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2009年11月30日 韓国語の勉強をまたはじめた
 まあ特に大きな理由があるわけじゃないが、将来に関する漠然とした不安もあって韓国語の勉強を始めている。
中国語だってまだまだ中途半端ではあるのだが、この3ヶ国語ができるとアジアでは割と便利である。
実は韓国語は以前もかじったことがあり、文字は読めるし発音はできるので挨拶と自己紹介くらいはできる。
それに韓国料理は無茶苦茶すきだ(関係ないか、、、)

 故にとっかかりはゼロではないので根気さえ続けば、日常会話くらいはできるようになるんじゃないかとタカを括っている。
まあ年齢が年齢なので苦労するのは確実なのであるが中国語でさえ勉強を始めたのは34歳のときなので怖がる理由もない。
 幸い(というか確信犯的にだが)、以前日本で勉強していたときに初級の教科書は中国に持ち込んでいるので、当面は学習教材は何とかなりそうで独学で頑張ってみようかと思っている。韓流ドラマのDVDもたくさん売っており、そういう教材もたくさんある。
韓国語は発音に関しては中国語ほど面倒くさくないし、とりあえずニュアンスは掴んでいるのでそこで苦労はしない気がしている。単語は一つ一つ丁寧に覚えるしかないが幸いにも韓国語は中国語と日本語の中間のような存在でさらに英語などを語源とした外来語がたくさんあり、結構覚えやすい。
問題は文法だがよく言われるように語順が日本語に似ているので、ここを根気良くやれば会話にはなんとかなりそうな気がする。
まあ会話が成立するレベルに達するまで半年はかかりそうだが、会話の練習がしたければ、知り合いの朝鮮族の人や龍柏の韓国料理街など練習場所はたくさんあり、練習場所には事欠かないので上海は恵まれた環境である。
 とりあえずは足繁く韓国料理屋に通うことになりそうだが、あまりキムチ臭くなりすぎないようにだけ気をつけたい。




2009年11月23日 これは反則、う、うまい「牡蠣(カキ)そば」~紋兵衛さん
先日紹介した紋兵衛さんだが、ここのところ足が向いていなかったので久しぶりに知り合いに会い行ってみたところ、とんでもないメニューを見つけてしまった。
最近懐がさびしいので「ざる」で済ませようと思っていたところに目に入ったのが写真の張り出しである。
「なぬー?牡蠣(カキ)そばだとー?」
そばのつゆの中に大粒のカキが3個もはいっているらしい。
死ぬほどカキが好きな私にとっては非常に強烈な魔の誘惑である。死ぬほどというか牡蠣で当たって死ぬなら本望なくらい牡蠣が好きなのである。
昔「かきあげ丼」を「牡蠣揚げ丼」と勘違いして注文して牡蠣が入ってなくてがっかりしたことを思い出した(笑)が、今回は正真正銘の牡蠣である。
う、でも今日の予算の倍だ、、、、「えええい、牡蠣は全てに優先するんだい」と誘惑に負けて頼んでしまった。



で、待つこと10分、出てきました。
「あ~牡蠣だ~」
もうすでにヨダレじゅるじゅるものである。
ま、まずは慌てずつゆを掬っていただく。
「う、うまい!牡蠣の旨みがそばのつゆに染み出してなんとも言えない味を醸し出している。
さらに続けて、メインディッシュの牡蠣をいただくく、口に入れた途端、牡蠣の旨みが口いっぱいに広がる。いやぁ、言葉に出来ないほどの至福の牡蠣の味わいである
さっと湯通しをしただけなので、中はナマに近くトロトロである。
そばに牡蠣なんて、、、私から言えばこれはもう反則である。しかし反則でもなんでもうまいんだから仕方ない。
 (この文章を書いててまたじゅるじゅるになる)
そばやどっしりした「どんこあ(椎茸)」も非常にうまく、マッチしている。
ゆっくり味わって完食。
 こんな食べ応えのあるそばは初めてかもしれない。そのくらいうまかった。






困ったことに(笑)この冬中、牡蠣がある限りこのメニューは続くらしい。
私もしばらく通いそうである。いやぁマイッタマイッタ。
(写真はランチのセットメニューでプラス10元)





