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2010年01月19日 和解できたのがせめてもの救い
プロ野球日本ハムコーチの小林繁さんが急死した。57歳という若さである。
俗にいう空白の一日は私が小さい時の話だったので、当時は状況を知らなかったが後になってニュース記事を読むと、小林繁と江川卓という二人の投手が運命に翻弄されていたことがよく分かる。
その後、双方引退後、プロ野球解説者などの道をお互い歩みながらも現場で顔を合わすことがあっても会話はなかったという。二人とも避けていたつもりはないが、積極的に向き合うようなこともなかったようだ。
 お互い、気にしていないようでやはり心の中にどこか整理しきれないものがあったに違いない。

 その二人を引き合わせたのが2年前の黄桜酒造のCM。いわゆる「和解の酒」のエピソードである。
もちろんお互いが会うことは承知していたが、事前打合わせなく、CM撮影の現場でぶっつけ本番で会うシーンを撮影したあのCMである。

CM狙い通り二人はこのCM内で和解した。

その後たった2年で小林繁さんは亡くなってしまった。
早過ぎる小林繁さんの死にはただ驚くばかりだが、
死ぬ前に彼らが和解できたことがせめてもの救いだ。

故人のご冥福をお祈りいたします。












2010年01月16日 気功を理解する。
知り合いから気功の先生を紹介されたので、試しに参加してきた。
たった2時間ではあったが、結構面白い時間を過ごすことができた。
まあそれだけでもう理解したというのはあまりにも早計ではあるけれど、
気功は体に良いものであるということは理解できた。

気功の先生は「気」という言葉で表現していたが、まあ「気」といってしまうと非常に抽象的でマヤカシ的な匂いがしないではないが、これを神経と置き換えてみると非常に西洋医学的に理解ができる。

 簡単にいうと、気功でいう「気」とは神経細胞の活性化のことだと思われる。私なりに気功を理解すると、気功とは経絡など体中の各部位をそれぞれ意識することによって、その部位の神経細胞を活性化させ、体そのものが従来持っている病気を治す免疫力を高めることが出来るのという理屈になる。 
 本当に脊椎の中まで神経細胞を活性化させることができるのか科学的に検証できているのか分からないが、意識を脊椎の部位に集中させることにより、脊椎の中の神経をも活性化させることができるということになる。
 神経を活性化させるということは、人の体の生命を健康に維持しようというベクトルを持つ細胞を活性化させることになり、それが実際に体を健康にむかわせる。
 こういった体のサイクルを意識的に強める行動が気功ということになろう。


 こうやって考えると、気功というのは形式的な運動を真似ただけでは駄目だということになる。
意識の集中が大事なのである。極端な話で言えば、体を動かさなくても意識を集中できれば気功は成立するであろう。
 もちろん、体を動かすということそのものが血流を促し、神経を働かせるということになるので、動きも非常に大事になる。

 そういった神経の集中や血流の動きを経験則的或いは中医学的に、効果のある体の動かし方としてまとめたものが、現在ある気功というものであろう。
私はそう理解した。

もちろん気功の先生は「気」だの「心の目」だの抽象的な言葉を使い説明をするので、魔術的な匂いがしてしまう。故に世間的な気功の評判には結構怪しさが付きまとう。
また外部の人間からは「体のどこここがこう痛いのですが気功で治りますか」という魔法を求めるような質問がよく出てくる。
 それを気功的に言えば治せるともいえるのだが、実際には自分の体が自分自身で治すことを促すだけなのであって、気功という魔術が体を治すのではないことは理解するべきであろう。

 世の中には気功を語り、病気が全て治るなど宗教まがいなことをやったり、それを通じて詐欺商法や犯罪まがいのことを行う人もいるので注意が必要だが、理解を間違えない限り気功は体に良さそうである。
時間の許す限り今後も参加しようと考えている。
 



2010年01月16日 あの会見がなかったら
日本の政治が揺れている。
小沢一郎民主党幹事長の元秘書石川議員が逮捕された。
このままでは小沢一郎氏本人も危ないと言われている。

昨年の春、秘書の大久保被告が逮捕されたときは民主党はまだ野党で、政権交代押せ押せの時期であったから逮捕劇は選挙妨害の国策捜査といわれ、東京地検特捜部が非難を浴びた。私もそのように感じ、「何故この時期に?」と疑問を感じた一人だった。そして特捜部の狙い通りというか小沢氏は代表を辞任することになった。
 私はさぞかし悔しいだろうなぁとあの時は同情的な目で小沢氏をみていた。

