今回の東京オリンピックにおいて、開会式の最終聖火ランナーに大坂なおみ選手が選ばれたことについて多様な議論が起きていた。
彼女は純粋な日本人じゃないとか、見た目が日本人っぽくないとか、彼女の聖火ランナーの資格を問うものがほとんどである。
まあ主催者側としてはオリンピックの多様性の象徴として彼女が適任だと考えたのだろう。
しかし私から見れば、日本が多様性をPRするのはインチキでしかない。
何故なら、その多様性を体現しているといわれるオリンピックの裏で、入管におけるスリランカ人女性の死亡事故が発生しており、日本の入管における外国人に対する扱いのひどさが非難を浴びているからである。
しかも情報開示請求で出てきた報告書が真っ黒で、中身もないのに規定のコピー代だけ普通に徴収するといったふざけた姿勢であり、あれこそが日本の政府機関の外国人に対する態度の現在の実態である。
このように従来から日本は外国からの移民を受け入れておらず、多様性をアピールするほどの実態が伴わないのが日本の外国人に対する政策方針の現実である。
その一方で技能実習制度と称して、奴隷のごとく外国人を呼び寄せ、劣悪な低賃金でこき使っている実態もあり、もしそれを含めて多様性を主張するなら、日本政府の方針は滑稽であり世界に対する欺瞞というほかない。
このように、日本政府がまやかしの多様性をアピールする一方で、オリンピックにおいては確かに日本以外にルーツを持つ外見の選手が目立った。
実はこの現象は前回のリオの時から始まっており、その時も「カタカナ代表時代にオリンピックの国旗掲揚はもう不要」でも書いたが、いわゆるハーフと呼ばれる選手の活躍が目立つようになってきた。
今回の東京オリンピックでも同様で上述の大坂なおみ選手以外にも、バスケのオコエ桃仁花選手や八村塁選手、陸上のサニブラウン選手、柔道のウルフアロン選手、ボクシングの岡沢セオン選手など、多くのいわゆるハーフ代表選手の活躍が目立たった。
で、これらの選手の情報を追いかけているうちに、驚くべき共通点を見つけた。
それは何かというと、このハーフとされる選手はほとんどは母親側が日本人で、父親が外国人の組み合わせであるということ。
上述した、大坂なおみ選手、オコエ桃仁花選手、八村塁選手、サニブラウン選手、ウルフアロン選手はいずれも日本人母親の下に生まれた選手だった。
日本代表ではないが、スケートボートでイギリス代表になったスカイブラウン選手や、水泳のアメリカ代表のジェイ・リザーランド選手もやはり母親側が日本人である。
前回取り上げたダニエル太郎さんやベイカー茉秋さん、ウォルシュ ジュリアンさん、ケンブリッジ飛鳥さんも母親側が日本人であり父親が外国人のケースだった。
オリンピック選手以外にも視野を広げてみても、野球のダルビッシュ有さん、日ハムの万波中正さん、、オリックスの宗佑磨さん、楽天のオコエ瑠偉さん(上記オコエ桃仁花選手の兄)、ラグビーの松島幸太朗さんなどもやはり母親側が日本人である。
逆に父親側が日本人というケースは非常に希少で、フィリピン代表だがゴルフの笹生優花選手と、サッカーの元日本代表の酒井高徳選手は父親が日本人のパターンであるが、ほかには見つからなかったのである。
よって、多様性を象徴するとされているこれらのスポーツ選手は圧倒的に日本人女性が文字通り生み出しているケースが多いようなのである。
もちろん、父親が日本人であるパターンも私が知らないだけでもっと沢山いるのかもしれないが、日本人の母親の下に生まれたスポーツ選手がとても多いように感じられるのである。
またスポーツ選手に限らず芸能人モデルの類もやたら日本人の母親のパターンが多く、滝沢カレンさん、長谷川潤さん、トリンドル玲奈さん、ローラさん、ホラン千秋さん、ベッキーさん、中条あやみさんなどは全て母親が日本人である。
男性でも草刈正雄さん、ウェンツ瑛士さん、ハリー杉山さん、JOYさんなどもやはり母親側が日本人である。
まあ彼ら彼女らの両親はそれぞれの事情で愛を育み結びついて結婚し、子宝に恵まれているのだから、軽薄にこういう傾向だという結論を言うことはできないのだが、日本に広がる多様性の印象は日本政府ではなく、日本人女性が創り出しているようなのである。
つまり行動力ある日本人女性が日本人男性より魅力ある外国人男性を見つけた結果、その子供が活躍していることになる。
こういう現状を見つけてしまうと、日本人男性としてもっと努力しなければならないなと考える今日この頃なのである。