2009年11月23日 上海の地下鉄世界一は過大評価
先日上海市の地下鉄が年内にも営業キロで東京を抜き、来年にもロンドンを抜き世界一になるということがニュースに出ていたが、これはある部分では確かに事実かもしれないが交通事情の評価としてはちょっと誤解を招く表現といわざるを得ない気がしている。
 少々鉄道オタク的な説明になってしまうが、まず地下鉄の定義に問題がある。
 上海の地下鉄として計算されるものは上海市が運営している軌道交通の全ての営業キロ数を合算しているが、厳密に言えば3号線はほとんど地下を走らないので地下鉄ではないし、外高橋を走る6号線や松江方面の9号線も半分は地下を走っていない。従ってまずこれらを地下鉄と呼ぶかという問題がある。
 これに対して東京の地下鉄の定義は東京メトロと都営地下鉄の合算を地下鉄としている。東西線の東陽町以東は地上を走っているがそれ以外は末端駅で地上に出る程度でほとんど地下を走っている。こういう状況を無視して「地下鉄の営業距離」という比較をするのはいささか難がある。

 さらに上海の地下鉄の営業距離がロンドンや東京を抜くことが、世界一軌道交通網の発達した都市になるといった表現の印象にも非常に抵抗を感じる。というか完全に誤解を招く表現である。

 上記に示したとおり上海の地下鉄は地上鉄道を含めた営業キロ数になっているのだが、実は都市内鉄道に関しては上海はそれがほぼ全てである。
 ところが、東京に関して言えば地下鉄以外に非常に多くの地上軌道交通が存在している。
 まず山手線に代表されるJR各線、さらに各私鉄路線が八方へ延びている。これらを含めると営業キロベースで都内だけで800キロを超えるらしく、首都圏全体を東京圏と見なすと営業距離は1500キロ以上にも達するという。しかもその幹線の多くは一部が複々線化されておりその分を計算すると東京の鉄道網はさらに膨大なものとなる。この計算で言えば大阪でさえ上海をはるかに凌ぐ。
 これらを考慮せず、単純に「地下鉄の営業距離」の比較によって上海の交通事情の進捗ぶりが、東京やロンドンを抜いて世界一となったような評価することにはまさしく過大評価であろう。


さらに「地下路線」という定義だけを見ても東京メトロと都営地下鉄だけでなく小田急や東急・京王、つくばエクスプレス、JR総武横須賀線などの一部地下化が行われている区間を含めば、詳しくは計算していないが恐らくやはり上海の地下鉄に抜かれるレベルでは無いように思える。
 上海の地下鉄が成長していることは確かに事実だが、世界一の都市はやはり10年や20年のレベルでは出来上がらないのである。



関連ページ交通関連情報

2009年11月23日 電球は電気屋で買えない?
先日部屋の電球が切れたので、中山公園付近の電気屋さんに出かけたのだが、店内を見回してもどうも照明器具はあるのだが電球を売っている様子がない。あれれと思いつつ何度か店内をぐるぐるまわったがやはり見当たらない。電球は電気屋で取り扱わないのだろうが?店員に聞こうと思ったが電球の中国語が分からず諦めてほかの店へ行くことにした。(あとで調べたら電泡deng1pa04というらしい)
 しかしである。
ほかの店へ行っても結果は同じだった。なんだなんだ?電球は電化製品ではないのか?
 冷蔵庫やエアコンAV機器はそれなりに並んでいるのに電球のような消耗品は取り扱わないということなのだろうか?店員に聞けば少なくとも幾つかは出てくるのではないかとおもうが、とにかく店頭には並んでいない。
 日本のコ○マ電機やヤ○ダ電器には必ず置いてあったし、結構幅広い品揃えで店頭に並んでいた。
それが中国では店頭にすら並んでいない。久々に受けたカルチャーショックである。

 結局しかたなくカルフールに行って電球を購入した。
つまり、結論付けると中国での電球はどちらかというと雑貨の分類に入るらしく電気屋で売る商品ではないらしい。
そ、そうなのかなぁ・・・??そういえば小さなスパーなどでも売っている。(確かコンビにでは売ってない)
 うーん、それにしても上海の秋葉原を目指すらしい中山公園周辺の電気店たちだが、電球すら扱っていない現状ではその道のりはまだまだ厳しいのではないだろうか?




