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中国語が流暢になりつつあるのはいいが

さすがに中国に3年もいると、中国語会話に慣れてくるので、最近初対面の中国人と中国語で挨拶すると外国人だと思われなくなってきた。

 どうやら言葉の発し方がかなり自然に近くなりつつあるようだ。

 まあ上海だと地方から出てきた田舎の人も大勢いて、彼らの普通語も決して上手とはいえなく、中国人同士の会話の中でも綺麗な発音とそうでない発音があり、中国人同士でも会話に詰まるような光景を良く見かける。

 その状況を考えれば、私の中国語もそんな普通語の下手な中国人より良い状態になっているだけで、本質的に上手になったとはいえないのかもしれない。
 しかしまあ言葉がそれなりに上達しているということは素直に嬉しい限りである。

 ただこのように私の中国語が自然に彼らに伝わる回数が多くなるに比例して困ったことも多くなる。

 それは何かというと、挨拶会話の発声ばかりが流暢になっていっても、肝心の中身の語彙が余り増えていないからだ。

 こちらが挨拶で簡単な中国語を流暢に話してしまうと、先方はこいつはネイティブ中国人だと思いこんで、途端に先方の会話が早くなる。そしてどんどん複雑な話を持ちかけてくる。

「まってくれ、俺は中国人じゃないからわからない」というと途端に相手はきょとんとする。「なんだ、中国人かと思ってた」といわれる。

 まあこちらがぎこちない発音をしていれば最初から外国人と分かってもらえ、丁寧に応対してもらえるのかもしれないが、なまじっか会話のリズムだけがネイティブっぽくなっているので、相手にとってはどこまで丁寧に会話すればいいのか良く分からなくなる。
結局「お前はどうしてそんなに中国語が上手だ」といわれ、また先方の容赦ない自然なスピードの会話が始まる。

 こちらも耳はスピードに慣れてきているのと、会話の内容を勘で推量するのは得意なので会話の初期段階にはそこそこついていけるのだが、やっぱり段々と話が深くなるにつれ辛くなる。
 そして分からない言葉や、表現法を知らない言葉が出てきた途端にしどろもどろになってしまうのがいつものパターンである。結局最後は友人や同僚を頼ることになる。

 「しまった慣れる順序が逆だったか」といまさら後悔しても始まらない。会話が埋まるように徐々に語彙のほうもう増やしていくほかない。

 でも初期会話が自然だといいこともたくさんある。

 つまり日本人だとばれないのである。

 日本人とばれないと、タクシーでも商店でも無謀にふっかけられることが少なくなり、また初対面の中国人でも、外国人としての壁を感じず素直に接してくれる。 良くない対日感情を持っている人にも気づかれにくいので無用なトラブルを避けることが出来る。

 商売の相手であれば、「こっちは中国語を理解してますから、ごまかそうとしても駄目ですよ」という自然なけん制にもなり、それなりの危険回避にもなる。

 もちろん、ネイティブの中国人同士でも騙されるのが中国の社会だから、日本人だとばれなくても安心できるわけではないのだが、それは日本の一般常識で回避できる事例が大半で、治安の良い上海では常識的な行動をしている限り大怪我は少ないように思える。

 まあ中国に来てから生活の中の自然学習以外は、勉強という形で中国語に取り組んでいないので、この上のステップアップを目指すためには新たな勉強も必要だなぁと考えている今日この頃である。

上海ワルツ:
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