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2012年07月19日 原発の反対デモのニュース
 上海にいると日本の状況は文字面でしか分からなく肌で感じるものが少ないのだが、どうやら東京では反原発のデモで多くの人が集まっているということが伝わっている。

 広聴会でサクラがいただのいないだの色々ドタバタしているニュースも伝わってきている。

 デモ参加者の行動理由は、地震による危険性が完全に回避されたわけではないのに、原発を稼働させるなというのがその趣旨らしい。

 まあ、彼らの言うリスクの面で何ら否定すべきものもなく、今の原発が安全性の面で非常にあやふやなものであり、将来的に廃止を含めた議論はすべきであると思う。

 しかしである。

 実は、今の時点では原発を動かさないというリスクも非常に大きなものであるということを彼らは考えたことが有るのだろうか?

 もちろんそれは経済的リスクである。

 原発を稼働させないことによって生じるリスク、例えば節電の為の操業調整だったり発電コストの値上がりによる生産コストへの影響である。

 これに対してデモに参加する原発反対論者は、万が一原発の事故が起きてしまったら放射能による生命の危険があるし、福島の例を見ても経済への影響も計り知れないと唱えるであろう。
 “万が一”事故が起きた場合には大変なことになる可能性があると。。。

 これは至極もっともな理論であり、否定すべき部分はない。



 しかしである。

 原発を稼働さないことによって起きる経済的リスクは実は「万が一ではなく」、他の発電手段などが構築されていない今の時点では「ほぼ確実に起きる」のである。

 しかも経済的なクライシスが起きれば、実は経済的犠牲者が発生する。
 つまり社会が不景気になれば失業者や経済的理由を苦にした自殺者はほぼ確実に増えるのが自明の理なのである。

 もちろん原発停止との因果関係は容易に証明できないが、経済が悪化すれば多かれ少なかれそういった自殺者が増えるのは社会的真理とも言え、しかもこういった場合犠牲になるのはたいていは大企業の社員ではなく、中小の下請け企業の経営者や従業員など社会の末端にいる人たちである。

 しかも本来はそのセーフティネットになるはずの生活保護制度なども、現在の政府の財政事情により思うように任せないし、先日の某芸能人の母親の不正受給疑惑などもあって世間の目が厳しくなって期待できる状態にはなく、悲劇を防ぐ機能を果たせる状態だとはとても言い難い。

 逆にかなり乱暴な言い方になるが、今現在今回の福島原発の事故で放射能による犠牲者は出ていないはずで、その経験を踏まえて言うならば、もし今回の大飯原発で地震災害の影響による事故が起きても直接の被害者はやはり全くでない可能性がある。

 それに対して、原発停止によって経済的影響が発生すれば、犠牲者はほぼ確実に増えるという状況となる。

 万が一の地震や事故を考えて安全を取るか、確実に起きるであろう経済的リスクの回避を選択するか?
 ここが今回の政府の非常に判断の苦しいところであったと推測する。



 結局政府は今回「万が一」より「確実に起きる」リスクを回避したのだと思う。

 この判断はある意味乱暴な「賭け」とも言えるが、経済的リスクによる自殺者急増の懸念を声高に稼働理由として叫べない政府の立場を思うと、今のデモで反対攻めにあっている状況はちょっと気の毒である。

 つまり生活の安全を考えたつもりの今行われている原発反対のデモは、ひょっとすると誰かの生活を追い詰めているのかもしれないのである。

 目先のことを声高に反対を叫ぶのは簡単だが、例えその行動が結果を得たとしても、社会はそんなに簡単なハッピーエンドでは終われないのである。




既得権益者
投稿者:上海ワルツ 2012年09月17日 投稿番号:48782

諸事情により中断してしまいすみません。

・・・既得権益者という言葉を乱暴に振りかざしますが、田舎の農業従事者も、漁業従事者も一つの既得権益でしょう。
 むしろ追い出された人間で作ったのが都会という見方もでき、原子力やそれに従事する人を既得権益者と呼ぶなら昔から土地を持つ人も都会の人から見たら既得権益者で彼らを守るために何故TPPが阻害されるのかという考え方もできなくはなく、職業を持つ人全てが既得権益者で、その職業を守ろうとするのは当然のありようかと思います。
 ところでイノベーションや電力を大量に必要とする社会が悪だとする考え方は原子力が悪だという考えの基礎のもとに立ったものだと思いますがそれはやはり片寄り過ぎていると思います。
 この間に行われた公聴会で2030年に原発をゼロにする意見方針が出たようですが、経済性も何も無視したあの設問ではああなるのが当然で、あの公聴会自体が政府の拙速でした。
 この結果、恐らく今後は電力の値上げ地獄に陥る可能性があり、それを技術的・人為的努力で電力の消費量を減らせるかどうか、、結局はイノベーションが進むかどうかに経済バランスのとれた社会が保てるのかどうかがかかっているといえます。

現状維持以外の道
投稿者:雪子 2012年08月06日 投稿番号:48224

イノベーションは止まらない。イノベーションが止まらないのではなく、それを続けることが既得権者の有利に働くということでしょう。

都市への集中は富めるものがさらに富み、多くの貧しき人たちを発生させます。格差を拡大する役割を果たすのです。1%の人が、世界の富の大半を占めているといったことが話題になりましたが、このような現象も都市への集中化と無縁ではないでしょう。

また、都市への集中はそれ自体、自己崩壊の可能性をもっています。災害への脆弱さのような物理的な可能性はもとより、貧困層の増加からくる次世代の無能化等の問題もあります。

