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2011年05月29日 国産にこだわったため人気が落ちたキリン生茶
今日は紹興のお茶工場に見学に行った。
そこで茶に関する各種いろんな専門話を聞いたのだが、その中で一番興味深かったのが日本のキリン生茶の話。
 この商品の発売当初は中国産の茶葉も使っていたが、数年前から中国産食品に対するイメージが極度に落ちたため、茶飲料に使われる茶葉も例外ではおれず、国産茶葉100%に切り替えたのだが、そのために従来の味が保てず人気がなくなったとのこと。
 そういえば日本のこのキリン生茶、私も発売当初は非常においしく感じ好んで飲んでいたが、最近、、、といってもしばらく前ではあるが、生茶を飲んでもそれほど香ばしさを感じず、渋みだけが目立ち、以前ほどおいしくないなと感じた印象のときがあった。
 これは単に自分の思考の変化や慣れの問題だと当時は感じていたが、今になって現実に途中に茶葉の切り替えがあったのだと聞くと納得するものがある。

 まあ当時の日本人の中国食品に対する嫌悪感や警戒感はすさまじいものがあり、(もちろん今も決して安心できる状況とはいえないが)その影響で本来なんの品質の落ち度は無かったであろうこの中国茶葉にまで風評被害が及び、国産茶葉100%にこだわらざるを得なかったことはある意味しかたないことだとは思う。
 しかし、これによって味を保ち切れなくなったメーカー側の開発者の心境を察すると、結構気の毒なものがある。
 これは形としては風評被害を事前に回避したケースであるが、その後実際に売り上げが落ちたとなるとこれも結果として風評被害の一種と言えるのではないだろうか。

 まあ震災後、福島原発の影響で風評被害のニュースは絶えないが、今回のキリン生茶のケースのように、直接表面に出ない形での風評被害も実は世の中にたくさんあるのではないか、そう感じた今回のキリン生茶の話であった。



2011年05月26日 フルオート事業システム幻想
 事業や経営を行う人なら恐らく誰でも持ったことがあるのだろうと思われるのがフルオート事業システム幻想。

 つまり、いったんシステムを作り上げてしまえばほとんど手をかけず、システムが自動的に利益を稼ぎ出してくれる事業形態のことである。
 まあ、確かにそんなシステムを築き上げられれば後は非常に楽で手間もかからず、経営者的には理想の形態である。
 経営者達がこれを理想と考える裏側には、「人を雇うということはコストも手間もかかるし、うまくいかないリスクも抱え込むことになる」などのそういった人に対する煩わしさから、「機械の正確性のほうが信用性が高い」というところに意識があるのだと思う。
 故に人の手を極力省いたシステム、究極的には事業そのものをフルオートメーション化したシステムを構築できれば、あとは全て利益になるのではないかと理想を抱く。

 しかし、そういった理想は結局幻想でしかないというのが人間の世の中だというのが私の考え方だ。


 まず第一の理由として、そのシステムが儲かるのなら必ず同じものを作ったり、それ以上のものを作る人が現れ、結局は人の手を入れなければ競争に負けてしまうこと。つまり余ほど真似のできないようなオリジナルの技術があったり、特許で保護されているものがあれば別だが、そうでなければシステムは作った瞬間から常に競争にさらされることになる。
 第二に人が働く部分をどんどん機械に置き換えていったところで利益をもたらしてくれる相手は機械ではなく、それは結局人間にほかならず、その人間の社会というものが常に不安定なものであるが故に、永遠に同じ動作で動くものは人間に飽きられてしまう可能性があるということ。

 結局は人が事業で儲けるためには、常に人が働きそこに日々常に新しい価値を注入し続けることが必要で、そうでなければ実は進化が止まることになり、世の中が絶え間なく進化している分だけこちらが歩みを止めた時点から相対的に退化していく存在になってしまうのが人の社会というものである。

