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2010年06月15日 映画「おにいちゃんのハナビ」
上海で日本映画週間が開催され、偶然にもこの映画を見る機会を得たので行ってきた。
 どうやら私の見た回がこの映画の世界初公開、つまりプレミエ上映だったらしく非常に幸運な名誉ある機会に接することが出来たようである。
 これから観る人のために詳しいあらすじなどは書かないが、この映画は新潟県の片貝の花火祭りを舞台にした映画である。
 新潟の花火といえば長岡の花火大会などが有名だが、この片貝の花火祭りも負けず劣らず有名な花火祭りの一つとなっている。
しかもこの花火祭りは日本全国の数ある花火大会の中でも非常に特殊な形態で運営されている。

 実は私はこの花火祭りに8年前に行ったことがある。
 世界最大と呼ばれる四尺玉の花火を見るためだったのだが、実際に花火大会を見学し、ここの花火が非常に特殊であることを知って驚いたことを覚えている。
 ここの花火の何が他のそれと違うのかというと、ここの花火には一発一発に村の人の想いが込められているのである。
 子供の誕生を祝ったり、亡くなった人の供養のためだったり、はたまた成人のお祝い、厄払い、還暦のお祝いなど様々な願いを込めて意味を持って打ち上げられる。
 一年一回のこの祭りのその想いのために片貝の人は、何十万、何百万というお金を祭りにつぎ込むのである。
 そして当日、このお祭りの司会者がそれを一つ一つ紹介する。プログラムや番付表にも掲載される。
 花火祭りの「祭り」の意味が本当の「祭る」という意味を持って受け継がれているのがこの片貝の花火祭りなのである。

 そしてこの映画の中でも主人公の「おにいちゃん」がある想いを持って「ハナビ」を打ち上げることを決意する。

 その想いが観ている私にも熱く伝わってくるような映画である。
元々涙腺の弱い私であるが、この映画は涙が乾く間がなかった。


 おべっかを使うつもりはないが、人が人を想うことを感じることが出来るいい映画だと思うので、是非皆さんにも観ていただきたい。

ところで、ちょっと関係ないかもしれないが、
以前この祭りを見たときに書いた日記があったので再掲しておく。

「美しさは永遠に?はかなくも美しい花火・・・」(''''''''02/09/25)
世界最大と呼ばれる四尺玉の花火を見てきた。
花火を写真に収めようとする方がまわりに大勢いた。
その行為自体を批判するつもりはないのだが、中には撮影に必死で
花火そのものを見ていない方がいらっしゃる。とても勿体無いことである。
花火のその瞬間を永遠に写真にとどめたい気持ちは解らないではないが、
花火はほんの束の間の輝きであるからこそ美しいのだと思う。
年に一度の花火大会、真夏の瞬間であるから美しいのだと思う。
何分も輝きつづける花火が美しいなら花火職人はもっと長く輝く花火を
創るはずである。 心に映った一瞬の輝きこそが永遠だと思う。
だから私は来年も花火が見たいのだ…




2010年05月18日 猫の撮影は難しい
今日の出かけた先でちょっとみかけた猫。







動物を撮影するのは嫌いじゃないのですぐさまカメラを向けた。



可愛らしい猫で、ハエを追いかける姿が愛らしかったので、






一生懸命追っかけて撮影したのだが、どうも背中ばかり写って正面が撮れない。


人間だったら「はいポーズ」といえば撮れるのだが、猫となるとそうはいかない。






そういえば先日は子犬でもうまく撮らせてもらえなかった。



とりあえず撮れたのが今回の8枚。





結局恥ずかしがって隠れられてしまった。

やはり猫は餌がないと駄目だということか。。。?(笑)



2010年04月27日 パリの空の下<sous le ciel de Paris>


 なんとなく都会生活に滅入ったような気分の時、このレイモンルフェーブルの曲は結構しっくり来る。



 華やかな都会生活の裏通りに押し込めらた生活感あふれた耐乏生活。
出会いと別れが交錯し、人生の意味や愛の葛藤に悩まされ続ける日々。
そんな状況でも、どこかに希望を見つけながら時に楽しく、時に寂しく生きていく。
建物と建物の間から見上げた空が唯一の希望であるような生活。