原子力から生まれる莫大な電力の大半だって、地方の必要性からきているのでなく、大都市への電力供給のために存在しているのです。

健全な地方社会なしに、都市とて永続することはできず、社会の発展もありえません。

多大なエネルギーを必要とするイノベーションだけに頼っていては、社会の未来はありません。

でもイノベーションは止まらないですよ
投稿者:上海ワルツ 2012年08月05日 投稿番号:48215

 社会に問題がある限り、誰も後退によって問題を解決しようとする人は一人もいません。
 戦後、国は懸命に産業が都会に集中しないよう全国に工業を中心とした分散型国土計画を実施し、まあ小名浜あたりにもいろいろできたのですが、残念ながら福島の原発のあの土地は、農業にも漁業にも林業にもそれほどめぼしいものが無く、普通の工業をいれようにしても水という面でちょっと無理だったので、結局後背地人口をそれほど必要としない原発設置という判断になったのだと思います。
 でも結局多くの人はそれからも全国から都会に行きました。
 みな原発を避けて都会に行ったわけじゃないですから、都会に原発を立てたところでその逆流は起きえないでしょう。
 新幹線や高速道路が出来ると、都会から田舎へではなくますます都会に吸収され、過疎はますます過疎になりました。残念ながら田舎じゃ食えないのです。生きていけないのです。
 人は良識で生きているように見えても、結局世の中は競争社会ですから競争は避けられず、つまり今回のケースは田舎が都会に競争で負けたということです。田舎が自らイノベーションを起して都会に勝つ意識が持てない限りもっと過疎は進むでしょう。
 でも都会に勝つのは無理ですね、地方の人はみんな東京を見ています。議員も学校の先生も役所の人も、テレビ番組も。
 あなたが都会のイノベーションに腹を立てるなら、退化ではなく都会の経済社会より魅力的なイノベーションを起すしかないですね。 
 きっとそれがこの競争社会であなたの良識を表現する唯一の方法だと思います。
―――――――――――――――――――――
 新興宗教やヒトラーについて、、、
彼らは考え方に問題があったかもしれませんが、彼らの人格までは否定しません。彼らはやはり人だからです。他人を大勢傷つけて罪は負うことになりましたが、罪は罪として社会の中で裁かれるべきで、犯罪者とて裁判を経て受刑者となれば、服役中は守らなくてはなりません。
 むしろ一番狙われやすい時に安全が与えられないというのは彼らの人格や人権無視ということになり、それが出来なければ我々も彼らと同一レベルの無法者になります。

貴方の良識に疑問がある
投稿者:雪子 2012年08月05日 投稿番号:48213

他人に、新興宗教だの、ヒトラーだのとレッテルを張ろうとすること-それを貴方がやったのですが-人格に関わる問題として認識できていない。それが貴方の問題ですね。

または、貴方は監獄と同様な安全でも、安全は善であり、それで良しとするのですね。監獄のような管理の中でしかなしえない安全を進化と受け止め、それを過ちと考えない。私はとうてい賛成できません。
このような良識は私だけではなく、多くの方に同意が頂けると考えます。

それから、原発が過疎化を防いだとい話ですが、このような言い方は頂けませんね。
そういうことなら、原発を東京のど真ん中におけば、地方へ移動する人が増えて、過疎化を防げるという言い方もできます。

また、過疎化そのものが、成長とイノベーションばかりを追求してきた都市集中型の発展がもたらしたものです。それを原発がなければ過疎化がひどくなるなど言い張るのは、おこがましい。

言葉を返せば
投稿者:上海ワルツ 2012年08月05日 投稿番号:48212

あなたの良識もまた世間の中のたった一つの考え方に過ぎません。

 他人には他人の良識があります。

 あなたの良識が世間が世間に理解できるものとなるには、世間が理解できる客観的な物差しを用意する必要があるでしょうがそれとて人それぞれ評価が違います。
 既得権益者を非難し排除しようとする姿勢は、実は社会が弱者を排除していると思い込むスタンスと立場が違うだけであまり変わらない気がします。
 そういう他人の考え方を他人と共通する客観的なデータも持たず排除する時点でやはり独裁者的かなという気がします。

 なお、私はあなたの考え方は沢山否定していますが、あなたのように人格に関わる言葉は持ち出していないつもりですので。

 実は上海にも監視カメラが大量にありますが、それによって極端に安全になったとか、市民生活が監視のプレッシャーを受けたとか、そういうことにはなっていません。
 要するにカメラが安全をもたらしているとか、監獄化しているとかは実は拡大された印象にすぎません。昔はカメラが無くても社会の目がありましたので本質的には同じことです。警察官の捜査情報に流用だって今に始まったことではないです。
 また監獄の中を安全かと言えば、安全でしょう。それを理由に収監を希望する人もいるくらいですから、凄まじく危険な環境に置かれればあそこにいるほうがいい場合もあります。
 変な話ですが刑務所は受刑者を過剰な恨みを持つ被害者から守るという役割もありますので、受刑者の人格を守る社会が成立していることは進歩と言えるでしょう。
 まあただ監獄も犯罪は起きずともいじめはなどが起きていると聞きますので、社会というのは人間の社会である限りどの社会が健全で、どの社会が不健全だということもない気がしますけどね。

 世の中の進歩に従って危険の形が形を変えて出てくることは進歩の影響であるとしても、社会に危険が存在すること自体は普遍的で進歩のあるなしには関係ないということです。むしろ単純な危険が排除されているだけ安心だと言えます。

 故に社会が荒廃しているという判断は、この時点ではあなた個人の良識にそぐわない世の中になっているという主観的な判断としか成立しないのです。
 もちろん犯罪発生率だけを盾に何も変わっていないという判断はできませんが、あなたは、あなたの良識にはない社会の変化の理由を社会の進歩に押し付けたいだけで、実は社会全体は本質の面で悪化したわけではないのです。

 原発が無ければ40年前にとっくに人がいなくなっていたような土地に、原発があったおかげで街が荒廃せず人が住み続けられたが、事故のおかげでやはり人が住まなくなった。
 電力供給への不安発生をきっかけにパナソニックが大阪を離れ海外へ行き、街から下請け工場ごといなくなった。おかげで周囲の飲食店が店を閉めたり移転したりして街から人がいなくなった。

 これは社会が進歩したから悪くなったのですか?

 あなたがどんなに個人の良識を振りかざそうとも人の社会の経済の中に生きる限り、社会の進化は止められないし、それを支える経済社会を否定することも出来ないのです。

監獄の安全も同様です。
投稿者:雪子 2012年08月05日 投稿番号:48211

犯罪がなく、安全だと言えば、監獄の中も同様ですね。
全員が犯罪者であっても、厳しい管理体制が引かれていれば、犯罪率は極限まで減らすことができるのです。
この安全を進化だとは誰もいいませんよね。

貴方がいう社会の安全とはこれと同様です。
統計的データがないから。犯罪率が減っているから。だから、安全。社会は荒んでいない。全員が犯罪者である牢獄だって、安全なことは安全なんです。貴方のいう安全の進化とは、まさしくこの形ですね。

あと、私はデータ帰納法が誤りであるといっているのではありません。欠点があると言っているのです。

科学分野ですら、しばし過ちを犯すデータ帰納法ですが、これは例外的なものです。

しかし、経済分野においてはあいまいそのもの。人の数だけ結論があります。

これが、政治的な判断を要される場面となると、意図的に不正な結果を導くために用いられるようになります。貴方のいう、既得権益者の誠意といったところで、権益の保持を前提としての話ですから、これは全く意味がありません。
また、既得権益者と反対者側では、その資金力・組織力が全く違いますから、不正の大きさを同等のレベルで論じることはできません。

したがって、データ帰納法だけを極端に重んじるのは大きな誤りで、良識と洞察力が非常に重要だと言っているのです。

既得権益者たちなりの誠意
投稿者:上海ワルツ 2012年08月05日 投稿番号:48210

 私には原発の内部で働いている知り合いもいれば、事故の影響で避難生活を送っている親戚も両方おります。

 既得権益者とおっしゃいますが、既得権益者側と言われる人とて人間で、彼ら一人一人に生活があって家族がいます。
 原発で働く人とて、家族を危険にさらしても構わない意識で働いている者など1人もいません。
 内部の人しか分からない情報やデータは沢山あるでしょう。

 でも既得権益者側が自らに有利なデータしか示さないといいますが、反対者側も社会に転がっている色んなデータがあるにも関わらず結局はやはり自らの理屈に有利なデータしか使わないでしょう?