2009年11月15日 不調の原因
先日、試しで一人の中国人スタッフを雇ったのだ、余りにも仕事にミスが多く辞めていただいた。
しかしその新人を評価できなかったのは実はそのミスについてではない。
新人なのでミスが多いというのはある程度目をつぶろうとおもっていたのだが、その新人はミスの度に、謝るという行為を笑顔で濁すという態度を繰り返した。
これはどうにも仕事に対しての責任の重みをあまり感じていないように映ってしまった。
その後も仕事の取扱に慎重さが欠け、同じミスを繰り返し、しかもそんな状況にも関らず新人としての謙虚さにも欠け最初からベテランスタッフと対等な会話をしていたのである。業務以外ならともかく業務時間もそんな態度だった。
 そんな状況が周囲を苛立たせ、新人に対する距離を保ち始めた。
そんな周囲の態度はその新人も感づいたらしい。
 本来ならここで仕事そのものにもっと謙虚に集中して取り組んでくれれば周囲の評価も変えられたのかもしれないが、その新人はなんと仕事に対する集中ではなく、周囲に媚びることで対応しようとした。
お菓子を配ったり他のスタッフの体調に気遣ったりして、本業の仕事への集中力はますます欠けることになった。
こちらとしては、そんな周囲に気を使うより自分の本業に集中して欲しいと感じていたのだが、どこで身に着けた技なのか媚びることで人間関係の改善を図ろうとしてきた。
 本来、仕事への態度が人間関係の不調の原因であったにも関らず、本人がそれを理解できておらず周囲を更に苛立たせる方法で解決を試みようとした。それがますます周囲の人間を離れさせた。
 結局その新人がお客さんからクレームが来るような大きなミスを犯したので、それを理由に辞めていただくことになった。

世の中、人間関係も含めて仕事上の不調の原因はいろいろあると思うが、結局本来果たすべき仕事上の責任を果たしていないことが主要因である場合がほとんどのように思える。
本来果たさなければならない部分を放置して、原因をほかに求めて別の手段でいろいろ捏ねくりまわしても、結局は本業がますますおろそかになるだけで解決どころかますます状況が悪くなる。逆に言うとやるべき仕事さえ果たしていればそれほど問題は起きない気がする。今回はそこを学んだいい例だった




2009年11月12日 1000年前の日本人と会話が出来るか?
今日、インターネットでニュースをチェックしていたら邪馬台国関連のニュースが出ていて、遺跡の発見によって近畿地方の畿内説がさらに有力なったとのこと。
 ふーんと思いつつ、その後興味の赴くまま九州説と畿内説の論点についてざっと目を通したが、そういう資料を目にしているちに、今もしタイムマシンがあったらこの時代に戻って調べてみたいなぁとふと感じた。

 しかし!

そこで言葉が果たして通じるのかと心配になった。
まあ常識に考えて恐らく言葉は通じないであろう。
同じ日本人としてその歴史の積み重ねの末端にいる自分であるが、その時代の間には言葉は相当変化しているはずであり、文法すらも違ったものであったかもしれない。
 日本古来の「ヤマト言葉」とされている「やま」などの発音くらいは通じて欲しい気もするが、それだってそのまま通じるとは思えない。



 じゃあ、何年前の日本人まで会話することができるのかと非常に気になった。

 いろいろ調べてみるとこれは非常に難解な学術的テーマらしい。
何故かと言うと、昔から口語と文語は乖離しており、文献は当然文語で書かれており、口語で語られたものを録音するような技術がない昔のことなので、口語がどう発せられたかを知るすべがないからである。
 漢字の筆談であるならば、単語の使い方さえ気をつければ、平安どころか聖徳太子の時代くらいは意志の伝達が可能かもしれないが、口語となると全く以ってわからないと言うのが実のところのようである。

 個人的には江戸の中期くらいはイメージ的に落語などの文化の発生した時代と考えれば会話は成り立ちそうだが、ならば戦国時代の織田信長とは話ができるのか、源義経と話が出来るのかと遡れば遡るほど自信がなくなる。聖徳太子くらいになるとやはりお手上げのような気がする。10人の言葉の前にまず私は言葉が聞き取れないに違いない(笑)

 さてどこが境界線かはさておき、今からちょうど1000年前というテーマに絞って考えると当時は平安時代真っ只中で、俗に言う摂関時代である。
 藤原道長などが巾を利かせていた時代であり、この頃すでに表音文字としての「かな」は完全に独立していたようである。
 かな一つ一つの発音は今と違っている面もあるようだが、当たらずとも遠からじで文章を読む発声の範囲では私にも聞き取れるのではないかという気がしている。
 会話が成り立つほど聞き取れるかどうかは分からないが、今上海で上海語を聞くような範囲で部分部分で単語は拾えそうな気がする。まあ単語そのものが難しいかもしれないが古文朗読の訓練を少しすれば何とかなりそうな気がする。
 そう考えるとちょっとわくわくする。


