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インターフェースの勝利は見習うべきだが

iPod、iPhone、iPadとアップル社が立て続けにヒットしてきた新商品。

実は私自身どれも買っていない。
ただ自分自身買ったことはないが目にしたり触ってみたことはある。
しかし、結局買うには至っていない。

何故だろうか?

これらのアップル社のヒットに共通するのは1にも2にもインターフェイスの使いやすさにあることはいうまでもない。

機械的な操作ではなく、タッチパネルを使った直感的な操作で簡単に取扱いが出来るので「機械が苦手な人」、つまり難しいロジックを考えることが苦手な人でも取り扱えるようになった。

 故に今まで機械操作に煩わされてきた人たちが、こぞって飛びついたように思う。

上海のアップルストア

 しかし、アップル社の各商品がインターフェイスの素晴らしさでヒットしてきたということは裏を返せば、インターフェイス部分を除くと実は特別目新しい機能が存在するわけではないような気がする。

 音楽を聴いたり写真や動画を撮ったり、はたまた本を読んだり、、、つまり今までばらばらにあった商品の機能が融合されただけという言い方も出来る。

つまり代替が利く

 もちろん、アップル社の製品はどの機能も高性能化しているのであろうから同列で評価することは出来ないが、基本機能という意味では他の商品でも寄せ集めれば埋めることが出来、どうしても彼らの商品でなければない機能というものは見つからない。

故に、どうしても彼らの製品を買うべき必然性が無く、自分は今までアップル社製品を買わずに来てしまったのかなと思う。

また、そのウリであるインターフェイスのスムーズさも、かの製品を自分から遠ざけている面もある気がする。

 元来、車の運転もオートマ車よりマニュアル車のほうが好きな私であるので、あまりにもスムーズなインターフェイスというは、逆に操作をする側の楽しみを奪い物足りなさを感じてしまう。

音楽を聴くということについて、音が綺麗に鳴り聞こえればそれでいいという画一化された価値観を押し付けられているような気がするのである。

 人間が物事を楽しむポイントというのは、企画された音楽や映画を、単純に観たり聴いたりといった部分だけでは実は完結しないというような気がする。

 うまく説明できないが、チェーン店のレストランで各店共通化された美味しい料理を出され、その食べ方も決まっているというような価値観の押し付けをされているような窮屈さを感じてしまうのである。

 本来は料理とは基準レシピはあっても、それが全てではないので作る側にも創造性があり、また食べる側にも創造性があるものでそれがまた楽しいのである。

 それと同じで、音楽とはスタジオで録音された曲を1曲単位で機械で聴くということが、現在のスタイルとして「規格化」されているが、実はそれが全てではないのが音楽である。

こういった意味で創造性があるようで、実は価値観の画一化を行なっているのが彼らの商品のような気がする。

故に1ユーザーとしては彼らの商品を拒否をするわけではないが、必ずしも相容れない部分があって今まで買わずに来た気がする。

 さなれば、今後も彼らの商品は買わないのではないかという気もしている。

さてさて、まあこういった個人的見解はともかくとして、彼らからビジネスとして学ぶべき点を探すと、どんな商品でもインターフェイス一つでヒット商品に変えてしまうことができるのだというところである。

 上記に書いたように、基本機能としてはノートパソコンでも代替できてしまうような機能を、タッチパネルなどのインターフェイス一つでユーザーを引き付けヒット商品を生み出してしまう。

 世の中には非常に高機能を持った面白い商品なのに、どうにもインターフェイス機能が駄目で扱いにくくヒットしていない商品が少なくない。

 そんな状況にも関わらず、こういったインターフェイスだけで(と言ったら失礼かもしれないが)ヒットする商品があるということは、ビジネスを考える上で非常に参考になると思われる。

 つまり、機能はみんなに使いやすくして使われてナンボということになるであろうか。是非参考にしたい彼らのヒットの秘訣である。

上海ワルツ:
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