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2011年09月18日 中国人の日本行きビザ申請の現場
先日、更新されたパスポートを受け取りに領事館に行ったときの事である。
領事館に行ったことのある人ならご存知かと思うが、日本人用のパスポート関連の窓口と中国人が日本へ行くためのビザ申請窓口は並ぶように配置されている。

私は自分のパスポート受け取りの順番を番号札を見ながら、ここの中国人用窓口の様子をボーっと眺めていた。
 日本人用窓口には10人ほど順番待ちがあったが、こちらの窓口に並ぶ人などほとんど無く、待っているも疎らで閑散としている様子であった。

 先日、年間の日本行きビザ発行件数が何十万件という話を耳にしていた私は、何だこんな様子でも何十万件という件数になるのだろうか?と不思議な印象を抱いていた。

 ところがである。

突然大型のスーツケースを持った男性が館内に乗り込んできてその窓口の前に立った。
日本人から見ればこの場にスーツケースを持って来ること自体がちょっと場違いな行動に映ったのだが入館セキュリテイチェックをパスして入ってきたはずだから少なくとも犯罪者の類ではなさそうだ。
 
「何だ?緊急渡航のためのビザ申請か?」

そして彼はおもむろにスーツケースを開け始めた。
中から彼の衣類などが飛び出して来ることを想像していた私は次の瞬間驚きの光景を目にすることになる。

 実はなんと、彼が持ってきたスーツケースの中には中国人たちのツアー客のものと思われるビザの申請書類の封筒がぎっしりと詰まっていたのである。恐らく一人一件という形で書類を封筒詰めしてあるのであろうが、その数大変な量で2~300件の束があるだろうか?

 郵便局でしか目にしないような封筒の束である。
 恐らく彼は旅行会社のツアー担当者なのであろう。

 そして彼はその書類の束を数十部ずつ鷲づかみにして、ビザの申請窓口に押し込み始めた。

 こちらの申請窓口は、安全上の問題で中国の銀行などでよくあるタイプの申請側と職員側の空間はガラス窓で仕切られいて、書類などはガラスの下をアンダーパスで受け渡す形式の窓口となっている。
 つまりその小さい受け渡し口でしか書類を提出できない。
規則なので仕方ないということなのかも知れないが、この旅行会社と思われる男性は何回にも分けて大量の書類の塊をその小さな窓口に押し込む。
 対応する領事館のスタッフたちも、恐らく今回が初めてではないであろうながらも苦笑いしながらその書類を受け渡し口から取り出し窓口の脇に積み上げる。あっという間にスタッフの脇に書類の山ができる。
 よく見るとその山の奥にはまた別の旅行会社のものと思われる封筒の山が積み上げてあった。
どうやらこのような大量申請をするのはこの男性の旅行会社だけではないようである。
 何十回にもわけて書類を押し込んだ彼はようやくスーツケースの中を空にして、申請処理を終えた。

 ところが彼の仕事はまだここで終わりではなかった。

 この書類申請を終えた後、もう一方の窓口の前に移動して、今度はスーツケースの中から100元札の札束を取り出した。

ん?今度はなんだ?

そう、彼が移動した窓口は書類の受け取り窓口で、以前申請したビザ書類やパスポートを受け取る仕事がまだあったようだ。
 彼が用意していたお金は全員分の申請手数料のようである。

 そのお金を払うと、今度もまたやはりその小さな受け渡し口からビザが貼られたであろうパスポートの束が次々と取り出される。

 我々日本人がパスポートに感じる重みがどこか吹き飛んでしまうかの如くの大量のパスポートの塊とその取り扱いである。

 こうしてこの男性はビザ申請が完了したパスポートの束を持ってきたスーツケースに押し込み持ち帰ることになった。申請書類ほどには嵩は無かったが、それでもスーツケースの半分くらいまで埋まっていた感じである。今回彼が取り扱った件数は申請と受け取り合わせて500件は下らないであろう。

 実は領事館の待合いロビーを見ると、彼のような旅行社の人が何組かいたことに気がつく。各自量の多少はあれど、みなツアー客の大量ビザ申請を行っている旅行会社の人たちのようであった。
 この状況に年間何十万件のビザ申請という統計数字が納得いくものとなり、申請者そのものが少ない理由はここにあった。
どうりで、領事館窓口が空いていたはずである。