 ちなみに会社の中国人に、1000年前の中国人と会話ができるかと質問したら絶対無理だと言っていた。筆談なら可能だが会話は無理らしい。
 清代あたりを境にだいぶ言葉が変わっているらしく、今の言葉は古代の言葉に比べてかなり口語的になっており、漢字一つ一つの意味も変わっているようだ。

そう考えると同じ漢字文化の源泉を持ちながら、「かな」という表音文字を持てた日本語を話す文化にいるということが、ひょっとすると1000年前の人と会話できる可能性を持たせてくれていることが、ちょっと得した気分にさせてくれる。


2009年11月11日 環境汚染への先入観
 3年以上も上海で暮らしていて書くのもどうかと思うが、まだまだ中国の環境状況に関することは全てが疑心暗鬼で暮らしている。
ニュースに現れる言葉の先入観にとらわれ過ぎているのかもしれないが、まだ環境の安全に関してはまだまだ信用しきっていないというのが本音のところで、万が一汚染されたものを食べて病気になったら諦めるしかないという開き直りの元、日々生活しているのが実情である。

 例えば、先日崇明島への橋が開通したというニュースが流れたが、島に住む人には悪いが長江の真ん中にあるというだけで、あの島は環境に関しては汚染されているのではないかという疑心暗鬼に駆られてしまう。

 何故なら長江そのものが汚染されているというイメージが非常に強いからである。現に日本の海岸では長江から流れ出たゴミが大量に流れついている現実があり、長江ではないが黄河では開発により水の富養化してエチゼンクラゲの大発生が起こり、日本の漁業関係者に甚大被害が出たというニュースもあった。
 とにかく最近の中国の川は汚れているというマイナスのイメージが日本人の間で強くなっている。
 加えて中国全体が毒餃子事件や諸所のニュース報道の影響で農業での農薬が大量使用されているというイメージが強すぎて、中国での食品に関しては本当に安全かどうか信じきれない状態である。
 上海でこそ、そこそこ安全なものが確保できているかもしれないが、一歩上海市内を離れれば自然環境といえども農薬汚染が広がっているのではないかというイメージを持っているのが現状のところのような気がする。
 

そんな状況のところに、崇明島は自然豊かなところですよと言われても、長江の水が汚染されているのではないかとか、島も野放図に管理され農薬が使い放題で汚染されてしまっているのではないかという先入観が拭いきれないものである。
 これらの先入観が単なる気鬱だとしても日本人の一般的な行動パターンとしては豊かな自然だけならば、日本に帰ったあと幾らでも安全な自然が待っており、安全かどうかも分からないところに慌てて行く事もあるまいと考えるのが普通である。
 まあある程度期間を置いた後、島が観光地として整備されかつほぼ安全性が確認されたなところで、やおら出かけ始めるというのが日本人という気がする。
 今のところは新しいもの好きの中国人が大勢訪れているようだが、大勢と言ってもたかが知れているレベルであり、今のところは上海版新天地ドリームを目論む金の亡者達がゴールドラッシュ的に訪れているだけでありような気がする、少なくとものそんなニュースに流されるほど日本人の中国の環境に対する先入観はまだまだ小さくない。


2009年11月09日 上海人女性もやはり騙されるキャッチセールス
知り合いの上海人の女の子に先日愚痴られたのだが、静安寺付近でキャッチセールスのような人に騙されてお金を取られたとのこと。
騙されたというのは妥当ではないかもしれないが、強引なセールスのもと美容用具を売りつけられたらしい。
 その子の説明の日本語がその怒りの興奮も手伝って拙くなってしまったので、騙された手口の全容はちょっと聞き取れなかったが、まあとにかくあまり望まない商品を700元分ほど買わされたらしい。最初に2000元くらいの額が提示されたのだが、相手は彼女が700元しか持っていないことを知るとその全額分を出すように要求してきたという。まあ恐らく財布の中身を全部回収するのが目的で、もとの金額なんぞ何の意味もない商売なのであろう。
 中国でも上海人はこういうことに警戒心が強いと思っていたが、日本同様に悪質なセールスには騙されてしまうらしい。


