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上海ワルツNEW


2010年12月17日 マフラーの暖かさ
ここ数日あまりにも寒くなったので、とうとうマフラーをして外出するようになった。

首の周りがとても暖かい。

 ところでマフラーというのはとても不思議なものである。
今ここで私は「暖かい」と書いたが、実はその暖かさというのは自分の首の体温に由来するものである。
自分の首を自分の首の体温で温めて、自分自身が暖かいと感じる。

よく考えてみると変な話である。

さらにこの暖かさは、温めている部位が首ということで顔や頭に近いお陰か、単に温度的に暖かいというよりも精神的に誰かに優しくしてもらっているようなそんな暖かさである。

 自分の体温で温めて自分で暖かさを感じ、かつ誰も他人が温めているわけではないのに、他人に暖かさを与えてもらっているような錯覚をする。

 そんな効果がマフラーにはある。

 そんな自分自身に自分自身が満足させられているような、何だかナルシスト的なマフラーの暖かさの構図である。
 まあ、だから冬のプレゼントにマフラーが流行るのだろうか?相手のそばにいなくても相手は本人の体温に暖められて勝手に満足してくれるし、それがプレゼントの贈り元の心の温かさだと勝手に感じて錯覚してくれる。

実に便利な代物であるなぁと、そんな想像をしながら今日もマフラーにくるまれて外出する。



2010年11月10日 聯通は番号変更なしで2Gから3Gへ変更可能のようだ
 最近、以前の携帯電話が壊れてしまいやむなく新機種を購入したのだが、今後の業務上の都合も考えて3Gも可能なスマートフォンを購入してみた。
残念ながら流行のiphoneではないもっともっと安い機種である。

 上海駅そばの不夜城ビルで買ったので、カルフールなどでの表示より半額くらいの価格で買えたのだが、ひょっとするとニセモノかもしれない。
 でも現在まで使っている限りでは問題なさそうであり、何より現在の私の携帯契約は2Gであり、3Gへの変更は携帯電話番号の変更が必要だと聞いていたので電話番号を変えたくない私は当面3G通信機能はお預けの予定と思って、今回形ばかりのつもりで3G機種を購入した。
 3G携帯だがGMS網でも使え、電話もショートメールも使えるので何の問題ない。
よってそういう見せ掛けスマートフォンユーザーで当面すごすつもりでいた。

 ところがである。

聯通ユーザーである私は聯通のサービスをいろいろ調べていたら、どうも聯通の携帯電話は、電話番号を変更しなくても3Gへの変更が可能だという情報を見つけた。
しかもSIMカードの交換も必要なしだという。

おっと、これは凄い情報かもしれない。

少なくとも聯通の公式ホームページやGoogleで日本語サイトを検索してみてもそんな情報は出てこなかった。
しかし百度(バイドゥ)でいろんなキーワードで検索しているうちにこういう情報にたどり着いた。
それによると131、132、156の番号で始まる番号は聯通の10010に電話するか営業所に行けば変更手続きをしてくれるようだ。電話番号などが記録されているSIMカードの変更はいらないらしい。

うーん、まさに今の私にうってつけである。

早速電話、、、しようと思ったが専門用語を使った電話での会話に自信のない私は明日にでも聯通営業所へ出かけてたずねてみることにした。
結果については後日改めてご報告するのでしばしお待ちを!




2010年08月04日 人間の存在の希薄さ
日本で今、高齢者の生存確認の件で大騒ぎになっている。
役所の戸籍上は生存しているはずなのにその生存が全く掴めない人がいると言うのだ。
死亡届はあくまで届出制度だから、死んでも届け出なかったり、定期的に連絡をとったり確認を取ったりする人がいなければ、死んだのかどうか把握できないという。

こう考えると人間というのは非常に社会的な生き物であり、そうでなければその存在が非常に希薄であることがわかる。
社会ときちんと結びついていなければその生死すら確認がとれないのだ。

もし仮に私が明日急に死んだり行方不明になったとしても、私は会社という組織に属しているし両親や友人が私のことを知っているから、私の存在の行方を追いかけてもらえることができるだろう。
 しかし逆に言うと、そういう存在が無ければ、もし私が死んだ時に私は死んだことを確認されないかもしれないし、もし行方不明になったとすれば、そのことすら気がつかれないかもしれない。それだけ社会や人間関係の中において自分が存在するのだなぁと改めて気がつかされる。