 それにしても中国人観光客の誘致ために、これだけ大量のビザを裁く最前線で頑張る領事館の職員たちの日々の苦労も大変なものであろうと思われる。
 戦前にドイツでユダヤ人のためにビザを発給し続けた杉原千畝さんの話を思い起こさせる。
 日本人としてご苦労様といいたいこの光景であった。


2011年09月02日 40年遅れの中国のマイカーブーム
 中国の流行はそのほとんどが大体日本の30年~40年遅れてやってきている。
オリンピック、万博、ディズニーランドとどれをとっても日本の30~40年前を追いかけている印象が強い。
 経済の発展の順序というか、経済発展モデルが鄧小平さんの理想とした日本型であったためこれまでほぼ全てがその流れにのって中国が発展してきており、土地バブルやマイカーブームまで同様の状況が起きている。
 日本ではマイカーブームなどは既に去っており、一部の趣味としては愛好されていても、そのほとんどは生活の足として乗用車でしかなくなっており、 つまり日本人にとっては自動車はもう興味の対象の主流ではなくなっている。
 日本の街を走る車の色を見ればほとんどシルバー一辺倒で赤や青の派手な色は非常に少なくなったのがその証拠である。
 ところが中国ではまだ日本人が恥ずかしいと思うくらい、自動車で自己主張をしようとする。黒や赤の車が街を縦横無尽に走る。この中国の勢いは世界的な流れからしてもだいぶ遅れているのだが、それだけに世界の自動車メーカーから見れば格好の市場となっている。
 まあこうやって中国が世界市場を牽引してくれるのは非常にありがたい点もあるが、日本人の自分からすれば、まだまだ幼いというか子供の市場なのだなと改めて感じてしまう中国のマイカーブームである。



2011年07月31日 とってつけたような知識の押し付け
最近地下鉄の中のモニターでよく流れている科学の豆知識的な番組。
宇宙についてとか、地球の自然についてとか、はたまた中医学的知識などが放送されているのだが、どうもそれらに全ておいて共通して感じるのは「AはBである」といった紋切り型の知識の押し付けである。

 それぞれの科学分野においては、世の中にはいろんな考え方や学説があり、その「AがBである」ためにはいろんな条件が必要であろうと思われることに対して、たった一つの視点から「AはBである」ということをただひとつの真理であるかのように断定的に言い切っている。

 私はこの点が非常に気になる。

 その伝えている事実自体は間違っているとまで言わないまでも、条件が崩れれば正しくなくなるであろう場合が多々あるからである。

 中国の実際の教育の内容は知らないが実は全てがこれ式なのであろうかと思うとちょっと怖い点がある。

 もし中国の教育が全てがこれ式であるならば、「AがBである」ことの理由を知ろうとする訓練がされていないことになり、その成立条件が崩れたとき、どうして「AがBではなくなる」のかについて理解できないと思うからだ。

 今回の高速鉄道事故で「雷が原因である」といった報道を盲目的に信じている中国人の姿がテレビで報道され、このことも非常に気になった。
 雷で事故が起きたとすれば、雷がどうなったからあの事故に繋がっのだとという思考の組み立てが本来あるはずなのだが、そのインタビューに答えている彼はそれなしに盲目的に信じていたのである。

 また中国伝統の知恵とされている中医学の知識などもよく「Aを食べるとB」だという現象は多く整理されているが、「何故、Aを食べるとBになるのか」について成分分析などを検証しているといった事実はほとんど見たことが無く、どうも表面的現象を取り上げた自然科学の端緒とは言えても医学とまで言えるような理屈・理論はあまり表に出てくるような状況にはなっていない。
 掘り下げてみれば実はAがBになっているのではなく、AがCになるとき、Dという条件であればさらにCがさらにBになるのかもしれず、Dの条件によってはAはBにはならないかもしれないのに「Aを食べるとB」という知識で終わっている。
 これらのように、どうも中国人たちは「AがBである」という形で覚える以外の形で、別の答えの可能性があるかもしれないという考え方に慣れていないようだ。