 そんな人生の光と影を見事に描ききったフランス・シャンソンの名曲「パリの空の下」。

 そしてこの曲は、大都会となったこの上海の生活にもしっくりくる曲のような気がする。

 いろんな人が歌っているようだが、私はアコースティックながらも、このレイモンルフェーブルグランドオーケストラの演奏が断然好きである。

 この曲を聴くと、この上海の空の下の、時に華やかで楽しいが、時になんとなく切ない人生の甘さと苦さを感じてしまい、妙にこの曲のメロディに納得させられてしまう。
 私もこの上海の空の下に生きているのだと。

ここで試聴できます。




2010年02月25日 フィギュアスケートと音楽
オリンピック競技の中で使用する音楽が競技に影響する種目は数多くない。思いつく限りでは新体操、シンクロナイズドスイミング、そしてこのフィギュアスケートくらいであろう。
その中でもフィギュアスケートにおいて音楽の要素の占める割合は侮れないものがある。

実際の得点上でも構成点として音楽の解釈に対して10点満点の配点が与えられ、さらに加重がかけられるのでSP、FS合計で男子で最大30点、女子でも最大24点の配点となる。

これまでの最高点が200点程度の現在のフィギュアスケートの採点方式の中では、この音楽の解釈に対する配点がいかに低くないかわかる。

 つまり音楽の使用方法いかんでは、10点差などすぐに上下するということである。例えば音楽に合わせずジャンプやスピンをばらばらに行えば、それらがどんなに技術点が高い技であろうとも、映像と音がシンクロしないという構成の面で点が低くなる。
 つまり音楽に合わせて演技しないと高い点がもらえないわけで、音楽のどこでジャンプを入れ、スピンを入れるかを考えて構成を組み立てる必要がある。もちろんスタートからフィニッシュまでどう盛り上げていくかも大事な要素となる。
 逆に言うと演技全体の流れを考えながら、場面場面でジャンプやスピンを入れやすい音楽を選ぶことが、フィギュアスケートの得点稼ぎの第一歩ともいえる。

 また、採点に直接表れない部分で、音楽は競技者に影響を与える。
本来、音楽が表現する主たるものは感情であり、それらが演技者の心理状態や感情にも大きな影響を与えるからである。
 競技者はスポーツとしてスケートを滑っていても、人間が行うことであるからには、その心理状態が動きに大きな影響を与えるのは言わずもがなで、その心理状態を左右してしまうのがこの音楽という要素である。
 小気味よい音楽であれば心が軽やかになり、雄大な音楽であればたっぷり余裕のある心理状態で演技に向かうことができる。
 そしてその心理状態はそのまま技のキレになって現れる。音楽に気持ちが乗ることができれば、競技者は気持ちよく演技ができいい演技につながるのである。

 ただ音楽というのは競技者の性格との相性があり、さらには演技の特徴との相性の問題もある。故に同じ技術レベルの競技者が同じ音楽を使えば同じ心理状態になり同じ演技ができるというものでもない。
 ノリノリの音楽が好きな人が、情感たっぷりの音楽で演技しようとしても堅くなってしまうであろうし、逆に小気味の良い動きの苦手な人がビートの利いた音楽では、音楽に乗り切れずどこかぎこちなくなってしまうかもしれない。
 かのトリノの金メダリスト荒川静香さんも小気味良い細かい動きが苦手だったので、たっぷりとした曲を選曲していたとのことのようだ(ちなみにオリンピックのFSはトゥーランドットの「誰も寝てはならぬ」)