ところで、こんな人間の存在意義の哲学的問題とは別に、今回の騒ぎの中に一つ見逃せない点が存在する。

それは老齢年金の制度である。

受給者の生存確認をとらないまま30年も支給を続けるとは何たる無様な制度であろうか。

データー移行ミスなどのあれだけの社会保険庁自身の怠慢にも関わらずなんだかんだ支給認定を渋るような事例が聞かれる中で、片方でこのような間抜けな事例が多数発覚するような事態が起きているのは、驚きを通り越して呆れてしまう。
 
 これも恐らく日本の縦割り行政の弊害である。
もし日本の年金制度が老人保険制度などと連動する一本化された制度であれば、年金支給と健康診断をセットにし、毎年定期的な健康診断の受信が無ければ年金の支給を停止するような措置が取れただろうにと思う。

 また今回のケースでは恐らく家族による意図的な不届けによる不正受給のケースがかなり含まれると思われ、杓子定規に言えば彼らは悪いということになるが、今回の制度の不備や日本の高齢者福祉行政の中途半端さ加減を考えれば、黙っていた家族を責めるのもあまりにも酷というものかもしれない。

 高齢者が死ぬまでどう生活するか、生きていくか、そんなビジョンを建てられぬまま高齢化社会を迎えてしまった日本の姿が今現れ始めている。

 いずれ高齢化社会を迎えるという中国は、果たして日本のこの現状をどう見ているのであろうか。非常にきになるところである。


2010年07月26日 ショック!日本語がなまってきた?
どうやら日本にいる日本人から見ると、自分の日本語に中国人訛りが混じり始めているらしい。
 さっき日本からかかってきた電話で日本語が物凄く上手な中国人に間違えられるようになった。

 これはかなりショックである。

 私から言わせると私が変わったのではなく、日本人の発音が変化しているのではないか、、、そう感じるのだが違うだろうか?


2010年07月01日 参議院選挙の在外投票が始まってますね
 ワールドカップの賑わいのなか、すっかり忘れていたが在外投票は既に始まっている。
 国民の権利として投票しないといけないとは思いながら今回は少し投票動機にかけてしまう。
 政権交代が焦点だった去年に比べ、参議院ということもあり日本国内すらもそれほど盛り上がっていないようで、かつここは外国なので、当たり前だがなおの事に日本の選挙で盛り上がるわけもなく選挙期間中という雰囲気はない。
日本にいれば、否が応でも選挙ポスターが目に入り選挙があることを知らせてくれるが、外国のここではそれを伝えてくれるものは何もない。消費税議論もいま目先の話としては上海にいるので関係ないことのように感じてしまう。。
 まあそれが外国にいるということであり、このことが寂しくもあり心地よくもある。

 さてさて思い立ったが吉日、今日の午後投票に行って来ようと思う。

以前領事館の方に伺った話だと、土日は混むらしいので、平日に行ける方はなるべく平日に来てくださいとのことだ。暑い中の行列は難儀だ。




2010年05月26日 美辞麗句
街中で見かけるポスターや電車の中の動画のCMでは、女優さんたちが非常に人工的な笑顔を振りまいているが、私は未だにあれに慣れないでいる。

笑顔が自然じゃないというか、その作りすぎの表情に気持ち悪ささえ覚える。中国の女優さんはどうしてあんな不自然な表情を笑顔として振りまくことができ、またこの社会はあれを受け入れることが出来るのだろうと不思議に思うところがある。

 私は日本時代に芝居をやっていたということもあって、ああいいった表情の作り方には非常に敏感で、自然な笑顔かどうかは見ればすぐ分かる。
笑顔も作りすぎてしまえば、笑顔として伝わらず、結局は表情の美辞麗句となる。

「美辞麗句」とはつまり<巧みに美しく飾った言葉。うわべだけ飾った内容の乏しい、また真実味のない言葉の意。>(goo辞書より)であり、つまりこの場合は笑顔がうわべだけの表情であることがミエミエになってしまうということができる。

 そんなうわべだけの笑顔を投げられても、受け取った方は却って相手の裏ばかりが見えてしまい気持ち悪い。現実との差があり過ぎるのである。
あと何年たったらあの笑顔が自然な表情になるのだろうか、こればっかりは文化かもしれないのでちょっと予測がつかない。