 逆に我々日本人からすると、そんな「AはBである」式の決め付けの押し付け的な言葉は、どうも思慮が浅く見え辟易するのであり、そこがいろんな場面で日本人が中国人を馬鹿にするひとつの理由であるように思う。
 
 事故で亡くなられた方は気の毒だが、まだちゃんと事故原因究明も安全対策も施されていないのに、「もう安全」という言葉をそのまま信じらされている方々が日本人からするともっと気の毒だと思う。

今回の高速列車の事故で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。

上海ワルツ




2011年07月13日 マッサージ屋の値上げの理由
 先日、久しぶりに馴染みのマッサージ屋に行ったら1時間80元だったものが100元に値上げになっていた。
 まあ、20元ばかりのことで引き返すこともないのだが、やはり値上げは嬉しくない。

いつも指名する子にマッサージを受けながらいつから値上げしたんだと尋ねたら、5月からだという答えが返ってきた。
 そうか、じゃあこちらは4月以降2ヶ月も来てなかったんだなと、改めてこの数ヶ月を振り返ってみたりする。
確かにここ数ヶ月は引越しなどが重なり来る暇も余裕もあまりなかった気がする。
 自分の家賃も高くなり、世の中色んなものの値段が高くなった。
そして、上海の人件費が上がっているニュースは目にしているので、マッサージ師業界も人件費が上がって人が集まりずらくなっているのかなと想像して、その辺の事情を再度尋ねてみた。
すると、なんとマッサージ代値上げの原因は、人件費ではなく家賃の値上げだということ。
 へぇ、そんなに家賃が上がっているのか?
確かに私の部屋探しの状況を考えても最近の家賃の上がり方は尋常ではない気がする。
故にマッサージの値上げの理由が家賃だと言われても納得する部分がある。

 それにしてもである。

 人件費の値上がりなら、マッサージ師からサービスを受ける手前、マッサージ師たちの生活が豊かになる過程としてその対価が値上がりしていくのは止むを得ないだろうという気もするが、その理由が家賃だというとどうも納得いかない面がある。

 つまり値上がった差額分は誰の懐に入るのだろうということである。マッサージをする側と受ける側の質と量は何も変わらないのに、家賃という名目で費用だけが勝手に値上がりをする。マッサージをする側と受ける側は何も得をせず、むしろ家賃やマッサージ代の上昇によりマッサージ機会が減ったり客が減ったりして相対的に損をしていることになる。
 これはどうもこれは納得できるものではない。



2011年07月08日 上海の地下鉄は階段が少ない
最近、地下鉄に乗っていて気がついたのは上海の地下鉄駅は階段が少ないということだ。
人民広場のような乗降客の多い駅でも階段が2組4箇所しかない。
混んでいる時間帯だと1本の列車の乗客を裁ききらないうちに次の列車が来てしまい、混雑に拍車をかけているような状況をよく見かける。

これを東京の例に置き換えてみると、他の路線との乗り換えがある駅ではホーム1本当たり3組6箇所の階段またはエスカレーター、普通の大型駅なら2組4箇所の階段があるのだが通常なのだが、上海の地下鉄の場合はそれより一組ずつ少ない。
 ケチなのか、見込みが甘いのか、それとも現状が想定どおりなのかよく分からないが、上海の地下鉄も各駅あと1組ずつ階段を増やせば乗換えがかなりスムーズになるような気がする。

 それにこの階段の少なさが駅の設備の耐用年数という意味でも、寿命を縮めているような気がする。

 先日北京で起きたエスカレータ事故について、詳しい状況が分からないので迂闊なことは言えないが、北京の地下鉄も決して階段が多いとは言えない状況は一緒なので、メーカー側の想定を超えた利用者数があったために想定の耐用年数より早く壊れてしまったという状況があるのではないかと察する。
 つまり、階段箇所が少ないため一階段あたりの利用客数が想定より多く、そのため想定以上の負荷がかかってしまったのではないか。

 普通、どんな機械でも最大耐用負荷と機械寿命の計算をしてあるが、通常の機械寿命の計算は最大負荷が連続的にかかることを想定しておらず、ある程度インターバル的に使用される前提の下に機械寿命が設定される。しかし中国の場合は、どうも国民全体で最大負荷のままで想定寿命年数の時間いっぱいずーっと使用できると考えているフシがある。
 故に、今回のエスカレーター事故もメーカーの想定を超えた利用状況があったような気がしてならない。
  そういった意味では先日開通した新幹線なんかもちょっと危険な気がする。