 そして今回は元秘書の石川議員が逮捕された。状況的には前回とあまり変わらないはずだが、今回はこのことに対する個人的な印象はちょっと違っていた。
どちらかと言えば「罪があるなら徹底的に調べて欲しい」との意識に変わっている。
 現政権を支持しないわけではないが、「あのときの会見」がどうも印象に残ってしまい、どうにも小沢さん個人に対しては擁護できなくなったのである。

あのときとは言うまでもなく、中国の習近平さんと天皇を慣例を破って会見させたことを宮内庁長官に批判されてしまったときに反論を発した記者会見である。

あの印象で、どうにも小沢一郎という人間を政治家として支持できなくなった。
政治家としての信用性をあの会見で失った気がする。ルールを破って強引に力を振りかざそうとする人に私は反発する。

あの会見がなければ、今回も前回と同じ小沢さんに対しての同情的印象を得た気がするが、今回はそうはいかなくなった
人の評判や印象は一瞬で変わる。
私もそのことを骨身に感じて生きていきたい。



2010年01月13日 グーグルが中国撤退か?
こんなニュースを目にした。

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-13320120100113
(ロイター通信社のサイト)

中国の国家によるネット管理環境に嫌気がさしての検討ということらしい。
私自身もGoogleは多方面で利用させていただいているが、主に日本のサイトを使っているのでGoogleが中国から商売として撤退したとしても、簡体字の表示やメール送信に問題が無ければ個人的には直接関係無いように思える。

しかしである。

中国政府が今回の対応でGoogleという会社を敵対的なものとしてみなして、日本サイトへの接続さえ禁止されてしまうと個人的な被害も甚大なものになる。

 たかが一企業のサービスとはいえ、マイクロソフトやグーグルなどのネット関連企業は、生活やビジネスについて我々のライフスタイルに深く入りこんでいる。特にGoogleMapなど今や無くてはならないものになっている。

 突然明日からこれらの企業がサービスをや止めてしまえば我々の生活はたちまち大混乱に陥ってしまうであろう。それを考えるととても恐ろしい。
 中国という地からの撤退そのものは企業側の決定を尊重するしかないが、頼むから喧嘩別れだけはご勘弁願いたいのが中国に住むネットユーザーからの切なる願いである。




2010年01月12日 買いたい携帯が見つからない
 現在使っている携帯が1年を超え、そろそろボタンの操作性などにガタが来て使いにくくなっているので買い替えを考えるときかなと思っている。
そう思って、先日ぶらっと電気店を訪れたが、思いのほか魅力的な商品が少ない。
 価格ゾーンの問題ではなくデザイン性の問題である。
 価格の高い機種はそれなりに高機能高性能のようだが、デザイン的にコテコテしたものが多く、しかも中国語の説明書を読みこなすことを考えるといまいち気が重い。
まあ利用できるコンテンツそのものはじっくりと時間をかければ理解できないこともないと思うが、やはり言葉の壁は大きく、詰まったときのことを考えるとやはり利用には二の足を踏んでしまう。
故にスマートフォンの系列は今の自分にとってあまり魅力的ではなく、あれば便利そうだなとは思ってもそこに投資するほどの意義は見出せない

 そう考えると今の私にとって携帯電話の機能性にはあまり意味が無く、選択基準はほぼデザインオンリーとなる。
 そう気持ちを整理して、しつこい店員の攻撃を交わしながら何十種類もの機種を見てまわったが、どうもどの機種に手を伸ばしてみてもあまりしっくり来ない。
その中でも唯一気になったのはやはり日本のメーカのものだった。
 日本人にとっては日本のメーカーはやはりしっくり来る。日本とそれ以外の国ではどうやら携帯というものに対する概念が微妙にずれているように思う。
 まあその商品とて100%気に入るほどのものではないが、まあほかの機種よりは買ってもいいかなという気になるのである。

但し値段が少し高かった。

 その値段でも手が届かなくは無いが、即決するにはちょっと二の足を踏む金額だった。それに特に思い切って飛び込むほどその商品に惹かれているわけではないのでやはりちょっと熟考である。


