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オリンピックに持っていた夢

 今回、2020年の東京オリンピック開催決定を受けて、昔持っていた一つの夢を思い出した。

 まあ中国に来て以来、この滞在国で北京オリンピックという時期を経験してしまったがために、オリンピックに対する崇高な精神をことごとく破壊されてしまった印象があり、オリンピックそのものを素晴らしいものとして捉えられなくなっているような自分がいた。

 こういったネガティブな印象は昨年のロンドンオリンピックでやや取り戻されたが、結局あのサッカーの3位決定戦の試合で最後に嫌な印象を残してしまったがために、悪い印象の完全払拭とはならなかった。

 しかしながら、今回の東京オリンピック決定により、トルコとの友好的な争いなどもあって、ようやくオリンピックに対するネガティブイメージを排除した形でオリンピックに向き合えるような気がしている。

 確かに原発事故や震災復興、南海トラフ地震に国家財政など、不安を上げればキリがないが、これらはイベント成功の不安要素ではあってもオリンピック精神そのものを脅かす存在ではない訳で、そういった意味ではようやく純粋にイベントに向き合える気持ちになりつつある。

 さて、私が若い頃に持っていた夢というのは、オリンピックの開会式イベントの演出をすることであった。

 1984年のロサンジェルス大会のファンファーレと開会式の演出に強烈な衝撃を受けた私は、以来小さいながらもイベント的なもの表現的なものに多くかかわって生きてきた。

 あの頃はまだ前回の東京オリンピックが20年前に実施されたばかりの頃であったが、50年くらい経てば、もう一度くらい日本でオリンピックをやるチャンスが巡ってくるかも知れず、私が40歳を過ぎた頃に開催されればいいなぁなどと考えていたのである。

 開会式の演出のアイデアなども何度も何度も頭の中で浮かんでは消え浮かんでは消えを繰り返すほどの想像をしてきていて、例えば和楽器や世界中の楽器によるラヴェルのボレロの演奏を行なって、1人からスタートして最後には世界中の人が一つの大きな輪になるようなイメージが作れないかなど、様々な要素を日々オタク的とも言えるほど色々考えてきたのである。

 そして今回なんと夢に描いていた通りに私の40代の時期に東京にオリンピックがやってくることになったのである。

 これは驚きの予想的中である。

 私にはこれまでの夢がある故にひょっとしてこれは天が与えたチャンスか?とまで考えてしまったのである。

 とはいえ、現在においての自分自身は中国にいるわけであり、中国に来て以来そういったイベントに関わる仕事などから離れてしまっているため、日本の名誉にかかわるようなイベントの中枢に入り込めるような状態ではなくなってしまった。

 もちろん、日本に居続けて望んで努力し続けたところで、中々入れる世界では無いことは、もう私も十分大人になったので良く分かっている。

 しかしながら、こうやって東京オリンピックの開催が実際に決定した現在においては、やはり見る側ではなくできれば作る側に加わりたいというのが本音である。

 今更演出やプロデューサーの位置に立とうなどとは夢にも思わないが、世界中に希望を与えられる演出の一端をどこでもいいから担げたら幸せだなという気がしている。

 こんなことを考えるようになっただけでも、今回の開催決定は私にとって結構衝撃であったニュースであり、開催決定後の時間は決定前の時間とは全く違った人生が流れ始めているような気がしている。

上海ワルツ:
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