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地方発を謳いながら国家を振りかざす知事

 少し前になるが、日本の某有名知事が教職員に対して卒業式の国歌斉唱の際に起立しなかったら必ず辞めさせると息巻いている、といったニュースを目にした。

私はこのニュースを見て、

「あれ、なんだこの知事、言っていることとやっていることが矛盾しているな」
という印象を持った。

 この知事、確か「地方発で国を変える」ということを盛んに発言し、つまりボトムアップで政治を行おうとしているという印象を受けていたが、この発言はどう見ても上から権力を振りかざし、命令に従わそうとしているという姿勢に見える。

 特に「地方から」といっているのに国家の象徴である「君が代」に敬意を払えと国家を振りかざし人事権で力づくで従わせようとしている点が非常に不可解だ。

 うーんこの知事も地方発だと言いながら、結局は権力志向で天下人を夢見る存在なのか、そんな印象を持ってしまった。

 そういえばこの人が中心になって参加している某地方政党のネーミングもどうも頂けなく、改革が旗印のように見えて実は単に幕末ロマンに自分に重ねて酔っている人たちの集まりなのではないか、そんな印象を持ってしまう。

 歴史好きの政治家には幕末ロマンに自分を重ねている人は少なくないが、俺は龍馬だの、奇兵隊だの、そんなことを口走った政治家達が中身のある政治を行えず、ロクな成果を挙げていないのは周知の通りである。

 しかも当の明治の政治家たちも新体制といいながら中身は薩長政治だったといわれるように、偏った地域出身の政治家たちで固められた政権体制になってしまったことを考えると、当代の彼らも明治のそれらと何ら変わりない単なる野望家達の集団なのではないかという印象につながる。

写真はイメージ

 私自身は国歌と国旗などは特になくてもいいと思っているが、それらがなければ自分を日本人だと認識できない人が世の中に沢山おり、その人たちから日の丸と君が代を奪うほどの理由は自分の中にはなく、彼らがそれによって心の安定をもたらされているのならば強く反対するほどの否定意識を持つわけではないので、消極的肯定というような考え方でこの2つの存在を見ている。

 故に、私から否定することはもちろんしないが、逆にこれを強制されることには非常に抵抗感を覚える。

 つまり強制されること=国家権力の振りかざしの印象を受ける。

 それは私からすれば公務員だからといって強制されるべきものではなく、業務の忠誠とはまた別のものであるという考え方である。
 しかも今回のそれは地方公務員に対しての発言であるから余計に不可解だ。

 そんな私の目から見ると、今回のこの知事の発言はどうも彼の矛盾をさらけ出しているように感じるのである。

上海ワルツ:
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