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社会の見方

 世の中に色んな考え方、信条の人がいるのは当然のことだが、思ったより社会の動きを見極められない人が多いということに気付かされる。

 まあ、自分がそれほど抜き出ているとは思わないが、どうやら私は小さい頃から他人よりは少しばかり社会が見えているらしい。インフルエンザや民主党が世間を賑あわせているときも結構冷静に世の中を見ていた。

 そういえば小学校から「社会」の成績は飛びぬけて良かった。自慢になってしまうが小学校の社会のテストで偏差値80などという結果が出たこともある。社会の教科の成績イコール世間の見方ではないが、まあ社会的なモノの見方は小さい頃から長けていたようだ。

 こんな私であるが故に、社会ウォッチングは常に自然なスタンスで行っており、世の中を見てきた。

 世の中にはきれいごとな建前から、きれいごとでは済まされない本音の社会関係、人間関係があり、人々の職業一つ取っても先日の映画の「おくりびと」ではないが、納棺師や火葬場の火守のような社会を下支えするような、一般的なサラリーマンのような概念の枠にはまらない社会の動きを支える色んな職業の人がいる。

 夜の水商売なども決して日の当たる場所ではないが、社会の必要悪的な要素として世の中に存在する。
 それをきれいごとばかりを言って疎んでもばかりもいられないのが社会というものである。

 また大企業の社長であろうが、派遣切りされた末の浮浪者であろうが、同じ人間として赤ん坊として生まれたはずだが、、、いや生まれるということは一緒でも、親に望まれない子がいたり親が出産と同時に亡くなってしまうケースもあるし、先天性の病気を抱えて一生を過ごす人もいる。そういった様々な環境や事情を抱えた人々が一緒に生きているのが社会であり、現実である。

 しかし、日本の社会に生きていると、そういった社会問題はどちらかというと、偏った平等意識のために蓋をかぶせられ気付かないでいてしまうことが多い。

 しかし中国へ来ると、包み隠さずそこらへんに貧富の差が存在し、頭で分かってはいても直接目の当たりにするとちょっとドキッとする。
 ここ中国では否が応でも社会の底辺の広さを感じ取らざるを得ない。

 先日、日本でも平均年収の半分以下の人間の人数を表す貧困率が世界の中でも15.7%と深刻であるとの数字が先日厚生労働省の統計で出ていた。

 しかし困ったことに、この数字を目にしても日本人の多くは自分のこととしてとらえられないでいる気がする。明日は我が身という危機感を感じていない人が多い気がする。

 1億総中流意識などという言葉がかつてあったが、その意識がそうさせるのだろうか?どこか自分だけは安全な場所にいると思いこんでいるようだ。その意識が競争意識を失い国全体の地盤沈下を招いている気がするのである。

 私はたまたま社会の捉え方に敏感であったが、それ以上に日本社会が自身の社会の現実の姿を捉えられないような構造になっていて危機に鈍くなっている。
ここが実は今の日本の深刻な病巣であると思う。

上海ワルツ:
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