるのだなぁと私の目には映ってしまう。

仕事でブログを書く人以外は本当に忙しければそんな余裕もないはずだ。

たまに仕事が滞っていてそれをほったらかしているにも関わらず、ブログ更新に熱心な人もいる。
隠れてサボるならまだしも、サボっていることを世界に向かって宣伝してどうするんだという気がする。

実はここのところ他人がほったらかしていた仕事の後始末というか、再整理に追われていた。
仕事は継続してこそ意味があるのに、最初にやったきりの中途半端な状態になっていた。

それをようやくこの週末を使って何とか整理して、形にした。
ブログはブログでしかないので継続しても、せいぜいアフリエイトの足しにしかならないが、仕事は常に継続すればこそ力になる。
ブログと仕事、それは趣味と仕事と言い換えてもいい。
継続力が必要なのはどちらか一目瞭然だが、それすら分かってない人もいる。




2010年07月26日 迂闊な法人税減税は日本の首を絞める。
参議院選挙が終ってしまったのでちょっと話題が古いかも知れないが、選挙のときに消費税論議とともに法人税減税の話題が出ていた。
日本の法人税は高いから国際競争力回復のために法人税減税を検討しようというものであった。

この話を聞いたとき、日本の政治家はどうしてこんなにも社会情勢の見極めが出来ないのだろうとあきれ返ってしまった。

10年前であればこの理屈は正論であったかもしれないが、いまや問題は日本の税率云々の話ではなくなってきている。
もし、仮に法人税減税が実施されたとしたら、日本の法人は国内投資が増えるどころかその余裕分は国外投資に回され、ますます国内経済の空洞化が加速して進んでしまうであろうというのが大方の経済関係者の見方である。
 つまり日本国内への投資については、もはや市場に魅力がなく投資する価値がなくなっているところへ、法人税だけ減税しても国内市場へのヒトやモノへの投資が行なわれるはずは無く、投資は海外へ向くのが当然の日本経済の趨勢である。

 そんな経済状況に対する自覚も無く、国内景気や国際競争力の回復、そして失業率の改善のために単純に法人税減税を語るのであれば、その政治家はさっさと舞台から降りてもらったほうが国民のためのような気がする。

 まず大事なのは日本市場の回復であり、そのための人口の維持である。そこを忘れて単純に法人税減税を進めても、結局は海外移転を助長するだけで日本は自分の国の首を絞めるだけであろう。
 
早く、そこに気付いて欲しい。



2010年07月17日 マーチ輸入開始は日本経済界の激震
ちょっとウケウリのテーマだが、これは驚くべきニュースである
日本の日産自動車が国内販売するマーチをタイの工場生産のものに切り替えるとの発表があった。つまり輸入することになった。
マーチといえば低価格低燃費がウリの小型大衆車であるが、それが国内生産を諦め海外生産に切り替えるというのは日本の経済界にとって非常に意味が重い。
これまで日本の産業を支えてきた自動車産業が国内市場でも国内生産では競争力がなくなったということである。
 冷蔵庫や洗濯機などのいわゆるシロモノ家電は結構早くから海外生産が始まっていて国内に製品の海外生産のもの切り替わっていたようだが、自動車は国内需要の下支えもあって輸出は減っても、国内市場分は自国生産が続いていた。
しかしとうとうそれも、海外産製品に市場を奪われる時代がやってきた。
タイで生産すれば輸送コストを加えても日本国内で生産するよりコストが安いということである。しかも元々価格の安い大衆車にも関わらずである。
それだけ日本人のコストが高いということになる。
派遣切りなどで話題になった自動車工場での契約社員なども給料は決して高くなかったはずだが、それでもタイの生産コストに比べればはるかに高かったことになる。

今後日本では生産しないで、タイで生産するなら「日産」ではなく「泰産自動車」だなどと冗談をいっている場合ではなくなった。


しかもこの流れは恐らく自動車だけに留まらないであろうというのが今後の経済の止めがたい流れであることは間違いなく、日本の経済の空洞化、産業ごとの海外移転の本格的に始まりを告げるのがこのニュースのような気がする。
それもこれも先日書いたように、人口減少による市場縮小が大きな原因の一つであることは間違いなく、経済界の必然的反応なのである。