 さらにこれらの音楽から感情的な影響を受けるのは競技者だけではない。審査員や観客も同じである。
 特に観客に音楽が与える影響は小さくなく、観客を巻き込んで盛り上げる演技が出来れば声援にもつながり、それらの声援が今度は競技者に勇気を与えさらには審査員の審査にも少なからず影響を与える。
 逆に個人の趣味に走りすぎたマニアックすぎる音楽は観客には受け入れがたく、競技者が会場から浮き上がってしまい、なかなか上位にはいきにくい。
 実際、上位に来る選手はほぼ例外なく観客に対して説得力のある音楽を使っている。
 つまり音楽選びにセンスがなければフィギュアスケートでは上位にいけないことになる。


 ここがスポーツであるにも関わらず、音楽が多大な影響を与える「フィギュアスケート」の妙である。

 このあたり、フィギュアスケートの競技会を下位からずっと見ているとその差がよく分かる。私はスケートの専門家ではないが、演技が始まって10秒くらい動きを見れば大体どのくらい順位に属する選手かぐらいはすぐ見抜ける。
 下位に低迷する選手はまず音楽とスピードが動きがあっていないし、選ぶ音楽もスケートに向かないような音楽だったりする。そういう選手に限ってやはりジャンプなども転倒して尻餅をついたりする。体の動きが音楽に乗り切れていないためうまく飛べないのである。
 その点上位に来る選手はさすがであり、音楽にうまくシンクロして演技をする。さらにその中の数名の本当にきっちり音楽にシンクロできた選手がやはり表彰台に上る。このあたりテレビを見ていてほとんど予測を裏切られたことはない。そのくらい音楽で演技の良し悪しが見抜けてしまう。

 さてさて、今回のバンクーバーオリンピック、いよいよ女子シングルのFSを明日迎えるが、SPを見る限り上位二人のキムヨナと浅田真央の演技はさすがであった。
 小気味よくキレが良かった分だけヨナが少し上まったという感じであろう。

 で肝心のFSの曲はヨナがガーシュウィンのヘ調のピアノ協奏曲に対して、真央がラフマニノフの前奏曲「鐘」という対決で、アメリカとロシアという全く対照的な選曲となっている。
 この二人、もう史上稀に見る高いレベルなので個人的にはもう言うことがないのだが、選曲の面だけで言うとガーシュウィンの曲はほとんどジャズといってよいくらいのリズム感を要求されるので音楽に乗り切れるかがポイントで、その点ラフマニノフはたっぷりした曲なので慌てず音楽に入れるのが安心要素である。
 まあヨナがリズムに乗れたらヨナに軍配が上がりそうだが真央がたっぷり大きな演技をすることができれば逆転の目は十分ある。
 どちらにしろこの二人の演技は見るべき価値があり、FSが楽しみである。

各選手の曲はここで試聴できます。


2010年02月18日 大砲が鳴り響く曲 「序曲1812年」
この春節の中国の爆竹や花火を聞いていて思い出したのがこの曲、チャイコフスキー作曲の「序曲1812年」である。
この曲、オペラなどの序曲とは違い、音楽会用序曲として単独作曲された曲である。
 何故この曲を思い出したかというと、この曲は楽譜上に大砲「canon]という指定があり、五発の大砲を撃つように指定されて、演奏中に大音量とともに打ち放されるのである。
 もちろん、いつも大砲を用意できるわけではないので、コンサートでは大太鼓で代用する場合が多いのだが実際に大砲を用意して演奏される場合もある。(もちろん空砲であるが)
 代用の大太鼓にしろ、とにかく「大砲」ということで演奏するのだからとにかく音量がでかい。コンサートホールで大太鼓が代用されるのは道具の問題ではなく音量の問題とさえ思われるくらい大音量で演奏され、耳が壊れるくらいなので、この中国の春節の花火の状況とほぼ一致するのでこの曲を思い出してしまった。
 生で聴くのでさえ苦労するのだから、この曲のレコーディングも結構苦労するらしい。オーケストラは室内で演奏しても大砲は屋外というのが通例のようだ。
また聴く側もデジタルの時代になり音が鮮明に録音できるようになったのはいいのだが、再生時は音量を大きくしすぎてスピーカーや耳を壊さないように注意して下さいと注意書きが書かれるほどやはりこの曲の大砲の音量の大きさは飛びぬけているらしい

