先日、中国語から日本語への翻訳文をチェックしていて気が付いたのだが、中国語の文章の場合、何故かやたら同じ名詞の繰り返しの登場が多い。
最初の文で、A、B、Cと三つの並列の名詞の事柄について、説明が行われ、更に次の文章でこの三つの名詞を登場させ、「A、B、Cは」と文章が書かれている。
まあ二回目くらいなら愛嬌だが、なんと3回目、4回目と毎度同じく「A、B、Cは」と文章が始まっていた。
この場合は日本語だと「この三項目は」とかなど、文章をまとめた代名詞的な言葉で代替する可能性が高い表現であるが、中国語はこの言葉のまとめを行う事が少なく、一つ一つを全部登場させる文章表現習慣のようである。
このことは、中国の思考整理体系にも、その習慣が見て取れる。
中国の場合、習慣的に系統立って物事を整理していく事が苦手のように見える。
一つ一つの事柄に共通点を見出し、同系統のものとして、整理していく作業があまり行われないのである。
系統的な事柄の理解をするのであれば、1,2,3と説明すればその後の4,5,6は説明しなくても良いようなものだが、中国の場合はその4,5,6も説明させられるケースは少なくない。
つまり、1から10の事柄について1から10の事柄を全部言わせられるのである。
逆にこういった代名詞的な言葉な使用に慣れていない言語の文化の影響では、文章構造を把握しながら内容を整理して理解していくという習慣が弱いように感じられる。
日本語の基本的な文章構造としては、段落の冒頭に「花」の記述があれば、その段落内に多くの装飾や引用があっても、その段落のテーマとしては花について書かれていると考えるのが基本的な文章把握である。
しかし、中国語においてはそういったツリー構造の文章把握があまり上手ではない場合が多いように見受けられ、社会全体としてそういった文章把握の訓練が行われていないような印象である。
要するに見出しや冒頭文の内容が、その段落の内容に係っているという認識では段落内の文章を読み取っていないと感じるケースがあるのである。
まあこれは私の周囲の中国人の数少ないサンプルでしかないので、中国人全体がそういう読み方なのかは、もっと多くの人を調べてみる必要があるが、これまで読んできた中国語の文章を読んだ範囲においては代名詞とか、構造的文章とか、日本人が感じているような感覚では文章を把握していない印象が強いのである。
よって、これらを我々日本人が把握したり、翻訳したりする場合は日本語として読みやすいように修正してやる必要があると感じている。
言語が違うと使われる言葉が違うだけでなく、意味を把握するパターンも違うことに気を付けなければいけないと感じたこの発見である。