果たして5年後の日本の経済界はどうなっているか?考えるだけでも恐ろしい。

日本のセンセイ方も目先の消費税をどうするかなどと小さなテーマを論議している場合じゃないような気がする。
 日本の産業がみな出て行って「そして誰もいなくなった」では、どんな高い税率でも税金を取ることができないのだから。。。
(アガサクリスティで締めてみました)



2010年07月14日 仕事の締め切り
仕事の締め切りはいつもやっかいだ。
どうしてもその日、その時間に向かって追い込まれる。
客先との約束があるときはなおさらプレッシャーがかかる。
1日遅れてすみませんでしたと言って許してくれる場合はそう多くはない。
締め切りに遅れたら、もうそれは仕事をしたと言えないのである。

例え許してくれたとしても信用のレベルが一段下がり、次の仕事への継続の可能性が一段下がる。
そうなってしまうと死活問題でおまんまの食い上げだから、締め切りは必死でなんとか守る。

もちろん客先に関係ない、社内的な作業の場合も締め切りは設定したほうがい。
一人で仕事をしているのではなく、集団で仕事をしている以上は、客先でなくても相手はその締め切りに合わせて仕事をしており、締め切りを守らなければ相手の仕事に影響が出る。
 締め切りを設定することによって実は己の仕事にもリズムができ、楽になる。
「この日、この時間までにこれをやる!」
そう決めたら、その目標に向かってまい進できる。
気まぐれの行きあったりばったりでも結局トータルの時間が変わらなければ同じような気もするが、能率が全然違う。

仕事の締め切りは自分で守るために、自分で作るものである。

もちろん自分で自分に言い訳をして締め切りを守らないようではおしまいである


2010年07月12日 人口減少、市場縮小という現実がもたらすもの
日本の人口が減少に転じている。
高齢化とともにこれは由々しき問題である。
人口が減少し、市場が縮小するというのは単に目先の売り上げが下がるといった単純な問題ではない。

市場が縮小するということは投資する人がいなくなるということである。
例えば、商店の改修やビルの新築など、将来投資資金が回収できると思えばこそお金を使うのであり、投資したところで売り上げ向上の見込みがなかったり、入居者が見込めず資金が回収できないと思われるところにお金を使う人はいない。

 老朽化したビルの補修など、せいぜい現状維持のための費用投資に限られてしまうという状況に陥るのが市場が縮小する社会の現実である。
そうやって投資が抑制されれれば、ますます市場は縮小し、累乗的に経済は減速していく悪循環に向かう。

そして、市場が縮小することによって投資が抑制されるのは何もモノだけではない。
人への投資も抑制される。
市場が縮小して、売り上げが減ることが見込まれているのに新たに人を雇って人材に投資する企業はない。つまりますます就職難がますます加速することになる。

現に一部の企業で、採用枠の半分近くを日本人ではなく外国人を採用し事業展開の重心を海外にシフトさせようとしている企業が現れている。
企業の利益を考える経営者からすれば懸命な判断だ。

こうやって人口減少と市場縮小によって、日本の国内経済の崩壊が目前に迫る事態がやってきている。これを救うための政府も現在900兆の国債を抱えての青色吐息の国家財政では打てる手はもはや限られてきている。


 結局この状況を打開するには、何をおいても人口の維持が必要になる。
まあ「生めよ増やせよ」では戦時中の押し付け政策のようで品がないかもしれないが、しかしそれに近い勢いで国家政策として人口維持へ誘導していかなければ日本は破綻を迎えるであろうというのが現実であり、それほど事態は切迫している。

 そして短期的には移民や労働者の受け入れをして、人口を維持することを真剣に考えなければならないだろう。

とにかく人口が減る国はその減り幅以上に魅力がなくなり、経済が衰えていく。
一時的に中国経済によりかかれたとしても、いずれ中国も成長し自立し、日本がよりかかれなくなる国になる可能性が高い。
そうなるまえにどうにかしなければならない大変な問題だ。



2010年07月09日 会社が合併するという大変さ
日本でゆうパックとペリカン便の統合で配達に遅延が生じ、話題になっている。
会社の合併というのは上層部が机上で考えるほど現場にとっては容易なことではない。