 人間も機械も休ませなければ長くは使えないことを何とか理解してもらいたい。



関連ページ交通関連情報

2011年07月05日 被災地でも嫌われる中国製
先日、某東北の県人の方から東日本大震災の被災地の状況を聞いて驚いたことがある。
 それは震災直後に中国から送られた飲料水などの救援物資が、避難所の片隅に山積みになっていて誰も手をつけないという事実があるということだ。
 聞けば、その送られた飲料水は私もいつも飲んでいる某ミネラルウォーターで、中国のこちらでは比較的おいしい部類に入るあの水である。

 この件について、こちらに住んで日々その水を飲んでいる身としては非常に勿体無いので飲めばいいじゃないかと思うのだが、日本人にとっては餃子事件以来の中国製食品への不信感は非常に根深いようで、あの地震直後の避難所という環境でさえも中国製食品に対する警戒感は緩まず、手をつけたくなかったということらしい。

 もちろん被災地側としては、中国からの善意と善意としてはありがたく受け取り無下にはできないが、飲むか飲まないかは避難者の個人的判断に委ねられるため強制的に飲ませることもできず、結果山積みのまま残ってしまったということのようだ。

 まあ震災後からの風評被害で、被災地関連の農林水産業や観光業が経済的打撃を受けているとの報道が日々あり、放射能の食品への影響の懸念から中国への輸出ができない事態も発生しているような現在であるが、実はこの中国製飲料水の件も隠れた風評被害に他ならず、大きな安全不安の中に飲み込まれてしまった個別の事象を信用しきれない構図は同じである。

 まあどちらとも安全なものであるという確証の下で送ったり売ったりしているのだとは思うが一度不安に包まれた気持ちはそう簡単には拭えない。
 しかもこういう状況だからといって、風評被害はお互い様だと無理やり納得させるわけにもいかず、信用し合え!と強制できるものでもない。

 とにかく一度失った信用を回復するというのは容易ではない。



2011年05月25日 店によって値段が違ったカルフール
私は某ローカルメーカーの冷凍餃子をいつも切らさないよう冷凍庫にストックするほどに愛用しているのだが、このメーカの商品は今のところカルフール以外で売っているところを見たことがなく、この餃子が仕入れるときはいつもカルフールへ行く。
そして先日、古北のカルフールに行って買い物していたときのことである。

いつものように冷凍食品コーナーを覗いて、件の冷凍餃子を買おうとしたら、付いている値段がどうも変だった。
いつも買っている値段より高い気がするのである
種類ごとに1パック9.6元から10.7元などという値段がついていた。

あれれ?おかしいなぁ、値上がりしたのかなぁ?
確か先日は6.7元とかそういう値段だったはず。
こんな短期間に3元も値上がったのか?
いくら最近の食品価格の高騰が激しいからといって、この上がり方は激しすぎる、約50%もの値上げになってしまう。
今後もこの値段だったら参ったなぁと思った矢先、あることを思い出した。

うーん、そういえば先日買いに行ったのは同じカルフールでも「中山公園店」だった気がする。
まさか同じカルフールでもそんなに値段が違うのか?

 そんな疑問を持った私は、その店でこの冷凍餃子を買うのは止め、改めて翌日にこんどは中山公園店に行ってみた。
 そして真っ先に冷凍食品コーナーに行ってみたのである。

あ、やっぱり・・・。

案の定、6.7元の値札が付いており、この中山公園店の件の餃子は元の値段のままだったのである。

 つまり、同じ会社のカルフールでも店によって値段が違うのである。
これにはちょっと驚いた、値段がこんなに違うなんて。

 まあほかの商品も値段比較をしてみたところ、必ずしも古北店が一方的に高い商品ばかりというものではないようだが、やはり価格は同一ではなく、商品によってはやはりこのように価格差があることが判明した。
 今まで私は、同じカルフールの同一エリアの店舗なら価格は基本的に同じと勝手に信じ込んでいたので、この価格差の事実に私にはちょっとしたショックを受けた。