 この話を友人にしたら、こう言われた。
「どんな商品でも完璧に気に入るものなんか無い。どこかで妥協しないといけない。まさに恋人選びと一緒である」と。。。
 妙に説得力ある言葉に思わず納得してしまったが、そうは言っても携帯は年中肌身離さず持ち歩くものであるからして、魅力を感じたものを手に入れたいのである。
そういう意味ではやはり異性選びと一緒である、
しばらく携帯探しの悩みは続きそうだ。


2010年01月11日 今日のランチ「あられ丼」 和さ美さん
久しぶりに、ちょっと贅沢な気分を味わいたく、ランチにおいしい海鮮モノを食べたくなった。
しかし、気分は盛り上がれど無い袖は振れず、どこか適当な値段で美味しい海鮮物が食べられる店はないかと探しているところにこの「和さ美」さんを見つけた。
もともと、マグロなどをウリにした高級店なので、経費の使えない自分にとっては夜は敷居が高く訪れにくい店なのであるが、ランチだとお徳にそのお店の雰囲気を確かめられるのはありがたいところである。
 さてさて今回私が注文したのは「あられ丼(42元)」である。
色んなネタの、端切れの部分を載せたもので、ある意味非常に贅沢などんぶりである。刺身そのものは細切れではあるが、逆に言ネタが悪ければこのあられ丼は逆に作れないので、このメニューそのものがこの店のネタの新鮮さを教えてくれる。
 さて出てきたのが写真のどんぶりで、非常に色鮮やかで、日本的な色使いを感じ取れる。
さて山葵を醤油に溶かして、、、ここで私は少し失敗した。ほかの日本料理屋の練りワサビよろしく、全部溶いてどんぶりのネタの上にかけてしまった。
 口にいれた途端にむせてしまった。

ネタも新鮮なら山葵も新鮮であったのだ。というか中国の山葵に慣れ過ぎるとこうなる。そういえば店の名前は「和さ美(わさび)」であった。
このお店が山葵に手を抜くはずがあろうもない。これは店に対して失礼であった。

さてお茶を飲み、平静を取り戻して慎重にネタとシャリをほおばった。各ネタもそれぞれ風味を失っておらずとても新鮮だ。いくらの粒粒も口の中で美味しく転がる。
すこぶるうまい。なんて贅沢なランチなんだと顔をほころばせながら箸を進めた。
 今度は夜訪れたいなぁなどと思いつつ、財布を考えるとまたランチだなと、ちょっぴり現実を知る今回のお食事でした。



寿司と鮪料理 
『和さ美』虹橋店地図
上海仙霞路0号
021-6229-5253






2010年01月08日 高架道路の桁底が白く塗られた理由
上海の延安高架道路などの高架道路の橋桁の底の面が、昨年一斉に白くペンキを塗られた。
工事中はペンキが垂れたり、道が塞がれて大渋滞になったりと結構大騒ぎになっていたことは記憶に新しい。
 しかもかなりの距離を広範囲に渡って塗装したので塗装費だって馬鹿にならない。

当然、今年の万博開催を睨んだお化粧直しであるのだが、私はこの「白」という色には少々疑問だった。
下部も交通量の多い道路のため、排気ガスですぐ汚れてしまうことが目に見えてしまうからだ。
そういった意味では白という色はあまり経済的な色とは言えない。

では何故白であるか?

察するに万博に向けてのライトアップ効果の布石ではないかと思うようになった。
要するに白い部分をスクリーンとして利用しようという狙いである。白がベースならばどんな色を照射しても色が映えるからである。



実は先日、高架道路に不思議な穴が沢山あるのことに気がついた。
この穴は排水溝にしては位置が変だし、数が多すぎる。しかも穴の奥に何か詰まっている。
 黒っぽいような青っぽいような色をしている。ひょっとするとここに照明器具が?
青っぽく見えるのは照明器具のゼラであろうか?
勝手な推測だがそんな気がする。

となると、これだけの高架道路がブルー一色に染まるということであろうか?
もしそうだとすれば中国人の好みそうな派手な演出ではある。
この推測が正しいかどうか分からないが、白く塗った理由をそこに求めると、何となく納得できる気がする。

しかし、そのためにだけに高架道路の桁下面を白く塗るというのは、日本人からするといかにも景気の良い上海の話であるような気がする。
しかも高架道路をライトアップして幻想的に見せるというのは確かに美しいのかもしれないが、いかにもSF的な「未来」幻想の美的感覚のような気がして、日本人の私としてはその子供っぽい感覚にちょっと引いてしまう。幻想で現実を隠す感覚がいかにも見た目優先で中身のともなわない中国の美的感覚の象徴のような気がしてしまう。
 今回の白いペンキの理由、はてはて真相はいかに??






