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大みそかの自分

 何だか新年を迎える覚悟も雰囲気もないままに大みそかを迎えてしまった気がする。

 春節を正月とする中国では、12月31日と言えども単なる月末の一つでしかなく、元旦こそ形式上は新年などと謳う面もあるが、やはり12月の年末が年末とは言えない雰囲気なのである。

 日本で大みそかと言えば江戸時代などは「掛け」を支払う期限であり「掛取り(借金取り)」が方々走りまわっていたと聞き、そんな姿を描く古典落語の噺も多数ある。
 逆に正月を題材にした噺が数えるほどしかないのに比べると、非常に対照的な状況である。

 例えば大みそかを舞台にした噺の中で傑作とよばれる噺の中に「芝浜」という話がある。

 これは掛取りを題材にした噺ではないが、ある夫婦が大みそかを幸せに迎える場面が描かれており、演者によって描かれ方はかなり異なるが「芝浜のような嫁が欲しい」というほど内助の功が光る話になっていて、大みそかに何度でも聞きたい噺である。

 或いは「睨み返し」「掛取り」など幾つか有名な話はやはり掛取りとの返す人との攻防を描いており、いかにこの日が一年の中で重要な日だったことがわかる。

 この点現代に立ち返ってみれば、日本人にとっては大みそかに掛取りに追いまわされることこそなくなったと思うが、慌ただしい一年を収束させる1日であることは変わりなく、バタバタ何とか紅白に間に合わせようとして行動するのが現代の日本人の典型大みそかスタイルであろうか?

 しかし我が身を振り返ってみると、この日も上海にいることもあって、年末として世間的に追い立てられることもなく、経済的に大変な状態であっても借金取りが来るわけでもないので、気分的には言うなれば旧暦で示す11月10日の状態の感じなのである。

 今日カレンダー上でとうとう大みそかになってしまって、これではいけないと内心焦っている面もあるのだが、周囲の雰囲気もあって、年末としてのペースアップも新年への切替えも難しい気分になっているのが、大みそかに中国にいる日本人の私である。

上海ワルツ:
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