 でも原発にいる彼らは常に相当の監視の目でさらされ、特に原発なんぞは可能な限りの誠意で情報を公開していますよ。時々隠ぺいと言われてしまうのは一般企業でいう手抜きレベルの話で、重大な隠匿など少なくとも現場レベルではほとんど難しいのです。

 そりゃ現場にも来ない一部の経営者には危険情報を平気で隠匿しようとする人も中にはいるでしょうが、そこで働く従業員にとっては生活の牙城のために金銭的な面でしがみつく意味はあっても、情報をごまかして家族を危険にさらすような従業員はいないのです。

 また世間から危険なものだとレッテルを貼られてしまえば、彼らとて生活していけなくなるわけですから生活が干されないために、必死になって内部でその既得権益事業の安全性を高めており、その意思の方向性は信じたいものだと思っています。

 データ帰結法が誤りだといいますが、その方法論に誤りがあるのではなく、データ条件を正確に精査して使わないから、誤解が起きるのです。

 孤独死、登下校の危険、自動車の中で死ぬ人、、、、昔から表出する形態は違えど同様のことは常にあります。表出する形が現代っぽいだけで、それだけで現代が荒んでいる、さらにそれが文明社会の荒廃という結論にはならんのです。
 監視カメラには賛否両論ありますが、実はあれが犯罪抑止力にあまりならないのは一般的な話で、犯罪を起した人を捕まえるにはそれなりに有効ですが、実は犯罪発生率とはあまり関係ない話ですね。

 人間関係の異常性への変化について、、私の考え方は日本の母親たちの子供の育て方が変化した、、つまりスポック博士の育児書が日本の母子手帳に反映された時点からおかしくなった、、、という意見に賛同しています。
 http://blog.explore.ne.jp/shenyang/50630.html
全く検証が出来ないので、あまり強く言えませんが、もし今の日本社会の人間性が異常になっているという現象の答えを求めるなら社会の進歩より、日本の母親たちの子育ての変化に誤りがあるのではないかと思っています。

帰納法の欠点
投稿者:雪子 2012年08月04日 投稿番号:48204

既得権益を確保している組織のほうが、データを収集しやすいという問題です。既得権益の保持者に有利な結果ばかり出るデータだけが残されていくわけですから、結果は自然と不正なものになります。1+1+1+1+・・・で、有利な結果ばかりから導かれた結論です。
このようなものは、帰納法の集大成でありがながら、実際には既得権者の望むモデルに基づいて得られた回答です。
貴方のいう正しい+正しい・・・=正しいではないのです。
これをもって、生活実感を誤りだとするのは驕りと無知以外の何物でもありません。

孤独死する人々、登下校ですら安全ではない子供たち、自動車の中で熱中死する子供。これを荒んだ社会だと感じないのは、貴方の感覚が鈍化してしまっているからでしょう。
街中に監視カメラを設置して暮らす監獄社会の安全を進化としてとらえる貴方の考え方には全く賛成できません。

一つだけ
投稿者:上海ワルツ 2012年08月04日 投稿番号:48203

 あなたの感じ方を認めるならば、田舎に犯罪が増えたように感じるのは、都会では高度なセキュリティが建設されたため、どろぼう稼業の人たちにとって居心地が悪くなり、空き巣などの犯罪ターゲットがより警戒感の薄い地方や郊外に移ったということはありうるでしょうね。

 まあただ社会全体の犯罪発生率が下がっているのは事実なので、これで社会が荒んだというのというのはやはり論理の飛躍だし、電気の社会まで否定するのは無理でしょう。

 インターネットや道路網などが津々浦々まで普及し移動や情報が自由な社会は、セキュリティについても都会も田舎も同じレベルで準備しなければ、弱い場所が狙われるという世の中の平準化の過程だと思います。

 まあ田舎の人にとっては鍵が必要になったというのは納得いかない方向なのかも知れませんが、鍵が防犯にとって有効らしいということは言え、鍵さえつければ盗難がもっと減るという進歩の過程の方向に捉えられると思います。

その通りです。
投稿者:上海ワルツ 2012年08月04日 投稿番号:48201

データは正しく読み取らなければなりません。
AがBであるデータはBがAではあるという論証が100%成立しないのと同様に、そのデータが正しいものかどうかはきちんと読み取らなくてはいけません。

 データは100%ではありませんが収集方法が変わらなければ傾向はかなり正確にを読みとることができます。

 犯罪率が変わっていなのいのに、あなたのように犯罪が増えたと感じる人が増えたという差異について、詳しく目を向けないで世の中の変化を正しく感じることはできません。

 犯罪が増えたのに警察の届け出がへったのか、情報だけが増えたのか、単に個人の思い込みなのか、雰囲気が煽られたのかその差異の理由を見つけられないまま「本当に犯罪が増えた」と世の中を判断するのは危険なのです。
 例えば、セキュリティ会社が機器普及のために危やしく見える人をわざと街中に出没させるだけで、街の人は警戒感を高めると思いませんか?
 今や直接的広告が効果を失っている中で、口コミにどうやって自然な形で入り込むかを考えているのが企業というものです。

 あなたのように肌感覚だけで十分だとする人が、実は世の中に一番煽られやすく、あなたに気持ちにマッチする意見が現われた途端に流されるのです。

 また例えば、原発反対のデモの中に太陽電池パネル業者が沢山いるかもしれませんし、それが実は中国の企業で日本市場を狙った上での資金援助や動員が有ったりするかもしれないのです。
 私は「在日」などの差別用語は使いたくありませんが、北京五輪の聖火リレーの動員力をみても分かる通り、数の力で圧力をかけるのはどちらかというとかの国の常套手段ですから、デモ参加者や情報発信者の中身を検証しないまま容易にあの姿を見て見たままで反対運動が盛り上がっているなどと判断するのは早計だと思います。

 原子力の安全性について、全ての情報が出ていないのは確かでしょう。それ故私も原発を100%推進している訳ではありません。でも現実判断として10年後はともかく現在はそこを容認しなければ誰かが首をくくるかもしれないのです。