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2010年01月06日 乗り遅れても変更可能だった鉄道切符
中国の鉄道切符は乗車券と特急券という区別がなく、全ての切符が列車と座席を指定した指定券であることは、中国で鉄道を利用したことのある人なら知っている人は多いと思うが、実は乗り遅れても切符が有効であるという事実はあまり知られていないように思う。

 私も最近はじめて知ったこの事実なのだが、日本にはないシステムなのでちょっと驚きであった。


 実は先日もある列車に乗り遅れてしまった。
 (時計が狂っていたことに気がつかず時間を間違えてしまったのである。)
 駅に着いたのが列車の発車定刻の直後だっため、もしかしたら列車の発車が遅れていたら間に合うかもしれないとの思いで、駅員に切符を見せて
「この列車は行ってしまったか?」と質問したところ、案の定「もう出ちゃったよ」との答えが返ってきた。
 ああ、やっぱり駄目か、切符代が無駄になってしまったなとがっくりしかけた。ところがその駅員が立て続けに
「あと1時間後にもう一本あるから、窓口で変更の手続きをしてきてください」と言ってきた。
「ええっ?それはどういう意味?もう列車は行ってしまったよー???」
私は意味が把握できなかった。
いずれにしてもチケットを買い換える必要があるので、駅員の言われるままに教えられた窓口へ行った。
するとそこには改簽(gai3qian1)手続専用窓口というものがあり、どうやら切符の変更手続き専門の窓口のようである。
「何時の列車?」と窓口の担当者が質問してきたので、希望の列車を伝えると何やら処理し始めた。
で、どうやら処理が終了して、機械から出てきた切符を渡され、更になんと、幾らかの返金があった!
「えええ?この返金は何???」
狐につままれたような思いで、切符と現金を受け取った。


 切符を確認すると、どうやら元々の列車が快速列車であり、今回の列車が普通列車であったため設定価格が違っておりその差額の分だけ全額戻ってきたということらしい。

さらに「ん?手数料なし?」

 手数料を取られたらその分の発票を渡されるのがこの国の常であるので、渡されなかったってことは手数料がなかったということである。

 つまり整理すると、今回私の原因で列車に乗り遅れたにもかかわらず、手数料もなしで、列車の変更手続きが出来、しかも私の場合は幸運にも返金があった。
 なんと親切なシステムなのだろう。もちろん高い席を再予約すれば差額分だけとられただろうが、それにしても元の切符が無駄にならないだけマシである。

 しかし一体どういった根拠で今回の処理が行われたのか知りたくなった。

 改めて切符を見てみた。
「指定日の指定列車にのみ有効」とある。これはよく理解できる。
しかし問題は次で「2日間有効」と書いてある。
 指定列車限りと書いてあるのに2日間有効だなんて、これはどういう意味であろう?

 切符の裏を見てみることにした。
 中国の鉄道の切符の裏には乗車規則が書いてあり今まで細かく読んでみたことはなかった。
 それによると、「もし時間通りに列車に乗れない場合、発車前ならキャンセルできる。あるいは一度だけ変更手続きができる」「ケガ、病気のほかは発車後のキャンセルは認められない」とある。
 このあたりの表現がものすごく微妙で、キャンセルに関しては発車前は可能で、発車後は不可能であることははっきり分かるのだが、問題は「変更」に関してで、文章中の「発車前」の条件がどうやら「変更」の部分にはかからないようである。
 あるいは「病気、ケガ」の認定条件が非常にゆるいので、窓口の判断に委ねられており、その判断としてほぼフリーで変更できるという解釈もできる。