 そうだったんだ、、、今後は気をつけないと・・。

 まあ実際こういう状況がわかったからといっても、全ての商品について価格比較してから店を選択して買うなんてことはできないので、今後もある程度の妥協の中で買い物をするとは思うのだが、このような価格差の存在を知ったのはよい勉強になった。
 
 勝手な思い込みはいけない、ここは日本とは違う、それを改めて感じたこのカルフールの価格差であった。



2011年05月16日 興味深い中国の課外活動体系
 中国の生活にもすっかり慣れ、ある程度中国の事情は把握したつもりでいたが、実は自分とは直接関係ない世界にはまだまだ日本とは違う世界が沢山在る。
その一つが小学生たちの生活である。

もちろん私も日本の小学校に通っていたから、日本の小学校の状況に関してはある程度の様子はわかる。
確か自分が小学校のときに、高学年からクラブ活動があり、朝晩と参加していた記憶がある。
私は体が柔らかかったので器械体操クラブにいて、でんぐり返しが結構得意だった。
もちろん、学校の体育館を使って練習していた。

しかし、実はそこが中国の学校の事情とは違っていた。

どこが違う「そこ」なのかというと、中国の児童や生徒たちもやはり授業以外の「課外活動」のようなものに参加しているのだが、実は中国では学校内でその「課外活動」をやらないのである。

ええー?
学校でやらない??どういうこと?

 中国人の同僚に聞いたところ、学校は勉強するだけの場所と割り切って存在しているようで課外活動は全く別の場所で行なわれる。

それが、少年宮といわれる課外活動センターであるらしい。

初めてこの事実を聞いたときちょっと軽いカルチャーショックを受けた。

そうなんだぁ、、、

同僚の話によると近隣の小学校から、同じ内容の課外活動に参加する少年少女が集められ、複数の学校の児童が学校とは違う枠組みの中で音楽やスポーツなどの活動に参加するようである。
 実は上海以外の中国の他の都市もほぼ似たような状況で、中国全国で同様にやはり授業と課外活動は分けて実施されているとのこと。

うーん、5年近く上海にいて初めて知った真実。

 まあ学校の人間関係を外れて活動することが本当に良いことなのか悪いことなのかの議論はともかくとして、実際、児童たちはこれらの活動をどのように選択参加しているのか、例えば大会などはどう運営されているのかなど、質問して聞いてみたいことが山ほど沸いてきた。似たような学校教育に見えて、全く違う側面を持った中国の教育スタイル。
 非常に興味深い異国中国の「課外活動」の状況である。




2011年05月11日 びっくりな自称ライターさん
 私もこうやって時々ブログを書くように、文章を書くことは嫌いじゃないのだが、特にライター気取りになっているわけでもなく、仕事の合間に自分の中だけで留めておくのはもったいないような事を時々書いているのだが、世間にはたまに困った「自称ライター」さんがいる。
 まあその人の文章の良し悪しについては特に言うつもりはないのだが、何が「自称」なのかというと「ライター」と呼ぶに値しないから「自称」をつけて区別している。

 何が値しないのかというと、とにかく約束を守らない、仕事として文章を請け負って書いているという意識がまるでないのだ。
 つまりプロとしても自覚がない。例えプロでなくてももう少しライターとしての自覚があってもよいような状態なのだ。
 例えば文章の締め切りや原稿の形式など、お客さんやこちらの指定があるにも関わらず、締め切りを守らなかったり指定した形式を守らず自由気ままな文章を書いたものを平気で提出してくる。
 実はこの「自称ライター」さんに数度ほどある仕事を依頼したときがあったのが、結局締め切りに間に合わず私が下手な文章で埋めなければならないことが度々あった。
あるいはインタビュー形式の文章を依頼したのに気ままなレポート形式で上がってきたりする。
 さらにある場所を取材したいので、人を紹介してくれと言われたので紹介してあげたのにも関わらず、それっきり取材にいった形跡もない。お陰で紹介したこちらの顔も丸つぶれになってしまったこともある。
  



