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地下鉄で二胡を弾く物乞い

先日、地下鉄の車両内の床に座って二胡を弾く老人男性を目にした。

 まあ、言うまでもなく物乞いである。
 私は、普段から地下鉄の車両内をうろつく物乞いには無視を決め込んでいる。
 腕や足がなかったりで、身体障碍状態で床をはいつくばっている肉体系不幸から、小さい子供を背負って寄付を募る子供系不幸までいろいろいる。

 一番迷惑なのが、カラオケのアンプとスピーカーを背負って歌う「流し系」で、邪魔で子供を背負って回ってくるのだが、音量が大きく非常にうるさい。
 こういった物乞い系は、裏に必ず元締めがいると言われ、敢えて不幸を演出している場合もあり、必ずしも見た目ほど不幸な暮らしを送っているとは限らないと聞いたことがある。

 まあそれを商売と見るか、生きるための戦いと見るかは人それぞれだと思うが、私はいずれにしてもこれまでは決してお金を渡すことはしてこなかった。

 しかしである。

 今回車内で聴いた二胡の音は決して上手というほどのものではないけれど、アコースティックな楽器の演奏であるため、聴き心地は決して悪くなかった。
 物乞いだと思えば蔑みたくなる部分もないわけじゃないが、この二胡を弾く男性の場合は、どちらかというとストリートミュージシャンに近い雰囲気があったのである。
 奏でられる音楽によって心が癒される印象なのである。

地下鉄車内の床に座って二胡を弾く老人

 私も音楽好きであり、どうも音楽を奏でる人の姿というか音楽そのものには弱い。
 そして演奏が終わると、何と周りの乗客たちは次々にお金を寄付し始め、ほかの物乞い演出では見られない程の勢いで彼の器にお金が集まっていったのである。
 私もその勢いに乗せられてというか音楽にほだされたというか、今回は初めて1元だけ彼の持っていた器の中にお金を寄付した。 
  そしてこの老人は場所を移動するたびに一曲演奏し、寄付を集めていったのである。
 まあ厳密に言えばこの老人のやっていることも、ほかの物乞いと同じで、違法行為であることには違いないのだろ。
 しかし、他の物乞いと違って他人の同情を買ってお金をもらうのではなく、彼は音楽を聴かせてお金をもらっているわけであり、人の心を癒すという一つの労働の対価を受け取っているといえるのではないだろうか?
 人の心にストレスを与えてお金をもらうのではなく、人の心を癒してあげて対価をもらう、仕事とは是非こうありたいものである。

 
 

上海ワルツ:
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