先日、上海の地下鉄の車両内のモニターを見ていたら、今後宇宙開発が進めば火星に人が移り住む時代がやってくるかもしれないようなことが放送されていた。
日本でも昔はこういった番組が頻繁にあったような気がするが、現在では宇宙ブームなんかはとっくに過ぎ去り、子供向けの雑誌はともかく大人の話題の中心に宇宙が語られるようなことは少なくなった。
しかし宇宙開発が現在真っ盛りの中国では、しばしばこういった映像がテレビなどで流れている。
私も子供の頃は宇宙に大変興味を持っていたこともあり、そんな時代を思い出すこれらの映像はとても楽しい。
ただ、大人になると知識が増えてきたお蔭か、こんな夢のような火星移住計画に対して、否定はしないまでも別の視点も持つようになる。
それは社会的な視点である。
まあ今後の科学技術の発展により、人間が宇宙空間や火星などで暮らすための空気や水、食料などの問題はいずれ解決されることだと思っている。
しかし、それだけでは宇宙空間で生存可能な状況が整っただけで人が生きていく条件が整ったとは言えないのである。
ここで考えるのはまず生活をするコストなどの問題である。
宇宙ステーション建設のための費用は度外視したとしても、そこで人が生活し続けるためには生活を続けるための糧を得る手段、つまり産業が必要になる。
果たして全てが人工的に作られた空間となる宇宙ステーションの中で、そこで暮らす人が生活の糧を得るための産業構造などが成立しうるのかという問題になる。
そこで産業が成立しなければ、宇宙ステーションは永遠に地球などの外部からの支援を受け続けることになり、果たしてそれが人の生活する社会空間として成立している状態といえるのかということになる。
そしてこれらに関連する第2の問題が、宇宙ステーション内に社会が成立しうるのかという問題である。
「人はパンのみにて生きるに非ず」の言葉の通り、人の心が宇宙ステーションの中で生活し続けることに耐えられる状態を作れるのか?という疑問が湧く。
人間として生き続けるということは、生きていくための夢を持つことが必ず必要になり、宇宙生活の空間の中でも人はその夢を持たなくては精神的に生きていけない。
また人間は生身の人間であるが故に恋愛をしたり結婚したりして子供も生んだりするが、その逆の失恋や嫉妬などのコントロールしきれない感情や欲望もあり、人間の社会であるからには犯罪や争い事は必ず起き、これらを限られた宇宙社会の中で、内包するのは非常に難しい問題だと思う。
さらに感情を持つ人間にとっては、酒場や盛り場などの心を開放するある意味いかがわしい場所の存在も必要悪であり、それらを宇宙ステーションの中の社会として内包して成立させることが許されるのかなどなど、人が社会的な生き物であるが故に解決しなければならない問題が沢山あるような気がする。
まあ、こんなことを考えると夢のない大人になったような気もするが、技術的にはいずれ実現しそうな火星移住だからこそ、危惧するこれらの問題である。