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日本人は最初の言葉、中国人は最後の言葉

 日本人からみると中国人は話がころころ変わるといわれる。

 故に信用できないという話を言われるのだが、結局中国人が大事にするのは一番最後に言った言葉だけなので、途中でどんなことを言おうが、最後に言った言葉がその人の言葉となる。
 故に最初の言葉に信用性なんぞ期待してはならず、最終的な結論だけを聞くほうが効率的である。

 まあいつが最後なのかが分からないのでその判断が難しいのだが、少なくとも見込みで言っている話は話半分で聞いておいたほうがよい。多くの場合において彼らの話は極めて楽観的だからだ。鵜呑みにするほど馬鹿なことはない。

 ところが日本の文化はまったく逆で、日本人の言葉は一番最初が肝心で、最初に何かを言ってしまえば、後から何を言おうが最初の言葉に左右される。
 故に後から最初の言葉と反対のことを言おうものなら信用できないとなる。

 つまり日本人にとっては最初の一言目が重要になるので、言葉を発する前の慎重な思考が必要となり自然と言葉が重くなる。

 どうしても最初に断定できない状態で言葉にしなければならない場合は、含みを持たせたあいまいな言葉になり、後々どっちに転んでも問題ないような物言いをする。その内容は言葉の責任問題を考慮して軒並み悲観的である。
 これが日本人の会話文化であり社会習慣になっている。
 故に中国人からみると結論がはっきりせず、何を考えているか分からないから信用できないとなる
 

 日中どちらがいいとも悪いともいえない部分があるが、習慣としてはまったく正反対のためにこの二つが組み合わさるとトラブルが起きること必至である。

 知り合いのある会社の出来事であるが中国人社長があるトラブルが原因で、日本人社員のクビをいきなり宣告してしまった。

 そのトラブル自体はそれほど深刻なものではなかったので、クビ宣言から数日後今度は一転してその中国人社長は日本人社員を戻そうと画策を始めたが、一度クビを宣告されて会社を追い出された日本人のほうは、それほど簡単な話ではない。

 最初に言ったクビ宣言がその後の関係を支配する。
 中国人社長側は、社員を戻したいのか自己防衛のためなのか分からないが伝えてくる話が都度都度二転三転したそうだ。

 結局日本人側は、その二転三転する態度に嫌気が差し会社を辞めることにしたそうだが、客観的にみるとこの退職は最初のクビ宣言を根拠とすれば会社都合の解雇であるはずにもかかわらず、中国人社長側はその後の復職提案努力を盾にとって自己都合退職扱いにしてしまい、退職補償金を払わなかったそうだ。

 日本人から見れば最初のクビ宣言が有効であり、社長側が後からどんな法律的な理屈をこねようと退職金を払わなくてはならないと思うのだが、社長側はあとからの理屈をまかりとおしてしまった。

 この理屈を無茶苦茶だという言い方もできるし、中国人にとっては当たり前の対応だという言い方もできる。
 ただ世界の社会ルールから言えば、何事も時間軸の上で早い時間に発生したことが優先で考慮されるので、

 中国もいずれこういう文化や制度に変わっていくと思われる。

 ただ法律は法律として変わっても人はなかなか変わることができない。

 これは中国人だけが変われないという話ではない。

 近代的な法律が中国より早く整備されている日本でさえ、予め明確にしなければならないと法律に記されてることでも、曖昧なまままかり通していることがたくさんある。そのことを考えれば、人が変わることの難しさがよーく分かる。

 結局は日本人は最初の言葉、中国人は最後の言葉が大事なのであり法律ではコントロール仕切れない部分が言葉の文化にはあるということらしい。

上海ワルツ:
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