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2013年05月07日 火星に人は居住できるか?
 先日、上海の地下鉄の車両内のモニターを見ていたら、今後宇宙開発が進めば火星に人が移り住む時代がやってくるかもしれないようなことが放送されていた。

 日本でも昔はこういった番組が頻繁にあったような気がするが、現在では宇宙ブームなんかはとっくに過ぎ去り、子供向けの雑誌はともかく大人の話題の中心に宇宙が語られるようなことは少なくなった。

 しかし宇宙開発が現在真っ盛りの中国では、しばしばこういった映像がテレビなどで流れている。

 私も子供の頃は宇宙に大変興味を持っていたこともあり、そんな時代を思い出すこれらの映像はとても楽しい。

 ただ、大人になると知識が増えてきたお蔭か、こんな夢のような火星移住計画に対して、否定はしないまでも別の視点も持つようになる。

 それは社会的な視点である。 

 まあ今後の科学技術の発展により、人間が宇宙空間や火星などで暮らすための空気や水、食料などの問題はいずれ解決されることだと思っている。

 しかし、それだけでは宇宙空間で生存可能な状況が整っただけで人が生きていく条件が整ったとは言えないのである。

 ここで考えるのはまず生活をするコストなどの問題である。

 宇宙ステーション建設のための費用は度外視したとしても、そこで人が生活し続けるためには生活を続けるための糧を得る手段、つまり産業が必要になる。

 果たして全てが人工的に作られた空間となる宇宙ステーションの中で、そこで暮らす人が生活の糧を得るための産業構造などが成立しうるのかという問題になる。

 そこで産業が成立しなければ、宇宙ステーションは永遠に地球などの外部からの支援を受け続けることになり、果たしてそれが人の生活する社会空間として成立している状態といえるのかということになる。

 そしてこれらに関連する第2の問題が、宇宙ステーション内に社会が成立しうるのかという問題である。
 「人はパンのみにて生きるに非ず」の言葉の通り、人の心が宇宙ステーションの中で生活し続けることに耐えられる状態を作れるのか?という疑問が湧く。

 人間として生き続けるということは、生きていくための夢を持つことが必ず必要になり、宇宙生活の空間の中でも人はその夢を持たなくては精神的に生きていけない。

 また人間は生身の人間であるが故に恋愛をしたり結婚したりして子供も生んだりするが、その逆の失恋や嫉妬などのコントロールしきれない感情や欲望もあり、人間の社会であるからには犯罪や争い事は必ず起き、これらを限られた宇宙社会の中で、内包するのは非常に難しい問題だと思う。

 さらに感情を持つ人間にとっては、酒場や盛り場などの心を開放するある意味いかがわしい場所の存在も必要悪であり、それらを宇宙ステーションの中の社会として内包して成立させることが許されるのかなどなど、人が社会的な生き物であるが故に解決しなければならない問題が沢山あるような気がする。

 まあ、こんなことを考えると夢のない大人になったような気もするが、技術的にはいずれ実現しそうな火星移住だからこそ、危惧するこれらの問題である。


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2013年05月05日 日本人として当然はいつからか?
 時々聞かれる「日本人として当然」という言葉。

 礼節から始まって、日の丸や国歌、天皇制との向き合い方の問題まで幅広く言及される「日本人として」という言葉だが、実はその具体的なイメージが作られたのはいつの頃かというのが最近非常に気になった。

 全てにおいて大きな転機になったのは、やはり明治維新以後の明治政府の政策による誘導が大きい。

 江戸幕府によって治世が行われた頃の日本は、現代の尺度から見れば全く問題が無いとは言えないまでも非常に安定したものがあったが、鎖国という特殊状況が故に進歩も遅れ、世界から遅れた状況になっていたのが幕末の状況である。