 であるが故に、人がプログラミングした範囲でしか動作しないシステムだけを、いくら高度に積み上げていったところで永遠に利益に稼ぎ出してくれるシステムにはありえないのである。
 もちろん、ならば永遠に価値を生み出してくれるようなシステムなどという幻想もまた生まれなくないが、新しい価値とは既存の物事を推し量るパラメーターでは計れないところに出現するから新しい価値なのであり、それを永遠に追いかけることはその時代の社会に生きる人間だけが成しえる業であり、たとえ3年でも5年でも過去になってしまったものの中からは生み出しえないものだと思う。

 そう考えていくと、やはり人がいるから価値が生まれ、事業というものが回るのであり、表題に掲げたフルオート事業システムなどは絵に描いた餅に過ぎず、やはり幻想なのだと思う。



2011年05月17日 眠気覚ましにはコーヒーより音楽
 先日やらなければならない仕事があるのに、どうしても眠いというか頭がボーっとして作業が手に付かないときがあった。
 そんなときはコーヒーを何杯飲んでも駄目である。多少目が冴えているのかもしれないが、普段から飲みすぎている自分には耐性が出来ており(いやだなぁ)、すでにあまり効かなくなってきている。
 こんな時、実は効果的なのは音楽を聴くことである。

 歳を重ねてくると体力もさることながら、実は衰えているのは気力のほうだったりする。そこでまず物理的な眠気覚ましより気力を回復することを優先させることを考えるのである。つまり音楽によって気持ちの内側から体を覚醒させる。

 音楽を心に聞かせて気持ちを揺さぶり、心が反応すればもうこっちのもの。あとは音楽に心を委ねて気持ちをシンクロさせていけばいい。それにより驚くほどの効果が現れ体全体が目覚めてくる。

 先日もコーヒーではどうにもならなくなっていたときに、やはりヘッドフォンで音楽を聴き始めた。
 するとばっちり効果覿面で、気力が見る見る回復し、そこから2時間も集中し続けて仕事をすることが出来た。お陰でその日の仕事も無事終わった。
 元々音楽好きの自分とはいえ、改めて音楽の、そして人間の心の凄いパワーに驚かされた。
 「病は気から」という言葉があるとおり、実は「体は気から」エネルギーを獲得するのだと思う。そんなとき有効なのがやはり「音楽を聴くこと」のようだ。

 ただし目覚ましの音楽だからといって決して激しい曲である必要は無く、心を開ける本人の好きな音楽であることが重要だと思われる。

 今後は眠気覚ましにはまず音楽を聴く、それはきっとコーヒーより体にも優しい。

 でもこの手法、実は職場ではなかなか使いづらい、うーん残念だ(笑)





2011年04月05日 災害を商売広告のネタにしない姿勢
先日、あるマンションの管理側の方とお話する機会があった。
その方によれば、上海は災害とかの被害は直接何も関係ないが、やはり日本の自粛ムードをを感じ取り、マンション内の主だったイベント系のようなものは全て中止したのだという。
そして当面は淡々と通常の業務を行うだけだとおっしゃっていた。
 私は、ならばチャリティを主にしたイベントを行なったらどうかと会話の中で提案してみたが、それはそれで売名行為のようで、やはり日本人の中にはこころよく思わない人もいるかもしれないということで、募金などほんの一部の一般的な対応を除いては特にイベントを実施する予定はないとおっしゃっていた。

私はこの姿勢にエラク感服した。

世の中には、支援活動の名の下に、広告宣伝活動を活発に行って、売名行為とも思えるような企業や個人も少ない中、こういった慎ましい姿勢には凄く感心する。

企業はもともと営利で成り立っているのだから、企業が社会奉仕活動を通じて、企業のイメージや存在意義を高めていくことは決して責めるべきことではないはずだが、そこには意図的、無意識に関わらずどうしても「偽善」「売名」という印象が付きまってしまう。
 そこをきちんと理解して割り切って、災害を商売広告のネタにしない姿勢を貫くこのポリシーは凄いなと思ってしまう。
災害を商売広告のネタにしない姿勢を見せることで、顧客の信頼を損なわないようにするとはいかにも日本的対応である。
日本人として、日本人と仕事をするにはこういう姿勢は是非見習わなくちゃいけない。