 いずれにしても、現状では例え列車に乗り遅れても後続の列車に空席がある限り、切符の表の有効期間内の列車であれば変更手続きが可能なようである。

 他のサイトをいろいろ調べてみると発車後2時間以内に手続きをしなければならなかったり、変更は乗車予定駅でなければならないとか細かい条件がつくようで、また駅や切符の内容や時期によっては対応してもらえないなど、必ずしも一律の条件でも無いようだが、やはり乗り損ねてもすぐに諦める必要はないということである。

 振り返ってみれば、今まで、乗り遅れたと思って手続きをせず無駄にした切符が何回かあった。
 あの時このことを知っていればとちょっと悔やむが、今後は乗り遅れてもあまり慌てることもないことを知っていい勉強になった今回の体験である。



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2010年01月03日 「さだまさし」さんの魅力は母の声?
最近、中国のテレビを見ているうちに、ちょっと思うところがあって「北の国から」のあのテーマ曲が聞きたくなってCDアルバムを聞き返してみた。
「あーあー・・・」というあの曲である。もちろん歌っているのは男性シンガーソングライターの「さだまさし」さんである。
ここで当たり前なのにわざわざ「男性」と断ったには訳がある。
 実は今回この曲を聞いているうちに、歌声が女性のもののように思えてきたのである。
 それも若い女性ではなく、年老いかけた女性で声に苦労を重ねた年月が感じられるようなちょっと濁った深みのある声質の、子を持つ母親のイメージの女性である。
 「結(ゆい)のテーマ」の曲でも同様のハミングが聞かれ、これもとても男性とは思えず、まさに母の声である、というか最近まで彼だと気がつかなかった。

 元々「さだまさし」さんは男性としては音域が高い声質のシンガーであるが、その音域は実は女性の平均的な声域の低いところと重なる。
 この声を以って歌詞を言葉にせず「あーあー」とただ声を発して歌うことにより、声の性別の判別がつきにくくなり、あたかも女性歌手が母の愛を歌い上げているように聞こえるという錯覚に陥る。
 歌詞を歌えば、どうしても元々男女で持っている声域が違うため、男か女かは区別がついてしまうので、スキャットで音域をだけを聞かせていることがポイントであろう。

 実はかの曲を名曲足らしめているのはここにミソがあるのではないかと私は感じた。


 曲のタイトルは「遥かなる大地より」となっているが、「大地」はつまり「母なる大地」であり母親の包み込むような愛がそこに存在する曲である。このドラマもそういったドラマである。故にあまり男性的な声質ではマッチングしないのである。

 ならば男性の「さだまさし」ではなく、女性の歌手が歌っても良さそうなものだが、まあそこもドラマとマッチングした妙味である。
 主人公の「純」の母親役は、不倫離婚の末に途中で他界する設定で、このドラマの中心は父親と3人暮らしで成長する姿である。つまり父親が母親の気持ちを背負って子供を育てているというドラマになっているため、男性である「さだまさし」が母心を歌うというのは一つ道理がかなっている。

 もっとも、本人によるとあの「あーあー」は狙って作ったものではなく、作家の倉本聰さんに呼び出された時に、突然に作詞作曲をやらされたので、即興の曲を仕方なくスキャットで歌ったところそれがそのまま採用になったという偶然から生まれたものである。それがあの大ヒットになるのだから世の中何が幸いするか分からない。


 さらに知識として補足すると、作家の倉本聰さんに作曲作詞を頼まれたとき、本人は九州出身(長崎)の自分には北海道のドラマは合わないでしょうと一度は断りかけたらしい。
 しかし「さだまさし」さん本人は確かに長崎の生まれではあるが、父親や祖父は戦時中に中国大陸を舞台に活躍しており、本人自身もそれを追いかけたドキュメント映画「長江」を作成するなど、家庭環境的にも本人の体験的にも、北海道ではないが大陸の大地の懐の深さを知る人間である。
 北海道と中国の内陸部というのは環境的にも人柄的にも似通う部分はあり、中国のテレビドラマを見てて感じる部分が多々ある。
 そんな生い立ちや環境を知ってか知らずか、倉本さんが強引に彼を指名してあの曲となった。

 こうやって考えると、名ドラマに彼が添えたあの曲は、成り立ちは偶然なのかも知れないが、一ドラマの主題歌という枠を超えて彼自身の声質と祖父の代からの人生のドラマが生んだ必然のヒットのような気がしてならない。
 あの曲を聴くとやっぱり時々胸がじんとする。


こちらで試聴できます。



プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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