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上海ワルツNEW


2009年11月05日 松井の活躍にただいま興奮中
今日のワールドシリーズ第6戦、テレビは見られないがちらちらとネット速報で観戦中。
優勝してしまえばこれでヤンキースでのユニフォーム姿は最後かも知れない状況の中で、3打数3安打1本塁打6打点の獅子奮迅の活躍を見せている。
 昨日まで今シリーズは打率・556、2本塁打、2打点の活躍で、今日活躍すればMVPの期待もかかるが、勝てば勝ったで今年のシーズンが終わってしまう。
まだ契約問題が解決しないのでこれが見納め(テレビ見てないが)になる可能性も捨てきれない。
 果たしてMVPを取った選手を放出できるのだろうか?そんな期待と不安を抱えてただいまちょっと興奮気味で観戦中である。


2009年11月04日 F1レースの終焉のはじまり
 ブリジストンのF1へのタイヤ供給に引き続き、トヨタも今季限りでF1から撤退することが決まった。
 昨年の金融危機以降の経済状況の悪化による経費削減が主な理由とされているが、社会状況を考えると現実にはそういった単純な経済状況によるものだけではないように思える。
 言うまでもなくF1レースは、内燃機関のエンジンを積んだ自動車レースの最高峰であり、ここで磨かれた技術が現実に我々が使う車に生かされてきた。
 故にF1は単純な広告費効果や入場料目当てのショービジネスではなく、技術競技の場であったため、各メーカーはこれまで計り知れないお金を湯水の如くF1につぎ込み成果を競うことが出来たのである。

 しかし近年の原油高騰や昨年の金融危機、さらに地球温暖化に対する世論の高まりから、一般消費者の嗜好がガソリンを消費しないエコカー志向に傾きはじめ、各国政府の誘導政策の効果もあって次第に内燃機関自動車が売れなくなってくるようになった。
 これらのユーザーの志向変化に合わせて、各自動車メーカーも次第にエコカー開発に力を入れ始め、将来の電気自動車に向けての開発に方向性を変え始めた。
 つまり世の中は日本のエコカーブームに見られるような、自動車そのものの開発の方向性が今や単純な内燃機関駆動の自動車から燃料の消費を抑えたエコカーや電気自動車にシフトして来ているのである。 
 よってこういった世の中の流れの中で日本の自動車メーカーが内燃機関車のレースであるF1への投資意義を失い、撤退を決めたのは当然の流れなのである。

 つまり昨年の金融危機という経済的理由は世の中の自動車に対する志向変化のきっかけであって、自動車メーカーがF1から撤退する直接のきっかけではないということになる。
 経済的な言葉で言えば非採算性事業から足を洗い採算事業に資産を振り向ける「選択と集中」を行なっただけであり会社全体が縮小ということではないのだと思う。
 F1が自動車メーカーの利益にとって価値ある選択でなくなったという時代の変化がここに見える。

 この流れは日本メーカーのみならず、いずれ各自動車メーカーに波及することが予想され、近いうちにF1レースに参加するメーカーが激減し、ファンにとっては非常に残念なことだがレースそのものが終焉を迎える可能性が非常に高い。

 もちろんショービジネスとして生き残る可能性は否定できないが自動車技術の最先端を競う場としてのF1は確実にその意義を失っていき、自動車メーカーがかけられる予算は非常に限定的になり、従来のF1とは形の異なったものになってしまうであろう。
 いずれ電気自動車によるF1といったものが新たに生まれるかもしれないが、電気自動車にはあの内燃機関車特有の重低音で響くエンジン音という魅力がないので、ファンにとって魅力あるものとして成立するかは非常に疑問だ。

 まあそれくらい今回のトヨタやブリジストンのF1撤退は、自動車業界やファンにとっては単純な日本メーカー撤退という意味だけでなく、F1レースそのものの終焉が始まったという意味で、非常に意味が重い変化ということになる。
 上海でもここ数年、F1が開催されるようになり、一つの季節風物詩として賑わってきたが、いずれそれも無くなりそうであり、そう思うとそれはそれで非常に寂しいものがある。