2010年05月19日 万博に行く暇も余裕もない
万博が始まって約3週間が過ぎ、当初心配された入場者の低調もそれなりに盛り返してきて、まあ7000万人の目標はどうひっくり返っても難しそうだが、それでも盛況だとの情報は伝わってきている。
 
 私の方も特別行きたいという程の欲求があるわけではないが、上海にいる限り一度も行かないのは勿体無いと思われそうで、また万博を良く言うも悪く言うも行かないので言うは卑怯であるので、少なくとも一度くらいは足を運ばなくてはと考えている。
 芝居や映画とて、お金を払って見に行くからこそ批評する権利も生まれであろうと考えるのは昔から私の鑑賞流儀で、タダで招待されたような時は何も言わないし言えないので、中身の批評は基本的にお金を払ってみたときだけにするようにしている。
 故に、今回も上海在住の外国人に対してもタダ券が配られるような情報が出ているがとりあえずお金を払って券を買い一回は行こうと思っている。

 とはいえ、以前にも書いたかもしれないが、私は千葉出身ながら地元の東京ディズニーランドにすら行ったことがなく、未だに興味が沸かないような人間なので、あのような人工的に作られた虚構の世界には興味がなく、今回の万博とて絶対に行かねばと思わせるほどの魅力も感じていない。

 ただ、未だに万博に行こうという食指が動かない理由は実は魅力の問題だけではない。


 万博に行こうという計画をまだ立てる気にならない理由はやはり仕事上の問題である。
 周りで騒いでいる人のように、精神的時間的に万博に行って楽しめる余裕がないのである。(本当に詰まらないかもしれないという心配は置いておいて)
 また金銭的な面でも、入場料を含め中で消費する諸費用を考えたら、それなりの費用が必要になりそうなのでそうそう迂闊には遊びに行けないという心配もある。

 もし、この余裕のないタイミングで、あのような人工的建造物だらけの空間に今無理やり行ってもお金を浪費したら逆にストレスが溜まるだけのような気がする。
 緑豊かな自然空間がそこに広がっているのならまだしも、仕事の心配事が頭から離れない今のこの時期に、パビリオンに行列するような時間は、時間の浪費で非常に無駄に感じストレスになってしまうに違いないのである。
 故に今はちょっと万博に足が向かないし、向けられない。

 そういえば、万博の例ではないが、ある上海人の女の子の友人が言っていた。先日キムタクが上海に来ていたとき、ファンだったので見に行こうと思えば行けなくもなかったのだが、仕事を優先していかなかったそうだ。彼女曰く「キムタクより金」だそうだ。どうやら彼女も私と同類のようである(笑)
 
 まあ仕事を全く忘れて万博を楽しめる人が羨ましくはあるが、自分がそこまで「お気楽」には絶対なれないにしても、万博に行けるようになるにはもう少し時間がかかりそうである。
 果たして閉幕に間に合うであろうか?






2010年05月03日 鶴の折り方を忘れていた
先日、ある友人のお店に行った時、店に飾る鶴を折るのを手伝ってくれと言われ、「ホイ来た」と安請け合いをしてしまった。
鶴なんぞ十年以上折っていなかったが、子供の頃さんざん折ったので体が覚えているだろうと折り始めた。

で、対角線で4つ折りにして、そこから展開をして正方形の状態になったまでは良かったが、はたとそこから先が思い出せなくなった。

「あれれ?ここからどうするんだっけ?」、、立ち往生である。
確か細長い形に展開するような気がしたが、どうやっていいのか分からなくなった。
ああだこうだこねくり回してみたがどうにも思い出せない。

こうやって取り組んでみると鶴の折り方を考え出した人は凄いなぁと、こんな状況にも関わらず、昔の人に妙に感心しつつ暫くの間こねくり回していた。
たかが折り鶴のことであるが、外国にいる日本人として、鶴を折れないと何となく恥ずかしい気がして意地になっていた。

するとなんとなくおぼろげに思い出してきた。

こうやって、ああやって、うーん、、、、、、あああ、できた!!
何とかかんとか完成形まで持っていくことができた。が、この間30分近くかかった。
しかも、こねくり回したお陰で紙がぐちゃぐちゃで、しかも折り方が非常に汚くなっていた。