 それを軍事クーデーター的に天皇を担ぎ上げて政府を作ったのが明治政府で、尊王討幕の言葉の意味合いからすれば武力政権(江戸幕府)を倒し徳の政治(王の政治)へ移行したことになるが、まあ私から見ると実際は逆で、徳で治めていた国を軍事的に倒した軍事政権的色合いが強かったのが明治政府のような気がする。

 その明治政府の下、作り上げられたのが今にも影響を残す「日本とはこうだ」というイメージ像で、国をまとめ上げるために作られたこのイメージは軍隊教育的な匂いが色濃く、それ故に現代までも一部の人間に強く影響を与えているが、実は歴史的時間で言えば明治維新から敗戦までのたった150年ほどの間に作り上げられたものに過ぎない。


 例えば天皇制は確かに2000年以上ものあいだ続くとされる制度ではあるが、鎌倉以降は武家政治の時代が続いたため、この約700年もの間は現代の象徴天皇制のような位置付けが続いていたわけで、それを政治の看板として改めて引きずり出したのが正義の看板が欲しかった明治政府であり、それ以前の江戸時代の庶民にとっては既に世の中で権力を持って偉いと感じていたのはやはり天皇ではなく自分の領地のお殿さまであり、幕府の将軍であると思われる。

 日の丸とて、その存在自体はは平安時代頃からあったようだが、実際に国の標識として使われ始めたのはやはり明治維新前後からであり、国歌も同様で、ましてや国旗に敬礼をしろなどというのは明治政府の軍隊的教育以外の何ものでもない。

 また性的観念なども、今でこそ日本人は慎み深くあるべきだという考えが主流だが、これも明治政府が欧米列強に肩を並べるためにキリスト教的道徳観念を国民に強いた結果であり、それ以前の日本人は長きに渡ってかなり性的に開放的であった事が資料から伝わっており、現代の道徳観念までも否定するつもりはないが、決して「日本人として」伝統的にその考え方があったわけではない。

 さらに明治政府は、廃藩置県により地域にあった自治の体系を壊し中央集権の国家に作り変えてしまったため、日本の自治の土壌を失くし、今に続く官僚政治や、藩ではなく日本という大きな枠のイメージを作り出し、最終的に新たに統治に都合の良い「日本人とは」とか「日本とは」というアイデンティティを生み出すのに成功したのではと思われる。

 どうもこういった点は大きな声では言えないが、現在のどこかの国と似た面がある気がしてならない。

 これらのことを考えると、今の人がよく口にする「日本として」のイメージは、実は明治政府が意図的に作り出したナショナリズム的なイメージであり、日本の歴史の中では必ずしも伝統的に長い間存在していたわけではないことになる。

 明治政府は国の制度の近代化という面である一定の役割を果たした面は確かにあるが、それと同時にそれ以前に長くあった自治的結びつきや日本の文化を多く破壊したという面もあり、欧州列強を意識過ぎたばかりに明治維新以後に出来た日本という枠は決してプラスばかりではなかったという気がする。

 ましてや、日本の敗戦によって民主国家として再出発してから70年近く経つわけで、そろそろ国民や政治家は明治政府の呪縛から解き放たれてもいい頃なのではないかという気がしている。
 


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2013年05月02日 大気汚染をすぐ忘れるマイカー族
 連休中、上海の高速道路が非常に混雑していたというニュースを目にした。

 まあレジャーに出かけるのは結構なことだが、彼らは大気汚染がどうこうのと騒いでいたつい数週間前、数か月前のことはすっかり忘れてしまったのかのように思える。

 マイカーでレジャーに出かけることと、自分たちの車が環境汚染の一つの原因であることがどうも結びついていない。

 つまり彼らは目の前の自分の快楽しか見えておらず、自分が自分の不快の原因の一つであることはすぐ忘れてしまうというか全く理解していないように見える。

 そういうマイカー族に限って、再び大気汚染が重くなれば、空気が悪すぎて大変だとか叫ぶのだろうが、普段から車の利用を控えるとかそういった配慮は無いらしい。

 モーターショーとかの様子を見ても、大気汚染の騒ぎはどこへ行ったのかというほど、その汚染源に夢中になっている人たちがいる。

 