2011年02月03日 去年は疲れた
春節を迎えて中国の新年を迎えた。
振り返れば昨年はとっても疲れた一年だった。
中国にいることが疲れたのではない。
中国の悪いところに染まった日本人にとっても疲れたのである。

ある友人と飲んでいるときに話したことだが、10年以上中国にいて中国語が達者で中国にどっぷり根を下ろしているような日本人にロクなやつがいないという話になった。
 中国人のいいところを吸収すればよいものを、悪いところばかり染まってしまっているという。そのくせ本人は日本人の良識を持っているつもりでいるらしいから性質が悪いらしい。もちろんそんな人が全てではないが中国歴が長すぎる人は要警戒なのだという。

 悪いところを認めたり反省したりせず言い訳ばかりがうまく、かつ力のある人に擦り寄るのがうまいので、一見外面はよく映るらしいが中身はもう日本人とは呼びたくない状況らしい。そんな奴に限って「中国で活躍する・・・」などと日本で評価されてしまうようだ。
 まあ逆に最近では田舎の人はともかく庶民レベルでは上海人やその他の中国人のほうがそんな日本人たちよりよほどフェアで、人の良いひとが多い気がする。
 
 まあそんな状況にちょっと疲れた去年であった。

 せっかく新しい年が始まったので、少し気分を入れなおして今年こそ飛躍の年であるよう頑張ってみたい。 



2010年11月28日 IT化を支える奴隷的作業
中国でも最近新聞でITという言葉が踊るようになったが、記事を読んでいるとどうもITの本質を理解していない記者が多いことに気づかされる。
IT、つまりインフォーメーションテクノロジーというのは、情報を電子化することにより、情報を多くの人間で共有化し、必要なときに必要な情報をよりきめ細かな形でいつでも引き出せる、そういった意味で素晴らしい技術だ、、、と多くの人は理解している。
まあこの意味では、ITへの理解は確かに間違っていない。
しかし、そういったITのよい面だけを夢のように語る人間は、ITを支える仕組みを到底理解しているとは言い難いと感じる。

ITは、情報を引き出す部分だけをみれば確かにスマートに見えるが、当たり前のことだがITというのは魔法でもなんでもなく、単なる情報整理の技術でしかないので基本的にはインプットしたものしかアウトプットできない。
もちろん情報さえあればそれをいろんな角度の切り口で切り出すことは可能だが、とにかく電子化された情報がなければ情報を整理して、エンドユーザーがアウトプットを引き出すことができないのである。


 つまり電子化された情報を引き出すには、情報を電子化する作業が必要になり、よりきめ細かな情報を提供するには、よりきめ細かな情報のインプットが必要になる。
その情報に要求される「きめ」が細かくなればなるほど情報量は膨大になり、それをインプットするための膨大な作業が必要になる。
しかもルールを守ったデータ投入が行われなければ、正しい情報も出てこない。 
故に実はそのスマートさを生み出すためには舞台裏でものすごい努力が必要になるのである。
 例えばこれらを人力でこなすためにはそれこそ奴隷的ともいえる情報処理投入作業が必要になる場合もある。業務をIT化すれば業務が楽になると考える人もいるようだが、実はそれは大いなる勘違いであり、むしろ業務量は増える場合が多いと考えて間違いない。
 つまりITという技術は、その技術を生かすためのより多くの情報を必要とするため、それを収集投入するためのコストが必要となる。
 逆に少ない情報に対してIT化コストをかけても意味が無く、大量の情報があるからこそIT化が必要になるともいえるので非常に厄介である。

