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指導教官になった気分

 ここ数か月知り合いの台湾人に対してスカイプを通してみっちり日本語の指導をしている(させられている?)日々が続いている。

 しかも、単純な日本語のレッスンというより、大学のゼミのような感じで、日本語の経済に関する本などの読解を行なって、その意味を解説するような授業?を行なっている。
 つまり単純な日本語文法を教えているのではなく、遥かに高度な文章の読解を訓練していることになる。
 もちろん相手は外国人なので、わからない日本語の単語が出てきたり、時には背景まで踏み込んで解説しなければならないことも出てくる。
 時には中国語を交えて解説しているが、ほとんどは日本語だけで説明している

 それ故に普通の日本語授業では習わないような専門用語も多く、こちらも知らなかったり、あいまいにしか把握していない言葉に対する質問も時々出てくるわけで、そんなときは慌ててネットで調べて回答したりしている。 
 どうもこうなると大学の指導教官にでもなったような気分である。
 まあ私は大学の教官でもないし、学士しか取得していないが、普段から文章を書く量は多いので、文章が上手かどうかはともかく文章構成や校正・編集に関しては一般の方よりは数はこなしているので、今回のように外国人相手の指導であれば不足はなく教えられている気がする。

 こういった努力が功を奏してか、相手の方もめきめきと腕を上げている。

 「てにをは」などを見れば、まだまだ全然足りないし、間違いだらけだが必死で文章を読み解き、自ら組み立てようとする相手の姿勢には頭が下がり、こちらも必死に応えたくなる。

 最近ようやく、一つ一つの単独の文はそこそこの形になって来たので、今後は個々の文をどう並べればスムーズな文章になり、さらには全体として論文のように頭からお尻まで繋がった文章を作ることが出来るかというエッセンスを教えていかなければならないという作業に入ってくる。

 日本人相手でも難しいこういった指導だが、文章はセンスで書く面もあるが実は理屈で割り切れる面も非常に多いというのが私の考え方であり、理屈をきちんと伝えられれば、そこそこの文章は書けるようになると考えている。

 この理屈を整理するという作業が、実は私自身にとっても訓練となっているので、今後も可能な限りこの授業は続けたいという気がしている。

上海ワルツ:
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