手前の女性は関係ありません
と、そんな話を聞いたあとの今日、静安寺に行ったら、たまたまキャッチセールを行っている人を見かけて写真に収めてきた。
 彼女の時と同じ業者かどうかは分からないが、比較的ニキビの多い女性に声をかけ、化粧品のようなものを一生懸命説明していたので同じ業者である可能性はある。

まあこの人が悪質なセールスとは断定できないが、街角で声をかけて来る人はまず無視するのが原則だろう。こんな路上キャッチセールスでまともなセールスに出くわすほうが奇跡である。
 用もないのに繁華街に出るとこんな落とし穴があるのは日本も中国も同じようだ。


2009年11月06日 仕事をサボる

最近日々や毎週のルーチンの仕事が増えてきた。
まあ仕事を定型化する意味では仕事のルーチン化はいいことであり、それらを省力化することによって新たな仕事に取り組める。
いまルーチン化している仕事の幾つかは元々は別のスタッフが始めたものなのだが、そのスタッフが勢い込んで始めたものの、次第に忙しさを理由にサボり始めたので、引き継ぐことにした。
 元々私の領域ではない仕事であるが、どんな小さな仕事であっても仕事として始めたからには対外的な信用問題もあるのでないがしろにするわけにはいかない。
気まぐれないい加減な仕事を続けていれば会社としての信用を失ってしまう。いい加減な仕事をする会社だと一度思われたら、それを覆すのは大変で後々の仕事がやりにくくなる。
 営業で前線に立っているとその重みは強く感じる。
 日々やるべきことをサボることによって、目先に大きな影響はなくても信用というものは次第に崩れてくるのである。
 まあ、私だってルーチンを毎回こなすことは時に苦しいし面倒くさいのでサボっていい加減に過ごしたい時もある。ルーチンを忘れて自分の好きな作業に没頭したい時もある。
 特に日々の仕事は、そのやるべき日に仕事をやるから意味があり、貯金や借金ができないという点で僅かな時間であっても必ず毎日その作業に拘束されるので、時に非常に苦しい。
 しかし失った信用を取り戻すことのほうが更に苦しいので、それを思えば目先のルーチンを黙々とこなすほうが余ほど楽である。
 元来仕事というものはそういうもので、趣味ならばやりたいときにやって、やりたくない時はサボればいいが、相手は仕事である。
仕事をサボればその影響が自分に還って来る。いや自分だけでなく会社のみんなにも迷惑がかかる。だから仕事はサボれない。 



2009年11月06日 中国はまだまだ「毒物除去」が環境テーマ
先日の工業博覧会に先んじて、中国の環境問題について日中共同のシンポジウムが行われたのだが、その席で中国はまだまだ環境問題についての意識が世界スタンダードに追いついていないなと感じた。
日本側が地球温暖化に向けての二酸化炭素排出量削減や資源再利用による地下資源依存からの脱却を図ることを目指して地球全体の環境を考えた論点であったのに対し、中国側からの論点は生活用品に含まれる銅や水銀などの有害物質除去など国内の生活安全問題がが大きなテーゼであった。

 確かにこの中国のテーゼは現在の中国が抱えている重要な課題ではあるが、世界的に見れば既に過去のテーゼであり、世界中で解決済みというわけではないが技術的にはほぼ手段が確立されている。
 もちろんそこに至るまでは先進各国も公害という同じ道を歩んできており、日本も水俣病などの苦い歴史を経て今の安全性が確立されているので中国の抱えている事情もよく分かる。
 今は経済発展の真っ只中であるが故に、環境=身の回りの生活環境であり、地球温暖化も意識にないわけではないだろうが、目先の問題解決が先で世界全体の影響まで考える余裕がそれほどないのかもしれない。
 ただ我々日本人としては、そういう中国の事情は理解するにしても、日本の10倍以上の人口が一斉に経済活動を活発化させている現在において、やはり地球全体の環境に与える影響も日本の比ではなく、環境問題の舵を誤れば中国国内のみならず世界中に影響を及ぼす問題なので黙って待っているわけにもゆくまい。
 ただし「こうすれば解決できるよ」と日本流を押し付けるのは簡単だが、プライドの高い中国人はそれではなかなか受け入れないであろう。
面子を重んじた上で、同じ道を先に歩んできた日本がその知恵をどう伝えていくのかは非常に難しい問題である。

 





プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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