ちなみに1812年というのはナポレオン率いるフランス軍がロシアに侵攻したいわゆる「モスクワ遠征」の年であり、ロシア軍が力を合わせて勝利したというロシアにとっては愛国主義の象徴的な年である。
 その意味をこめてこの表題がつけられたというが、作曲したチャイコフスキーは国家から愛国を強要されたことが面白くなかったのか、この曲そのものはあまり気に入っていないらしいということが伝わっている。
 それにしてもロシアにしろ、中国にしろ何故社会主義の国の人はこんな大音量が好きなのだろうか?不思議な共通点である。
ここで試聴できます。


2010年02月06日 忘れられない世界一の夜景
私は旅行が好きで、私も日本国内や海外など結構あっちこっち行っているが、夜景ということに絞っていうと忘れられない思い出がある。
それは、ある年の暮れの押し迫った12月の終わりのこと。
 上海から関空経由で、飛行機で羽田へ戻ってきたときの東京の夜景が今でも忘れられない。

 東京湾沿いに広がる住宅団地や工業団地の明かり、ところどころに見える橋や高速道路、そしてディズニーランドや高層ビル、それらの景色がゆっくり後ろに流れていく。
 どこまで続くんだというくらい広大に遠く広がる大都会の街灯りの絨毯が、大海原の景色のようにどこまでも広がっていた。まるで映画を見ているような気分であった。
 あの時ほど東京がこんなに美しい夜景を持つ街だと感じたことはなかった。

 それまで香港や函館、そして上海やロンドン、パリ、それぞれの大都市の夜景をみてきた私であったが、このときの東京の夜景にまさる夜景は見たことがなかった。

 もちろんそれまでもずっと首都圏に住んでいたので東京の夜景をそのとき初めてみたわけではない。
 東京タワーや六本木ヒルズ、サンシャイン60からの夜景もそれぞれ見ていたし、それまで何度も羽田に飛行機で降り立っていたので、飛行機から見た夜景がそのとき初めてというわけでもなかった。
 
 実はこれほど印象に残る思い出になったには、いくつかの偶然が重なっていた。
 まずは気候で、暮れの押し迫っていた時期であったため空気が乾燥しており、さらに東京から人が減る次期であったので排気ガスが減っていて視界が良くなっていた。
 さらに深夜(23時頃?)であったため、普通の商店などはしまっており、余分な灯りがあまりなく適度に暗くなっており遠くまで見通せたという事情がある。
 もちろんちょうど窓際であったというのも幸いしていた。(当たり前か)


 そして、実は私を酔わせた決定的な出来事がこのとき偶然起きたのである。

 それは音楽である。

 機内のサービスで流れていた音楽を聴きながら飛行機に乗っていた私は当然のことながらチャンネルをクラシック音楽に合わせていた。
 そこで街の灯りを目にし始めたときに偶然同じタイミングで流れてきたのが私の大好きな「ウィーンの森の物語」であった。いうまでもなくヨハンシュトラウス作曲のウィンナワルツの名曲である。
 この曲のゆったりと流れる旋律に心をゆだねながら、これまたゆったりと流れる世界一の大都市の夜景を眺める瞬間は、まさに贅沢の極みであった。
思わず大西洋無着陸横断を成功させたリンドバーグの「翼よ、あれがパリの灯だ」という言葉を思い出して、「翼よあれが東京の灯だ」と心の中でつぶやいた。

 そのくらい印象深い思い出が、このときの東京の夜景だった。

 そして来月ひさしぶりに日本に一時帰国する予定を立て始めて、何とかあのときの思い出を再現するべく、羽田に夜着く方法で帰れないものかと模索を始めた。
なかなか条件がそろわず難しそうだが、叶うことならタイミングをあわせたい。
もちろん人にもお勧めしたい東京の夜景である。