2009年11月04日 日本は環境技術の宝庫
 昨日見てきた工業博覧会だが、改めて日本の環境技術の高さを感じることができた。
幾人もの出展者の方とお話をしてきたが、非常に高度な技術を持っているのにPR不足で埋もれている技術が沢山あるようでありその点で非常に残念に感じた。
 埋もれているというか、まあ実際には現場現場で技術を生かせているのだけれども、クライアントからの要望に応えてその都度技術を向上させてきただけなので、そのクライアントのみ販売しており、営業的商品として売り出しているわけではないようである。
 故に世界最高水準の技術が世の中に広がることなく宝の持ち腐れで埋もれている。彼らは職人的に技術を高めているだけで、販売戦略的に開発しているわけではないが結果的に世界水準技術になったのだという。
 私は技術的な専門性は分からないが、話を聴く限りでは、その技術が広まりさえすれば例えば鳩山さんが先日の国連で演説した25%の二酸化炭素の排出量削減などはあっという間に達成できてしまうような高度な技術ばかりである。
 その意味では同じ工業博として土俵に乗りながら、派手なPRばかりが目立つ何の技術的な裏付けのない中国の国産飛行機や他国の技術を輸入しただけの通信機器に比べれば、その技術的な重みは雲泥の差である。
 そのあたりの意義の違いを理解できない中国のマスコミもやはり素人記者ばかりのようで、派手なPRに翻弄され、本当の意味での高度な技術がどこにあるかをわからず個人の趣味レベル的な取材をして、世界を救うかも知れない技術には目も向けていないようである。
 鳩山首相も恐らくこのあたりの日本の技術レベルの高さを知ったうえで、国連でのあの強気の演説に繋がったのだと思うが、恐らく彼らが感じている以上に日本の技術レベルは高い。
  今この時期に上海にあれだけの技術を持った会社が集まっているという意義は高く、私が鳩山さんと友達であったなら、是非この工業博へ招いて、日本の技術の高さを知ってもらい、そのPRを手伝って欲しいと思う。
 私も鳩山さんほど影響力は持ち得ないが、何かできることがあるならば彼らのPRを手伝ってあげたい、そう思える程もったいない日本の技術である。
 


2009年11月04日 C919は787のコピー?
今日、上海の工業博覧会を見てきたのだが、日本企業の集まる環境関連のブースとは別に航空機関連の建物があり、そこで中国初の国産商用ジェット機となるC919の模型が飾られているというので覗いてきた。

で、見てきたのが写真の模型。
ぱっと見た瞬間に思ったのが、あ787にシルエットが似てるなというところである。787とは言うまでもなくボーイング社の787なのだが、上海航空のポスターか何かで見た787のものとシルエットが似ていたような印象だった。
 ここで頭をよぎったのが、「国産」と言われる中国の新幹線である。国産といいつつ、そのほとんどは日本側から技術供与を受けたもので、もともと外国の技術をコピーしてちょっと手を加えただけで国産といっているような代物である。
国産という名目が欲しいのは分かるが人のふんどしで相撲をとって自分の手柄にしているのはいかにもひどい。
 まあこれがこの国の技術革新の現実であるからして、つまり今回のこの航空機の話も、現存機のコピーを国産と言って製造しようとしているのではないかという懸念が浮かんできた。