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2013年04月30日 環境がビジネスになる可笑しさ
 最近よく環境ビジネスなどという言葉を耳にするようになったが、良く考えてみればこれは非常におかしな言葉である。

 何故なら、元々環境を破壊するようなことをしなければ、環境を保つためのビジネスなど発生しようがないからである。

 それをビジネスで利益を追求するあまり環境を破壊してきた後始末を、今度はその環境を保つために「環境ビジネス」としてビジネスを成立させてしまうことに、おかしさがある。

 昔聞いたある話で、失業者が3%いる国で失業者を失くすために、1.5%の人にハエを育てさせ、残りの1.5%の人にハエ退治の仕事をさせ失業者を失くしたという話を聞いたことがあるが、現在の環境ビジネスの話はどうもそれに似ている。
 
最近のインフルエンザの脅威や大気汚染をブログなどでやたら煽って儲ける医者や製薬会社もなんか似ているような気がする。

 どうも最近は「環境ビジネス」という言葉は、本来の環境破壊の所業を覆い隠して綺麗ごとにしてしまうための呪文のように聞こえてしまう。

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2013年04月18日 食傷気味なインフルエンザニュース
 毎日のようにインフルエンザのニュースを目にすると少々食傷気味になる。

 亡くなっている人には悪いが、なかなか自分の身に危機が迫っているという実感もないためか、これらのニュースはもう右から左へスルーしている。

 また領事館からもほぼ毎日のように詳しい情報が発信されているが、作っている人には悪いがこれもほとんど読まなくなった。

 こうなってしまうとオオカミ少年の発言と同様で、一つ一つが真実であっても受け流す癖がついてしまい、本当に大事なニュースが混じっていてもスルーしてしまう自分がいそうでとっても怖い。

 まあ、そのあたりはニュースを出す側も心得なければいけないことであり、毎日一人ずつ死者が出たとて、新たに大きな展開が無い限り、報道方法は考えるべきであろう。

 オオカミ少年の話は元々は嘘であったが、こちらのニュースは真実であっても食傷気味になっており、同じ様な教訓を与えてくれている。

 こうなってくるとつまりオオカミ少年の教訓は、嘘をつき続けることが悪いというよりも、単調な情報発信は情報効果が無くなるというポイントの方が大事だという気がしてくる。

 まあ子供にはそんな教え方は出来ないかも知れないが、どうやら大人はそう覚えた方が良さそうな気がしている。
 

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2013年04月16日 三國連太郎逝く
 俳優の三國連太郎さんが亡くなった。

 世間では最近まで出演し続けていた釣りバカ日誌のインパクトが強いようだが、私個人の映画鑑賞履歴の中では、「ビルマの竪琴」や「八甲田山」での印象が強い。

 若いころはキリッとした好青年で、年老いてからも味のあるおじいさん役が似合っていた。

 いずれにしても存在感のある名優の1人であり、昭和の名優がまた一人逝ってしまったという気がしている。

 あるところで聞いたところによると、彼はずっと自分に自信がなく生きてきたようで、出演した映画にも役どころにも自信がなく、そのコンプレックス故に弛まない努力を続けていたようで、さらにいつ俳優を止めていてもいいと思っていたから思い切った演技や監督らとの衝突も厭わなかったとのこと。

 まあ世の中の自信満々を語る奴には実際に大した人はいないという気がしており、こういったコンプレックス的な部分を持つ人こそ逆にあのような名を馳せる人を生み出すのかなという気がしている。

 人が努力をするきっかけは人それぞれだが、常に地位に安住せず高みを望む姿勢が人の成長を生むのは確かなようである。

 そんな見本の名優が逝った。

 故人のご冥福をお祈りします。

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2013年03月12日 大気汚染は低気温が原因?
 日本では季節的な黄砂の飛来とともに中国から流れて来てるであろう悪い空気の問題が話題となっており連日ニュースを賑わしている。