ウィーンの森の物語はここで視聴できます。




関連ページ交通関連情報

2010年02月03日 今年の運勢順位
毎年日本のフジテレビで、最強運決定スペシャルとして、12(星座)×12(干支)×4(血液型)=576通りの総合順位をつけた占いテレビ番組を放送している。

 まあこの結果にどれだけ信憑性があるかはともかくとして、占いやおみくじの類が大好きな私としては毎年この結果が気になっている。
今年も1月1日の早朝に放送されたらしいのだが、当然のことながら中国で年を越した私はこの番組をみることができなかった。

 しかしどうしても結果が見たくなりオフィシャルサイトを覗いてみた。
 するとどうやら日本の携帯サイトからは確認することができるようなのだが、PCサイトでは確認できないようだ。
残念ながら未だ一時帰国できないでいる私には、現在日本の携帯サイトの利用はちょっとかなわない。

うーん、ちょっと手詰まりとなったが、このブログ全盛のネット社会、どこかの暇な奴が全順位をブログに書き出してたりしないだろうかとググって見たところ、なんと案の定いました!全順位を書きだしている人が。。。。

テレビの達人さんのブログ

 まあ、この人は相当暇なんだろうなぁと思う反面、知りたい情報も得られ感謝感謝である。

 で、さっそく順位を確認すると、200位台のほぼ中盤であることがわかり、ちょっと安心。真ん中よりちょっと良いほうというところの位置である。
 まあ特別良いわけでもないが、人並み程度の幸福な運勢である。
 つまり幸せは自分の努力次第といったところか?

 ネットをやっていると世の中には色んな人がいるなぁ、と改めて思わせる今日この頃である。


2010年02月01日 映画「八甲田山」を見た
以前から見たいと思っていたのに、なかなか機会を見つけられずにいたのだが、先日DVD店でこの映画を見つけたので買って見ることにした。
1977年に公開だから、もう既に32年前の映画である。
 何故興味を持っていたかというと、子供の頃にこの映画をパロっていたテレビ番組が多数あったのが頭に残っていたのと、最近中国に来てから日本と中国の近代史の情報を時々インターネットで調べるようになって、日清日露戦争時代前後の情報として、この八甲田山遭難事件にも興味を持ち、映画も見てみたいなと考えていた。
 もっともこの映画は、実際に起きた事件をベースにはしているものの、後に創作された新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」を原作として映画は作られている。
この小説はドキュメンタリー的なノンフィクション小説として扱われることもあるようだが、作者の手でかなり脚色が加えられているのでフィクション作品として見たほうが良い。
小説や映画は青森隊と弘前隊で競ったような書かれ方をしているが、実際にはたまたま日時が重なっただけで関連なく二つの行軍が行われたとのことだ。

 さて、この映画、実にキャストが非常に豪華であることが驚きだ。主役に高倉健 北大路欣也 三國連太郎 加山雄三 そしてそのほかにも前田吟 緒方拳 小林圭樹 下條アトム 東野英心 島田正吾 大滝秀治 丹波哲郎 藤岡琢也 花沢徳衛 森田健作などなど、目がくらくらするくらい名の通った俳優達が大勢参加している。映画作成から30年も経っているので今ではかなりの俳優が亡くなってしまったが今のネームバリューでこれらの俳優を集めたらギャラだけでいったい幾らかかるのだろうと思われるほど豪華である。

 音楽も芥川也寸志とこれまたとんでもない人選である。

 もちろん女優も名前だけは負けておらず栗原小巻、加賀まり子、管井きん、秋吉久美子が出演している。
ただしこの映画は基本的に男性だらけの映画であり、およそ唯一秋吉久美子が紅一点案内人としてストーリーに花を添えているに過ぎなく、それ以外は基本的に男だけの戦いである。ラブロマンスの要素は一切ない。

