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日中の一人前感覚の差

一人前と言ってももちろん食事の差ではない
(もちろんこれも大きな差があるが、、、)
職業や仕事の成長レベルや到達度における「一人前」のことである。

どの時点で一人前になったかというのは、つまり人が生きるための自信を得るかの分岐点であるように思うが、日本人と中国人ではこのポイントに非常に大きな差があるような気がする。

 このポイントが違うからこそ、中国人は日本人から見て非常に自信家であるように見えると同時に、何にも分かってないのに自信たっぷりで愚かだなぁという印象を持つケースが多い気がする。

 具体的には、中国人の場合は仕事の手順を教わって一通り作業をするようになった時点で、本人は一人前の仕事が出来るようになったと思っているフシがある。

 「もう俺はこの仕事ができるんだ」と。

 故に就職1年にも満たない奴がいっちょ前の口をきき、さらに数年すると学ぶことが無くなったとさっさと転職する。

 しかし、日本人の尺度から言えば、それは単なる仕事を始めるスタート地点に立っただけで、仕事が出来るようになったとは言えないという判断になる。

 教師や医師を例にとればわかりやすいかもしれないが、教員試験や医師の国家試験に合格して、晴れて教員免許や医師免許を取ったとしても、それは教育する資格や医療を行なう資格を得ただけで、その職業としてまともな仕事が出来る状態になったとは決して言えないのが日本人の尺度である。

 ところがこの免許をとった時点でもう一人前になったと思ってしまうのが中国人たちの尺度のような気がする。

 しかし日本人から見ればそこからがスタートであり、教師であれば幾つか担当クラスを数年持ち何百人もの生徒と向き合う経験を経てようやく一人前の教師になったのかなという判断になる。

 医師で言えば、医師試験合格後、何年にもわたって日々多くの患者と症例を診てそれらと向き合う経験を経てこそ、ようやく一人前の医師と評価される。

写真はイメージ

 逆にそういった経験を経ないうちは、その職業においてまだ半人前としか評価されないのが普通で、故にそこに気が付かず例えば自分を一人前になったと思い込んで「教育とは」とか「医学とは」とかなど一人前ぶってその道に関する本を書いたり講演を行なったとしても、見向きもされず馬鹿にされるのが通常の評価である。

 むしろ、そんな経験の浅い人間が一人前ぶったことをすれば、己の身の程知らずを晒す結果となり、プラスの評価を得るどころか、ああこいつは免許を持っているが実際その道の奥深さを何も分かってない世間知らずなんだなとマイナスを評価を受けることになる。

 それだけ社会は経験を重んじ、経験を経て本人なりの道の歩き方を会得した人間にだけ一人前の評価を与えるである。

 故に経験が浅い時期に書いて評価される本は、せいぜい試験合格までの奮闘記レベルのものであって、そのステップの経験に興味をひかれることはあっても、普通はその人間のその職業への見識や研究成果が評価されるわけではない。

 本当にその人がその職業の道にいる人間として評価されるのは、やはりそれなりの経験を積んでからであり、自分なりの職業手法を確立してこそ初めてそこからが一人前と言える状況になる。

 しかし、少なくとも現在の中国においては経済発展の歴史が浅いという事情もあって、どの分野においてあまり先駆者がおらず、それゆえ日本人からみてロクに物事を理解していないように見える人間でも、その分野の数少ない経験者として一人前の顔をして仕事が出来る状態にある。

 まあその人間が慎み深ければその後の成長にも期待はできるが、誰とてその分野の数少ない経験者として持ち上げられればやはり人の子であり天狗になりそれが成長を妨げる。

 これは経済発展の過渡期として致しかない中国の現状における事情なのかもしれないが、このことは実は個人にとっては本当の一人前の状態に向かう向上心を失わせる不幸な環境でもある。

 しかも中国はなまじっか日本という“真似できる”見本がすぐそばにあったが故に、中国や中国人たちは自ら苦労して開拓しながら成長するという経験を得る機会を失っており、他国の文化技術を輸入し表面上を真似しただけで自分自身や自国が一人前になったと思い込むしかなかった状況は、実はこの国家にとっても本当の意味での力強い成長を妨げる不幸な要因になっているような気がする。

 ここ10年、日本が青色吐息ながらでもいまだ踏ん張っていられるのは、戦後に経験を積み重ねて本当の一人前になった人間がまだ数多く残っているからに他ならないのである。

上海ワルツ:
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