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開会式 伝えたいことと伝わることの溝

開会式の演出は史上最低だったように思う。
伝えようとした中身にはそれなりに意味があったし、伝えたい歴史文化の重さもそれなりに評価したい。
 しかし伝えたいことと伝わることは同じではない。
今回の演出は、演出する側が伝えたいことと伝わる事の溝をまるでわかっていないように思えた。簡単にいうと伝えたいことに、全体を通しての一貫性もドラマ性も流れもなく、ただただ押し付け的な一方的な自己主張の演出なのである。
まず第一に演出家が会場の大きさをまるで分かっていない。あの大きな空間で小さな操り人形など扱っても、観客席から見えず、テレビ画面を通しても小さく惨めであった。
 アクティングエリアと利用しているスペースも会場の規模からすれば小さすぎる。会場の規模をもっと考えた大きさの演出をすべきであった。
さらに漢字という自国の文化を伝えたい気持ちも分からなくないが、世界の人々との間に横たわる文字文化の違いも意識せず、ただおしつけ的に「和」だけを強調しても結局は何も伝わらない。
 太極拳?と思しき踊りも一人ひとりの動きは悪くないが、やはり全体で動くことに意味を持たず、ただ同心円状で動くだけではあの会場に観客にすらその意味は伝えられない。

 いずれのシーンも最後は投射機で美しい映像を落として終わりでは演出として何もしていないのと同じである。

 映像として美しい瞬間があっても、それが意味として伝わらなければ表現している意味が何もない。演出家は伝える者と受け取る者の間にある「溝」に気がつかなくてはならない。
 どんな人と人の間にも伝える側と受け取る側の間には、モノを伝える潤滑油が必ず必要になる、それができなければ演出は失敗したのと同じ。

 今晩の開会式で感動した者がどれだけいたというのだろうか?どんなメッセージを受け取れたのだろうというのだろか?

 観客も義理堅いようで、観客もシーンが終わるたびに歓声を上げてはいたが
シーンのクライマックスと重なっておらず、終わったの?という間が一拍あってからの声援である。
 今回の観客が鈍い客かといえばそうではなく、歌手の歌い終わりではちゃんと盛り上がってくれる。観客席の様子を映し出した映像も流れていたが、観衆もまったく盛り上がってない様子で、ただただ団扇で暑さをしのいでいる姿だけが印象に残った。
 あんな演出ではやらなかったほうがマシ、中国4千年の伝統文化が泣いている。悲しい夜だった。

 入場行進がそこそこ盛り上がったのがせめてもの救い。
 日本の入場行進はやっとまともな衣装になりましたね。あれでいいんですよ、変な奇抜な衣装なんぞいらんのですよ。

上海ワルツ:
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