 まあいまどきこういう映画も珍しい。


 さて具体的なストーリーは書くと長くなるので省略するが、この映画を見ると日本の硬直した縦社会が、いかに組織に悪影響を与えてしまう可能性があるかがよく分かる。
きちんと細かい配慮や準備して挑んだ高倉健の弘前隊が難しい行軍を成功させ、同じように準備しようとしながら見識のない上司の横槍を受け入れざるを得なかった来た北大路欣也の青森隊が悲惨な末路をたどるといった対照的な描かれ方をされている。 
 雪の怖さを考え隊長以下少数精鋭で臨んだ弘前隊に対し、青森隊は上司の横槍でまず編成の段階から思うに任せられず力任せの中隊を背負わされ、故に満足な教育が行き届かないまま行軍実施を迎え、さらには行軍に随行してきた上司の不見識な命令(案内人を断るなど)で指揮系統が混乱し、結局は隊の士気さえ下がり戦う力をなくす結果となってしまったのである。210人参加して生存者11名。生存者がいただけ奇跡のような話である。
 これは明治時代の話であるが、今の日本社会にも通じるところもあるように思える。間違っているとは思ってても上司の判断を受け入れざる得ない場合があり、結局初めから先行きが分かっていながら、みすみす失敗を招いてしまうことは良くある話だ。
 まあ、駄目なものは駄目といえることが本当は理想なのかもしれないが、なかなかそうはいかない日本人の社会である。
 この映画を見てそんなことを考えてみたが、現在明治維新のような勢いで変化を続けるこの国にもあてはまることがあるように思えるのは私だけであろうかと考えてしまった。



2010年01月16日 気功を理解する。
知り合いから気功の先生を紹介されたので、試しに参加してきた。
たった2時間ではあったが、結構面白い時間を過ごすことができた。
まあそれだけでもう理解したというのはあまりにも早計ではあるけれど、
気功は体に良いものであるということは理解できた。

気功の先生は「気」という言葉で表現していたが、まあ「気」といってしまうと非常に抽象的でマヤカシ的な匂いがしないではないが、これを神経と置き換えてみると非常に西洋医学的に理解ができる。

 簡単にいうと、気功でいう「気」とは神経細胞の活性化のことだと思われる。私なりに気功を理解すると、気功とは経絡など体中の各部位をそれぞれ意識することによって、その部位の神経細胞を活性化させ、体そのものが従来持っている病気を治す免疫力を高めることが出来るのという理屈になる。 
 本当に脊椎の中まで神経細胞を活性化させることができるのか科学的に検証できているのか分からないが、意識を脊椎の部位に集中させることにより、脊椎の中の神経をも活性化させることができるということになる。
 神経を活性化させるということは、人の体の生命を健康に維持しようというベクトルを持つ細胞を活性化させることになり、それが実際に体を健康にむかわせる。
 こういった体のサイクルを意識的に強める行動が気功ということになろう。


 こうやって考えると、気功というのは形式的な運動を真似ただけでは駄目だということになる。
意識の集中が大事なのである。極端な話で言えば、体を動かさなくても意識を集中できれば気功は成立するであろう。
 もちろん、体を動かすということそのものが血流を促し、神経を働かせるということになるので、動きも非常に大事になる。

 そういった神経の集中や血流の動きを経験則的或いは中医学的に、効果のある体の動かし方としてまとめたものが、現在ある気功というものであろう。
私はそう理解した。

もちろん気功の先生は「気」だの「心の目」だの抽象的な言葉を使い説明をするので、魔術的な匂いがしてしまう。故に世間的な気功の評判には結構怪しさが付きまとう。
また外部の人間からは「体のどこここがこう痛いのですが気功で治りますか」という魔法を求めるような質問がよく出てくる。
 それを気功的に言えば治せるともいえるのだが、実際には自分の体が自分自身で治すことを促すだけなのであって、気功という魔術が体を治すのではないことは理解するべきであろう。