しかも今までの業務を一旦止めてリセットできるならまだしも、今までの業務を止めずにスムーズに移行するなどというのは、あれだけの規模の企業同士では至難の業である。
以前金融機関の合併の大変さが報道されていたが、金融機関の場合はデータ処理やシステムなどのいわば内部的な処理が大半であり、合併といっても大半はシステム会社の仕事となる。
しかし、今回のように物流企業の合併では、実際にモノが動きが変わり人の動きが変わるのだから、その転換の大変さは金融機関の比ではないはずだ。

私も日本時代、3社同時合併というのを体験した。
そして3社の給与の体系の統合とシステム構築を任された。もともと別の体系で動いていた給与を統合し、それを一つのシステムの中に反映させる。
 別のシステムだった給与計算を、正式な平行ラン無しで一発統合開通させるという無謀なものであった。
 もちろん数字の間違えは許されない。

3社のうち、一つの会社のシステムをベースにしたものの、合併に伴う制度のすり合わせのための暫定給や職位による多彩な給与体系など処理は複雑を極めた。有給休暇や勤務システムも同時に含まれるのだからたまらない。
800人もの対象者の計算結果をぴたりと合わせなければならない。
当然この間も、従来の一社の給与計算もオペレートしつつである。

これをほぼ半年で概ね一人でやった。というか半年かかった。

 合併を成功させるにはそれくらいの時間がかかる。

 給与計算のプレッシャーは担当したものでなければわからない独特のものだ。
何故なら従業員一人ひとりの生活がかかっているからだ。1円でも間違えればすぐに文句の電話がかかってくる。

だから今回、お客さんを直接相手にしている現場のプレッシャーもよく分かる。
上層部の机上の論理でうまくいってても、実際にお客さんを相手にするのは現場だ。上がなんと言おうと目の前にいるお客さんが大事である。

 現場の人々は腐らず是非頑張っていただきたい。




2010年06月22日 過去の栄光は未来を何も保障しない
今回のW杯を前にスペイン代表の監督が語っていた言葉だが、まさに今回の南アフリカ大会はそのままを体現している。
かのスペイン代表も今朝の試合は勝ったものの初戦のスイス戦にまさかの引き分けとなり、苦労のスタートとなったことは周知のとおりである。
そのほか強豪国と言われる、フランス、イタリア、ドイツなどが1次リーグ敗退の危機にさらされている。
 日本代表の中でも同じことがあり、絶対的エースのはずだった中村俊輔選手が調子を落としてスタメン落ちしている。
 彼らのいずれも慢心でこの状況に陥ったわけでもないだろうが、まさに過去の名声は未来を何も保障してくれていない。
未来の名声は、今これから築くほかないのである。
 
 これは仕事上でも全く同じことが言える。
 過去に築いた栄光の上に胡坐をかいていたら何も進歩しない。それどころか堕落であるともいえる。

 昔人事の仕事をしていたとき、労務評価の方法として業務評価の減価償却なるものを考えたことがある。
 過去に大きな仕事を成功させて評価を受けた者に対して、ある一定評価点を与えるが、それは未来永劫積み重なるものではなく、購入資産のように年々価値が低減していくものと考え、未来へ持ち越す価値を減らして行き、常に新しい評価を積み重ねることを求めるといった評価方法である。
  もし新しい評価を積み重ねなければ、低減された過去の評価しか残らない。固定資産的に毎年6掛けしたらあっという間にその価値はゼロに近くなる。
こうやれば過去の栄光にしがみつかれるのを防げるのではないかと考えたことがある。
実際、世の中の大企業には過去の一度の実績にしがみついて出世している人も少なくない。
 しかし、過去の成功に満足して努力を怠ってしまったら本人も会社も未来などないであろう。

 逆に言えば、過去に栄光が無くても、努力次第これから栄光を築くことが出来るということだ。
 
 頑張れ過去の弱小国!(はてどこの国だろう



2010年06月15日 弱さを自覚すれば勝機はある。
 サッカーのワールドカップで日本代表が初戦のカメルーン戦に勝利した。
直前までの下馬評とか言うか、今年になってからの日本代表の試合は情けない限りであって、とても勝利を期待できる状態ではなかったのは皆さんも知るところだと思う。