 故にITをビジネスとして導入しようとした場合は、技術構築の部分のみならず、情報投入の部分に膨大なコストや手間がかかることを忘れてはならないのである。
 そこを忘れてシステムを導入するだけで、IT化が進むと考える人がいかに多いことか?
さらにiPhooneのようなエンドユーザー端末、つまり情報を引き出す側の技術を手にしただけで、ITが分かったように語る人の姿は非常に滑稽だ。

まあ技術の進歩そのものは私も否定するものではないが、あまりにも「IT」という言葉に踊らされて魔法のように感じている人が世の中に多いということに危惧せざるを得ない。
何事も同様だが、スポーツ選手や映画俳優など、素晴らしい結果を見せる人の裏には、そこに辿り着くために他人以上の努力の時間の存在があり、IT技術もその例外ではないのである。


2010年11月01日 結局見なかった万博
とうとう昨日で万博が終わった。
結局上海にいながら見ずに終わった。
まあ厳密に言うと、会場内にはほんの一瞬だけ仕事がらみで入園したので、カウント上はあの7300万人の中に含まれるが、実際滞在したのは1時間半程度で、パビリオンはひとつも見ていない。
もともと万博に特別期待感を持っていたわけでもないし、人ごみも好きではなく、それほど行きたいという欲求はほとんどなかったが、結局閉幕までゆっくり見に行く余裕がなかったから行けなかったというのが本音である。

 今年の春から非常勤となった同僚があまりにも安易に仕事に穴を空けるのでそのフォローに追われ、かつその穴の影響をモロに被ったというところであろうか。いいわけにしたくないが自分の仕事もどうも最近覚束なくなった。
もちろん、この半年間のどこかで時間を切り詰めれば何時間かの入園時間ぐらい捻出できたのかもしれないが、とてもあの会場内で何時間も無駄にして行列に並ぶような精神的な余裕は生まれなかった。

 まあ万博なんぞ所詮お祭りごとなので、特に行けなかったという後悔はないが、平気で他人に尻拭いをさせる同僚に猛省を促したいと思うことしきりである。

 もっともそういう人間は、どこへ行っても結局同じ行動するので、いずれどの社会からも干されると思われ、私が直接何か言う必要も無く、故に今はぐっと言葉を飲み込んでいる。


2010年10月11日 かみ合わない日本と中国の休日
9月下旬から今日にかけて、どうも日本と中国のカレンダーがかみ合わない。故に両方の国が営業日である日が、この3週間くらいの間は数えるほどしかなかった。

以下に書き出してみた。
9月
18土曜日
19日曜日
20日本・敬老の日(中国は出勤)
21は両国とも営業日
22中国・中秋節(日本は出勤)
23中国・中秋節 日本・秋分の日
24中国・中秋節 (日本は出勤)
25土曜日(中国は出勤)
26日曜日(中国は出勤)
27~30 は両国とも営業日

10月
01中国・国慶節(日本は出勤日)
02土曜日
03日曜日
04~07中国国慶節(日本は出勤日)
08 は両国とも営業日
09 土曜日(中国は出勤日)
10 日曜日
11 体育の日(中国は出勤日)
12~ 以降は当面同様のカレンダー

 こうやってみると、この3週間で重なった営業日は9月21日、月末の4日間と10月8日の計たった6日間だけ、実に30%以下である。この噛み合わなさ加減は今の日中関係を象徴するがごとく噛み合わない。
 この状況は日中の間で仕事をしている私にとってはお世辞にもあまりいい環境とはいえず、毎日常に日中のどちらかの状況に振り回され、確かにこの3週間は気が休まる日がなかった気がする。特に中国の土日の出勤の多さは1週間をリズムとして仕事をしようとしている私にとってはちょっと困ったものである。

 明日からようやく両方の国のカレンダーが一致する。どっちかの国が出勤日であった場合、休みが休みモードにになれない自分にとっては、早く平穏なリズムが戻ってくることを祈りたい。
 