 原発に関して確かに巨大権益は有るでしょう。でもそれをただひっくり返したところで、結局犠牲になるのは経済的末端の人なのです。その構造をよく分かった上で意見を主張しないと今度は原発反対派が恨まれる番です。
 
 今社会が抱えている問題の根幹は、原発が必要かどうかではなく、きちんとした信頼できるデータをもとに意見をビルドアップして社会の方向性が決められる仕組みがないことです。

 原発がある社会あるいは電力が、それがない社会と比べどのくらい危険なのか、実は反対派は最初から聞く耳持たずに他人の意見を受け売りで話す可能性が多く、一般に勉強できることさえ勉強しない人が多いから、本当は何が危険でどこが安全かについて意外と無知だったりするのです。

データと論証は全てではない。
投稿者:雪子 2012年08月03日 投稿番号:48196

データによって帰納された結論以外は信じたくないというのですね。
実際のところ、鍵をつけていなければ犯罪が増える時代になったなんてものは、生活体験と演繹的結論で十分なものです。それを敢えて、大量のデータで論証されなければ、認めようとしないところに貴方の病があります。

原子力発電の安全性についてもそうですが、巨大な資金と権力をもった組織は、自分側に有利なデータだけを収集することが可能です。一般の市民にそれに対抗するような資金も、組織力も知識もありません。
結果として、常識的には不正であるはずのものが、大手を振ってまかり通ってしまいます。これが、あなたのいう、データと論証がもたらす結果です。
既得権益を得たものが、現在の状況が正しいと言い続けることは非常に容易いのです。それが最終的に破滅をもたらし、弱者を苦しめることになります。

データと論証は、絶対的なものではなく、良識と洞察力が不可欠なのです。

それも雰囲気でしょう
投稿者:上海ワルツ 2012年08月03日 投稿番号:48195

 ネットなど情報交流が増え遥かに犯罪や盗難に関する情報の流通が高まっていて、以前は直接会話しなければ得られなかった近所の不審者情報や犯罪情報も流通するようになりました。
 私も福島の浜通りと茨城の両方に田舎がありますから状況はわかりますが、過去(いつ?)に比べ犯罪が増えたというのは思い込みで、昔から盗難や不審者は時々いましたけど新聞以上に情報を得る手段はなかったですからそこまでの警戒感はなかったですね。
 でも最近はそういった情報が確かにバンバン飛び込んでくるようになり警戒心が強まった面はあります。
 でも社会のトータル犯罪件数が現実として増えていない以上、実際の世の中が社会として荒んで悪くなっていう判断にはなりませんね。
 もしどんどん悪くなっているものがあるとすればそれは社会ではなく今の日本経済で、人口減少・市場縮小により絶望を感じている人が大勢増えそれによって荒む人が増えたのは認めますが、その理由を電気に帰結するのはやはり論理が飛躍しすぎているでしょう。
 むしろ経済を回復するには、今は電気は不可欠で、もし電気に代わる経済けん引の何かを生み出せれば、それはそれで世界の経済をリードできるのでハッピーエンドですが、そんな不確定なものに夢を託すのは宝くじを買うよりアホなので、当面は電気つまり原子力に頼らざる得ないのが現実的選択だと思います、
 

頭でっかち
投稿者:雪子 2012年08月03日 投稿番号:48193

貴方は頭の中で考え過ぎて、現実が見えてませんね。いわゆる頭でっかち。

ちょっと、田舎へ行って聞いてみてください。なんで、鍵をつけるようになったかって。
そんな雰囲気でつけるもんじゃないんです。
空き巣に入られたとか、車の中においておいたものが盗まれたとか。夜中に見知らぬ人がうろうろするようになったとか。
そういうのが増えたから、みんな鍵をつけるようになったんです。
雰囲気でつけたなんてことはないんです。
頭でっかちでは、世の中が見えません。
貴方は仕事が少々できても、ほかのことはからっきしなんだってことを自覚すべきですね。
貴方があんまり自信家だから、周囲の人も、貴方のプライドを傷つけないように、さぞかし気を使っているでしょうね。

雰囲気
投稿者:上海ワルツ 2012年08月03日 投稿番号:48192

 ここからはデータに基づいて言っているわけではありませんが、実は鍵付の家が増えたのは、実際の犯罪件数が増えたわけではなく世の中で犯罪が増えたような雰囲気が醸成されたからという可能性が高いと思われます。

 セキュリテイ会社や鍵会社が自社の利益のために、あるいは警察が犯罪件数減少の目標を課せられて、実際の犯罪の件数は過去と変わらなくても「世の中は危険だ!」と叫び恐怖を煽ることによって防犯意識を高め、その雰囲気に煽られた人が鍵を付けたとということが大いにありうるのです。

 あるいは社会で起きた一件の凶悪事件が大々的に報道され、それにより恐怖に怯えた市民がやたら防犯を強調されることによって疑心暗鬼になり鍵付の家が増えた可能性もあります。

 これ自体が悪いことではありませんが、実は犯罪が増えているような雰囲気が作り出されているだけで、実際の犯罪の件数や中身はさほど変わってない可能性があるのです。
 つまり変わったのは犯罪発生率ではなく、自分をガードする人の他人に対する視点だということになります。

 そこを指して荒んだといえば、世の中どんどん荒んでいるという雰囲気は成り立つかもしれませんが、この場合変わったのは犯罪者ではなく我々なのです。

 これは原発にも同じことが言え「原発は危険だ」という雰囲気に煽られた市民が冷静な視点を持っておらず、本当は何がどのくらい危険なのか、或いは現時点で止めることと止めないことのそれぞれのメリットデメリットが冷静に把握されていない可能性があると思っています。

犯罪は
投稿者:上海ワルツ 2012年08月03日 投稿番号:48177

犯罪は人々が鍵を付け始める遥かに前からありましたから、犯罪が増えた(あなたの言う荒んだ方向に動いた)から鍵をつける人が増える可能性があったというのも推量の域を出ません。
 犯罪を人が荒んだ結果というなら人類は遥か昔から荒んでおり一定数の犯罪がありました。
 これ言葉遊びではなく、論理と検証です。
 もう少し説明すると、鍵を付けた家が増えてないということは鍵がない家の数は変わらないわけですから、鍵をつけなかったら犯罪者は減らないという推論は普通しますが、このデータだけで犯罪者が増えるという推論をするのは無理があるのです。
 あなたが言う、犯罪が増えたから鍵をつける人が増えたとするには、鍵付が増えた時期に犯罪が増えていたと示すデータが必要になります。またその犯罪が増えた傾向が一時的な要因ではないということが排除できないと、世の中が荒んでどんどん悪くなっているという推論までは成り立たないのです。
 実はこのデータは世の中の一定数ある犯罪発生率について、鍵がその抑止に役立つかというだけの検証にしかなりません。
 もちろん犯罪の発生率からだけでは幸福度の全てを図れませんが安全度という面では有効なデータだと思います。
 こちらとて人の不幸をないがしろにしているわけではありません。
 でも、より不幸な出来事を招かないために、残念ながら人の不幸度合を測って、その救出に優先順位がついてしまっているということです。