しかし今回何とか勝利できた。

 実は今回勝利できたのは、今年になってからの状況が悪かったことが功を奏したのではないかと思っている。
 岡田監督は就任当初、ベスト4を目指すと大きな目標を立てていたが、今年になってからの試合でベスト4どころか自身の解任騒ぎが起きるくらいまで、自チームの弱さを突きつけられた。
 そこで今回本番を迎えてようやく自チームの置かれている状況を認識し、現実的な布陣と戦術で戦うことができ勝利できたのだと思う。

 大きな夢や理想を語ることは悪いことはないが、現実は正確に受け止める必要がある。己の能力を過信せず、弱さをきちんと自覚することが出来たならば、強者との差がどこにあるかを知ることが出来、そこを埋めるための方法を考え、弱者は弱者なりの戦い方をすることが出来る。

 弱者なりの戦い方ができれば勝機だって生まれてくる。

 実力差は大きくとも、最初から負けが決まっているわけではない。負けが決まっているなら試合などやる必要がない。勝つ権利は参加する限りには平等なのだ。

 大事なのは己の姿を正確に把握することである。相手の姿を正確に把握することである。そしてその差を正確に把握することである。
 そして勝利のためには相手の長所を消し、短所をつく。自らの長所を伸ばし短所を隠す。そうやって相手との差を縮める。

 もちろんこのサッカーの教訓がビジネスにそのまま使えることはいうまでもない。大口を叩くことは自由だが、現実は正確に認識する必要がある。

 弱さを自覚すれば勝機は必ずある。

「勝つと思うな、思えば負けよ」である。

とりあえず、日本代表の「初戦勝利おめでとう」である。




2010年06月06日 インターフェースの勝利は見習うべきだが
iPod、iPhone、iPadとアップル社が立て続けにヒットしてきた新商品。
実は私自身どれも買っていない。
ただ自分自身買ったことはないが目にしたり触ってみたことはある。
しかし、結局買うには至っていない。

何故だろうか?

これらのアップル社のヒットに共通するのは1にも2にもインターフェイスの使いやすさにあることはいうまでもない。
機械的な操作ではなく、タッチパネルを使った直感的な操作で簡単に取扱いが出来るので「機械が苦手な人」、つまり難しいロジックを考えることが苦手な人でも取り扱えるようになった
 故に今まで機械操作に煩わされてきた人たちが、こぞって飛びついたように思う。

しかし、アップル社の各商品がインターフェイスの素晴らしさでヒットしてきたということは裏を返せば、インターフェイス部分を除くと実は特別目新しい機能が存在するわけではないような気がする。音楽を聴いたり写真や動画を撮ったり、はたまた本を読んだり、、、つまり今までばらばらにあった商品の機能が融合されただけという言い方も出来る。つまり代替が利く。
 もちろん、アップル社の製品はどの機能も高性能化しているのであろうから同列で評価することは出来ないが、基本機能という意味では他の商品でも寄せ集めれば埋めることが出来、どうしても彼らの商品でなければない機能というものは見つからない。

 

故に、どうしても彼らの製品を買うべき必然性が無く、自分は今までアップル社製品を買わずに来てしまったのかなと思う。

また、そのウリであるインターフェイスのスムーズさも、かの製品を自分から遠ざけている面もある気がする。

 元来、車の運転もオートマ車よりマニュアル車のほうが好きな私であるので、あまりにもスムーズなインターフェイスというは、逆に操作をする側の楽しみを奪い物足りなさを感じてしまう。音楽を聴くということについて、音が綺麗に鳴り聞こえればそれでいいという画一化された価値観を押し付けられているような気がするのである。

