TOP > BLOG > 上海ワルツNEW

上海ワルツNEW


2013年05月12日 宋丹丹さん
 先日からちょっと見始めて止まらなくなった中国のテレビドラマがある。

「老米家的婚事」という、北京を舞台にしたドラマで女優の宋丹丹さん扮する主婦たちが、娘2人と妹の婚姻を巡ってドタバタを繰り広げるといった内容のドラマ。

 今回の放送は昨年作成されたものの再放送のようで、最近の中国ドラマには珍しく、暴力や次々に人の生死が絡んでくるような過激すぎる展開は全くなく、結婚を巡る人と人の関係の色んな面を見せてくれる日本のNHKの朝の連ドラのようなヒューマンドラマとなっている。

 主役となっている家族は胡同の北京独特の四合院形式の家に住んでおり、架空のドラマでありながら、あたかも本当にこんな家族がいるんじゃないかと思わせるような雰囲気が漂い各俳優たちの演技が見事にハマっている。

 特にドラマのキーマンとなる宋丹丹さん扮するお母さん役の女性は、肝っ玉母さんのような「強い母の姿」を見せてくれ、一生懸命に子供や妹のために、本気で怒ったり喜んだりしており、そんな姿にドラマを見ているこちらも引き込まれていく。

 本人にも実際20歳を過ぎた子供がいるようだが、まあ母として生きる女性とはかくも強く生きているのだと、驚きを持ってその魅力に見せられている。

 最終回までまだ10話ほどあるようだが、この強い「母」が最終回にどんな表情を見せてくれるのか楽しみで、最後まで見届けたいと思っている。

 そう、今日は母の日ですね。

 私も早く恩返しをしないといけないが、まだ実現しないでいる。

ブログランキング・にほんブログ村へ






関連ページ娯楽関連情報

2013年05月09日 腕の炎症
 最近ちょっとパソコン作業が多いせいか、腕が炎症気味で痛みを発している。

 腱鞘炎とはちょっと場所が違い、右腕の肘より少し先の部分の外側の筋肉が痛む。

 かつては腱鞘炎になったようなこともあったかもしれないが、最近はそこは痛くならず、この腕の筋肉の部分に疲労というか、炎症がやってきて時々痛くなる。

 痛くなった時は結局、腕を揉むというかマッサージをするほかない。

 もちろん湿布などをしてもいいが、場所が場所だけに腕まくりして見えるのも恥ずかしいし、揉むだけでかなり和らぐので湿布には頼らず過ごしている。

 他の人の話やネットで調べてみても、腱鞘炎や肩の痛みに苦しむ人の話はよく聞くが、腕の同じ部分が痛いという話はあまり聞かない気がする。

 まあ私のキーボードタイピングは自己流で、普通の人とは違うところに変な力がかかっているのかも知れず、痛くなる場所も違うのかも知れない。

 もう数十年このスタンスでキーボードを打っているものだから、スタイルは変えられないと思うし、パソコンをいじる限りこの痛みと付き合っていくしかないのかなぁという気がしている。



2013年05月09日 衛生観念の格差
 先日ニュースで流れていた偽の羊肉事件の記事を読んで、今回ばかりはさすがにショックが大きかった気がする。
 特に、ネット上に上がっていたネズミの写真のインパクトが強く少々トラウマ気味になっている。

 まあ私自身は、普段から衛生観念についてそんなに厳格ではないためローカルの食堂で食事をすることなどはそれほど抵抗は無く、実はかつてあった地溝油の事件などについてもそれほど強いショックを受けてはいなかった。

 地溝油には発ガン物質が含まれているという噂もあったが、中国でなくても食材に発ガン物資の混入を100%避けるのは難しく、神経質に気を付けたところで限界があり、見た目の調理上では分からないということで気にすることもしなかった。

 それに、上海の街に住んでいると、少なくとも現地の中流階層以上の人は日本人にほぼ近い衛生観念を持っており、そういう人たちの中で生活している限りではそれほど食生活に不安を感じなかったのである。

 ところがそこへ今回の事件である。

 今回の偽羊肉事件の発覚には上海市民たちも驚きは隠せないようで、連日ニュースで紹介され、日常の食生活に様々な不安を巻き起こしている。

 ただテレビの報道などを見ていると、上海市民の驚きとは裏腹にこういった事件を起こしている地方の人々にはどうも悪いことをやっているという感覚に乏しいような雰囲気が伝わってくる。