現実を踏まえていないのは貴方でしょう。
投稿者:雪子 2012年08月03日 投稿番号:48173

「鍵をつけていない場合の犯罪数データがないから、鍵がなかったら、犯罪数が増えたとはいえない」なんてのは、完全な言葉遊びですね。人々は幻想に脅かされて、部屋に鍵を付け始めたとでもいうのですか?全く馬鹿げている。
犯罪が増加し始めたから、皆が鍵を付け始めたのです。そんなのは現実に生活をしていれば、誰でもわかることです。
そんな理屈を押し通す人がいるから、原発は安全だなどとの嘘がまかり通って、事故に発展するのでしたのでしょう。

現実に不幸になっている人がいるから、それを伝えようとする人がいるのであって、既得権をよしとして、現在の現実を変えようとしない貴方こそ、独裁者と呼ばれるにふさわしいでしょう。

データは正しく
投稿者:上海ワルツ 2012年08月02日 投稿番号:48171

書き忘れていましたが、鍵と犯罪の件ですが、鍵付の家が増えた(だろう:裏付けデータはなし)と犯罪件数が減ったことから、鍵が防犯に役立ったかもしれないと言えても、「鍵付きの家が増えなかったら犯罪件数が増えたでしょう」というのはあなたの思い込み推量の域を出ません。
 もちろん否定するデータもありませんが、鍵付きの家が増えなくても犯罪は減る可能性もあるし、あなたの言うように増える可能性もありますが、これだけのデータから人が荒んだとかなどというのは全く説得力を持たないのです。思い込む前にデータの捉え方を学んだほうがいいですよ。
 ちゃんとした裏付けがあれば私はあなたの意見に幾らでも説得されるかもしれません。
 、

現状を否定してもはじまりませんから
投稿者:上海ワルツ 2012年08月02日 投稿番号:48166

 現実を踏まえないで、変革思想を語るのは非常に危険だということですよ。
 電気を否定する時点で私からみれば完全に新興宗教扱いですし、社会が立ち止れると思っている時点で社会の現状認識を誤っています。

 世界に60億人もの人がいて、一人一人がそれぞれ考え方を持っているのに、それをあなたの意思で現実を否定して進歩を止めさせるのですか?それを独裁者的傲慢と言っているのです。
 現状を否定するところから始めることは全く不可能であり、現状を正確に捉えることが出来ない人にそこから修正するポイントなど見つけることなどできないのです。

 世の中に新しい社会問題が次々と発生しているように見えるのは破滅に向かっているのではなく、古い問題が解決したから人間の社会の愚かしい部分がまた姿を変えて新しい問題として現れるのであって、逆説的ですが進歩の証拠なのです。

 新たな問題は複雑化して古い考え方、処理の方法では全て対処できない場合が多いけれど、相対的には従来の考え方の延長で対処できるので被害は減っているのです。
 インフルエンザのウィルスに対する医学に例えたらわかりやすいでしょうか。

 あと子供たちが希望を失っているのは、大人が何でもかんでも答えを用意してしまうからでしょうね。
 あれは危ない、これは安全とか、勉強も進路も安全も未来も、先にメニューを与えてしまうから、いまあるメニュー以外の選択肢を考える力がなくなり、結局メニューに幻滅するのでしょうね。
 あとね、残念ながら、周りの人には嬉しいほど十分評価していただいております。あなたのご期待に沿えず申し訳ありませんが。

 それに私は来る者こばまず去る者追わずですから1月でも1年でもいつまででも納得するまでどうぞ。

 日本の味わっている今の幻滅の原因は、もちろん経済の停滞によるところが大きいでしょう。
 このことは昭和50年代くらいからとっくに予想することができたことなのに、かの時代の自民党が問題の数々を先送りにして国民を騙し続けてきて今そのツケが回ってきているという印象ですね。
 既に足腰が立たないような時点でバトンタッチされても元々素人集団の民主党政権ではどうにもならず、結局現状では火中の栗を拾う選択するしかなかったのに、国民は民主党に騙された印象でいるというのは、敢えて政治と国民の距離をとってきた自民党政権時代の負の遺産でしょうね。
 今後日本人にはTPPのような博打は怖いでしょうから、残念ながら希望を持つには耐えて次のチャンスを待つという方法しか取れないかもしれません。
 本当は日本にだっていくらでもチャンスが転がっているはずなのに、社会が硬化しているからマイナスのイメージばかり先行して動きづらいのです。

世界は良くなっているという幻想
投稿者:雪子 2012年08月02日 投稿番号:48162

中国は倍々ゲームで発展を続けている最中ですから、中国人民は多少の不満がありこそすれ、未来に希望をもっているのは事実です。その中に浸ってきた貴方には、多くの人が味わっている幻滅が見えないのかもしれません。
日本では、子供たちすら希望の中に生きているとはいえません。大人たちが作った社会をのぞき見て、世界に失望し、落胆しています。
自分に対する反対意見に、新興宗教やら、ヒトラーを持ち出してレッテルをはって追いやろうとする貴方の姿勢にはほとほとあきれ果てます。
自分では、頑張っている、頑張っていると思っていても、周りが評価してくれないのは、貴方のその傲慢な態度に原因があると思いませんか?

悪くなっていると感じているだけです。
投稿者:上海ワルツ 2012年08月02日 投稿番号:48156

子供から大人になり、年齢を経るに従って知識が蓄積され視野が少しずつ広くなるので、悪い情報も多く知ることになります。
 子供の時希望でいっぱいだった社会が、それほど理想郷ではないことに気付くと実は社会が悪くなっている印象を受けるのです。
 核の抑止力であろうがなんだろうがこれが自己規律としてまず戦争を抑止されていることは善とすべきです。 
 テロや宗教戦争は今に始まったことではなく、むしろ過去よりは減っており、これを以て世界が悪くなったするのは世界の歴史を知らなすぎです。
 世界のいろんなところで一進一退を繰り返しながら相対的には良くなっていますが、それを劇的に感じられるよう変化があるわけではありません。
 放射能のリスクに問題を感じたなら、その一つ一つの事象の解決にじっくり取り組む必要はありますが、イノベーションを止めろなどという主張を世界に強調するのは、実はヒトラーが気に食わないユダヤ人を排斥しようとした事象と本質的に同じ他人に対する無責任な傲慢な主張です。