 世の中には気功を語り、病気が全て治るなど宗教まがいなことをやったり、それを通じて詐欺商法や犯罪まがいのことを行う人もいるので注意が必要だが、理解を間違えない限り気功は体に良さそうである。
時間の許す限り今後も参加しようと考えている。
 



2010年01月03日 「さだまさし」さんの魅力は母の声?
最近、中国のテレビを見ているうちに、ちょっと思うところがあって「北の国から」のあのテーマ曲が聞きたくなってCDアルバムを聞き返してみた。
「あーあー・・・」というあの曲である。もちろん歌っているのは男性シンガーソングライターの「さだまさし」さんである。
ここで当たり前なのにわざわざ「男性」と断ったには訳がある。
 実は今回この曲を聞いているうちに、歌声が女性のもののように思えてきたのである。
 それも若い女性ではなく、年老いかけた女性で声に苦労を重ねた年月が感じられるようなちょっと濁った深みのある声質の、子を持つ母親のイメージの女性である。
 「結(ゆい)のテーマ」の曲でも同様のハミングが聞かれ、これもとても男性とは思えず、まさに母の声である、というか最近まで彼だと気がつかなかった。

 元々「さだまさし」さんは男性としては音域が高い声質のシンガーであるが、その音域は実は女性の平均的な声域の低いところと重なる。
 この声を以って歌詞を言葉にせず「あーあー」とただ声を発して歌うことにより、声の性別の判別がつきにくくなり、あたかも女性歌手が母の愛を歌い上げているように聞こえるという錯覚に陥る。
 歌詞を歌えば、どうしても元々男女で持っている声域が違うため、男か女かは区別がついてしまうので、スキャットで音域をだけを聞かせていることがポイントであろう。

 実はかの曲を名曲足らしめているのはここにミソがあるのではないかと私は感じた。


 曲のタイトルは「遥かなる大地より」となっているが、「大地」はつまり「母なる大地」であり母親の包み込むような愛がそこに存在する曲である。このドラマもそういったドラマである。故にあまり男性的な声質ではマッチングしないのである。

 ならば男性の「さだまさし」ではなく、女性の歌手が歌っても良さそうなものだが、まあそこもドラマとマッチングした妙味である。
 主人公の「純」の母親役は、不倫離婚の末に途中で他界する設定で、このドラマの中心は父親と3人暮らしで成長する姿である。つまり父親が母親の気持ちを背負って子供を育てているというドラマになっているため、男性である「さだまさし」が母心を歌うというのは一つ道理がかなっている。

 もっとも、本人によるとあの「あーあー」は狙って作ったものではなく、作家の倉本聰さんに呼び出された時に、突然に作詞作曲をやらされたので、即興の曲を仕方なくスキャットで歌ったところそれがそのまま採用になったという偶然から生まれたものである。それがあの大ヒットになるのだから世の中何が幸いするか分からない。


 さらに知識として補足すると、作家の倉本聰さんに作曲作詞を頼まれたとき、本人は九州出身(長崎)の自分には北海道のドラマは合わないでしょうと一度は断りかけたらしい。
 しかし「さだまさし」さん本人は確かに長崎の生まれではあるが、父親や祖父は戦時中に中国大陸を舞台に活躍しており、本人自身もそれを追いかけたドキュメント映画「長江」を作成するなど、家庭環境的にも本人の体験的にも、北海道ではないが大陸の大地の懐の深さを知る人間である。
 北海道と中国の内陸部というのは環境的にも人柄的にも似通う部分はあり、中国のテレビドラマを見てて感じる部分が多々ある。
 そんな生い立ちや環境を知ってか知らずか、倉本さんが強引に彼を指名してあの曲となった。

 こうやって考えると、名ドラマに彼が添えたあの曲は、成り立ちは偶然なのかも知れないが、一ドラマの主題歌という枠を超えて彼自身の声質と祖父の代からの人生のドラマが生んだ必然のヒットのような気がしてならない。
 あの曲を聴くとやっぱり時々胸がじんとする。


こちらで試聴できます。



プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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