 寧ろ、キツネやタヌキ、ネズミの肉から高級な羊肉モドキを作れるようになったのは発明として喜んでいる様なフシさえある。

 さらに添加物についても万が一体調が悪くなっても都会は医療が発達しているから大丈夫なんでしょ?といった開き直りの感覚もあるように見える。

 福建で起きた病死豚肉の横流し事件も、普段は自分のところで豚肉を食えない畜産農家は豚が病死すると肉が食べられると喜ぶような衛生観念土壌があり、それを法律で危ないからと規制したところで、結局は勿体ないとして食べたり売り裁いたりしたのが今回の事件である。

 特にこの事件では公務員に該当するような立場の人が事件を起こしており、公務員であっても人としてのモラルは、現地レベルということになるようだ。

 最近になってようやく上海や北京などの都会のモラルなどは世界標準に近づいてきたのかなという印象はあるが、一歩都心部を離れれば世界標準には程遠い常識がまかり通っているのがこの国の実情である。

 まあことほど左様に中国という国の中には、経済格差と比例するように衛生観念の格差やその他の考え方の格差があり、それが同じ国の中で一つの市場として繋がっているところにこの国の怖さがある。

ブログランキング・にほんブログ村へ





2013年05月07日 嘘くさい文章
中国に来てからよく中国人の友達の履歴書など日本語チェックを頼まれる。

 その場合、意味の通じにくいところだけ説明して修正してあげるが、本人が書いた大筋は崩さず、ぎこちなさを残したままの文章で本人に返してやる。

 もちろん、こちらは日本人なのでもっと流麗な文章に直してやることも可能だが、そこまでやってしまうと、ネイティブが書いたようになってしまい嘘くさい文章になってしまうからである。

 もちろん本人にそれに近いだけの能力があれば別だが、残念ながらそこまで実力が無いのに流麗すぎる日本語の履歴書を先方に提出しても、後からがっかりされて恥をかくのは本人なので、あまり下駄を履かせすぎるのはよくないと思っている。

 まあ日本人の人事担当者の中には履歴書くらいは例えマニュアルを真似てでも綺麗な日本語を書いてくるべきだと考える人もいるかも知れないが私は全く逆である。

 私が日本で人事の仕事をやっていたときは、マニュアルそのまま的な文章を書いてくる奴がとっても嫌いで、テクニックばかりに走ってて、本人の中身が見えてこない気がしたのである。

 逆に言葉にぎこちなさがあっても、懸命に書いてきたような文章のほうが好感を持てていた。

 ただ当時の私には採用裁量権までは無かったので、私の意思で実際に採用を決めたりしたことは無かったが、上司の判断とはそんなに違わなかったような気がしている。

 そういえば先日某タレントが、部屋の大家でもあった大御所の女優に家賃滞納の詫びの手紙を送ったが、女優側が「自分の中から出てきた言葉というより、人に書けって言われたから書いたような手紙が来ました。」と反応したことがニュースになっていた。

 やはり型通りの綺麗な文章というのは、人の心に届かないということのようで、必要なのは言葉や型ではなく、伝えたいと思う本人の気持ちの様だ。

 もちろんビジネス文章と手紙の文章では、多少事情が違うと思うが、読むのが人である限り、型どおりの嘘くさい文章より、本人の心が現われているぎこちない文章のほうが読む人にとって気持ち良いものだと思っている。


ブログランキング・にほんブログ村へ





2013年05月07日 火星に人は居住できるか?
 先日、上海の地下鉄の車両内のモニターを見ていたら、今後宇宙開発が進めば火星に人が移り住む時代がやってくるかもしれないようなことが放送されていた。

 日本でも昔はこういった番組が頻繁にあったような気がするが、現在では宇宙ブームなんかはとっくに過ぎ去り、子供向けの雑誌はともかく大人の話題の中心に宇宙が語られるようなことは少なくなった。

 しかし宇宙開発が現在真っ盛りの中国では、しばしばこういった映像がテレビなどで流れている。

 私も子供の頃は宇宙に大変興味を持っていたこともあり、そんな時代を思い出すこれらの映像はとても楽しい。

 ただ、大人になると知識が増えてきたお蔭か、こんな夢のような火星移住計画に対して、否定はしないまでも別の視点も持つようになる。

 それは社会的な視点である。 

 まあ今後の科学技術の発展により、人間が宇宙空間や火星などで暮らすための空気や水、食料などの問題はいずれ解決されることだと思っている。

 しかし、それだけでは宇宙空間で生存可能な状況が整っただけで人が生きていく条件が整ったとは言えないのである。

 ここで考えるのはまず生活をするコストなどの問題である。

 宇宙ステーション建設のための費用は度外視したとしても、そこで人が生活し続けるためには生活を続けるための糧を得る手段、つまり産業が必要になる。

 果たして全てが人工的に作られた空間となる宇宙ステーションの中で、そこで暮らす人が生活の糧を得るための産業構造などが成立しうるのかという問題になる。

 そこで産業が成立しなければ、宇宙ステーションは永遠に地球などの外部からの支援を受け続けることになり、果たしてそれが人の生活する社会空間として成立している状態といえるのかということになる。