世界が良くなっている?
投稿者:雪子 2012年08月02日 投稿番号:48154

戦争が減ったというのは、核兵器の抑止力効果によるもので大国間の戦争がなくなったということに過ぎません。テロリスト等の悪質な犯罪は増えていますし、飛行機も、強力なセキュリティチェックなしに、安心して乗れない時代ですね。

家の安全に関してもそうで、鍵をかけたから、犯罪が減ったというのは、結果に過ぎず、鍵をかけなかったら、むしろ犯罪は増えることでしょう。つまり、鍵をかけなければやっていけないほどに、人の心も社会の状態も荒んでいるということです。

成長、イノベーション、原発が生み出す電気社会がこれらをささえているわけです。日本は、成長・イノベーションをさぼったから、派遣・労働強化の問題が発生したといわれますが、では、成功していたら、日本がピラミッドの上位に上り、他の国が犠牲になったということですね。そこには、共存の意識もないわけです。際限のない、成長、イノベーションが幸福をもたらすというのは幻想にすぎません。

自殺の増加もまた、際限のない成長、イノベーションの追及がもたした結果だといえます。

自然破壊に関しても、先進国における破壊がとまっているのは、途上国の犠牲があってこそのことです。途上国が、あなたのいうようにコントロールされ、そのコストが反映されれば、経済の成長もまた緩慢にならざるえないことでしょう。
途上国の犠牲は、途上国の人間が望んだものだといわれるかもしれませんが、彼らの消費の欲望をたえまない広告によって刺激しているのは、まぎれもなく先進国の人々です。

成長・イノベーションが常に善であり、永遠に可能であるというのは、全くの悪夢にすぎません。破滅の道を歩み続けるのではなく、一歩立ちどまって反省する勇気が必要でしょう。


まあ良くなっていると考えられます。
投稿者:上海ワルツ 2012年08月02日 投稿番号:48153

いつの時代と何を比べるかによりますが、まあ相対的にみると良くなっている面が多いですね。
 大きな戦争で人が亡くなるケースが圧倒的に減り、犯罪に関しても相対的に減少しています。
 むしろ世の中に犯罪が減った分一つの凶悪事件が大きく取り上げられるので、衝撃度は大きい印象ですが、それは相対的に社会が平和になっている裏返しでもあるのです。
 いじめの陰湿化なども同様で、昔も今もいじめは存在し、自殺する子もおり、まあこの点については表出する方法が変わっただけで本質的に悪化したとかではなく、寧ろ親が騒ぎすぎることと、少子化により兄弟の存在など子供の社会成長を育てる環境がなくなったことが主因で、電気の普及とはほとんど関係ないでしょう。

 昔は鍵をかけなくても良かったとおっしゃいますが、それゆえ窃盗、殺人、強姦なども非常に多かったわけで、犯罪件数に数えられない泣き寝入りを含めたものは数知れず、今は防犯意識の徹底によりその面での犯罪は緩やかではありますが減少傾向です。

 労働強化や派遣労働の増加は残念ながら、市場経済のグローバル化による影響であり、世界の労働者の労働環境が平準化しつつあるので、これまで劣悪な労働環境にあった中国などの発展途上国との格差がなくなりつつあるということで、一面平等化という観点で良いことともいえ、逆に日本人にとっては悪化するということになりますが、一時的に彼らの労働犠牲の上に胡坐をかいていた時代に国家が成長戦略を怠りイノベーション努力をさぼった結果のツケであり、社会進化の弊害ではなく成長をサボったことによる反動なのです。

 自殺の増加もその一連で、成長を止めてしまった故の反動のひずみで、あなたのようにやたら社会不安ばかりを強調する人が減れば、寧ろ自殺率は落ちるでしょうね。

 やたら自然破壊を強調されますが、まあ昭和の成長時代はその傾向にありましたが、少なくとも今は日本においては自然共生とまではいかなくても破壊の進行は止まって自然再生を模索する段階であり、寧ろ危惧するはまだその傾向を続ける世界の発展途上国で、彼らをどうコントロールするかの問題で、日本がコントロールできるところはセーブさせているはずですが、その意識を持たない現地の人々による破壊は残念ながらまだ進行を止められていない状況であります。
 ただいずれにしても意識は自然破壊が止める方向の意識が世界の先端意識です。

 花粉症に関しては、医学データがあるわけじゃないので迂闊なことは言えませんが、恐らく乳幼児時代の母親たちの過剰な衛生意識が要因で雑菌耐性が弱くなったことによる結果だと思います。まあそれ故に乳幼児死亡率も改善しているわけで一概に悪しき結果とも言えず、どちらも防げる医学的な研究進展がまたれ、過去への回帰で解決する問題ではないでしょう。

 いずれにしてもこれらから電力を悪者にしたり、社会幸福感の減少を語ることはナンセンスで、過去への回帰や社会進化の停止が必要だという主張は、過去に刷り込まれたある時期の社会問題の捉え方の残像であり、現在と過去の状況を正確に捉えていない視野の狭い見方だと思われます。

世界は良くなっているのか?
投稿者:雪子 2012年08月01日 投稿番号:48150

現在の世界をみて、どんどんよくなっていると思う人は少ないでしょう。

個々の事例を挙げて、快適になった、便利になったという人はいても、よくなっているなんて思っている人がどれだけいるでしょうか。

秋葉事件、いじめの陰湿化、派遣労働者の増加、労働強化。

今の世の中が昔より安全になりましたか。
昔は、地方へ行けば、家に鍵をしている人などいなかったものです。今はどうですか。鍵なしの家がどれだけありますか。

それが今の世の中です。

原発が可能にしている電気がその社会を支えているのです。一見、多くを成し遂げているように見えても、数多くの自然破壊をし、未来に使う資源を先取りしながら、破壊的な未来に進んでいるだけです。

人工的な植林でそれが補えていますか。それは本当に自然に適合したものでしょうか。花粉症はなぜ起きているのでしょうか。

また、日本内では補えているようでいて、実際には未開の国の自然を破壊しながら、実現しているだけではありませんか。

因果関係の把握が無茶苦茶です。
投稿者:上海ワルツ 2012年08月01日 投稿番号:48138

 どうしても社会悪に見える事象の要因を原発に押し付けたいようですね。
 酸性雨は化石燃料を燃やした時に発生した硫黄酸化物が大気中に撒き散らかされることが原因であり、この点について日本は火力発電所でさえ近年の脱硫装置の設置で環境に負荷をかけなくなっており、ましてや原発においてはその負荷はほぼ無いと言ってよいでしょう。