2010年09月30日 ブログ書く暇があったら仕事しろ
 以前もこのブログに書いたが、鹿児島県の某市の有名なブログ市長の周辺が紛糾している。議会に鍵をして立てこもるなど、もうおよそ末期症状といえるような様相を呈している。
 この市長、ブログでは何やら立派な意見を述べているらしいのだが、私には結局はブログでしか自分の意見を述べることのできない、社会的にチープなコミュニケーション能力しか有しない人物のようにしか写らない。

 しかも人と面と向かって満足なコミュニケーションが取れないのであるから、人として市長として満足な仕事をしているとはとても思えない。

 彼のブログがどれだけ社会的に認知されているか知らないが、今の日本の行政の仕組みの中ではブログはブログでしかなく仕事ではない。市長としての仕事は議会や市役所など公式な場で行われるべきであり、ブログを通して何か言ってもそれは私人としての発言に過ぎなく市民へ発信した形にはならないのである。それを業務連絡のように本人が捉えているのだとしたら勘違いも甚だしいところである。

 人を取りまとめる一組織のリーダーたるもの、組織とのコミュニケーションが取れずして組織をまとめるなどありようはずがなく、この市長のやるべき仕事はブログに一方的に自分の意見を書き殴ることではなく、自分に反対する者とコミュニケーションをとって相手の意見に耳を傾け、自分が正しいと信じる方針を粘り強く訴えていくことであろう。そのためにはブログなど却って邪魔なのではないか?ブログを書く暇があったら市長としての仕事をしろといいたい。

 まあ意見が通らないからといってコミュニケーションを拒否して立てこもってしまうような人物では、市長どころかどんな仕事も向かないであろうから、まずはブログを捨てて社会と一から向き合うことをお勧めしたい。そんなブログに頼られたコミュニケーションのままでは周囲が迷惑だと思う。



2010年08月20日 業務改善は技術より意識
 最近、アプリケーションソフトの会社やコンサルト系の会社から売り込みの電話を受けたりするのだが、大体はあまり話を聞かず断わっている。

 もちろん費用が発生する話であるから財布を心配して渋るという理由もあるのだが、理由はそれだけではない。

 彼ら営業の話は、そこに有用な話が含まれていたり、世間の動向を伝えてくれたりするので、情報を仕入れるという意味では話を聞いたり、会ったりする事は決して無駄なことではない。
 しかも彼らが提案する内容が実現すれば、それなりの業務改善が出来るのであろうと思える場合も少なくない。

では、何故断わるか?

 実は日本の会社にいたときも、今の会社になってからでも状況を好転させるための無数の仕組みや制度などを取り入れてきた。しかし見られた効果はごくわずかだった。

 それは何故か?

実は優れた仕組みのソフト、システムを取り入れたにも関わらず、それを使う側の人間の意識が低く、その新しい制度や仕組みを面倒くさがって活用しないからである。
それがきちんと活用されていれば、それなりの効果があったはずであろうと推測されるにも関わらず、ほとんど活用されずに効果もそこそこに終っている。

 つまり彼らの提案が悪くないものであっても、それを活用する人間の意識が低くければ、結局は宝の持ち腐れになる。

 しかも制度や仕組みを準備した苦労の分だけ骨折り損になっている。

 もちろん、取り入れた制度やシステムに使いにくい部分があるというのも一つの要因かもしれないが、活用して業務を改善しようとし意識が高ければ、その使いにくい部分を改善しようとするに違いない。その意見が出てこないということは結局は活用の意識が低いということにほかならない。

 にもかかわらず、そんな技術を活用しきれない人に限って、さらに業務改善のプレッシャー受けると技術的な部分に答えを求めようとする。
 でもそれではやはりうまくいかない。

 そんな事例を沢山見ている。
だから敢えて、新しい提案はとりあえず断わる。
意識が追いついていなければ無駄金になるからだ。
そんな金を払う前にやるべきこと、やれることは幾らでもある。

業務改善は技術より意識の問題である。






プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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