 そしてこれらに関連する第2の問題が、宇宙ステーション内に社会が成立しうるのかという問題である。
 「人はパンのみにて生きるに非ず」の言葉の通り、人の心が宇宙ステーションの中で生活し続けることに耐えられる状態を作れるのか?という疑問が湧く。

 人間として生き続けるということは、生きていくための夢を持つことが必ず必要になり、宇宙生活の空間の中でも人はその夢を持たなくては精神的に生きていけない。

 また人間は生身の人間であるが故に恋愛をしたり結婚したりして子供も生んだりするが、その逆の失恋や嫉妬などのコントロールしきれない感情や欲望もあり、人間の社会であるからには犯罪や争い事は必ず起き、これらを限られた宇宙社会の中で、内包するのは非常に難しい問題だと思う。

 さらに感情を持つ人間にとっては、酒場や盛り場などの心を開放するある意味いかがわしい場所の存在も必要悪であり、それらを宇宙ステーションの中の社会として内包して成立させることが許されるのかなどなど、人が社会的な生き物であるが故に解決しなければならない問題が沢山あるような気がする。

 まあ、こんなことを考えると夢のない大人になったような気もするが、技術的にはいずれ実現しそうな火星移住だからこそ、危惧するこれらの問題である。


ブログランキング・にほんブログ村へ





2013年05月06日 脳の休ませ方
 仕事上で頭が煮詰まっている時には頭の思考を一旦止める時間を持つ方がいいのだが、日常の生活の中ではなかなか寝る以外に脳を休める方法がないと思っていた。

 が、先日あるストレスドッグのセミナーでいい方法を聞いてきた。

 まあ完全に受け売りになってしまうが、結構効果が有ったので紹介したい。

 方法としては実に簡単で、目をつぶって手のひらを内向きに合せて、約1ミリの間隔を30秒なり1分なり保つ。

 この1ミリの間隔というのがミソで、つまりくっつけてもいけないし、離してもいけないので、掌や指先に神経を集中させざるを得ない。 

 そうすることにより指先に神経が集中され、頭の思考が一旦停止し脳が休めるのである。

 何分も長い時間やることはないが、1分くらいやるだけで脳は相当休めるし、リフレッシュした後の再スタートは頭がかなりすっきりしている。

 これを教わって見て、いつぞや体験した気功なども恐らくこの原理を利用したものだと気が付いた。
 気功やヨガがリラックスできるのは身体に神経を集中させることにより脳を休ませることができるから、体にいい影響があるのだと思われる。

 つまりあのポーズや呼吸法は脳への働きかけに意味があり、ポーズや呼吸法だけを真似てみてもあまり効果がないのではないかという気がする。

 また私が推奨する好きな音楽をガンガンにヘッドフォンで聞くという方法も、やはり脳の活動領域の中心を移動させることによって、熱くなって混乱していた脳の一部分を休ませる働きがあるのではないかと思っている。

 いずれにしても、思考に疲れた時は時々脳を休ませてあげたほうが、作業などを進める上で効率的であり、詰め込み過ぎは良くないなと感じる今日この頃となっている。

 

ブログランキング・にほんブログ村へ





2013年05月05日 日本人として当然はいつからか?
 時々聞かれる「日本人として当然」という言葉。

 礼節から始まって、日の丸や国歌、天皇制との向き合い方の問題まで幅広く言及される「日本人として」という言葉だが、実はその具体的なイメージが作られたのはいつの頃かというのが最近非常に気になった。

 全てにおいて大きな転機になったのは、やはり明治維新以後の明治政府の政策による誘導が大きい。

 江戸幕府によって治世が行われた頃の日本は、現代の尺度から見れば全く問題が無いとは言えないまでも非常に安定したものがあったが、鎖国という特殊状況が故に進歩も遅れ、世界から遅れた状況になっていたのが幕末の状況である。

 それを軍事クーデーター的に天皇を担ぎ上げて政府を作ったのが明治政府で、尊王討幕の言葉の意味合いからすれば武力政権(江戸幕府)を倒し徳の政治(王の政治)へ移行したことになるが、まあ私から見ると実際は逆で、徳で治めていた国を軍事的に倒した軍事政権的色合いが強かったのが明治政府のような気がする。

