最近この年になって思うのは、人生は時間があれば何だってできるということ。
例えどんなに難関と言われるということでも、時間さえあれば何だってできると思う。
家を沢山持ったり、世界中を旅行したり、10か国語をペラペラになるまで練習したり、更には今から司法試験に合格したり、医師になったりすることだって不可能な事じゃないと思う。
たいていのことは時間をかけて努力すれば、実現できない夢なんてない。
まあ才能があるかどうかはともかくプロ野球選手なんかだって相当コツコツやれば、目指せるのではないかと思う。
そう「時間があれば人は何だってできる」のである。
しかし、言い換えれば
人間に与えられている時間は限られているので、人生で出来ることも限られている。
ということになる。
人間はいつまでも若くはない。
体力はいずれ衰える。
若く成長できるのはせいぜい20代後半まで。
寿命だってせいぜい80年で、それ以上長生きできたとしても
80歳の体力で新たにゼロから挑戦するのはかなり大変だろう。
そして何かを学んだり、努力をするためには時間がかかる。
その何かを学んでいる時間、何も食べずに生きられればいいが、
残念ながら人が生きている限り、食事をしなくちゃいけない。
どこかに住まなくちゃいけない
場合によっては他人を養わなくちゃいけない。
そのためには誰かの世話になるか、自分で稼がなくちゃいけない。
そしてご飯を食べるのにも時間がかかる。
風呂に入るのにも時間がかかる。
そして1日の1/3~1/4は寝る時間を取られる。
残念ながら人間は寝ないと生きていけないのだ。
そう考えると、人間が何かをやろうと考えた時、
使える時間は非常に少ないことに気が付く。
だから人は目指す山はそんなに幾つも選べない。
人はどんなに大きな夢でも、どんなにたくさんの夢でも持つことができるが
叶えられる夢は限られている。
そう、人生は限られている。
(私の嫌いなS氏も同じようなことを言っていたらしいが、決して受け売りではない)
だから人はそれぞれ違う自分の山を目指していて、小さな夢を沢山実現している人もいれば、とてつもなく大きな山を目指してずっと夢の途中の人もいる。
だから人生の途中で一つの山に登れたとしても有頂天になって自慢してはいけない。
それはその人が時間をそこに使っただけ。
ほとんどの他人は目指す山が違うのである。
だから私も、明日何をすべきかを考える。