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演歌を失わせた新幹線と男女雇用機会均等法

 最近ひょんなことから演歌の歴史を調べていて、近年これと言った大ヒットが生まれていないことに気がついた。
 私が子供の頃は演歌全盛期であったが、それに匹敵するような歌が最近は全くないのである。
 もちろん、歌手が全くいなくなったわけではないし、小さなヒットはそれなりに生まれているだろうが、まあ比較的歌謡オンチの私に耳に届いてくるような有名な曲はほとんどない。

 世代ごとの音楽趣向の変化は当然あるとはいえ、ここまで急激に減ったのは何故だろうかと考えてみた。
 そこでヒントになるのが、演歌のヒット曲の題名や歌詞の内容である。

 ウィキペディアで各年代の演歌のヒット曲のタイトルを比べて見ると、、、

 1950年代は圧倒的に地方からの集団就職列車などの境遇を意識した内容なのか、地方の恋や都会に出たばかりの若者が故郷を思う歌が多い。
 これが1960年代に入ると、都会から地方を思う望郷ソングが増え、加えて都会の夜の悲しみや不条理を歌う歌が混じってくるし、特に故郷への気持ちを歌った地名が含まれる曲名が非常に多いのがこの時代の特徴である。

 そして1970年に入ると、都会と地方の遠距離恋愛や、都会を諦めて地方に戻った人の気持ちを歌ったような曲が混じるようになる。
 港とか旅にでるとか、津々浦々と言う言葉が表す地方の小さな町を表すよう歌詞が含まれる歌が増えてきていて、何とか都会とは隔絶された世界を描こうとしている傾向が読み取れ、そのため曲の舞台は圧倒的に東北など北国に移ることになる。

 実はこの間に1964年に東海道新幹線が東京―新大阪間が開業、1972年に山陽新幹線が岡山へ、1975年に博多まで開業し、西日本に関しては都会と地方の距離が圧倒的に縮まっている時代であったが、まだ東北は時間距離の遠い場所として残されていたため、厳しい冬の寒さや農村の情景が演歌の舞台としては絵になる場所であり、人々の心の感覚にマッチしたのだと思われる。

 しかしこの状況も1980年代に入ると一変し、1982年の東北新幹線の大宮―盛岡間開業以降は東北を歌う曲が姿を消し、新幹線のない北海道を舞台にしたり、男女愛や家族愛、さては不倫を歌う曲ばかりが残り、地方の哀愁を感じさせる曲は姿を見せなくなる。

 東北が新幹線によって近くなってしまい都会との隔絶感が消え、演歌のもつ望郷感が新幹線によって失われたのがこの時代と言ってよく、この時代で出てくる曲名は新幹線の通らない北陸や、遠い外国の地名などが混じるが、それほど強いヒットにはならなくなる。

 そして1986年に男女雇用機会均等法が成立し、女性=弱いという演歌を支えてきたような図式が社会から失われる方向に向かったため、その弱い女性の心を主に歌う演歌も社会の雰囲気に合わなくなってきた。

 結果1990年代以降、演歌はほぼ絶滅に近い厳冬期を迎えるが、本来はこの時期は失われた20年と言われるほど経済的には決して明るくない時代であり、演歌の流行る土壌があっても良さそうだが、こうやってみると演歌を流行らせてきた背景と言うのは、地方への望郷とそれに関わる恋物語だということが出来、経済とはあまり関係ないようだということがわかる。

 現代のように新幹線が地方にまでの伸び、来年には北海道まで踏み入れようという時間距離の短くなった日本において、演歌の舞台は存在しなくなったのかもしれない。

 新幹線によって都会と地方が近くなることは決して悪くないことだと思うが、便利性と引き換えに郷愁を失うのはちょっと寂しいことである。
 そういえば中国も新幹線が次々に開通し、時間距離は確実に短くなっており、こういった時間距離の変化に中国人たちは何を思うのか、ぜひ尋ねてみたい気がする。

上海ワルツ:
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