 その明治政府の下、作り上げられたのが今にも影響を残す「日本とはこうだ」というイメージ像で、国をまとめ上げるために作られたこのイメージは軍隊教育的な匂いが色濃く、それ故に現代までも一部の人間に強く影響を与えているが、実は歴史的時間で言えば明治維新から敗戦までのたった150年ほどの間に作り上げられたものに過ぎない。


 例えば天皇制は確かに2000年以上ものあいだ続くとされる制度ではあるが、鎌倉以降は武家政治の時代が続いたため、この約700年もの間は現代の象徴天皇制のような位置付けが続いていたわけで、それを政治の看板として改めて引きずり出したのが正義の看板が欲しかった明治政府であり、それ以前の江戸時代の庶民にとっては既に世の中で権力を持って偉いと感じていたのはやはり天皇ではなく自分の領地のお殿さまであり、幕府の将軍であると思われる。

 日の丸とて、その存在自体はは平安時代頃からあったようだが、実際に国の標識として使われ始めたのはやはり明治維新前後からであり、国歌も同様で、ましてや国旗に敬礼をしろなどというのは明治政府の軍隊的教育以外の何ものでもない。

 また性的観念なども、今でこそ日本人は慎み深くあるべきだという考えが主流だが、これも明治政府が欧米列強に肩を並べるためにキリスト教的道徳観念を国民に強いた結果であり、それ以前の日本人は長きに渡ってかなり性的に開放的であった事が資料から伝わっており、現代の道徳観念までも否定するつもりはないが、決して「日本人として」伝統的にその考え方があったわけではない。

 さらに明治政府は、廃藩置県により地域にあった自治の体系を壊し中央集権の国家に作り変えてしまったため、日本の自治の土壌を失くし、今に続く官僚政治や、藩ではなく日本という大きな枠のイメージを作り出し、最終的に新たに統治に都合の良い「日本人とは」とか「日本とは」というアイデンティティを生み出すのに成功したのではと思われる。

 どうもこういった点は大きな声では言えないが、現在のどこかの国と似た面がある気がしてならない。

 これらのことを考えると、今の人がよく口にする「日本として」のイメージは、実は明治政府が意図的に作り出したナショナリズム的なイメージであり、日本の歴史の中では必ずしも伝統的に長い間存在していたわけではないことになる。

 明治政府は国の制度の近代化という面である一定の役割を果たした面は確かにあるが、それと同時にそれ以前に長くあった自治的結びつきや日本の文化を多く破壊したという面もあり、欧州列強を意識過ぎたばかりに明治維新以後に出来た日本という枠は決してプラスばかりではなかったという気がする。

 ましてや、日本の敗戦によって民主国家として再出発してから70年近く経つわけで、そろそろ国民や政治家は明治政府の呪縛から解き放たれてもいい頃なのではないかという気がしている。
 


ブログランキング・にほんブログ村へ





2013年05月04日 娘の誕生報告をブログで済ます親
 数年前になるが、同僚に娘が生まれた。

 当然、生まれる前からそのことは知らされており、周りでは本人に対する仕事の配慮も行い、多少の仕事の遅れや粗相は目をつぶっていた。
 
 ところがである。

 生まれると聞いていた当日に、仕事の用事があって何度も電話したのに一向に繋がらない。

 頼んでおいた仕事について、大元の依頼主から催促の連絡があって進捗状況を教えてくれとのことなので、本人に電話しても繋がらなかったのである。

 もちろん、こちらは本人が迎えている状況は知っているわけだから、気を使って外出先から2時間おきくらいに何度かに渡って電話を入れたがやはり繋がらない。

 まあよほど大変な状況になっている可能性もあるのだろうと想像し、落ち着けば連絡があるだろうと思い結局電話はあきらめた。

 故に、仕方なく仕事の依頼元に詫びの電話を入れて会社に戻ってみると、なんと別の同僚からどうやら生まれたらしいということが伝えられた。

 不思議に思って、本人から連絡があったのかとその同僚に尋ねると、連絡はなかったがブログに書かれていたとのこと。

 それを見ると、確かに出産のことが感動美に書かれていた。

 「なんだよ、それ」

 私はその行為に非常に腹が立った。
 結局本人は仕事の電話にも出ず、一生懸命に個人のブログをアップしていたのである。

 「そんなブログを書く暇があったなら、何故電話に出ない?」
 「本人が感動して自己陶酔ばかりしていて、周りに何の配慮も出来てないじゃないか?」
 「そんな社会的な礼儀のない奴は、人の親としてどうなのか?」

 そんな言葉が次々に浮かんだ。

 子供が生まれる事情で仕事が遅れていること自体は仕方なく、そのことは周りも理解しているが、少なくともその代わりとしての状況報告は本人からあってしかるべきで、もし実際生まれたらそれに気を使った周囲に誕生報告くらいはあるべきではないか?