 ただ、その汚染源とされている中国では、世間の気候が暖かくなって、あれだけ騒がれていた大気汚染問題はややトーンダウンした感がある。

 実際、観測値も一時程の酷い数字はなく大気汚染は減ってきているような感がある。

 これは何故であろうと考えてみた。

 幾つか資料を調べてみたが中国ではまともなデータが拾えないのが現実で、説得力のある理論が成立しないのだが、まあそれでも今回一つの憶測的推測を立ててみた。

 それはやはり気温の低下が要因で大気汚染をもたらしてるのではないかということ。

 まず冬の気温の低下による電気需要の増加によって発電量が増大し、火力発電所の稼働が上がっているということは実際にあるはずで、その影響は多少なりあると思う。

 ただ、これだともっと電力消費の大きな夏との差が説明できない。


 次に第2の要因として考えられるのが低温が排気ガスの質を悪化させているのではないかという推測。

 つまり、冬の低温が発電所あるいは自動車のエンジンの燃焼効率を下げて排気ガスを増大させ、或いは汚染度を高めているのではないかということ。

 特に自動車については質が悪いと言われるガソリンと、安い価格の中国車エンジンの問題が大きいような気がする。

 多くの中国製品は、ある一定の基準の条件下では性能を発揮出来ても、条件を変化させた途端に極端に性能が悪化する場合がある。

 まあデータが無いので憶測でしか物が言えないが、中国車の場合はエンジン、オイル、ガソリンなど何れも日本車などに比べ質が悪いと仮定するならば、気温の低い冬場にさらに性能が悪化し、その悪化状況が相まって排気ガスが量・質ともに増大する可能性は否定できない。

 例えば寒さでエンジンオイルの性能が低下すれば粘性が増して平温時より燃料を余計に必要とする可能性があり、さらにその燃料そのものがやはり気温で性能低下すれば燃焼が足りずやはり余計に燃料を消費することになり、結果排気ガスが二乗的に増加する可能性があるということになる。

 それ故か比較的質の良い車が走っている上海では大気汚染が比較的軽く、内陸部で深刻な状態となっており、実はその差の理由はその都市の自動車とガソリンの質に要因があるのではないかと疑っている。

 また火力発電所についても然りで気温の低下で日本の設備のそれよりも燃焼効率がかなり変わっているのではないかという疑いを持っている。

 つまりこういった低温がもたらしている大気汚染であるが故に、現在のように暖かくなってくると状況が解消していく、そう考えるのだがどうであろうか?

 この理屈で行くと自動車の台数を考えるより、「質」を考える方が答えは近いであろうという気がしている。

 春節の花火が大気を汚染しているなどといった一時的な状況に責任を押し付けるのではなく、もっと日常的な状況に目を向けて問題を解決していってほしいものである。
 

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2013年03月07日 あの相撲甚句はもう聞けなくなった。
 今月1日に3年程前まで上海の街にいた岩見正昭さんが亡くなったと、昨日人づてに聞いた。

 年齢とか亡くなった時の状況など詳しいことは伺ってないが、亡くなったという事実だけで十分ショックなニュースだった。

 岩見さんといえば上海の日本人社会の中でも結構有名人だった人で、上海にある全47都道府県の県人会を巡り、自ら作成した各都道府県の風光明媚な名所を謳いこんだご当地相撲甚句を披露していた。