 さっそく家へ帰って787の資料を調べ始めたが、うーんシルエットはよく似てる。
さらに疑念が深まった。
と思ったら、よくよく調べてみると、実はC919は開発が始まったばかりのこと。つまりこの計画も発表されたばかりで開発工程くらいは出来たかもしれないが、完成形の姿はまだ見えていないような段階である。
従って机上でもまだ外観をイメージできるような段階であるわけがなく、故に展示されている模型も全く根拠がなく単なる想像上のイメージ模型でしかない。つまり開発側が完成予想図として描いたものではないということになる。
 よってこのC919の模型は冗談ではなく本当に787の模型を塗り替えただけということが推測として浮かんできた。
結局はこの模型は「こんなようなC919という新しい航空機を開発します」というPRシンボルとしての意味でしかなく、実際に製造される航空機とは直接関係もないものということになるであろう。
 まあそれをあたかも完成予想図のような形で大型模型を展示する中国の大胆さにはやはりちょっとあきれてしまう。
模型品がどうあれ実際に開発製造される航空機の安全性や技術が確かならば、何の心配をする必要もないのだが、こんな模型も含めていろんなことが「見栄え」優先で進んでいるだけに、作られる航空機も見栄え優先のやはりコピー製品であったなんてことにならないよう技術者の真剣な開発を願いたい。




関連ページ交通関連情報

2009年11月02日 社会の見方
 世の中に色んな考え方、信条の人がいるのは当然のことだが、思ったより社会の動きを見極められない人が多いということに気付かされる。
まあ、自分がそれほど抜き出ているとは思わないが、どうやら私は小さい頃から他人よりは少しばかり社会が見えているらしい。インフルエンザや民主党が世間を賑あわせているときも結構冷静に世の中を見ていた。
 そういえば小学校から「社会」の成績は飛びぬけて良かった。自慢になってしまうが小学校の社会のテストで偏差値80などという結果が出たこともある。社会の教科の成績イコール世間の見方ではないが、まあ社会的なモノの見方は小さい頃から長けていたようだ。
 こんな私であるが故に、社会ウォッチングは常に自然なスタンスで行っており、世の中を見てきた。
 世の中にはきれいごとな建前から、きれいごとでは済まされない本音の社会関係、人間関係があり、人々の職業一つ取っても先日の映画の「おくりびと」ではないが、納棺師や火葬場の火守のような社会を下支えするような、一般的なサラリーマンのような概念の枠にはまらない社会の動きを支える色んな職業の人がいる。
夜の水商売なども決して日の当たる場所ではないが、社会の必要悪的な要素として世の中に存在する。
それをきれいごとばかりを言って疎んでもばかりもいられないのが社会というものである。


 また大企業の社長であろうが、派遣切りされた末の浮浪者であろうが、同じ人間として赤ん坊として生まれたはずだが、、、いや生まれるということは一緒でも、親に望まれない子がいたり親が出産と同時に亡くなってしまうケースもあるし、先天性の病気を抱えて一生を過ごす人もいる。そういった様々な環境や事情を抱えた人々が一緒に生きているのが社会であり、現実である。
 しかし、日本の社会に生きていると、そういった社会問題はどちらかというと、偏った平等意識のために蓋をかぶせられ気付かないでいてしまうことが多い。
 しかし中国へ来ると、包み隠さずそこらへんに貧富の差が存在し、頭で分かってはいても直接目の当たりにするとちょっとドキッとする。
ここ中国では否が応でも社会の底辺の広さを感じ取らざるを得ない。
 先日、日本でも平均年収の半分以下の人間の人数を表す貧困率が世界の中でも15.7%と深刻であるとの数字が先日厚生労働省の統計で出ていた。
 しかし困ったことに、この数字を目にしても日本人の多くは自分のこととしてとらえられないでいる気がする。明日は我が身という危機感を感じていない人が多い気がする。
 1億総中流意識などという言葉がかつてあったが、その意識がそうさせるのだろうか?どこか自分だけは安全な場所にいると思いこんでいるようだ。その意識が競争意識を失い国全体の地盤沈下を招いている気がするのである。

 私はたまたま社会の捉え方に敏感であったが、それ以上に日本社会が自身の社会の現実の姿を捉えられないような構造になっていて危機に鈍くなっている。
ここが実は今の日本の深刻な病巣であると思う。




プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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