先日ラジオの相談コーナーの中で、田舎からUターンや結婚を迫られて困っているという独身男性からの相談が寄せられていた。
その相談によると、田舎の親せきから長男なんだから、田舎に戻ってきて結婚しろと言われて困っているという。
まあ東京に暮らす感覚からすれば、そんなことは親せきから指図されるような問題ではなく、個人の自由であるといった意見になり、スタジオの内部もそんな意見の雰囲気になっていた。
私も概ね相談者側の意見に同じ視点であり、私自身も独身であるからその相談者の視点と同じ立場に立っているともいえる。
ただ社会全体の状況を見渡してしまうと、必ずしも同じ意見ではない自分もいる。
まずは地方の衰退という視点から人口流出となっているこの相談者の状況は、どうにかしてその出身地方のためにも戻るのが理想的であるとも考える。
ただそうはいっても収入など目先の生活を考えると答えは簡単ではない。
第二に、子供を持たないということで、社会全体が少子化となっていく原因の一端を担っているとも言え、社会として決して望ましい状況とは言えないとも感じる。
これはまさに自分にブーメランとして返ってくることではあるが、子供がいないということは、社会としては危機になってしまうのである。
私も含めて個々の事情はあるにせよ、このラジオの相談者の親せきが、後の世代に繋がらないことを危惧するのは、地域や血の継続を案じてのことであり、個人に対して要求すると非常に理不尽と感じてしまうが、社会全体を俯瞰すると当然の意見とも感じる。
そして第三に、これも上記の子供を持たないことと繋がるのだが、この相談者は老後のためにお金を貯めているというような状況説明があったが、お金を貯めていれば老後は安泰なのかという根本的な疑問がある。
お金があれば、恐らく公的サービスや民間サービスを頼って、余生を過ごせるという判断なのかもしれない。
確かにお金はないより幾らでもあった方がいいのだが、果たしてお金を払うことにより働いて支えてくれる人的な余裕が社会にあるのだろうかという根本的な不安が残る。
また社会的な有料サービスは、それこそお金の範囲でしか動いてくれないのであり、お金を離れたところでは何もしてくれない。
さらに少子化による労働人口の不足が、果たして介護サービスに人材を割く余裕を持ち続けられるのかかなり疑問である。
つまりお金を払ってもサービスを提供してくれる労働者がいなければ、サービスつまり身の回りの世話はしてもらえないからである。
もちろん子供がいたとて、私のように親元を離れてしまえば、その助力はあまり役に立たないかもしれない。
とはいえ、交流が途絶えなければ存在するだけで、支えになるものはあるわけであり、最終的な身内の存在は有難く、お金では代えがたいものもあるだろうに思う。
老後に備えてお金の貯えをもつことはもちろん大事なことではあるが、結婚して子供を育てだり自分より長く生きる年下の世代との私的な繋がりを確保しておくというのはとても大切なことだと感じたラジオの相談の感想である。