 エアコンがないと耐えられない暮らしというのは何を指しているか具体的な数字と定義が分かりませんが、かつての無茶な精神論を振りかざし熱中症で倒れていた人間が救われ、凍え死んでいた人が救われており、やはりこれも原発に反発したいがために作り出したエクスキューズで、実際最近の平均寿命が延びていることを考えれば、人の健康がエアコンの登場によって阻害されているというような因果関係を直接語るのは無理でしょう。

 ましてやネットカフェを社会的悪としてその存在の根源を電力に押し付けるのは難しく、若者の大半がネットカフェに寝泊まりしているのならともかく、真面目な生活を送っている人間のほうが遥かに大勢いるわけで、彼らの発生要因はどちらかというと経済難民的要素が強く、それを社会進化の否定と結びつけるのはやはり無理があると思います。

 それに昔はネットカフェは無かったかもしれませんが、博打場など溜まり場は必ず存在し、そういった状況の中で今より残酷な社会シーンなどもきっと幾らでも存在していたはずで、今後も人の社会である限りそれはきっとなくならないでしょう。

 どうも過去が美化されすぎて現在の社会進化に対する被害妄想が激しいようですが、今の時代まで生きてこれたあなたが恵まれていただけであって、その同時代にあなた見えないところで起きていた現象というのはきっとそれほど美しいものばかりではないと思います。

 また少なくとも社会企業が盲目的に前に進んでいるような状況は昭和の時代でとっくに終わっていて、大半の企業は前に進む一歩一歩に対して常にセルフチェックと修正を行なっており、あなたが言う振り返りは日常的に行われ、進歩することが危険の扉を開けることはまずなくなっています。
 今回福島原発のことばかり話題になっていますが、震源により近かった女川原発が大した被害も生み出さなかったことを考えれば、全てが100%ではないにしろ、前に進んでいることによって少なくとも物理上の安全は増加しているのです。

安全になった、便利になった、快適になった
投稿者:雪子 2012年07月31日 投稿番号:48136

酸性雨に侵された世界に暮らし、エアコンがなければ耐えられない世界に暮らし、若者がネットカフェで生活する世界で暮らし、それでも、現在を肯定し続けるということですね。
原子力が生み出す電気が支えている社会というのは、そのようなものでしかありません。
人類はどこかで振り返らなければ、ならないと私は思います。このまま突き進んでいくことを正当化し続けていっても、後の世代に残るものは何一つないとは思いませんか?

リスクがないとは言いませんが
投稿者:上海ワルツ 2012年07月30日 投稿番号:48126

昔より原発のある時代の社会の方が遥かに安全になったのですよ。
 あまり比較対象の数字としては上がってこないと思いますが、かつて一酸化炭素中毒で死ぬ人や、ボイラー爆発で死ぬ人、火災で亡くなる人がどれだけいて、今は電気のおかげでその時代より圧倒的に被害者が減っていて、昔より遥かに安全な社会が築かれています。
 原発のあの事故にしてもあれだけ目立つ事故になりながら、放射能や爆発で亡くなった人もおらず、そういった意味では電気を使わなかった時代に比べ、相対的ではありますが圧倒的に安心で安全な社会になっています。
 昔は原発が無くても良かったなどというのは、自分の気持ちに都合のいい事実しか見ようとしない人の考え方だと思います。
 もちろん、これからまだ残っている放射能リスクを減らす努力は必要ですが、あなたが想像するより電気で支えられている今の社会は原子力が無かった時代より遥かに犠牲者が少なく安全になっている事実があるのです。

現状否定なしに未来はない
投稿者:雪子 2012年07月30日 投稿番号:48123

原子力発電のほうが、火力発電よりも自然にかける負荷が少ない。それを信じて実行してきた結果が、あの原発事故ですね。たしかに原子力発電と同等な電力を火力で補おうとすれば(まして薪で補おうとすれば)、あなたの理屈が通るかもしれません。
問題はそこにあるのではなく、原子力発電でなければやっていけないほど電力を必要とする社会になっているということになると思います。
電気を否定するといっても、全てを否定することにはなりません。自然と共存できる程度に抑えていくということです。それを新興宗教の類にまで話を持っていくのは極論でしょう。
昔は、原子力なしでも、十分やっていけたのですから。

それは昔の話です。
投稿者:上海ワルツ 2012年07月30日 投稿番号:48122

 今の発電施設はあなたが想像するほど環境に負荷をかけていません。
 もし負担をかけている部分があってもそれを補うような植樹などの負担をするよう法律で規定されているはずです。
 恐らく野原でたき火で料理をする方がよほど環境に負荷をかけるはずで、少なくとも日本はそのくらい環境に対する法律は厳しくなっています。
 故に電気を使うことが合法的に環境破壊に繋がるというのは妄想に過ぎず、原発反対を裏付けたいがための観念的なエクスキューズで、実は現代の事実とは程遠いものです。
 人が親や生まれる環境を選べないように、人は生まれながらにしてこの現代社会に組み込まれていますのでそれを否定することは自分の存在そのものを否定することになりかねません。
 またこの現代社会においては、電気を否定するというのは空気や水を否定することに近いものになりつつあります。
 それでも否定するというならそういう宗教集団が時々いらっしゃいますから、ああいう生き方をするしかないでしょう。
 でもそれが本当に環境に優しいかどうかは疑わしく、恐らく数値上においても覆せませんのでかれらの行動は自己満足の世界だと考えます。
 放射能のリスクを減らしたいという意思は理解しますが、そこから電気や経済社会を否定するといった発想は単なるヒステリックなものだと感じます。

組み込まれてしまっている
投稿者:雪子 2012年07月30日 投稿番号:48111

**********************************
また経済が人を幸福にするわけではありませんが、社会が経済で組み立てられ世界中の人々がその枠組みの中に組み込まれ、現代の世界の人々はその中で生きています。
**********************************
この組み込まれてしまっていることに問題があります。
お金があれば、必要なだけ電気が使える環境。いくらでも自然を破壊できる環境。これが現在の社会です。
電気がなくなったら、病院がたちゆかなくなる。死人がでる。これを是としてしまっている。
本来、どうしても必要な部分には経路をわけて電気を供給も可能なはずです。しかし、そのような仕組みになっていない。なぜなら、お金を使えば、無尽蔵に電気が購入できることが前提となっているからです。
単純化すれば、お金があれば合法的に自然破壊を実行できるわけです。これを是としてしまっていては、何も変わらない。
そう思います。