 これではあかんともう一枚紙をもらって再挑戦し二つ目は今度はそれなりに綺麗に折ることができた。何とか面目躍如というところである。

うーんそれにしても人間の記憶とは悲しいものである。子供の頃あれだけ折ったのに忘れてしまうなんて、
 しかも中国では折鶴には愛情表現の意味があるようだから、それを忘れていた私はつまり、、、そういうことになってしまう。
 まあ今回思い出せて良かった気がするが、今後も忘れないようにしないといけない、いろんな意味で、、、。


2010年05月01日 盛り上がってないなぁ・・・
テレビでの中継とは裏腹に、万博会場から離れた私の家の近所では、万博開幕なんぞどこ吹く風と今日も日常の風景が広がっている。

 昨日の開幕式中継も、途中でちょっと家の外へ出てみたが、窓の外からチラ見える他の家のテレビも、ドラマなどを見ている家が多く中継を見ている人はわずかだった。

 春節の花火と比べれば盛り上がり方は雲泥の差である。もちろん安全上の理由から爆竹は禁止されたのかも知れないが、それにしても近所は静かだった。

 まあ市民から見たら万博などは期間限定の遊園地のようなもので184日間の会期中に1回見に行けばいいというスタンスなのかもしれない。

 この盛り上がっていない風景に、上海に暮らす私としては逆にすこぶる安心した。
 
 お祭りはお祭りとして否定する気はないが、お祭り騒ぎは会場だけで十分なのである。会場に行ったときだけ楽しめればよく、日常の生活まで入り込んできて欲しくない。

 それにしてもこの静か振り、意図的な面もあるかもしれないがどうも主催者の旗振りほど万博に対しては盛り上がってない気がする。

 この様子では入場者目標の7000万人はおろか、5000万人も危ういのではないか? 7000万人の目標を達成するにはコンスタントに毎日40万人平均の入場者数を必要とするが果たしてどうだろうか?

 リハーサルで20万人でキューキューだった会場に40万人入るかもしれないと聞いたらそれだけで個人的には行きたくなくなる気がする。


 そういえば上海人の友人の家族でさえ、万博の喧騒を嫌ってこの期間は香港に旅行をして上海から逃げ出していることを思い出した。結局そういうことなのである。


2010年04月30日 特に上海が好きなわけではない
 上海生活が長くなっていると、時々人に「上海が好きですか?」と尋ねられることがある。
 実はこう尋ねられるとちょっと答えに窮する。
何故ならば、上海を好きとか嫌いとか感情的な理由でここに住んでいるわけではないからだ。
まあ嫌いでもないが、特別この街を気にいって住み始めたわけでもない。

 個人的理由や、仕事上の理由、経済の趨勢その他によって、たまたま選んだのがこの上海という町で、中国という国の文化その他に魅力を感じてここにいるわけでもない。
 それが証拠に、確か以前も書いたと思うが私は三国志にほとんど興味がないし、その他中国の伝統文化や4千年の歴史にも興味があるわけでもなく、また今後も興味を持ちたいという気にはなっていない。また逆に発展の様子を見るのが好きだというほど物好きなマニアでもなく万博を楽しみにしていたわけでもない。

 確かに日本人にとって上海は住みやすい町になったし、時間が長くなるにつれ、それなりに愛着は出てきたが、じゃあ上海にずっと住み続けるのか問われれば、現時点では私はあまり明確な答えをもってはいない。
 特に上海の夏の暑さは非常に堪え、今でさえ夏の間だけでも大連などの東北に移り住めないか真剣に考えている。つまり、仕事や都市生活の環境が整えば別に上海でなくてもいいのだ。

 でも今は上海にいて、上海の街の中で仕事をしている。まあ敢えて言えば上海での仕事は日本の仕事よりやりがいがあるということになる。


 実は私のような日本人は結構多いのではないかと思う。上海に10万人いるといわれる日本人だが、本当に上海が好きでここにいるということではなく、世の中のビジネスの潮流で上海に流れ着いたり派遣されたりして、長らく上海にいることになってしまったような人が大半のような気がする。

 もちろん、外国であるので大陸の気質と合う合わないが必ずあり、水が合うと思った人間が残っているのだとは思うが、まあいずれにしろビジネス的な理由が主たる滞在理由であり、それが失われてしまえばここを去ることになるであろう。

 きっと私もそんな一人であるが、まあ今の上海の勢いを考えれば、この街を離れる
日が近いとは考えにくいのものまた事実である。

 されば、ここにいる時間を何とか楽しいものにしたいというのが目下の生活の目標
となるしそう思って生活している。



プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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