 人間が物事を楽しむポイントというのは、企画された音楽や映画を、単純に観たり聴いたりといった部分だけでは実は完結しないというような気がする。

 うまく説明できないが、チェーン店のレストランで各店共通化された美味しい料理を出され、その食べ方も決まっているというような価値観の押し付けをされているような窮屈さを感じてしまうのである。
 本来は料理とは基準レシピはあっても、それが全てではないので作る側にも創造性があり、また食べる側にも創造性があるものでそれがまた楽しいのである。
 それと同じで、音楽とはスタジオで録音された曲を1曲単位で機械で聴くということが、現在のスタイルとして「規格化」されているが、実はそれが全てではないのが音楽である。
こういった意味で創造性があるようで、実は価値観の画一化を行なっているのが彼らの商品のような気がする。
故に1ユーザーとしては彼らの商品を拒否をするわけではないが、必ずしも相容れない部分があって今まで買わずに来た気がする。
 さなれば、今後も彼らの商品は買わないのではないかという気もしている。


さてさて、まあこういった個人的見解はともかくとして、彼らからビジネスとして学ぶべき点を探すと、どんな商品でもインターフェイス一つでヒット商品に変えてしまうことができるのだというところである。

 上記に書いたように、基本機能としてはノートパソコンでも代替できてしまうような機能を、タッチパネルなどのインターフェイス一つでユーザーを引き付けヒット商品を生み出してしまう。世の中には非常に高機能を持った面白い商品なのに、どうにもインターフェイス機能が駄目で扱いにくくヒットしていない商品が少なくない。

 そんな状況にも関わらず、こういったインターフェイスだけで(と言ったら失礼かもしれないが)ヒットする商品があるということは、ビジネスを考える上で非常に参考になると思われる。
 つまり、機能はみんなに使いやすくして使われてナンボということになるであろうか。是非参考にしたい彼らのヒットの秘訣である。


2010年05月29日 東京の行列店が上海で失敗する訳
東京で行列店として有名なラーメン店などが時々上海に進出してきているがそのほとんどは失敗をして撤退する憂き目にあっている。
 あれほど東京で行列店として有名だったお店が何故上海では成功できないのかと疑問を呈する人もいるが、答えは結構単純である。

言うなれば上海は東京に比べマーケットが小さすぎるのである。
日本の首都圏人口は約3000万人いるといわれ、もし仮にこの人口の0.1%の味覚に合致しそのお店のファンになってもらえたら、3万人のお店のファンが出来ることになる。
 もし彼らが月平均1回お店を訪れてきてくれたら、毎日1000人のお客を得ることが出来、当然連日大行列となる。

 東京のお店としてはこれで大成功であるのだが、実はここが勘違いの始まりとなる。

 つまり東京ではたった人口の0.1%の味覚に合致すれば行列店を作ることが出来る。
0.1%、つまり1000人に1人の割合のファンがいれば充分なのである。
 しかし逆に言うと0.1%の熱烈なファンさえ掴めば残り90%以上の人に受け入れられていない味でも行列店として成立してしまうので、経営者はここで自分のお店の行列を見て大きな勘違いを始める。

 「東京で成功したのだから、次は世界を目指そう、そうだ中国だ!上海だ!」と。

そうやって上海にやってくる。 

しかし、残念ながら上海は東京に比べ、まず日本人の人口が非常に少ない。10万人という数字を使ったとしても東京の300分の1である。

 もし仮に上記の算式を上海の日本人人口に当てはめれば、人口の0.1%しか捉えられない味ならば、お店のファンはたった100人となる。もし彼らが日本と同じように月に一回お店に通ってくれたとしても、1日あたりのお客さんはたった3名ちょっととなる。これでは当然経営的には成り行かない。

 じゃあ、「日本人ではなく中国人にPRしよう!」となる。

 考えるのは容易いが、やはりここは外国である。ベースとなる食文化の違いが当然障壁となって立ちはだかる。当然所得差も大きく日本のようにマーケットを同質で捉えられない。
 まあそれでも万が一運よく中国人たちの味覚にマッチングすれば行列間違いないのだが、所詮は東京で人口の0.1%ファンしか実績のない味であれば、上海で同じように成功する確立はそれこそ宝くじのようなものであり、とてもビジネス的に賢い挑戦ではない。

 こうやって進出しては見たが、全然客が集まらず、そうこうしているうちに素材などをケチり始め、肝心の味が落ちて行き、ついには閑古鳥状態となり撤退となる。そんなパターンをいくつも目にしてきた。

東京の行列ほどビジネスの参考にならない現象はないのである。





プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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