理想論は分かりますが
投稿者:上海ワルツ 2012年07月30日 投稿番号:48109

 あなたが使っているこのインターネットも、家庭の伝統もエアコンも乗っている電車も携帯電話もテレビも電子レンジも、全て電気が使われています。
 またその製品を製造する工場にも電気が使われ、日々の食事の材料が食卓に届く過程で全て電気が使われて成立しているでしょう。
 つまり今の社会は電気があることが前提で組みあがっており、その電気需要を満たす手段として既に原発が組み込まれてしまっているのが現実の世の中で、去年の計画停電でもわかる通り、電気がちょっと欠けただけで大騒ぎになるのが今の社会構造なので、原発と同等の電力が無い限りそれを外すのは容易ではないのです。
 また経済が人を幸福にするわけではありませんが、社会が経済で組み立てられ世界中の人々がその枠組みの中に組み込まれ、現代の世界の人々はその中で生きています。
 故に経済が一歩バランスを崩せば、人は容易にその経済社会に踏みつぶされます。
 もしそこに反発をするなら経済社会から離れて仙人のような自給自足の暮らしをするほかありません。
 経済の影響で人が死ぬ、そのことは紛れもない事実でそのことにもっと想像力をもっと働かせた方が良いと思います。
 経済で人が死ぬことを回避するか、地震で土地を失う可能性を回避するかはまさに究極の選択ですが、より最悪な方をまず救うのが人の判断で、いつ起きるか分からない地震の発生にはまだ時間的余裕がありそうで、万が一地震が早く起きたとしても、最悪の場合でも命が救えれば、土地は無くても何とか立ち直る機会を与えることができます。

 恐れながら申し上げると、雪子さんのおっしゃる主張は突き詰めていくと、あなたが土地から離れないために、経済で他人が死んでも構わない或いは国民に電気を捨てた原始的な暮らしを強制せよという主張に理論整理されると思われますがそれが本心なのですか?

 生まれ育った土地にこだわる気持ちも分からなくないですが、経済や電気が満足に立ち行かない状況の日本に対して、企業の多くが自ら母国を離れて外国に活路を求めているのが現実の社会で、きっと私もその流れの一人です。
 経済が立ち行かなければ、守ったつもりの土地にいずれ誰も住まなくなるかも知れないのが現実なのです。

そもそもの前提が違いますね。
投稿者:雪子 2012年07月30日 投稿番号:48108

もし、あなたが強制的に中国に来させられたのだったら、そうもいえるでしょう。でも、そうではないのでしょう?生きる上で、自ら選択して一から始めることになったのは、あなたの全責任ですが、原発ゆえに戻れなくなったのは、彼らの全責任ではありません。
そもそも原発ありきで考えていくから、原発がないとあれも駄目、これも駄目という話になるのであって、そこからは原発なしで生きていく道はないのかといった発想は決して生まれないのではないでしょうか。
原発を使わなければならないほど電気を使う社会の構造自体に誤りがあると考えれば、別の道があると思います。
また、経済が全てだという考え方にも同調できません。経済優先でやっていって、人間の幸福が向上するというのは現在では幻想に過ぎないと思います。


援助なんてないですよ
投稿者:上海ワルツ 2012年07月29日 投稿番号:48101

ほぼ身一つで来ました。
そういう隣の芝生は青い幻想は止めた方がいいですね。
まだ親は健在ですが、帰れる場所なんてほぼないに等しいですし日本の時の関係はほとんど断ち切って来てます。それにやり直すことに年齢も関係なく私より歳を経てきている人もたくさんいます。
・・・改めて言い直せば、土地を失うことを良しとしているわけではありまん。
 でも3年以内に30%の確率で地震が来るとしても、原発を止めて100%命が失われるのだとしたら、地震が来ない70%の方を信じるという判断するしかなかったということです。
 いまやるべきは、原発を悪しとするならば地震が来るまでに、代替エネルギーを確立することでしょう。あるいは少ない電力で済む社会生活を生み出すことでしょう。
 デモに精力を割いている時間があるならば、もっとやるべきこと、やれることは幾らでもあると思います。
 政府に任せて文句言えばいいと思っている国民ばかりだから、民主党が政権をとっても国が変わらなかったのだと思います。

やり直しの意味が違いますね。
投稿者:雪子 2012年07月29日 投稿番号:48100

あなたは外国に来て、仕事をしに来ているんでしょう?それも日本の会社の援助のもとで?
土地を失った人たちは、何の援助もなく外地で働かなければなりません。家族の生活の問題も全て抱えたままで。
それに、年を取って戻るところもなくなるんですよ。あなたは日本で戻るところがあるんでしょう。全然違いますよ。

生きていれば
投稿者:上海ワルツ 2012年07月29日 投稿番号:48099

やり直せます。
社会やいろんな関係が壊れるのは地震や原発などで土地を失なった時だけではありません。
 外国に来ている私は日本の人間関係などほぼ継続するものなどはほとんどなく、全く何もない状態一からスタートしています。
 現時点成功しているとは言えませんが、諦めなければ進むべき道はあるでしょう。

土地に戻れないということ
投稿者:雪子 2012年07月28日 投稿番号:48094

土地に戻れないということを簡単に考え過ぎですね。
商売ならば、築いてきた人間関係、ルートを全て失ってしまうということですし、農地で働く人であれば、何十年もかけて得てきた経験の多くを失ってしまうことです。
そういうものはやり直せるものではないですね。

もちろん両方救えるのが理想
投稿者:上海ワルツ 2012年07月19日 投稿番号:47979

土地に戻れなくなる被害者は出るかもしれない。しかし、経済が悪化すれば人生そのものを失うという、間接の犠牲者がたくさん生まれる可能性も非常に高いのです。
 住むところを失っただけならやり直しが可能な人生も回復不能になるのです。
 もちろん両方救えるのが理想ですが、確実に失われるであろう命か、何割かの確率で失われる土地かと言われたら、まず命を救う選択を取らざるを得なかったということでしょう。
 もちろんその何割かをゼロにする努力は必要ですけどね。

政府に反対だけど賛成?
投稿者:紫力 2012年07月19日 投稿番号:47968

>直接の(肉体的)被害者はいないかもしれない。しかし、住んでいた土地に戻れなくなったという、直接の被害者がたくさんいますよ。地震だけならやり直しが可能な農地も、回復不能になったわけですし。

そもそも科学的根拠がない規制値を決めたは政府で、その科学的根拠がない規制値に従うと土地に戻れないというだけの人為的な被害です。放射線とは関係ありません。

原発に反対する人は、レントゲンにも反対したほうがいいですね。

直接の被害者とは
投稿者:雪子 2012年07月19日 投稿番号:47967

?逆にかなり乱暴な言い方になるが、今現在今回の福島原発の事故で放射能による犠牲者は出ていないはずで、その経験を踏まえて言うならば、もし今回の大飯原発で地震災害の影響による事故が起きても直接の被害者はやはり全くでない可能性がある。

直接の(肉体的)被害者はいないかもしれない。しかし、住んでいた土地に戻れなくなったという、直接の被害者がたくさんいますよ。地震だけならやり直しが可能な農地も、回復不能になったわけですし。




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プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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