どうもこの「自称ライター」さん、口が軽すぎるようで、あれやります、これやりますとあちこちで吹いて、本来なら最初にやるべき仕事があるはずなのに後から来た仕事が魅力的だと、最初の仕事をほったらかして後からの仕事に飛びつくらしい。当然、あの仕事はできなくなりましたとの連絡もない。
 やるべき仕事について催促すると、よその原稿の仕事があって今忙しいという答えが平気で返ってくる。実は本も書いているらしい。請けた仕事への責任感もへったくれもない対応だ。

 そんなこんなでこの「自称ライター」さんに対しての仕事が信用できなくなり、数年前から一切新たな仕事を依頼するのは止めたのだが、どうも最近も色んなルートを通じて「あれを書かせてくれ」「これを書くから」などとアプローチがあることが漏れ伝わってくる。
 でも結局アプローチしてきた題材で文章が上がってくることはなく、また口先だけだったようだ。
 そんなさなか、この「自称ライターさん」がほったらかしにした仕事にしたお陰で、会社に数万元の穴があいたことも判明した。
 これだけ迷惑をかけているにも関わらず、この「自称ライターさん」はこれらの状況を通して一度も謝りに来たことがない。

もう怒りを通り越してあきれてしまう。

 実はそんな「自称ライター」さんもやはりブログを書いているらしく、間もなく100万アクセスをゲットするらしいとの情報を風の噂で聞いた。

 やるべきこともやらず、他人に迷惑をかけながら自分の城だけはのこのことしっかり守って築いていたわけである。


 このブログを読むと、上述の仕事が忙しいとこちらの依頼を断っていた時期に、実は車の免許を取っただの上海近郊をドライブしただの、個人の時間を十分満喫していたことも判明する。
 さらに、「これだけの仕事のノルマを毎月やります」と本人自ら宣言したその月から結局ノルマをこなさず、東南アジアへ旅へ出てそれをご丁寧に報告している状況も判明した。
 このブログとこちらに対する仕事ぶりを付き合わせると、「自称ライター」さんの仕事に対する発言がいかにその場の方便だらけであったかがよくわかる状況になっている。

 他人への迷惑を顧みず、他人にいい顔だけを見せるブログを続けていることに人として「恥を知れ」とこの自称ライターさんに言いたい。


2011年03月22日 日本から招かれた熟練の技術者さん
先日、平湖で働く印刷関係の技術者の方にお会いする機会があった。
年齢をお伺いするとなんと御年70歳とのこと。

へぇーと驚いたのはよくその年齢で中国で働かせてもらえるなぁということ。
普通の職業ではだいたい60歳を超えてしまうと労働者としてのビザの更新が難しくなり、中国籍の人と結婚でもしていない限り長く滞在し続けるのはとても難しいはずだ。
故に60歳を超えて中国に住み続けているのは会社を持っている経営者のような人に限られる。

しかしである。

その技術者の方はその工場から雇われで働いているようで、どうやら経営者ではなさそうであった。

実は、話を伺ってみるとその方は5年前に中国国家に技術者として招聘されたそうだ。
つまり60歳どころか65歳になってからその中国の会社で働き始めたことになる。
ビザとかは大丈夫だったのですか?とお伺いすると、なんと国家が全部やってくれたので細かいことは何も知らないという答えが返ってきた。
うーん早い話がその方は、中国国家の要求のもと超VIPで招かれた技術者で一般のビザ手続き規定なんぞ関係ない超法規的措置の扱いとなっているようだ。

いやぁこれにはちょっと驚いた、凄い話である。
話には聞いたことがあったが、実際目の当たりにすると世の中こんな人もいるのだなあとびっくりである。

ついでに愚問とは思いながらも中国語は話せるんですか?という質問を投げかけたところニイハオとシェシェくらいしか言えないよといった想像通りの答えが返ってきた。
 つまりビザのみならず、周囲にきっちり通訳までついて生活や仕事に不自由がない状態で招かれて中国の現地企業で技術指導を行なっているわけである。言い換えればそれだけの価値をその方に中国という国家が認めていることになる。

 うーん言葉も全くできないのに、外国に必要とされて招かれて5年も滞在しているなんて凄いことだなぁとしみじみその人に敬服してしまった。
 まあ人間できればこう有りたいものだと思いつつも、言葉以上に価値のあるものを持たなければなかなかそうはなれないものである。
 そんなことを感じながら中国語に苦労する毎日を過ごしている。



プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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