 結局、本人からはそのブログの発表以外に娘の誕生に関する何の報告もなかった。

 随分と非礼な話である。

 最近は芸能人を真似てか、ブログやフェイスブックで物事の報告をする人も増えてきたが、今の時代になっても迷惑をかけたり世話になった人には可能な限り挨拶に行ったりすることが必要だと思うし、仕方なくメールで済ますことがあっても、最低でも1対多数ではなく、1対1のコミュニケーションを取ることが礼儀なのではないかと思う。

 私からすれば娘の誕生報告をブログで済ます親の下に生まれた娘が非常に可哀そうに思う。


ブログランキング・にほんブログ村へ





2013年05月03日 季節外れの花火大会
 先ほど、部屋のベランダから花火が上がっているのが見えた。

 はて、この季節になんだろうか?

 打ち上げ場所の詳細は分からなかったが、どうやら外国人が多く住む高級住宅街の方角なので、そのエリアでのイベントがあったのかなと思ったりもした。

 ところが、その場所からの打ち上げが終わった後に、今度は別の方角からの花火の打ち上げがあった。




 ええっ?一カ所だけのイベントじゃないの?今日は何の日?

 新たに打ちあがった場所は住宅街とは全く関係ない場所で、どうもこの2つに直接の関連性は考えにくかったので、今日という日に何か特別な意味があるのかどうかを急いでネットを調べてみたが、日本は5月3日が憲法記念日としてお休みであることは知っているものの、中国で今日は何か特別な意味のある日かどうかは全く分からなかった。

 まあ反日的な抗日記念日とかだったら、美しい花火も一瞬にしてブルーな印象に切り替わってしまうところだったが、どうやら違うようである。

 まあ、意味は分からなかったが、思いがけず今夜は花火を楽しめたのでヨシとしたい。

 それと直接関係ないが贔屓の日ハム・中田君が仙台で3発も花火を打ちあげたらしく、今日はそれもあって1日が花火デーのようで今夜はちょっと気分がいい。


ブログランキング・にほんブログ村へ





2013年05月03日 監視映像をテレビで生放送?
 引っ越ししてから、以前よりはテレビを見るようになったのだが、朝のニュース番組を見ていて驚いたことがある。

 それは地下鉄の混雑情報を説明するコーナーで、地下鉄駅構内に設置された監視カメラの映像をそのままリアルタイムで表示していたのである。

 しかもカメラの前にいる人の顔がはっきりわかるくらい鮮明に映し出され、それがそのままテレビ放送として放送されている。

 日本だって、NHKで放送センターの屋上のお天気カメラで街を遠巻きに写すことはあるが、人の顔がはっきり分かるような状態ではまず写ってはいないという気がする。
 それがこの番組では一瞬の短時間ではなく、何秒もの間画像が映し出され、ご丁寧に解説までするほど、長い時間映像が映り続ける。

 恐らく中国でやっていることをそのまま日本でやったら、プライバシー侵害だといって放送局に非難の電話が来るだろう。

 日本だって防犯用の監視カメラはあるが、警察の様な特定の限られた人が見る程度であり、公共の電波に乗せて流す映像では見る人間の数の桁が違いすぎる。

 外国の事だから文句の言いようがないが、ことほど左様にこの国ではプライバシーに関する配慮が無い。

 まあ普段から悪いことをしてなければ問題ないこととは言え、自分がどこにいるのかが分かるだけで困るということだって生活の中ではないとは言えず、地下鉄に乗る時はちょっと気をつけなければならない気がしている。


ブログランキング・にほんブログ村へ







関連ページ交通関連情報


プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

音響さんのこだわり復刻版
上海ワルツ記事目次
エクスプロアブログ同窓会


GOOGLEでブログ内検索

ブログランキング・にほんブログ村へ



空港ドットインフォブログ浦東空港虹橋空港北京空港広州空港香港空港天津空港青島空港ハルビン空港すいすいビザ

コメント一覧


記事タイトル一覧

カテゴリ一覧


RSS 1.0My Yahoo!に追加




上海すいすいビザ代行][空港ドットインフォ][上海の天気][音響さんのこだわり][上海ガイドブック手帳][日中地域交流会
[上海浦東国際空港][北京首都国際空港][天津濱海国際空港][広州白雲国際空港][上海虹橋国際空港][青島流亭国際空港]
Copyright(C) since 2007 カランドリエドゥモンド
h_12