 私も彼の紹介で幾つかの県人会に参加させてもらったり、実際に一緒に相撲甚句などを謳ったりした。

 日本時代にやはり全都道府県を回った私にとっては、歌に歌われる名所などが懐かしく、よくまあこんなに調べて歌詞に織込んだと感心したものだった。

 歌だけでなく、もと関取だった大柄な体型同様に懐の深い人で、今でも彼の声や言葉を鮮明に覚えている。

 あれからまだ3年程度しか経ってなく、1年ほど前にもまた上海に来たいとメールをもらったので元気だと思っていたが、人の人生ははかないものである。

「ヨイショ!ヨイショ!」

 もうあの相撲甚句は聞けなくなたと思うと残念でとても悲しい。

 故人のご冥福をお祈りします。

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2013年03月01日 吉祥寺は中国語スタートの場所だったのに
 吉祥寺の路上で通り魔殺人が発生し若い女性が亡くなる痛ましい事件が起きた。

 あまりオシャレとかファッションに縁の少ない私だが、私が中国語学習をスタートさせたのはあの吉祥寺の街だった。

 半年間、毎週一回吉祥寺の街に通い、某外国語学校で中国語の基礎を学んだ。

 ある事情があって職場から1時間も離れたかの学校に通っていた。

 今回事件が起きたあの場所は、私の通っていた語学学校のすぐそばであり、直線距離にしたら200メートル有るかないかの場所である。

 故にレッスンが始まる前にちょっと時間がある時はよくあの街を徘徊していて、今回の事件が起きた場所も何度も歩いた場所だった。

 YAHOOのニュース映像などを見ていても懐かしい風景が広がっており、それだけに今回起きた事件への衝撃は私自身としても大きい。

 今回の容疑者は無職の外国人の少年ということで、お金に困った上での犯行ということだが、何故命まで奪う必要があるのか?

 私の現在の出発点だった場所なだけに、今回のような事件が起きたことはとてもやるせない気持ちでいっぱいになる。

 故人の御冥福をお祈りします。


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2013年02月28日 マイカー族の環境意識
 まあこれは中国に限らず日本でも同様なのだが、大気汚染などのニュースに煽られて環境の大切さを騒ぐものの、自らの行動には反映できず変えられない人が多い。
 (もちろん私自身も含めてだが)

 例えばマイカーを運転して、空気の綺麗なところへ遊びに行った場合に、都会から行ったドライバーは「空気が綺麗なところはいいね」などと言っているのだと思われるが、空気がいいと感じているのは本人だけで、その場所にとっては都会から来たマイカーそのものが汚染源の一つであり、空気を悪化させて要因となっていることに気が付いていない。

 都会から来たドライバーは、本人にとっては都会の悪い環境から逃げ、本人周辺の環境改善を行なったつもりでも、来られた側からすれば都会から悪い空気をわざわざ持ってきた人間に過ぎないのである。

 本当に環境を意識しているのなら現地の環境負荷を最小限にするために公共交通機関を利用すべきなのだが、まあマイカー族にはそういう意識があるとは思えず、どう考えても客観的には自己中心的な行動となる。

 また田舎に逃げず都会生活で過ごす時間も同様で、例えば外は空気が悪いと言って、室内に籠ってガンガンに暖房をかけて過ごせば、これまた電力使用の増加に繋がり、発電所に負荷をかけることになり、環境汚染物質の更なる増加に繋がる行為となる。
 つまり自分で自分の首をさらに絞めている行為とも言える。

 ことほど左様に人は意識とは裏腹に環境に負荷をかけている行動をとっており、特に環境に敏感だと言われるミドル層ほど実は自らの生活が環境悪化に拍車をかけているのだが、それに気づいているのか気づいていないのか「環境」を声高に騒ぐのもやはりミドル層である。

 もちろん環境をあんまり意識過ぎると身動きが全く取れなくなってしまうが、ニュースに煽られて自らの行動を振り返らずに「環境破壊だ」などと馬鹿みたいに叫んでいるだけでは結局自らの足元をすくわれることになる。

 環境問題を含めて、どんな社会問題でも大体においては我々の行動の反映なのであるから、他人事的な浅はかな社会意識提言では解決できないことを我々はもっと知るべきであろう。

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プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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