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1人はみんなのために、みんなは1人のために

 先日の中田選手のケガ発生以来、贔屓の日ハムが踏ん張っていて負けない試合が続いている。

 精神的にガタガタ来る影響も心配されたが、思いのほか踏ん張っている印象となっている。

 まあネットで試合の結果や試合経過をチェックしているだけなので実際のチーム内の雰囲気などは全然分からないが、結果だけ見ているとチームの柱の選手の離脱であるが故に逆に危機感が強まったのかもしれないという気がしている。 
 
 そこで思い出したのが

 「1人はみんなのために、みんなは1人のために

 という言葉。

 ラグビーなどでチームワークを表す言葉として良く使われ、今回も中田選手が抜けたことによって逆にチームの結束が高まったとするならこの言葉の意味が当てはまるという気がするのである。

 ところでこの言葉の由来は19世紀の生活協同組合発足時のスローガンとして生まれたらしく英語では「One for All , All for One」となるようだが、どうも本来は現在使われている日本語の訳とは違う意味で使われいたようだ。

 前半の「1人はみんなのために」というのはそのままの意味のようだが、後半は「1人のために」ではなく「一つの目的のために」とか「勝利」というのが本来の意味ということらしい。

 つまり現在我々が理解しているような全体が1人のために動くということは本来の意味に含まれていなかったということになる。

 そう考えると前半も「一人は」ではなく「一つ」なのかもしれないが、まあこれは何れでも意味としてはそれほど違わないのだが、「一人のため」か「一つの目的のため」かではかなりニュアンスが違ってくる。

 つまり今の日本語の翻訳は誤訳の可能性があるということになる。

 ただ、現在の日本語訳と浸透しているのは「一つの目的」ではなく、「一人のため」の為となっており、言葉の発生起源がどうあれその後訳が浸透している。

 つまり言葉が発信者と受け取り手の意思の疎通の道具だとすれば、伝えたい意味が言葉の意味なのであり、言葉の発生の由来にとらわれることはないという気がしている。

 それに英語上でも双方が「一人」と理解したなら、それは1人という意味で良いこととなるだろうと思うし、本来の言葉に沿っても「一人を助けること」だって「一つの目的」であり「one」になることができるという気がするのである。

 言葉によって伝えたい意思と受け取った意味、それが一致することが言葉にとって大事なのだという気がする。

上海ワルツ:
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