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24時間の強要の社会

 また日本で交通事故が起きた。

 深夜に金沢からTDLに向かうバス。

 運転士が居眠りをしていたということで、まあこの運転士や運営会社の責任は免れないところではあるが、それにしても深夜バスである限り、このようなリスクは避けられないような気がする。

 それにしても日本をはじめとして、社会の中にはありとあらゆる場所で24時間稼働が強要されている。

 今回の深夜バスは分かりやすい例であるが、走っているバスだけでなく高速道路を運営する会社や、それを監視する交通機動隊、さらに病院などは当然24時間体制で動いている。

 そしてその背後には、携帯電話やインターネットを支える通信会社、その電力を支える電力会社や発電所勤務の人などもやはり24時間稼働だ。

 

写真はイメージ

今の社会は当たり前のように24時間電話が繋がり、水道をひねれば水が出て、スイッチを突ければ電気がつく。

 我々はこのような24時間同様のサービスが提供されることを当たり前のように強要するのだ。

 強要しているつもりはないという人もいるかもしれないが、夜中に突然電気が切れたり、銀行でお金が下ろせなかったら誰だって文句を言うだろう。

 結局はそうやって24時間稼働していることを自分ではない誰かに強要していることになり、誰かに24時間稼働を強要するということは、その誰かは朝起きて夜寝るというサイクルではない時間帯で生活していることになる。

 まあ他人事だと思えば睡眠時間さえ足りていれば問題ないと思うか知れないが、夜起きて昼に寝るという生活サイクルの逆転は本人の体に何らかの無理を要求することになる。

 今回の事故を起した運転士だって、それなりの注意を払って生活していたに違いないが、どこか体調を調節しきれず居眠り運転に繋がってしまったのだろう。

 今回犠牲になってしまった人達には気の毒だが、深夜バスというのはやはりそれなりにリスクが伴うし、24時間稼働を要求し過ぎている我々への警鐘という気がする。

 24時間稼働の全てを否定する気はないが、こういった人の体に無理をさせることによりリスクが増大するような24時間の強要は社会としてなるべく避けるべきであろうと思う。

上海ワルツ:
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